鴉少女は王子と飛び発つ
「鴉。今日も来てくれたんだな!」
冷たい石造の塔の部屋のドアを開ければ、中で待っていた彼は私にニコリと笑った。金髪碧眼の綺麗な顔をした青年だ。
***
初めてその夢を見た時には、まだ王子とは会ってなかった。ただ私は真っ赤な夕焼けの空を太陽を追いかけるように真っ黒な翼で、たった一羽で飛んでいた。
目覚めた時に私は「ああついに夢だとはいえ本物の鴉に私はなったのか」と謎の虚無感を感じた。
私は、私の育った場所では腫物だった。旅人の夫婦かなんかがある日、物心がつくかつかないくらいの私をその村に置いていったそうだ。閉鎖的な村は部外者の存在を嫌う。
そんな彼らにとって私の存在は不快だった。だから、置いてかれた私を放置した。どうせ勝手にその内死んでくれるだろうと。手を掛けるという行為さえしなかった。
けれど、私の生命力は凄まじかったのだろう、彼らのそんな期待を裏切って生き残った。
村人たちは、そんな私を恐れた。
あの子供が死なないのは、きっと悪しきものに魂を売り渡したからに違いないと。
そしていつからか彼らは私のことを「鴉」と呼ぶようになった。
食べ物を漁る様から、目つきの悪い目とゆらめく髪が真っ黒だから、口から出る声が少女とは思えない程しゃがれた声だったから、様々な理由はあったが、一番はきっとこの国で鴉は悪しき魔女の使いとして有名だったからだろう。
「鴉」と直接呼ばれたことは無い、村の年寄りは広場でひそひそと、村の男や女は子供に「あの鴉と関わるんじゃないよ!」と、村の子供達はそーっと私のことを見に来たかと思えば「やっべぇ、今目が合っちまった!」とガヤガヤと、私のことを話していたのだ。
夕焼けの下で、飛び去って日の沈む方へと行く鴉たちを何度も見送って「私は彼らと一緒なのだろうか?」と何度も考えた。
しかしその内、気づいた。彼らは鴉たちは、私のように独りではない。一羽が赤い空で鳴けば、他の一羽がそれに応える。一人で地面でそれを眺めるしか出来ない私は鴉ですらなかった。
かといって人でもないのだろう。
そんなことを実感してから、鴉になる夢を見たとなると、もう何とも言い難かった。
人として扱われず鴉と人に呼ばれる私は、夢の中ではたった一羽で飛んでいた。つまり、鴉にすらなれなかったのだ。
それでも毎日、毎日、夢を見た。ひたすら太陽を追いかけて飛ぶ夢を。そしてある日、その塔にたどり着いたのだ。
飛び疲れた、夢の中のくせにそう思った私を、待ち構えていたかのようにその塔は現れた。
高い高い石造りの塔が夕焼けの中にそびえ立っていた。
羽を休めるのに丁度良さそうな、へこみを見つけ私がそこに止まった時だった、青い瞳と目が合った。
「カラス?」
「ヒト?」
この夢の中で人が出てくるなんて思ってもみなかった私は思わずそう口にした。
「え、い、いま……しゃ、喋った?」
「ヒトと鴉は、会話できない」
「いや、通じてるなこれは……お前は人の言葉を話せるカラスなのか?」
この時の私は一瞬思考停止したが、夢だから人の言葉を話せる鴉になったっておかしくないかと結論付けた。
「夢の中だから」
そう答えた自分の声は相変わらずしゃがれていた。
「ゆ、夢? いやまぁ、確かにカラスが喋るだすなんてことはおかしいし、いい加減俺の気が狂った説も無きにしも非ずだが……でも、魔女の使いになれるっていうくらいの動物だしな」
そう混乱する彼を少し見つめてから、私は飛び去った。そこで目覚めた。
珍しいこともあるもんだとその朝は思ったが、その珍しいことは一度で終わりじゃなかった。むしろ、その日から夜毎に、彼が出てきたのだ。
何度目かになると彼の方はもう慣れたのか「鴉、今日も来てくれたんだな!」と私の羽音が聞こえた瞬間、挨拶までするようになった。
「空を飛ぶってどんな感じがするんだ?」
「今日は雨が降ってたけど大丈夫か?」
「鴉は日中はどうしてるんだ?」
毎日、たくさんのことを聞いてきた。たくさん話しかけてきた。村の人たちとは全く正反対で、私が来るたびに、私と話す度に嬉しそうにするものだから当然のことながら混乱した。
だって、鴉と私を呼んだ村人たちは私を忌み嫌うのに、どうして同じように鴉と呼ぶこのヒトは嬉しそうにするのだろう?
