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怖がりな幼馴染がホラー映画を好むワケ

 高二の夏休みの昼下がり、クーラーの効いた自室のベッドの上で週刊少年漫画を読んでいた俺――呉島くれしまいさむは、コンコンと窓を叩く音に顔を上げた。


 かなり盛り上がりを見せる場面に差し掛かっていたところだが、お呼びがかかった以上仕方がない。漫画雑誌を手にしたまま腰を上げると、今しがた叩かれたばかりの窓を開ける。


「やっほー! こんにちは、いっちゃん」


 俺を出迎えたのは、夏の日差しを物ともしない元気いっぱいに弾んだ声。


 ガラス一枚分の隔たりを取っ払った先にいたのは、お隣の一軒家に住む同い年の少女――坂上さかがみ湊月みつきだった。


 肩にかかるぐらいのセミロングの黒髪に、ぱっちり二重の大きな瞳。全体的に愛らしく整った顔立ちは持ち前の明るさで彩られており、会話しているだけで活力を分け与えられうようなカンフル剤系美少女。そんな彼女は俺の顔をまじまじと見ると、大輪の向日葵のような笑顔を浮かべた。


 呉島家こっち坂上家あっちの間取りの都合上、二階にある俺と湊月の自室はかなり近い位置にある。こうして互いの部屋の窓を開放すれば、会話どころか触れ合えるぐらいの距離感だ。


「おっす。一体何の用だ?」


「またまたー、私といっちゃんの仲なら分かってる癖にー」


 ニコニコ笑顔のままの湊月の言葉に、俺の口から思わずため息が漏れる。


「またかよ……。お前も懲りないなあ」


「あはは、面目ない。でも今回のもすっごく面白いって評判で、私としてはチェックせずにはいられないんだよね」


「はいはい、了解。いつも通り晩飯の後でいいか?」


「お願いしまーす」


 パン、と手を合わせる湊月。次いで彼女の好奇心旺盛な瞳は、俺が手にしたままの漫画雑誌に向けられた。


「それ今週のジャンパーだよね? 読み終わったら私にも見せて。やっと叫嶼さけじまさんの活躍回が来たから楽しみなんだー」


「あれ、湊月って鬼断きだんだと石柱いしばしら推し?」


「うん! やっぱり最強とかの、ここぞって時に頼りになる男の人ってかっこいいもん。ちなみにいっちゃんは?」


嵐柱らんばしら


「あー、分かる。いっちゃんってたまにヒャッハー系になるよね」


「俺どういう目で見られてんの!? あの不器用な優しさがいいんだろがい!」


 不当な評価に対して額へのデコピンを繰り出すが、湊月はシュバッと身を引いてそれを避ける。チッ、反応の良いヤツだ。


「じゃ、また夜によろしくねー」


 言うだけ言って、湊月は自室の奥へと姿を消した。気心の知れた仲とはいえ年頃の男女。いつまでも女の子の部屋の方に目を向けるのもデリカシーが無いので、俺も早々にベッドの上へと舞い戻る。


 そして、ため息一つ。


 ……どうやら今夜もまた、精神修行に勤しむハメになりそうだ。












 晩飯を食べ終わってから食休みを挟んだ午後八時半、湊月は夏らしいノースリーブのワンピース姿で我が家を訪れた。色は爽やかな白で、膝丈の裾からは健康的に成長した足がすらりと伸びている。風呂上がりなのか、少し湿った髪からそこはかとない色気が感じられた。


 何やら生暖かい視線を送ってくる両親を適当にあしらいつつ、二階の俺の部屋へと上がる。簡単な整理整頓を始めとする準備を終わった室内を見回し、湊月は満足気にうむうむと頷いた。


