どんな残酷な結果をもたらすとしても
くねくねと不規則に曲がり道を繰り返してから、ぼくらはたっぷり時間をかけてつばめのおばあさんの家に着いた。案の定、湊の支度は整っていて別室には彼女の半狂乱になっていた母親が到着していた。
湊と暮らしてから知ったのだけれど、精神病で入院している人間の中には一部、霊的な影響をモロに受けて自傷行為や破壊行為を抑えられない人というのが混ざっている。まだ命ある人間の行動を支配し、その恐怖や負の願望を吸って元気になる悪霊というのが蔓延っている場所なのだそう。多くは危険を伴うので同行したことはまだないけれど、湊は定期的にそうした施設での特殊な洗浄作業を繰り返している。
その筋のつてのおかげで、こうして収容された病人を連れてくることが湊にはできてしまう。助かる可能性があるのなら、手を尽くさねばならないという彼の持論を、ぼくはまだ理解できていないのだけど。
だって、自分の身を危険にさらしてまで他人を助けることに、ぼくは意味を感じられない。確かに、捨て子のぼくを拾ってここまで育ててくれた人達の善意は理解しているし、感謝だってしてはいる。そこに危険な要素は微塵もなかった。
ぼくはただ恩を忘れないで自分を捨てずに生きていこう、と思っている。そんなぼくから見れば、湊の善行はまるで自殺行為のようにさえ映るのだ。うまく言えないけれど、なにか強迫観念めいた使命感が彼を駆り立てているようにも感じられる。
自前だという白装束に着替えたつばめのおばあちゃんが労ってくれた。つばめは早速、着替えのために席を外している。
「あの子の友達になってくれて、ありがとうね」
出されたお茶から立ち上る湯気が不自然なほど下へと流れるのを見つめながら、ぼくは出会った場面を思い出していた。
「ぼくにとっても、良い出会いだったのだと思っています。お互い様ですよ」
ぼくの言葉におばあちゃんは驚き、でもすぐに控えめに微笑みつつ頷いた。この雰囲気は、ぼくを育ててくれた住職の奥さんに似ている。寺と神社が並び立つ、不思議な聖なる領域にいる人達が持つ、独特のおだやかさ。ぼくの憧れだ。
「すっかり大人なんだね、岳彦くんは」
それは同情や憐れみではない、畏敬の念のようなものを感じさせる声だった。この人はきっとぼくがなにかを語らずとも、視える人なのかもしれない。湊のように。
「……あなたには、こうなることは予想できていなかったんですか?」
堪らず質問すると、おばあちゃんは悲し気に顔をしかめた。
「予想できても、それを止める術はないんです。複数の人間が絡み合いもつれあっていくことには必ず意味がある……。それがどんな残酷な結果をもたらすとしても」
苦々しさを感じさせるもの言いから、心労が伝わってくる。ずっと苦しんできたに違いない。
「すいません。無粋なことを言いました。忘れて下さい」
「いいんですよ。避けることができない辛く悲しい出来事がある一方で、その試練を乗り越えるために必要な出会いもまたあります。つばめが連れてきてくれたご縁に深く感謝しています」
おばあちゃんは、ぼくと隣の和室で儀式に集中している湊の背中を眺めながら、神様を拝むように手のひらを重ね合わせて、ありがたそうに頭を下げた。純粋な信仰心とはこうした祈りなのだろう。そしてその祈りが、ぼくの知らない奇跡のような不思議な力として働き、人と人を結ぶ。
敷居に襖が擦れる音がして振り向くと、白い着物を身に付けたつばめがそろりと部屋に入ってきた。おばあちゃんに促され、一番窓際の座布団の上に座る。次に、つばめの父親が二階から降りてきて言葉無くつばめの隣に座る。
つばめの顔が引きつっている。ちらりと助けを求めるように、ぼくを見た。
