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何の見返りもいらない願い

 空模様が怪しい。今にも崩れてとけ落ちそうな黒い雲が、あちこちで垂れ込めている。案の定、ポタっと大粒の雨が落ちてきた。まるで大きな手が屋根を叩いているような、不気味な音に包まれる。


 車中は静まり返っていた。誰一人、言葉を発さない。


 ぼくから見える限りみんなの顔を盗み見ようとしたけれど、一番後ろのシートの隅っこに座ったせいで、対角線上にいる人の顔をかろうじて覗き見るぐらいしかできない。ぼくのすぐ前に、つばめが座っている。うつらうつらと船を漕いでいるような、心許ない動き方をしていた。


『つばめ。つばめ。気をしっかり持つんだよ』


 祈るように心の中で囁きかける。


 かつて住職はぼくにこんなことを言ったことがあった。


「祈りの力は侮れない。目に見えないからこそ、その隠れた力が重要になる。お前がもしも自分よりも大事な人ができたとき、試してみると良い。祈りは何かしら大きな加護を与えてくれるだろう」


 何の見返りもいらない願い。それが、誰かの幸せを心の底から願うこと。ぼくは泥沼に落ちて体温を奪われ続けている哀れな小鳥を救い出したい。


 湊の力頼みになってしまうけど、自分でなんとかしたかったけど、僅かな念を操っただけで気を失ってしまったのだ。素養があっても体力がない。ぼくには決定的に足りないんだ。


 悔しさのぶんだけ祈りを強くする。


 願いは単純明快であればあるほど反応が速い。


 つばめを笑顔にしたい。


 踏みにじられたままじゃ、絶対に生み出されない明るい笑顔。


 彼女が持つ本来の明るさで、あの黒い気配を追い払えるようになるほどの眩い笑顔を。


 強くなれ、つぼみ。


 絶対に闇の魔物になんかに引き込まれるな。


 願えば願うほど車の背後を追いかけるように着いてくる異様な気配をはっきりと感じて、ぼくは気が気ではなくなっていった。


 広大な墓地を迂回して、墓地と墓地の間の細い道を進み、やがて小さな住宅地に到着する。空き家からも視線のようなものを感じて、肌がちりちりと疼いた。


 甲賀宅の前にはすでに地鎮祭などでおなじみの祭壇が設置されていた。


 人の顔ほどもある大きな果実や、生米と清酒、さらに青々しい榊が並ぶ。


 再びおおぬさを手に持ち、家の周囲を周る湊。姿勢正しいのに動きがまるで猫のようにしなやかで素早い。こんな真剣な湊をいま改めて感心しながら見つめた。


 車から降りた親子はふらふらと互いに距離をとる。なぜか、つばめの母親は勝手にどこかへ行こうとしているようで、それを付き添いのいかつい男性が抑え付けている様子だ。


 つばめの父親は身体をくの字に曲げて、痛い、痛い、と喚きだす。彼の背後に、うっすらとした人の輪郭が浮かび上がった。


 それからつばめ。彼女の少し離れた後ろに、やはり二メートルほどの高さのある黒い影が立っている。初めて見たときよりも後ろに下がっているとはいえ、その迫力は他のふたりの比ではないし、より禍々しさを濃くさせているようにさえ見える。


 うぞうぞと蠢く様子をじっと見ていると、長いムカデのような虫が人型を形成しているように見えてきて、ぼくはいつの間にか目を反らしていた。


 見てはいけない、見てはいけない、見てはいけない。


 頭が痛くなり、吐き気がする。


 それに寒い。とてつもなく寒いし、水と有機物が腐敗するような強烈な悪臭に包まれた。


 家を周ってから戻ってきた湊がまっすぐ僕のところまで足早に歩いてくる。大きな手でぼくの頭をつかみ、首の後ろから背中にかけて手を差し込んだ。


 ひやりと冷たい指先と、カイロのように熱い掌から温かさが流れ込んでくる。


「岳彦。おまえは車に残っていたほうが良い。つばめに憑いているのは大昔からいる子供を喰らう鬼だ。あれをつばめから祓い落したあと、間違いなくお前に飛んでいくだろう。今回は数が多過ぎて手が足りない。順番を間違えれば死者が出る。それぐらいのっぴきならない状況なんだ。


俺はお前を護りたい。車に結界を作ってそこから出るな。いいね?」


 とてつもなく早口でそう念を押した湊は、指で作った剣先でぼくの額や喉に触れた。ぼくの体幹を流れるチャクラの窓を閉ざしているのだろう。その証拠に悪臭が遠くなり、異様な気配が遠ざかる。不快感が嘘のように消えていく。そのまま車まで押されて中に入れられ、ドアが閉められた。


 あの親子の成り行きを見届けられないなんて悔しい。でも、湊の足手纏いになるわけにはいかない。


 動物霊に憑かれて体に有害なものを食べ続けたあげくに悪霊払いをしたあとで、結局体力が限界を超えていたせいで亡くなった人を見たことがある。自ら首を捻じ回して死んだ人もいた。鬼と呼ばれるほどの悪霊に憑かれるということは、崖にぶら下っているような状態を意味する。


 つばめの家族の誰かが死ぬかもしれないと思うと、気が気じゃない。


 操り人形の一行は湊の合図とともに、家の中へと入っていく。まばらだった雨がいよいよ本降りになり、昼間とは思えないほど暗くなった。ぼくは震えながらただ祈る。どうか死なないで。誰も死なないで。無事に祓い終えられますように。


 どうか皆をお守りください。

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