「さすがいっちゃん、準備万端ですなー」


「お褒め頂きどうも。つーかこうしないと、湊月がぶーぶー文句たれるからだろ」


「あはは、そう目くじら立てない立てない。付き合ってくれるお礼に、こっちも色々用意してきたから」


 湊月はそう言って、手にしたコンビニのビニール袋を揺らした。透けて見える中身には俺の好物も入っているので、ここは水に流してしんぜよう。


「んじゃ、ぼちぼち始めるか」


「……うん」


 俺の言葉に、湊月はほんのりと頬を染めた。思わずドキリとしてしまう表情から目を逸らし、俺は部屋の電灯のスイッチを指で押す。途端に暗くなる空間の中――俺と湊月は二人揃ってベッドの上に腰を下ろした。












『誰……? 誰かそこにいるの……!?』


 震えた声で“彼女”は言葉を絞り出す。彼女がいる場所は、薄暗い闇に支配された病院の一室。非常灯の頼りない緑色だけが周囲を照らし、朧気に浮かび上がる部屋の様子は見るものに不安を抱かせた。


 ごくりと喉を鳴らした彼女は部屋の一角――カーテンで閉ざされたベッドの設置された場所へと、一歩、また一歩と着実に近付いていく。


 そして覚悟を決め、引き千切らんばかりの勢いでカーテンを開け放った先には――誰もいなかった。ただ、何の変哲もないベッドがあるだけ。


 それに気を緩めた彼女が踵を返した、その瞬間。


 眼前に、この世のものとは思えない表情を浮かべた髪の長い女性が現れた。


『キャアアアアアアアアッ!?』


 二つ(・・)の悲鳴が俺の鼓膜は揺さぶる。


 一つはテレビ画面の向こう側、たった今、長髪の幽霊と衝撃的エンカウントをした実力派女優のもの。


 そしてもう一つは、俺の腕にぎゅうっとしがみ付く十年来の幼馴染――坂上湊月のものだ。


 そう、何を隠そう俺と湊月は今、ホラー映画観賞会の真っ最中なのである。


 最近はすごいよな。わざわざDVDとか借りなくても、テレビをネットに繋げば色んな映画が見れるんだから。さすがは技術大国・日本。この国に生まれて良かった。


 などと微妙な現実逃避をしている最中にも、画面の向こうでは物語が進行している。必死の形相で病院内を逃げ回る女優と、四つん這いの高速低空機動で追いすがる幽霊。BGMや画面演出も相まってかなり怖い。そして一進一退の攻防が繰り広げられるたびに、隣の湊月は敏感に身体を震わせ、何度も俺の腕を抱き直す。


 ごの反応から分かる通り、湊月はホラー物が大の苦手だ。その癖何かにつけて興味を持ったホラー映画を探し出してきては、俺の部屋で鑑賞会を開く。映画の内容が気になるけど一人の見るのは怖くて無理だから、俺を巻き込むというわけだ。


 まあ、巻き込まれること自体は別に嫌でもなんでもない。湊月の持ってくるものは総じて完成度が高く、こちらも良質な作品をタダ同然(映画のレンタルやダウンロードに掛かる費用は湊月持ち)で見れるというメリットもある。


 ただ、問題なのは――


『イヤアアアアアアアアッ!!』


「~~っ!?」


 とうとう幽霊に足首を掴まれてしまった女優の悲鳴に、湊月がこれでもかと身体をビクつかせる。引き続き俺の腕に抱き着いたままそんな反応をするわけなので、身じろぎするたびに湊月の柔らかな身体の色んなところが押し当てられてくる。


 昔に比べて立派に成長した膨らみ、それとは対照的にほど良く引き締まったお腹、本人曰くちょっと太いのが悩みらしい太腿(俺としては全くそんなことないのだが)。ワンピースの生地が薄いのも相まって、さっきから甘美な刺激がひっきりなしに俺に与えられて心臓がバクバクと暴れ回る。


 ちらりと湊月の表情を盗み見れば、極度の緊張と恐怖で血流が早まっているのか、顔を赤くしてぶるぶると震えながら画面を見ていた。怖いなら目を逸らすなりすればいいのに、変なところでマジメな女の子だ。


