一瞬だけ殺されると思った
時計の針が時を刻んで行く。その規則正しいリズムが、今日はなぜかゆっくりと感じる。
話し合いが始まってニ十分が経った頃、事前の説明通りに迎えが来た。
「行きましょう」
「話し合いはどんな感じですか?」
岳彦が前に出る。先生はしゃがんで、私より少し低い目線になって話し始めた。
まず初めに、私の体調が悪いことを伝えても、二人ともあまり反応しなかったらしい。ただ「すぐに連れて帰る。自分達で病院に連れていく」と強硬な態度で訴えたそうだ。でも校長先生が「ここに呼んだ理由を今から話すから聞いて下さい」と丁寧にお願いすると、ようやく椅子に座って話を聞く姿勢になった。
そこから前田先生が私から聞いたことをもとに、家庭の中で問題が起きたことで私が精神的に参っていることを説明した。そのことについて、まずお母さんが反論をした。
「ひとの家庭のことに口出しするんですか? プライバシーの侵害です!」
呆れ気味にお父さんが口を挟んだ。
「こうなったのは、全部お前のその幼稚な性格のせいだってわからないのか? つばめはお前のせいで腹を壊してる。今朝の食事はなんだか変な味がしたもんな。まともなものを食わせてやれない母親なんて、いらないんだよ」
「なんですって?」
たちまち両親は口論になったそうだ。
どっちが悪い、どっちが無責任か、どっちが馬鹿か。
前田先生が止めようとしてもなかなか止まらなかったのを、校長先生が止めさせた。
「そのいがみ合いが子供にとってどれだけストレスか、考えたらどうですか?」
そう言われた途端、お母さんは崩壊したように泣き出した。
前田先生はお母さんにカウンセリングを勧め、お父さんには「大人の問題を子供に負わせるような真似はどうかと思う」と意見した。お金が無くなったとき、真っ先に娘を疑い体罰を与えたことについて言及すると、お父さんは黙り込んだ。
校長先生が私を呼ぶように、保健の先生に声をかけたので迎えに来た。
「校長先生はどういうつもりなんですか?」
岳彦が問い掛けると、先生は首を振った。
「ごめんね。私にはわからないけど、でも悪いようにはしないと思うわ。先生達を信じて」
廊下に出ると、急に寒さを覚えた。生温い場所から外に出たときの温度差に、妙に納得する。
回復はできた。味方もいる。
怖いけど、行くしかない。
皆がいる場所で、私は自分の口で言えるだろうか。
先生達がいれば、何を言ってもその場で殴られる心配はないって、言い切れるの?
学校の外は夕闇が濃くなって、外灯が光る。校庭の樹木が強い風に煽られて、揺れている。もしも、先生達がいても手を出して来たら、全力で逃げよう。
隣を歩く岳彦の方を見ると、彼はすぐに私の決意に気付いたように頷いて、繋いだ手を握り返してくれた。
処刑台に向かう囚人の気持ちを想像しながら、階段を上る。明りが着いた職員室の奥にある部屋の大きなドアを見た瞬間、ズシンと胃が重たくなった気がした。
殴られた瞬間が蘇る。叩かれた衝撃、体の痛み以上に心の奥底のなにかが、悲鳴を上げた。あの瞬間、本当に殺されると思った。お父さんの目は、見たこともないほど見開かれていて、鬼のような形相だったから。殺人鬼って言うけど、人間が鬼になる瞬間なのだと思った。
「先生」
思わず、立ち止まる。先生はドアノブに手をかける僅か数センチで、止まった。
「待ってください。少しだけ、時間を下さい」
心臓が壊れそうなほど脈打っていて、脚がガクガクと震えている。
異変に気付いたのか、先生は私のところまで駆け戻ってきて、再び膝を着いて目をじっと見つめてきた。
「大丈夫、だいじょうぶよ。そんなにお父さんが怖いなら、先生があなたの前に立って盾になってあげる。敦賀くんはドアの外で待っててね。いいわね?」
私は両手を重ねて祈るように自分に言い聞かせる。
大丈夫、こんなに守ってくれる人がいるんだから、大丈夫、だいじょうぶ……。
「……すごい汗。本当に、……怖いんだな」
岳彦が声を詰まらせた。でも、今その言葉に反応しているほど余裕がない。
私は顔を上げて、ドアの前に立った。ドアの向こうから、前田先生らしき声が漏れている。
「いくわよ」と、小さな声で保健の先生が合図をしてから、ドアをノックした。
ドアが開くと、すぐ前に置かれた応接セットのソファに、お父さんとお母さんが並んで座り、私を見つけた。
―――ゾクッ
冷たい視線。どちらも、心配しているという様子は微塵もない。
「大丈夫なのか? 顔色が真っ青だ」
そう言って沈黙を破ったのは、校長先生だった。
「あまり良くないみたいです。辛くなったらすぐに引き上げます」
保健の先生がまるで宣言するように、語気を強くした。
教頭先生がこっちだよと私を迎え入れ、前田先生と校長先生の後ろ側を通って窓際の大きな机のほうへと案内され、黒い立派な椅子に座るように促された。
ここは校長先生の机のようだ。
私が移動するのを、じっと視線で追いかけてくる二人。その表情は、読みにくいぐらい不気味な顔をしている。でも私にはわかる。お父さんは物凄く怒っていて、お母さんはそれよりももっとずっと、冷たい。異様な雰囲気に、前田先生と校長先生が目を合わせて困惑している様子も、ここから良く見える。
「さぁ、つばめ。帰るぞ」
お父さんが立ち上がった。お母さんはまだ、呆けたようにじっと私を見つめて動かない。無理に背筋を伸ばしているような、不自然な姿勢で顔だけこちらを見ているから、余計に怖い。
まるで、何かに獲り憑かれたような変貌ぶりに、武者震いがする。
「待って下さい。帰すとは言ってません。まず、お二人の問題を片付けるのが先です。それまで、娘さんはこちらで保護します」
「どんな権限があって、そんなこと」
お父さんは顔は笑っているけど、目が物凄く怒っている。
「教育委員会、いや警察に訴えてやる!」
いきなり、お母さんが怒鳴った。
「つばめ! 帰るわよ!!」
飛びつくように校長先生の机に両手を叩きつけたお母さんが、迫ってきた。
手を伸ばされたとき、その間に割って入ったのは保健の先生だった。
「やめて下さい! 怖がっているのがわからないんですか?」
するとお母さんの目が、ありえないほど吊り上がって保健の先生を睨みつけた。それがゾッとするほどの、形相だった。




