表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/30

あれが誰なのかずっと聞けなかった

 ◇


 泥のように眠って起きた翌朝。朝日があまりにも眩くて目が覚めた。最初、天国に来てしまったんじゃないかと不安になったけれど、良く見ればそこはおばあちゃんの家の一室だった。


「おはよう、つばめちゃん。どれどれ、熱はもう下がったかな?」


 私とほぼ同じ身長のおばあちゃんに背中やら首から顎の下やらを撫でられ、口を開けてと言われされるがままに大口を開ける。なかを見たおばあちゃんは「まぁまぁよしかな」と曖昧なことをつぶやいた。


「顔を洗って口の中もしっかりすすいでおいで。ご飯だよ」


 ご飯という言葉に刺激されたかのように、おなかがぐぅと鳴く。そう言えば、吐き気もだるさもすっかり消えたような感覚。半信半疑で立ち上がるときも、身体が軽い。肺いっぱいに空気を吸い込んでみた。清らかな水に体内を洗われているような清々しさ。


 私は布団をたたんで着替えを済ませてから、洗面所で言われたとおりに口の中と顔を洗った。


 ブクブク、ペッ


 赤黒い血が混ざっていたので、驚いて洗面台に顔を近付けると、


「近付いちゃダメ。せっかく洗い流せても、また入ってきてしまうよ」


 様子を窺っていたらしいおばあちゃんに止められる。それにしても、岳彦と言い、おばあちゃんと言い、突然魔法使いのようになったことについて考えてみる。今まで一度もそんな場面に出くわすことがない私にとって、同じ日に二度も、しかも其々別の人におまじないを施されたなんて不思議でしかない。岳彦はまだ出会って二日目だったから知らないことがあっても当然として、おばあちゃんは別だ。


 いろいろ聞きたい。そう思ってタオルでしっかりと拭いてから、おばあちゃんが待っているダイニングテーブルに座った。


 とても良い香りのするお茶を淹れてくれているところだった。高野豆腐とさといもの煮つけ。のりと納豆。ごはんと豆腐とわかめのお味噌汁。それを見た途端に口の中に涎が溢れ出す。


「さぁ、ゆっくり良く噛んで食べるんだよ」


「いただきます」


 最初、ほかほかご飯の香りとひとくちめのやさしい甘みを味わう。炊き立てごはんなんて随分久しぶりな気がする。それに、なんといっても真っ白く輝く米粒に目も心も奪われた。


 お母さんが作るご飯はいつもなんだか薄黄色がかっていて、ちょっとへんな匂いがしていたから、真っ白いお米がものすごく新鮮に感じられた。それに気付いたとたん、今まで気にしないようにしていた些細なことすべてが突然脳裏を駆け巡り始めた。


 お雛様。桃の節句の頃から、お母さんの手料理がおかしくなっていたこと。味噌汁の豆腐も、白菜の浅漬けも、冷凍していたラム肉の味も、微かだけど舌が痺れるような酸味があって我慢しながら飲み込んでいたこと。


 ぽたり。涙が零れる。


「つばめちゃん。つらかったね……」


 こくこくと頷くと、おばあちゃんは瞳を潤ませながら頷いてから、私に謝ってきた。


「ごめんね。もっと早く私が気付いて助けてあげれば良かった……」


「おばあちゃんは謝らないで。私のほうこそ、言えなかった。心配かけちゃだめって思ってたし、それにお母さんが……」


「もしかして、聞かされていたの? 私が後妻で赤の他人だって」


 箸を置いて、かしこまる。


「おばあちゃん。お母さんのこと、きらいだった?」


 鼻声のせいで今にも泣き出しそうなか弱い声しかふりしぼれない。おばあちゃんは、首を横に振りながら私の肩に手を乗せた。


「きらいなもんですか。私は病気で子供が産めない体なの。そんな私を母親にしてくれたのは、日菜子よ。うまく行ってはいなかったけれど、少なくとも私は精一杯あの子を愛してきたし、それは今も変わっていないんだよ。つばめちゃんのことも、同じぐらい大事な孫だと思ってる」


 ゆっくりと優しい声で語るおばあちゃんの両目からも、ぽろぽろと涙が落ちていく。おばあちゃんの言葉から、おばあちゃんの心を感じる。愛情も、やりきれなさやさびしさも感じる。


「……おばあちゃんの片思いだったんだね。お母さんは、バカだよ」


 バカだよ。こんなに心配して、愛してくれている人に背を向けて、強がって。苦しいのに、つらいのに、さびしくて頭がおかしくなりそうだったのに、頼ろうともしていなかった。だから、あんな鬼みたいになってしまったんだ。


「さ、食べれるなら食べなさい。弱った身体を回復させないとね。こんな時だからこそ自分を大事にするの。自分が元気なら、いざという時に大事な人を助けてあげられるから」


 おばあちゃんにすすめられて、私は再び箸を持って食事を続けた。


 どこから聞けば良いのやら、と悩みながらご飯を平らげていく。良い香りがするお茶も、普通の、いつも出しているのと同じほうじ茶だよと言われて驚いた。こんなに美味しいお茶だっただろうか。明らかに味が違う。


「使っているお水が神棚にあがっていたものなの。体内から悪いものを出してくれるよ」


 そう言えば、おばあちゃんはかすり傷にも真綿に神様の水を染み込ませて消毒してくれていた。消毒液よりも傷の治りに直接働きかけてくれるから、と。半信半疑で聞いていたけれど、飲むこともできるなんて知らなかった。


「実はおばあちゃん、若い頃は神様にお仕えするしごとをしていたの」


「……へぇ」


 神様に仕えるおしごと。巫女さんのイメージが浮かんでくる。


「一息ついたところで、昨日のことで説明しておきたいんだけど」


 食器を下げたおばあちゃんが戻ってきて、私の隣に座る。


「まず、あれから辰也さんから電話が来てね。日菜子は入院したそうよ。辰也さんは自宅に帰ったけれど、家の中に一人ではいられないって言うから実家に避難しなさいってことになって。つばめちゃんは私が預かることで許しを貰ったの。うちからなら小学校も通えるでしょ?」


 うん、と頷く。入院したという言葉に、ふと昨日のお母さんの狂気染みた顔を思い出して、ゾッとした。まるで悪霊か鬼が憑依したみたいな別人ぶりだったから。


「お母さんは、精神病なの?」


「……そうね。それなんだけど、順序だてて話すね」


 おばあちゃんはそういうと、神棚に向かって祈り始めた。


 一人暮らしにしては広い家、大きな神棚。玄関脇にある和室の仏間にはこぢんまりとしたお仏壇。そこには、証明写真サイズになった先祖様達の遺影が並んでいる。そこに私が生まれる前に亡くなったおじいちゃんの遺影もある。前妻さんと思われる若い女性と並ぶ、若かりし頃のおじいちゃんの写真も。あれが誰なのかずっと聞けなかった。


 ガタガタガタガタ……


 玄関の引き戸が鳴り出した。おばあちゃんと私は同時に振り返った。でも、だれもいないし、なにもない。


「……来た」


 唸るような低い、おばあちゃんの声。ごくりと唾を飲む音もはっきりと聞こえる。ゆっくりとおばあちゃんの顔を見ると、見違えるほど青ざめていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