 前からは恐怖、横からは誘惑。結局、俺は俺で色んな(・・・)想いを抱えながら、真夏の夜のホラー映画鑑賞会は続くのであった。












 約二時間に及ぶ鑑賞会の後片付けを終え、俺と湊月は我が家の玄関まで降りてきた。


「ふあー、怖かったー……!」


「その割には楽しそうだな」


「だってその分面白かったし!」


 女の子らしいお洒落なサンダルを履く湊月の表情は、満足感で満たされている。確かに湊月の言葉通り、今夜の映画もまた、良い出来栄えのものだった。


『全ての事件が解決したかに見えて、実はまだ……』といったホラー映画ド定番のラストではあったが、定番なだけにそうそう外れることもなく奥深い。やっぱり作品に対する湊月の嗅覚は流石だ。


 お互いサンダルを履き終わったところで、玄関から外へ。蒸し暑い夏の空気がどこかひんやりと感じるのは、ホラー映画の影響かもしれない。


「毎回付き合わせちゃてごめんね。いっちゃんが一緒に見てくれると心強いや」


「悪いと思ってるなら、たまには俺じゃなくて女友達でも誘ったらどうだ? 一人で見るのが嫌なだけなら、それでも問題ないだろ」


「い、いやあ……友達は、ちょっと……」


 しどろもどろになった湊月が目を泳がせる。


「え……何お前、ひょっとして友達いないの……? 実はぼっちなの……?」


「いや、いるから! ちゃんといるからねっ!?」


「大丈夫か? 無理しなくていいんだぞ? 何だったら、夏休み明けからは俺と一緒に昼飯食べるか?」


「うわ、これガチで心配してるヤツだ……」


 がっくりと肩を落とす湊月。


 学校でのクラスは俺が理系、湊月は文系。お互いの教室が結構離れた場所にあるので、実のところ、仲の割に学校での交流はそこまでない。


 まあ、元気で明るい美少女の湊月がクラスの人気者であることはちゃんと分かってるけど。こっちのクラスでも「あのコ良いよなー」みたいな感じでたまに話題に上がるし。


 それはさておき、気を取り直した湊月はぷりぷりと頬を膨らませ、「ちゃんと友達いますぅー!」と俺の脇腹を突いてくる。くすぐったい。


「友達はいるけどさ……こう、何と言いますか……クラスでの私って、皆の頼れる湊月ちゃんって感じだから、あんまり情けない姿は見せたくないと言いますか……」


「…………」


「いっちゃん、その目やめて。そんな呆れ返った目で私を見ないで」


「心配して損した」


「ご、ごめんってばー! そんな怒んないでよー!」


 どこぞの三代目主人公ばりに「やれやれだぜ」と呟きたい気分だ。


「まあまあ、学校じゃ見られない私のレアな姿を見れるということで、ここは一つ」


「俺にとってはレアでも何でもないけどな」


「なにおう」


 十年近く交流もあれば、見慣れるというものだ。特に夏休みに入ってから、今夜みたいな鑑賞会はそれなりの頻度で行われているわけだし。


 そんなこんなで湊月と話している内に、彼女の家の玄関まで辿り着いていた。


「送ってくれてありがと、いっちゃん」


「礼を言われるほどじゃねーよ。お隣だから労力なんてほとんどいらないし」


 だらだら話しながらだったけど、普通に歩けば十秒もかからない。送ったと言えるほどの距離でもないだろう。けれど湊月は俺の素っ気ない返事を受けても、笑みを絶やすことはなかった。


「それなのに毎回欠かさず送ってくれるのが、いっちゃんの良いところだよね。私は好きだなあ、そういう律儀なところ」


「……そーかい」


「あ、いっちゃん照れてる」


「うっせ、さっさと部屋行って寝ろ」


「はいはーい。じゃあね、いっちゃん。おやすみっ」


 最後にとびきりの笑顔を見せて、湊月は家の中へと姿を消した。誰もいなくなった玄関を何故だかしばらく眺めた後、俺も自宅へ戻る。またもやニヤニヤと笑っている両親に生返事をし、自分の部屋へ。


 どことなく甘い香りが残っている室内で深呼吸をした俺は、ベッドにうつ伏せで倒れ込むと、枕に顔を押し付けて――




(怖かったァァァアアアアアッ!!)




