北七小雪 VS. 三枝雨水 3
「……なぁ、三枝」
「な、なにかな」
小雪は俯いたまま、両手で顔を覆い尽くす。
「気安く……名前で呼ぶな」
「ご、ごめんね。だって、中学の時はずっと名前で呼んでたから」
「お前が、あたしを?」
「そ、そうだよ。小雪ちゃんって呼んでたよ。わたしのことはえびちゃんって呼んでくれてた。わたしたち――」
――親友だったんだよ?
その言葉に、小雪の身体がジャーキングのようにビクッと反応する。
「ううん、違う。だった、じゃないよ。わたしは今でも小雪ちゃんのこと友達だって思ってる。わたしの一番の親友だっておもっ」
「黙れ」
顔を覆っているせいでくぐもってはいたが、その重低音が雨水の言葉を止めた。
小雪の隣に座っていた雨水が、その重い声に体を仰け反らせ驚愕に目を見開く。
小心な彼女のノミの心臓がどくんと跳ね上がる。
だが雨水は――震える奥歯を噛みしめる。震える口唇を噛みしめる。震える声に力を込める。
「だ、黙らないっ! 小雪ちゃんとわたしは親友だった! 今でも親友なんだ!」
雨水は小雪が顔を覆ってるその両腕を掴む。
「この高校に入学してから半年以上たった今、わたしはようやく自信を持って小雪ちゃんの横に立てるって思った」
小雪は一切反応しない。
「変わったでしょ、わたし。髪だってバッサリ切った。眼鏡をやめてコンタクトにした。弱気だった性格が許せなくて、外面も男らしく装った」
小雪はその告白に一切反応しない。
「変わったよね、わたし。高校デビュー、成功したんだ。頑張ったんだよ。今ではこの高校の有名人なんだ。『男装少女』の雨水様なんて、皆からチヤホヤされてるんだよ」
小雪はその吐露に一切反応しない。
「本当はもっと早く小雪ちゃんとお話したかった。でも自信がなかったの」
小雪は、
「啓が小雪ちゃんとお話したいって言った時、チャンスだと思った。生まれ変わったわたしを小雪ちゃんにやっと見てもらえる、いい機会だと思った」
その訴求に、
「は、はじめは緊張してあんな感じになっちゃったけど、こうしてやっと小雪ちゃんと向かい合えた。ねぇ、小雪ちゃん。わたし、小雪ちゃんの横にまたいてもいいよね。今のわたしなら小雪ちゃんと並んでも恥ずかしくないよね。だから小雪ちゃん――もうわたしの前から、突然いなくなったり、しないよね?」
ようやく顔を向けた。
「ひっ」
ようやく向けられた顔――両手で覆われ、その指の隙間から覗く小雪の瞳は、何も映していなかった。
光がないその目は、まるで虚のようだった。
◆
「うおぉ、せぇぇーふっ。三枝さんっ、だいじょぶかい!?」
顔を上げた雨水の眼前には、とても可憐な少女がいた。とても愛らしく微笑む美少女がいた。
「し、子規ぃ。早く来てぇぇ」
雨水の身体を支えているその子は、子規、と呼ばれる誰かを呼んでいる。
目の前の燦たる美少女に見惚れていた雨水は、そこでようやく彼女にもたれ掛かり負荷をかけていることに気付いた。
慌てて離れようと、立ち上がろうと、力を入れるが、ガクガクと生まれたての子鹿のように足が震え、それがままならない。
焦るばかりで、より寄り掛かる結果となってしまい、その彼女を巻き込んで倒れ込もうかというところで、
「よっ、と」
雨水と、自分を支えてくれていた彼女共々、力強い腕で支えられていた。
「間に合ったな、小雪。ナイス判断」
「あたしの目の前だったからね。間一髪ってところさ。子規だって既に席立ってたじゃん」
「まぁ、な。あー……腰、抜けちゃったかな? 仕方ない」
雨水を支えてくれていた――たしか子規と呼ばれてた男の子、が「ちょっとごめんね?」雨水の肩と膝の裏に手をかける。
そして雨水はそのまま持ち上げられた。所謂、この体勢は、
お姫様抱っこ!
え、嘘、なんで? 雨水は口をアワアワさせ必死に彼の腕の中から逃れようとしたが、身体に力がまったく入らなかった。抵抗できなかった。
抵抗、というよりも、むしろ無意識の内に彼の肩口に顔を埋め、身体を押し付けてしまっていた。彼の腕の中にいる安心感に身を委ねてしまっていた。
「てことで先生。三枝さんをちょっと保健室まで連れていきますね。体調不良のようです」
いままでの一連のやり取りを呆と眺めていた教師が「あ、ああ」と慌てたように許可を出す。
雨水はそのまま拉致された。
「いいなぁ、子規のお姫様抱っこ、いいなぁー」
「小雪、俺らの周りをぐるぐる回るな」
雨水のカバンを持ってぶすっとしている、自分を助けてくれた美少女は、小雪、というらしい。
「少し寝不足だったのかな。軽い貧血を起こしたのかもしれないね」
頭の上から声が聞こえた。
たしかに昨晩はよく眠れなかった。色々と頭の中で考え過ぎて、その度に嫌な思いに囚われて、少しウトウトしたものの気がつけば朝だった。
「そうだよね、転入初日ってちょっと緊張するよね。睡眠不足になる気持ちもわかるよー。勉強大丈夫かな、とか、皆と仲良くできるかな、なんて色々考えちゃうよねー。あたしも同じ立場だったらそうなっちゃうかもしれんなぁ……あ、そうだ。三枝さん。あたし小雪って言うの。北七小雪。小雪って呼んで」
うひひ、と悪戯っぽい笑顔を見せる彼女――北七小雪を見て、雨水は頬を染めた。
彼女はすごく可愛かった。とても可憐だった。そして、
「ああ、だから三枝さん。こうなったことは全然恥ずかしいことなんかじゃない。これからも変に萎縮したりしないでさ」
顔を上げた。
「何かあったら、俺たちを頼ってくれ。俺は、二重子規、だ」
そう自己紹介した彼と目があった。
脳が一瞬で、沸騰した。
小雪の可憐な笑顔を見た時以上に、自分の顔が真っ赤に染まったことを自覚した。
今まで緊張の中で流されていただけだった。だからよく分からなかった。北七小雪、彼女の光が強すぎて目が向かなかった。
柔和に微笑む彼、優しげな眼差しを向けてくれる彼――二重子規。
この人は――ダメだ。
関わってはダメな人、だった。
わたしは『魔性』という言葉の意味を初めて理解した。
わたしは彼に捕り込まれた。