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私の知っているお母さんじゃない

「お静かに! 子供が怯えています! どうか座って下さい!」


 校長先生が両親をたしなめる。それでもお母さんは、獣のように私を睨みながら「この、裏切り者!」と叫んだ。


 次の瞬間、お父さんがお母さんに向き直って両肩を捕まえ、強引に押し込むようにして椅子に座らせた。


「やめろ、みっともない真似をするな。落ち着けよ。おまえがそんなんだから、ここまで話が大きくなったんだろ?!」


 おさえた声で叱責するお父さんの両腕の間に、お母さんは両腕を下から差し込むとバンザイをするように大きく腕を振り上げて、お父さんの手を払い落す。そして、流れるような動きで今度はお父さんの首に手をかけ、締め上げ始めた。


「なにをしてるんですか!?」


 先生たちが慌てて二人を引き剥がしにかかる。


 保健の先生は私を立たせて部屋の角に連れていくと、背中で見えないように文字通り壁になった。


 音だけが聞こえる。


 力で抵抗する二人を、校長先生と前田先生が離れさせようとして立ち上がり、よつどもえになっているのがわかる。私は震えていた。


 お母さんは、もう私の知っているお母さんじゃない。そう、確信した。


 では、あのお母さんはどこへ行ってしまったの?


 肉体は間違いなくお母さんなのに。


 お母さんが、お母さんじゃないというなら、どこへ?


 どうなってしまったの?


 もう、会えないの?


 次々に溢れ出す疑問。我慢できず、嗚咽が漏れた。


 バターン!


 勢いよく開いたドア。驚いて、誰もがそちらを振り向いた。


 ドア枠の真ん中には、両手をズボンのポケットに入れた岳彦が立っている。顔からは黒縁メガネが消えていた。それから、聞いたこともないような、なにか呪文らしき言葉をとても早口にしゃべり始める。外国の言葉にも聞こえるけれど、そうじゃない。なぜだろう。部屋の中の温度が少しずつ上昇しているのがわかる。


 岳彦は校歌のワンコーラス分の長さがありそうな呪文を、呼吸もせずに吐き出すようにして唱え終えた。


 すかさずポケットから両手を出して、まっすぐと伸ばした腕をこちらに突き出す。


その手には何かが握られていた。


それを見たお母さんが、いきなり悲鳴を上げた。


 ギャァァァァァァァァァ


 聞いたこともないほどの、高音。


 みな一斉に両手で耳を塞ぐほどに、鋭くて攻撃的な声。岳彦だけが、平然としたまま両手を吐き出し続けている。そしてまた、難しい言葉を流れるようにして読み上げ始めた。


 窓なんて開いてないのに、テーブルの上に置いてあった書類が吹き飛ばされ、校長先生の机の上に置いてあるものすべてがこちらに向かって吹っ飛ぶ。


 お母さんは自分の首を掻きむしり出し、白目を向いて口から泡を吹きだした。


「やめろ! もういい! 敦賀君!」


 校長先生の必死の呼び声。


 我に返ったように、驚いた顔をした岳彦が惨状を見てその場にへたりこんだ。


 お父さんがお母さんを抱き上げ、前田先生と保健室の先生がポジションを入れ替え、心拍を取ったり意識の呼び戻しをはじめる。


「つばめ。ここは先生たちに任せて、いったん保健室に戻ろう。敦賀君を背負うから手伝ってくれ」


「あ、はい!」


 何が起きたのかわからないまま、私は先生にうながされて職員室側のドアから抜け出し、廊下で動けなくなった岳彦を背負いあげた前田先生が先導するかたちでその場を後にした。


 ◇


「……あの、なにが起きたんですか?」


 何の説明もなく保健室でひといきついていた私は、ぐったりと目を閉じたまま動かない岳彦の隣に座って、前田先生に聞いた。


「先生にも、わからないんだ。ごめん」


 まだショック状態にあるのか、前田先生の顔色も悪い。時々、保健室の電話に内線が入り、それを取っては短めに返事をする背中しか見られない。


 少しすると、救急車が音無しで校庭に入ってくるのが見える。運ばれていくのはどうやらお母さんのようだ。お父さんが付き添いとして同行するので、私はおばあちゃんの家に送ってもらうことが決まった。


「敦賀君のお父さんがまず迎えに来るから、それが終わったら先生の車で送って行ってやるから」


「……はい」


 私はただうなずくしかない自分の無力さを、歯がゆさを、噛みしめていた。


しばらくして、岳彦のお父さんが到着した。見た事もないかっこいいスーツを着て、明るい髪色に都会的な香りのする髪型。背がとても高いのに、顔が小さい。目がキツネのように吊り上がっていて、少しも似ていない気がする。


「お騒がせしてしまったみたいで、すいません」


 高すぎず低すぎない、耳あたりの良い声。動くたびに、ふわりと香水のような匂いが私のところに届いてくる。


「君が、つばめちゃんか。うちの子の友達になってくれて、ありがとう」


「あ、はい」


 間近で見ると若いのだと気付く。まだ二十代ぐらいじゃないのかな。うちの両親は二人とも三十五歳で、クラスメイトの親達も大体それぐらいしかない。


「岳彦は人見知りが激しい子でね。それに、極度にプライドが高いんで、手を焼いてるんだ。思春期に入っていても不思議じゃない年ごろだから、自然な姿なんだろうけど。ときどき、何を考えているのかわからなくて、親として情けないったらない」


 そういう岳彦のお父さんが、俳優の誰かに似ている気がしてぼんやりと見入ってしまう。


「今日はこれで失礼するけど、いつでもあんな場所で良ければだけど、遊びにおいで。岳彦は強がっているけど、根は寂しがり屋だから」


「はい、ありがとうございます」


 大人の男の色気をふんだんに振りまいて、立ち上がった。そして、ワイシャツの襟元のボタンを外してネクタイを緩めると、腕まくりをしてから岳彦のベッドに腰かけて、あっという間に彼を背負った。慣れたような素早い動きに、見惚れてしまう。


「じゃ、つばめちゃんも大変みたいだけどがんばって。君は大丈夫だよ。岳彦がそう言ってたから、きっと間違いない」


「え?」


 ふわりと柔らかく微笑むと、軽々と岳彦を背負ったまま教室のドアをくぐり抜けて去って行った。高身長のせいで、首と膝を少しだけ曲げて。


「なんかすごい人でしたね」


「そうだな。あんな人がこの街にいたなんて、先生も知らなかった」


 前田先生までもが呆けた目で彼ら親子を見送っているのを見て、なんだか少しだけ面白かった。

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