 小声で叫ぶという、我ながら器用な芸当をやってのけた。


 いやホント、何だ今夜の映画!? 正しくは今夜もだけど、何で湊月の持ってくる映画はどれもこれもすっげえ怖いのばっかりなんだよ!?


 特に幽霊役のあの女優! 四つん這いの高速機動はもちろんだけど、アップになった時の表情がヤバすぎる! あれマジで同じ人間!? 実はガチでやべーヤツ撮れたとかじゃなくて!?


 枕を抱えたまま、ヘッドバンキングのように頭を振り回す。脳裏にこびりついた映画の残影を必死に振り払おうとするも、色濃く残った記憶はなかなか消えてはくれない。それどころか逆にまざまざと思い出してしまい、ぶり返した恐怖で背筋が凍ってしまう。


 正直に告白すると、俺はホラー物が大の苦手だ。湊月と同じか、たぶんそれ以上に。細かい理由は割愛するが、小さい頃のかくれんぼで調子に乗りすぎ結果、真っ暗な部屋に長時間閉じ込められたトラウマが根本的な原因らしい。なにぶん小さい頃の話なので、記憶はちょっと曖昧だ。


 本当ならホラー映画なんて是が非でも見たくないもので、映画館で流れる予告編ですら目と耳を塞いでやり過ごすぐらいのビビリっぷり。


 では、なぜそんな俺が必死に強がってまで、湊月のホラー映画観賞会に付き合っているのか。湊月の名誉のために言うと、何も無理やり付き合わされているわけではない。そもそも俺がホラー物を苦手としていることは湊月に隠してるし、湊月も湊月で人が苦手なものを無理に押し付けるような真似はしない。色々ノリで生きてる部分が多い彼女だが、その辺りの分別はきっちり弁えている。


 理由は一つ、そして単純明快。




 ――好きな女の子に頼られたら、応えてあげたくなるのが男ってもんだろ?




 そう、俺は湊月のことが好きだ。友達とかじゃなく、一人の女の子として。ライクじゃなくてラブ。


 一体いつからなのかは、正直自分でもよく分からない。坂上家がこっちに引っ越してきたのが小一の頃。些細なきっかけから知り合って、よく遊ぶようになり、そんな関係が思春期真っ只中な高二の今でも続いている。


 何度か告白しようと考えたこともあるけれど、昔から大して変わらない距離感から考えるに、湊月は俺のことを異性として意識していないんじゃないかと思う。今夜だってそう、薄着で男の部屋にほいほい上がり込んできたのが良い例だ。


 こっちは湊月に抱き着かれてる最中、ずっとドキドキしっぱなしだったってのに……。


 いや、まあ、恐怖でというのももちろんあるけどさ。


 ようやく精神が落ち着いたところで、のろのろとした動きで天井は見上げる。考えるのは、どういう男になれば湊月に意識してもらえるかということ。


『やっぱり最強とかの、ここぞって時に頼りになる男の人ってかっこいいもん』


 今日の昼過ぎの会話が蘇る。


 漫画のキャラに対する感想なので厳密には違うかもしれないが、湊月の好みはここぞという時に頼りになるような、言うなれば男らしい男。……実はホラー映画にビビってる男なんて、的外れもいいところだろう。


「せめて一人で見れるぐらいにはなんねーとなあ……」


 そうなれば、少しは自分に自信が持てるだろうか。当然答える声があるはずもなく、俺は一人、湊月の部屋へと続く窓を見てため息を零した。











 夏休みがだいたい半分過ぎたぐらいの八月のある日。俺と湊月が通う高校の二年生は、学校での二泊三日の勉強合宿なるものに参加しなければならない。高校生の華の休みに強制的にぶっ込まれるというなかなかにクソッタレな行事なのだが、そこは進学校。不平不満こそあれど、皆わりと真面目に参加している。何だかんだで友人と泊まりというのは盛り上がるもので、その辺りのアメとムチが効いているのだろう。


