インターバル 九曜清明
「北七さんのあの髪、どういった風の吹き回し? イメチェンでも狙ったの?」
小雪と入れ替わるように子規の眼前に現れたのは、男子にしては小柄で――ビスクドールのような造形めいた顔を持つ生徒、九曜清明。
子規の数少ない友人の一人であり、彼が高校に入学してからは最も仲良くしている男子生徒だ。
「学食、混んでた?」
「相変わらずパンと麺コーナーは人気だね。席は座れないほどじゃないけれど」
「俺も一回は学食の昼飯食べたいんだよな。入学してこの方、機会がない」
「子規には愛妻弁当があるからね。それも今は二つなんだろう? まったく、このハーレム男には呆れるしかない」
頬に手を当て、清明は苦笑した。
その柔らかく笑む彼を遠目に見ていた女子生徒たちが「はーぁ」と頬を染め、恍惚とする。
そう優しく微笑む彼を遠目に見ていた男子生徒たちが「はーぁ」と頬を染め、陶然とする。
中性的でどこか浮世離れした彼のルックス――そのアルカイックスマイルを見た者は、大抵息を止め、その後うっとりと吐息を漏らすのだ。
「それで?」
「あれな、ユキの素だよ。今までの黒髪ロングが作り物」
「あれ、天然モノなんだ。僕と若干かぶってるのかな」
そう言って目元まで伸びている柔らかな前髪を指先でつまむ。明るい赤栗毛を指にくるくると絡ませる。
「清明のサラサラストレートと違ってクセは強いけどな。ま、あいつには良く似合ってる」
「で、なんでまた戻したのさ」
「悲しいすれ違いの結果、とだけ」
「ふぅん?」
その二人のやり取りを聞きながら、自身のお下げをニギニギとしていた啓が口を挟む。
「子規くんは、あーいう髪型が好きなのかな?」
「いや、その人にあっていればどんな髪型でもいいと思うよ」
「啓、いつもお下げだったり、お団子作ったりして……子供っぽすぎる?」
「よく似合ってるよ。すげぇ可愛い」
「……ぐふっ」
顔面を完熟トマトのように真っ赤にさせ、慌てて鼻頭を手で抑える。
清明がその痴態を呆れたように見つめる。
「君のストレートな物言いは好感が持てるんだけどね。他の人に言うのは極力控えた方がいい。北七さんにも悪いだろう」
その清明の言葉で、啓の真っ赤だったその顔色がすっと冷めた。
「せ、せーめーくん?」
「うん、なにかな、四条さん」
「なんで、小雪ちゃんに悪いの? 他の人って啓のこと? 子規くんの彼女は啓だよ?」
清明がすっと目を細めた。
「ああ、四条さん、子規の彼女(笑)だったね。ごめんごめん、すっかり忘れてたよ、その設定」
「は、はぁ? 設定ってなに」
「あれ、違うのかな。だって、君みたいな子が」清明は嗤っていた「子規の彼女だなんて……ね?」でも笑っていなかった。
「四条さんも大概だよね。子規の隣にはずっと北七さんがいたっていうのに、恥ずかしげもなく割り込んできてさ。そんな恥知らずが、どの面下げて子規の側に居座っているんだろうって、僕興味があったんだ」
彼の薄い碧眼が、無機質に啓を見つめる。
「まあ、実際、さっきのメスぶ……四条さんを見れば一目瞭然だったけど」
「せーめーくん、いま、」
「もうさ、いっそのことやめなよ、その設定。ただのクラスメイトに戻ったほうがいい。うん、そうだ。それがいい。さぁ、四条さん、今ここで子規に言いなよ。『子規から手を引きます。別れます』って」
細めていた目の、その瞳の奥に嘲笑と侮蔑と悪意を感じ取り――啓は顔面を蒼白にさせた。
「さぁ、早く、早く、早く――はやく言えよ」
「……え、あ?」
啓の身体が彼の毒心に反応し、無意識に、小刻みに震え始める。
「清明」
清明は口元を三日月型に形作り、無機質な笑みを子規に向けた。
子規は身体を硬直させている啓の肩を自分に引き寄せ、胸元にその小さな頭を押し付ける。
「啓ちゃんは俺の大切な彼女なんだ。彼女が告白してくれて、俺がそれに応えた。正真正銘の恋人だよ。あんまり虐めないでくれないかな」
「……へぇ?」
子規の突然の抱擁に、先程の恐怖より幸福感が勝ったのか、啓の硬直はいつの間にか解かれていた。
恍惚の表情で「すーはー」と子規のシャツの匂いを嗅ぎ、勝ち誇った顔で清明に目を向ける。
「そ、そういうことなんだから、せーめーくんにどうこう言われる筋合いはないんだよ」
「あそう……ま、いいや」
子規の肩に手を置き、耳元に口を寄せ「それじゃ、子規、また放課後」爽やかな柑橘系の香りを残して立ち去った。
啓は、彼の後ろ姿が見えなくなるまで「うーうー」と警戒する番犬のように唸り声を上げていた。
「啓、せーめーくんに何かしたかなぁ」
「いや、さっきのは一方的なあいつが悪い。にしても、突然どうしたんだろうな? あんなこと言うやつじゃないんだけど」
「せーめーくん、怖かった」
すりすりと子規の胸元に頭を擦り付ける。
「啓ちゃんと仲良くしてたのが羨ましかったのかな。あいつ、彼女欲しかったのか」
「うーん。せーめーくんなら作ろうと思えばすぐ作れるよね。怖いぐらいに綺麗な顔してるから、みんなちょっと引いちゃうけど」
「まあ、なあ」
「でも、いつも優しいせーめーくんにも怖い顔があるんだねぇ。裏表がある人って、啓、ちょっと怖いかなあ」
その台詞に、その言葉を聴いていた生徒が一斉に彼女に振り返った。
◆
「くそっ、あの雌豚っ!」
なんであんなあざといビッチがっ、あんな淫売がっ、あんな売女がっ、子規の彼女なんだ!
顔に笑顔を貼り付けたまま教室を後にした清明は、普段人のこないトイレの個室でぶつぶつと呪詛を呟き続けていた。
美麗な顔を酷薄に歪めながら、怨嗟の声を吐き続けていた。
北七小雪が彼の側にいるのはまだ許せた。
というのも、彼女の存在は清明にとって非常に都合が良かったから。
普通の感性があれば、小雪のあのストーカーのごとく執拗につきまとう姿を見れば、子規に近寄ろうとはしない。
誰も好んで修羅場――泥沼に足を突っ込もうなどとは考えない。
いわゆる小雪は子規に対する絶対的な防波堤のはずだった。
だからこそ清明は小雪の存在を許容していたし、積極的に排除しようとは考えていなかった。安心していた。
だが、つい先日――一週間ほど前に、子規に告白したという雌豚が現れた。
あまりに無謀な馬鹿の登場に、清明は呆れよりも憐憫の情すら抱いていたのだが、その結果は天地鳴動するかの如く彼に衝撃を与えるものだった。
『二重子規が四条啓の告白を受け入れた』
その劇的なニュースは、瞬く間に学校中を駆け巡る。そしてその関係が公認となり、側にいつもと変わらