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自分を見失わないだけの精神を鍛えて欲しい

 お父さんの顔が崩れた。赤ん坊が泣き出す前に見せる醜い顔で、声にならない声をあげて天を仰ぐ。そして、誰もいない場所を見て驚いた素振りを見せると、お母さんに後ろに回り込んで詫び始めた。


「ごめんなさい! ごめんなさい! 許して下さい! 許して下さい!」


「そこに、いるの?」


 お母さんが困惑している。


ピタン


 大きな水音がした。再び、湊さんが低い声で呪文を唱え始める。すると、誰もいなかった場所に黒い影が見え始めた。


「何度散らしても、怨念が強いせいですぐに集まってくる。徹底的に退治するしかない……」


 黒い影の足元に光の環ができた。思わず自分の目を疑って、切れそうな体力の残りを使って瞬きをした。輪がゆっくり上へと持ち上がっていく。黒い影を取り囲むと、急速に真ん中に向かって収縮したと思ったら、ソフトボールぐらいの大きさの光の玉になってガラスのように砕け散った。キラキラとした粒子が粉雪のように降ってくる。


降矢ふるや、そいつを燃やせ!」


 庭にいた大男さんがいつの間にか用意していた松明で、ふすまに火を放った。


「ぎゃぁぁぁぁああああ!」


 また、獣の鳴く声がどこからともなく聞こえてくる。


バタン、ドタドタドタドタドタ


 誰もいないはずの二階で、誰かが駆けまわっている。


ガタン、パキン、トトトトトト


 台所の方からも動物が暴れているような気配がした。


「安心して。この家から悪戯好きな悪霊が出ていく音だ」


 音は玄関からも聞こえてくる。風呂場からも、トイレからも。振り返るとお父さんとお母さんがお互いに縋りつきながら、放心状態で座っていた。


 湊さんは最後の仕上げと言わんばかりに腕まくりをして、燃え盛るふすまに向かっておおぬさを振りかざし、祓っている。気迫が、その全身から湯気のように立ち上っているのが見えた。


「……すごい力だね」


 無意識につぶやくと、私の肩を抱く岳彦が顔を向けてくる。


「私も、あんな人になりたいな」


 岳彦は困ったように眉尻を下げて黙っている。


「もっと、鬼退治がしたい」


 両目を見開いたまま、しばらく私のことをじっと見つめていた。


 ◇


「本田詩織さんの所在がわからない」


 腕組をして、右手で額を抑えながら湊さんはため息をついた。


 私がお父さんに殴られた同じ日、彼女は着の身着のままふらりと出掛けて行方不明になっていたと、たった今報告を受けたところだ。


 我が家の土地からは人を呪うために必要な道具が地中からいくつも見つかって、これを埋めたのはおそらく彼女で間違いだろうというのが湊さんの推理だったのに、これでは答え合わせが出来ないと言わんばかりに落胆している。


「調査したところによれば、彼女は怪しい霊能者のところに頻繁に出入りしていたらしい。その霊能者という女の店にも行ってみたけど、もぬけの殻になっていた」


 私は湯気が立ち上るホッとココアの入ったマグカップを手に持ったまま、湊さんの表情を目で追いかけていた。隣には岳彦がいて、彼もまたどこを見ているのかわからない目つきをしたまま考え込んでいる。


 日曜日の朝。私達は湊さんの事務所に来ていた。電車に乗って一時間。事務所は駅からタクシーで三十分のところにある辺鄙な場所にあって、途中で何度も確認したくなるほどひと気のない林道を登ってきた。改札から出来たとき、タクシーの運転手さんが迎えに来てくれた。岳彦曰く、湊さんが専属契約している個人タクシーの方なのだという。


 口数少ない岳彦は、「ぼくが最初に父親がタクシー運転手をしているって言ったのは、こういうことなんだ」と意味不明な説明をしてくれた。それから「ぼくと湊は血の繋がりのない親子だから」と付け加えた。


 そういうことはなかなか根掘り葉掘り聞けるものではなく、私は受け身のまま断片的な情報を胸にしまい込んだ。追々、話してくれそうな気がしているので、焦ってはいないと呪文を唱える。


「どこへ消えたのか引き続き専門家に協力してもらって捜査を継続しているが、不自然なほど綺麗に痕跡が消されていたからね。つまり霊能者・境田ミキ子と本田詩織は要注意人物のままだ。甲賀家に降りかかった脅威はまだ、終わっていないということになる」