 かくいう俺も学生としての本分を全うし、つつがなく勉強合宿は進行。特に何事も無く二日目の授業も終わりを迎え、残すところは夜のオリエンテーションと最終日の半日授業だけとなった。


 だがしかし、そのオリエンテーションというものが曲者だった。


「何でよりにもよって“肝試し”なんだよ……!」


 オリエンテーション開始までクラスメイト達と共に教室で待機する中、俺は愕然と頭を垂れる。近くの友人が「どしたん?」と声をかけてくるが、軽く手を上げるので精一杯だった。


 我が校の裏には、それはそれは肝試しにうってつけの、木々が生い茂る山がある。起伏自体はそう高くない山の頂上付近には小さなお堂があり、その前に置かれた手製のお札を回収してくるというのが一連の流れだ。ちなみに道中には、有志によるお化け軍団が待ち構えているとのこと。やったねクソが。


 知ってるぞ。去年はキャンプファイヤーで、しかも男女で踊ると末永く結ばれるとかいうジンクスもあったらしいじゃないか。


 何で今年もそうしてくれないんだ……! そっちの方がよっぽど良かったのに……!


 などと愚痴っても、決まってしまったものは仕方がない。一応本当に無理な人のために辞退も許されているので、俺はその制度を活用するつもりだ。


 安全圏から見ているだけで済むホラー映画と違い、生身で参加する必要がある肝試しはまだハードルが高いのだ。


 正直、湊月が一緒だったら頑張ってみようと思ったのだが、今日の昼に学食でばったり会った時には「さすがにパスかなあ……」とぼやいていたので、俺には無理して参加する理由が無い。クラス間の距離が離れてるので辞退しても湊月にはバレないだろうし、仮にバレても適当な体調不良を理由にすればいいだろう。


 気を取り直した俺は教室を出ると、喉の渇きを潤すめに自販機コーナーへと向かう。同じことを考えたらしい他クラスの生徒も数人いて、何を買おうかとカラフルなラインナップを物色する中、彼らの会話が俺の耳に届いた。


「あれ、お前なんでここにいるんだよ。お堂のとこでお化け役やるんじゃなかったのか?」


「それがさっき階段踏み外したら足くじいちゃってさー。大事をとってお化け役はお預けですよ」


「おいおい、大丈夫かよ。ってかお化け役どうすんだ? クライマックスの大事な役なんだろ?」


「ああ、だいじょぶだいじょぶ。同じクラスの坂上さんが代わってくれることになったから」


「マジか。度胸あんなー。俺普通にこえーんだけど」


「なかなか代役を引き受けてくれる人がいなかったら、坂上さんから申し出てくれて助かったよー。さすが私達の頼れる――」


 気付けば俺は、全速力で駆け出していた。












 月明かりもまばらにしか差し込まない森の中、スマホのライト機能だけを頼りに力の限り走り続ける。オーバーペースに早くも心臓が悲鳴を上げるが、それでも俺はスピードを緩めない。がむしゃらに飛び出したせいで道なき道を行く羽目になっても、それでも俺は足を止めない。一分一秒たりとも無駄にできる時間は無かった。


 目指すは一点、山の頂上。


「あの、バカ……っ!」


 その場所にいる幼馴染の少女に対し、俺は酸欠気味の掠れた声で毒づく。


 ああ、そうだ。湊月は昔からそういう奴だった。


 困ってる人がいたら見過ごせなくて、手を差し伸べて、そのせいで自分がどんな不利益を被るかを考えやしない。いや、考えてはいるのだろう。それでも天秤にかけた結果、自分をかえりみずに他人を優先する。そういう危なっかしい優しさを持つ女の子だった。