「おいヒト」
「お、おう、なかなか斬新な呼び方、ここに来る前だったら絶対言われない……あ、あと鴉から話しかけてきてくれたのは初めてだな。一体、なんのようだ?」
「……私は鴉。悪しき魔女の使いとかで危ないし、不吉なんだろ。なのにどうしてそんな風にニコニコ笑ってられる?」
私の純粋な疑問に彼はしばらくポカンと口を開けた後、
「それってお前がいわれたのか?」
「言われたというか、聞いたというか、ヒトはそういうもんだろ」
「確かにそういう迷信はあるが。それをお前の口から聞くとは思わなかったな……あのな鴉、俺は時には鴉よりも魔女よりもヒトって怖い生き物だってことを知ってるんだ」
村人が恐れている鴉より、魔女より、ヒトが怖いという彼に首を傾げる。
「それに、鴉ってとっても賢い生き物なんだぞ。ほら、現に鴉は人間の言葉を喋れるわけだし。それに鴉は毎日ここにいる俺と話してくれる優しい生き物なんだよ」
「休憩所にいて、奇特にも話しかけてくるから返事してるだけ」
「それが優しいって言うんだよ」
優しいだなんて言われて調子が狂ってしまったのだろう。次の夢から「鴉を、私を、恐れず優しいとか賢いというこいつはどんな奴だ」と気になり彼に質問するようになった。
夜毎に見る夢があまりにもおかしくて、目覚めるのが嫌になってきた頃だった。
「鴉は自由でいいな」
窓の外の夕焼けを見てそう彼が言った。
「自由?」
「そう自由。だってこの窓からどこへでも飛んでいけるんだろ? 俺は何処にも行けないから。ずっとこの塔の中にいないといけない」
「なんでここにいるって決まってる?」
断定的な物言いを不思議に思いそう指摘すると、
「俺、王子様って話はしたよな」
「第二王子って前言ってた」
鴉の私とあまりにも楽しそうに話すものだから時々忘れてしまうことだけれど。
「そう、第二王子。でも第一王子より才能があるって周りが騒ぐもんだからよ。兄上が俺のことを一生幽閉するって決めたんだ……俺も兄上も争う気はなかったけど、王位なんて俺は狙ってなかったけど、周りの連中が俺に兄上を殺させようとしたりするから。王位継承権を持つ奴が兄上の他にいる限り、俺がいる限り、派閥が出来ちまうから、だから、俺は従ったんだ。殺すって決断しなかったのが兄上の優しさだって分かってるから……でも、やっぱここにずっといんのは辛い。外に出たい」
石造りの冷たい塔。高い高い塔。窓は一つはあるけれど、人が出入りなんて出来っこない。だって窓の下にはでっぱりの少ない壁と窓の前にはだだっ広い空間。部屋の中にドアはあるけれど、そのドアが開いてるとこを私は見たことが無い。
「たぶん………………鴉が来てくれてなかったら気が狂ってた。いやもう、気が狂ってんのかもしれねぇ。だけどまだ笑えんだ。生きててもいいって思えるんだ。でも、鴉がいつか俺のこと忘れて二度とこなくなっちまったら俺、独りぼっちになっちまうって。もう生きてる意味なんもなくなっちまうって、怖くて怖くて仕方ねぇんだ!」
独りぼっち……夕焼けの空の下で、飛んでいく鴉たちを一人で私は見つめていた。ヒトにも混じれず、鴉にも混じれず、一人で居た私はその気持ちをよく呑み込めてなかったけれど、多分寂しかったんだろう。悲しかったんだろう。
そんな私は多分、目の前で泣き叫ぶ少年に救われた。夢の中の存在かもしれない。でも、ただの夢じゃない。
「私は忘れない。絶対に忘れない。だって鴉は賢いもの優しいもの。大事な君のこと忘れない」
君が教えてくれた。君が話しかけてくれた。君が笑ってくれた。私を見て怖がらなかった、避けなかった、厭わなかった。君が救ってくれた。だから、今度は私が救うんだ。
「私はまだ小さな鴉だけれど、その内、君と一緒にこの窓から外に飛び発つんだ。だから、待っていて。忘れず迎えに行くから」
それが最後の夢だった。
***
あの夢から目が覚めた後、私は村から出た。
だって私は王子のいる塔とは違って、出ようと思えば出られる。今までは惰性で、目的が無かったから出なかったけど、あの朝、決めた。夢の中のように空は羽ばたけないけれど、それでも足があるから歩いていける。
ひたすらに太陽をおっかけて、日が沈む方向に向かって、西へ西へと進んでいく。
旅の途中で誰かが私に言った「夢は夢だろ」と。
ああ確かにそうかもしれない。だけど、私は決めたんだ。王子のことを忘れないと、彼のことを迎えに行くと。