「呪詛返しを喰らったらただじゃ済まないはずなのにね。それでも、もしもまたつばめの家になにか仕掛けてきたときはどうすればいい?」


 岳彦が大人のように足を組んで、上半身を前に乗り出す。こうした仕草だけ見れば、彼は湊さんから沢山の影響を受けていることが良くわかる。本当にそっくりなふたりだ。


 親子ってなんだろう。彼らを見ていると、血の繋がりだけがすべてではないという思いになる。


「それなんだが、つばめ。君は筋が良いし、度胸もある。冷静な判断力と、目的を遂行する行動力も申し分ない。今日、ここにわざわざ君を呼んだのは、提案したいことがあるからだ」


「え?」


 急にふたりの視線が私に集中した。


「鬼退治がしたい、って言っていたけど。どこまで本気?」


 小一時間ほど、電車の中で何度もその話題に触れつつもしどろもどろな私を、岳彦は少し剣のある眼差しで見つめていた。彼は不快なのだろう。


「鬼は一瞬でぼくらの命を奪うほど危険な存在だ。そんなものに自分から関わるということの意味がわかってる? 普通の人は関わることを拒むものなのに、つばめは本気で鬼退治に参加したいなんて思ってるの? 自殺行為だよ?」


 岳彦が急に怒りを露わにした。叩きつけるように置かれたマグカップから、少しだけココアがこぼれ、テーブルに水溜りを作る。


「ひとりよりふたりなら、身を護りやすくはなるだろう?」


 湊さんが、応接セットのソファに腰を降ろした。真正面から私達二人を見て、微笑んでいる。


「つばめ。岳彦の相棒になってやってくれないだろうか」


「やめて!」


 岳彦が抗議するように声を荒げた。こんなに取り乱す岳彦も珍しい。


「岳彦だって、持ち前の感知能力をつばめ護衛のために使えたら言うことないだろう。君たちは持っている能力がそれぞれ違う。感知能力に優れた岳彦、悪霊を祓う能力に優れたつばめ。盾と矛が揃えば鬼に金棒だ」


「そう簡単な話じゃないんだ。とんでもない修行をしなくちゃならないんだよ。雪解け水での滝行とか、濡れた着物を着たまま半日も瞑想なんて誰にでもできるものじゃない!」


 雪解け水の冷たさは良く知っているけど、滝行は想像もつかない。濡れた着物のまま半日瞑想修行は、聞いているだけで凍えそうだ。でも。


「岳彦はその修行をしたことが、……あるの?」


「夏休みと冬休みは修行に持っていかれている」


「毎日?」


「そう、毎日だ。厳しい環境に身を置いて、自分を追い詰めて、細くて小さな穴を押し広げるように五感を研ぎ澄ます。視えないものが視え、聞こえないものが聞こえ、触れられないものに触れられるようになっていく。これはとんでもないことだよ。もう平凡な人生には二度と戻れない」


 岳彦は必死だ。私のことを心配して、思いとどまらせようとしているのが伝わってくる。その過酷さを知っている者として、私には来るなと言っているんだ。それがなんだか嬉しくもあり、とても寂しい気持ちになる。


「武彦の言いたいことはわかった。でもね、私。今回のことですごく怒ってるんだ。お父さんの話だと、本田詩織さんは昔、妊娠して自分から中絶した。お父さんは責任を負おうとしたのに、彼女の方から別れを告げて、いなくなった。それなのに、どうして恨まれなくちゃいけないの? 理解できないよ。しかも、この現代に呪いを使ってうちの家族皆を狂わせようとした。名前を変えてお母さんの職場に現れて親し気に話しかけてきたり、その一方で偶然装ってお父さんの前に現れて、あの呪いの家に引っ越すように誘導したんだよ。そんなことができるなんて、普通じゃない。そんな普通じゃない人にまだ狙われているんだとしたら、私だって武装したくもなるじゃない」


 あれからずっと考えていた。わからないなりに事実として受け止めて、なにがどうなって今があるのか、自分なりに整理たくて。体の中の気持ち悪さは消えたけれど、心の中の気持ち悪さは日増しに膨らんでいる。考えれば考えるほど、本田詩織という女に対する強い怒りが膨らんでいくのだ。


「今度また、あの女がうちに来たら。私はきっと正気ではいられないと思う。そんな自分が怖いの。だから、私にちゃんとした戦い方を教えて欲しい。道を間違えずに、呪いとか悪霊とか鬼とか使って他人の人生をめちゃくちゃにする頭のおかしい人と対峙しても、自分を見失わないだけの精神を鍛えて欲しいんです」


 武彦は、こぼれおちそうなほど目を剥いて私を見つめた。視線が痛いと感じたのは初めてのことだ。

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