 だから見過ごせなかった。


 だから手を貸した。


 だから一緒にいるようになった。


 だからいつの間にか、そんな湊月に魅かれていた。


「――っ!?」


 突如、スマホのライトが音も無く消え去る。電源ボタンを入れ直しても反応が無く、完全にバッテリー切れであることを物語っていた。


 途端に周囲の暗闇が俺に牙を剥く。心の奥底に根付くトラウマが恐怖を呼び起こし、思わず足が竦みそうになる。


 湊月は自分から代役を申し出た。ならどんな状況になろうとも、それは湊月が自分で蒔いた種。自業自得。俺が首を突っ込む義理も義務も無い。


 だとしても、俺は全てを振り払って走り続ける。


 黙れ。


 引っ込んでろ。


 道を空けろ。


 当たり前の正論も、俺の安っぽい恐怖心も知ったことか。


 今この瞬間にも、湊月は怖くて震えてるかもしれないんだ。だったら、たとえどんな理由が立ち塞がろうとも。




 ――好きな女の子が泣いてるのを、見過ごせるわけねえだろ!




 視線の先の木々の切れ間、お堂の屋根が姿を現す。そのすぐ下に湊月がいるはず。


 身体中からありったけのエネルギーをかき集めてラストスパートをかける。そして辿り着いた山の頂上で、俺は湊月の姿を探して声を張り上げようとした。


「みつ――!」


 そこには――




「うーん……やっぱり驚かせるなら、急にバーンと出るのが鉄板かな? でもこの前の映画みたいに、安心させておいて背後からってのも悪くないし……。あ、帰ろうとしたところを全力疾走で追いかけるっていうのもアリかもっ。せっかくのチャンスだし色んなパターンを試しみるのもいいよねっ。あー、早く誰か来ないかなー! 絶対怖がらせてやるぞー!」




「…………ぇ?」


 なんだか、すごく、うきうきと、楽しそうに、準備体操に勤しむ、白装束に身を包んだ美少女の後ろ姿が見えた。というか湊月だ。俺が見間違えるわけがない。


 ……え、どゆこと? 何だか予想とかけ離れてるんですけど? てっきり体育座りで縮こまってると思ったんですけど? ひょっとしてアレですか、恐怖がピークに達してぶっ壊れた俺の頭が見せてる幻覚的なアレですか?


 ぐるんぐるんと混乱する思考が俺の身体から力を奪い、手に持ったスマホが地面に落ちて音を立てる。


 それに反応して、湊月がこちらに振り向いた。薄暗い闇の中でも際立つぐらいに整った顔立ちは、彼女が確かにその場にいることを示すように存在感を放つ。


「うえっ、い、いっちゃん!? 何でここに……!?」


「……いや、その、お前がお化け役の代わり、引き受けたって聞いて……それで……心配で……」


「心配?」


「だってお前、ホラー物……苦手……」


「――あ」


 俺の言葉に首を傾げていた湊月の口から、ぽろっと間の抜けた声が漏れた。想定外の事態に虚を突かれ、分かりやすいくらいに「あ、やっば」と書かれたような表情。


 わざと虚勢を張って強がってる――そんなもしもの可能性も頭の片隅にあったが、今の反応で全てが彼方へ消え去った。


 あ、これ素で怖がってねえわ。


 その事実をしかと噛み砕くと、俺の目がすう……と静かに細まる。その視線に晒された湊月は急にわたわたと慌て出すと、正面から俺に抱き着いてきた。


「あ、あ、あああありがとういっちゃん! 実は怖くてたまらなくて、あのっ、すっごく心細くて……と、とにかくありがとっ! いっちゃんが来てくれて心強いなー! これで怖くないなー!」


「…………」


 うん、分かる。これは演技だ。


 いつもは胸を高鳴らせる湊月の温もりや柔らかさを前にしても、俺の心はとても平静なままだった。我、明鏡止水の境地に至り。


「湊月」


「……は、はい?」


「ちょっと離れて」


「い、嫌だと言ったら?」


「離れろ」


「そ、そんないっちゃん、怖がってる女の子にそんなご無体な――」


「離れろっつてんだろ」


「ふぁい」












 結論から言うと。


「全部嘘だったのかよ……」


 湊月のホラー物苦手説は真っ赤な嘘でしたとさ。ハハッ!