ぼくが頷いて見せると、彼女はきゅっと口を一文字に結び前へと向き直る。
さらに奥の部屋からぞろぞろと人が歩いて来る気配がする。いつの間にか呼びに行っていたおばあちゃんに連れられたつばめのお母さんと、付き添いの大男・降矢ふるやさんがいた。つばめのお母さんの両手のうえに白い布が巻き付けられていて、手が隠されている。濃い消毒液の匂いにクラクラする。
「はじめます」
凜とした、湊の声。そこにいる全員が沈黙したまま、湊の背中に注目する。
白い刺繍入りの浄衣を纏い、浅葱色の袴を履いている。この姿をした湊を見るのはぼくも初めてだ。
床に置いた三方の上に置かれていたおおぬさ(榊でつくられたお祓い道具)を持ち上げ、ゆっくりと振り返り親子の頭の上を行き来させ祓い清める。
歌うように唱える湊の声は普段のそれとはまったく異なる音となって、空間を支配していく。
空気中を浮遊する塵やほこりのような微粒子が一か所に集まり出すと、それはみるみるうちに黒くて大きな人型に変化した。
姿を現したのは、一体や二体ではない。ざっと数えるだけでも七人程はいる。
部屋をぐるりと取り囲むように無言のまま突っ立って、揺れている。
湊は指で剣をつくると、それをくちびるに触れさせながら呪文をとなえ、指先を彼らに向けた。そして、祭壇の手前に置かれた水差しで指先を濡らし、祓い切るように黒い人々に振りかけていく。
あれは神聖な水で、不浄のものを清める。
薄い影は砂が崩れるように消えていく。でも、特に大きくて黒い影は消えずにとどまり、両手を広げてからつばめに手を伸ばした。
湊の声が大きくなる。
脇刺しと呼ばれる短刀を手にし、片膝を立て背筋を伸ばした湊が刀を抜いて影に切りつけると、その一撃でぱっと散った。黒いアゲハ蝶のような花弁が部屋中に散らばったかと思うと、ひらりひらりと舞い落ちながらすぅと消えていく。
「今、切り離せました。これから甲賀宅に移動しましょう。急いで行きますよ!」
病院のものと思われる白い大きなワンボックスワゴンに全員が乗り込んだ。
つばめも、その父親、母親ともに朦朧とした目つきをしてまだ操られているかのようにおとなしい。おばあちゃんだけが正気で、額に玉のような汗を浮かび上がらせながら手を強く握りしめている。
今は言葉を発するわけにはいかないという空気に、ぼくはただ息を飲む。先程、散り散りになったはずの黒い影はおそらくぼくがつばめと初めて出会ったときに見たあの得体の知れない者なのだろう。姿はない代わりに、ぼくらにぴったりと着いてきていることだけは確かだ。その証拠に、微かに骨が腐敗するときに放つ独特の異臭を感じるのだ。
実態がないというのに、骨を斬られ怒り狂っているような気配がある。つばめのおばあちゃんもそれを感じているのか、小さく呻きながら鼻を抓んでいるので、ぼくも鼻と口を指でつまんだ。
降矢さんが運転し、助手席に座る湊は低い声でなにかを唱え続けている。ぼくがいた神社では聞いたことのない祝詞だ。
湊は一体どこで修行したのだろう。いつか教えてくれることになっているけれど、それがいつになるのかまでは教えて貰えていない。物事は順番通りのほうが良いとだけ言われ、お預けされた犬のようにただその時を待っている。
そんな呑気なことでいいのかよ、と心の中で舌打ちをしてしまう。
湊のうなじに目を凝らすと、汗が浮かんでいる。その周囲にはまるで炎が立ち上るかような空気のゆらぎをぼくは確かに見ていた。魂が最も強い力を発するとき、ああなるのだと聞いたことがある。湊は平然としているけれど、それなりに必死なのかもしれない。
車内の最後尾に座り、「がんばって」と必死に応援しているぼくがいた。