 ここに来るまでの全力疾走を相まって、俺の身体から生気やら活力やらがごっっっそりと抜け落ちていく。お堂の濡れ縁に力無く座り込む俺を前に、膝を付いた湊月はわたわたと手を振った。


「や、あのっ、全部が全部ってわけじゃないんだよっ!? 実際、ちっちゃい頃はお化けとか嫌いだったし、今でも全く怖くないってわけでもないからっ! ……ただ、そのスリルを楽しむ術を身に付けたと言いますか……何と言いますか……」


「あーそう……」


「……嘘ついてごめんなさい。やっぱり怒ってる、よね……?」


「いや別に。大丈夫、怒ってないから」


「だったら少しは目を合わせてよいっちゃん!?」


 涙目の湊月が膝に縋りついてくるが、さすがに無理な相談だ。もう少し気持ちを整理させる時間が欲しい。


 とは言っても、湊月に対して怒ってないのは割と本心だ。そりゃ色々と物申したい気持ちはあるものの、結果的に湊月が泣くようなことにはならなかった。正直俺にとってはそれが一番喜ばしく、心を占める割合は怒りよりも安堵の方が多い。俺一人が割を食うぐらいなら、まあさして問題もないだろう。


 それにしても疑問が残る。


「……それで、何で嘘ついてまで俺と映画を観ようとしたんだよ? その感じなら一人でも観れるだろ?」


 俺とわざわざ予定を合わせる必要も無くなるから、むしろ自由に観ることができるはずだ。


 俺がそんな単純な疑問を口にすると、湊月は急に借りてきた猫のように大人しくなった。


「それは……だって……色々と、口実と言いますか……」


「……湊月?」


 もじもじ、そわそわ。


 薄暗い闇の中でもはっきりと分かるぐらいに頬を染めた湊月は、いつもの元気な彼女からは想像もできないぐらいに萎縮していた。太腿の間に両手を差し込んで縮こまる様は、どこか庇護欲をそそられてドキリとしてしまう。


 ちょっと待て。何だその反応は? そんなまるで……そういう(・・・・)相手を前にしたような反応は……。


 瞬間、切れかかっていた電球がパッと点いたような閃きが俺の脳内を駆け巡る。


 この前一緒に映画を観た時、湊月の頬に差していた鮮やかな赤。


 あれ、普通赤だっけ? 恐怖を前にした時、人の顔って青ざめるものじゃなかったっけ? そもそもそこまで怖がってないのなら、俺に抱き着く必要だってないはず……。


 今まで何気なく見落としていた要素が次々に浮き上がり、明確な事実を作り上げていく。


 茫然とする俺を他所に、この十年に近い付き合いの中でも一番と言えるぐらいに顔全体を真っ赤に染め上げた湊月は、潤んだ瞳を向けて囁く。


「言わなきゃ……分かんない……?」


 つまり、俺がそうであるように、湊月は俺のことを――。


 一つの言葉が形を成そうとした、その瞬間。


 ぴろんっ!


「うおっはあッ!?」


 突如として静寂を切り裂く軽快な音に、俺はたまらず腰を浮かせた。


「な、何だ今の……!?」


「え、いっちゃんのスマホからでしょ? メッセージでも来たんじゃないの?」


 そう言って湊月が指差すのは、俺の横に置かれたスマホ。


「はっ!? んなわけあるか、さっき充電切れたはず……!」


「そうなの? ……あ、ほんとだ、動かないや。まあ、誤作動か何かだよ。よくあるよくある」


 あるあ……ねーよ! 何でそんな動じないんだよ湊月さんっ!?


 ギャアアアアアアア……。


「ヒイッ!? い、今のって悲鳴……!?」


「あはは、ただの風の音だってー。いっちゃんったら、そんな柄にもなく怖がって――」


 と、腰が抜けてがくがくと震える俺を見て、湊月はぽかんと口を開いた。


「……え、ひょっとして、本気で怖いの?」


「ば、ばばばばばばバカそんなわけないだろっ! この俺ともあろう者がこれぐらいで――」


 ガタンッ!


「ヒアッファッ!?」


「……怖いんだ」


 もはや隠し切れるわけもない。心の準備ができないところに予期せぬ刺激を喰らってしまい、いつものように体裁を保つ余裕は無かった。俺が恐怖に震えている姿を改めて眺めた湊月は、困惑気味に眉根を寄せている。


「ど、どういうこと……? だっていっちゃん、一緒に映画見てる時は全然平気そうで……」


 訳が分からないといった様子で首を捻る湊月だが、やがて一つの事実に行き着いたのか、俺の顔を正面から覗き込んで口を開く。


「私と同じで、嘘ついてたの? 何で……?」


「それは……」


 間近に迫った湊月はこんな時でもやっぱり可愛らしくて、俺の中に秘められた想いを掬い上げていく。ここまで来たら、いっそ告白してしまおうか。でも、こんな情けない姿を晒した後にってのは、さすがにみっともなくて。


 結局俺は、この言葉を返すので限界だった。


「……言わなくても分かるだろ」


 ――湊月の顔に、笑顔の華が咲いた。












「ヘイいっちゃん、今日はこの映画を見よう!」


「人をどこぞのAIみたいに呼ぶな」


 夏休みからしばらく経った、ある日の休日。ベッドの上で適当にスマホを弄っていると窓を叩かれ、開けた先にいたのは今日も元気いっぱいの幼馴染だった。


「えーと何々……『薄暗い森の奥から』? また怖そうなモノを……」


「えっへへー、面白さは保証するよー」


 今日はレンタルショップから借りてきたDVDらしい。こっちにしてみればパッケージだけで目を背けたくなるほどだというのに、湊月はとても楽しそうな様子で笑っている。本当に大した胆力だ。


「ふふ、もし怖くなっちゃったら、私に抱き着いてもいいんだよ?」


「ざけんな。彼女(・・)の前でぐらいカッコつけさせろ」


 ほくそ笑みながらの湊月の言葉に、俺は鼻を鳴らす。そんな返事に一段と嬉しそうに笑みを深めた湊月は、急に身を乗り出して顔を寄せた。


 ふわりと甘い香りが鼻を掠め、すぐに耳の近くでちゅっと音が響く。突然のことで固まってしまった俺の視線の先、顔を離した湊月の頬は淡い朱色に色付いていた。


「頼りにしてるよ、いっちゃん」


 そう告げた彼女は、とびきりの可愛らしさで口許を弛ませた。

 最後までご覧いただきありがとうございますm(_ _)m

 普段は長編を連載しているので、もしこの短編で「お、なかなか面白い話書くやんけ」と思っていましたら、下のURLから読みに来ていただけると嬉しいです。すでに本編は完結してます。

 評価・感想等もお待ちしております!


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【俺はただ、君のヒーローであり続けたい】

『本当に辛くて、どうしようもなくて、そんな時にこそ迷わず手を差し伸べられるように』

 過去に自分が救われた経験から、そんなヒーローのような在り方を志す高校二年生・英河雄一あいかわ ゆういち。ある日、雄一はナンパに困っている一人の少女・白取澄乃しらとり すみのを助ける。

 半年前に転校してきた彼女は容姿・学業・性格に優れ、なのにどこか自分を卑下するところがある、そんな少女だった。

 人助けに躊躇がない雄一と、受けた恩は返さないと気が済まない澄乃。そんな二人は時には甘く、時にはじれったく、そして時には大胆に関係を深めていく。

「ホントにごめんね? わざわざ傘に入れてもらって」

「私で良ければ、勉強教えようか?」

「ゆ、遊園地……っ! 一緒に、行かない……!?」

「私は――逃げてきただけだから」


 これはヒーローでありたいと思う少年と、そんな彼に救われる少女の純愛の物語。


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― 新着の感想 ―
[良い点] はぁ〜 尊いです…好きな相手とどうにかして逢いたい触れ合っていたい、良いところを見せたいってのがストレートに伝わってきてキュンキュンする短編でした… [気になる点] 勝手にオリエンテーシ…
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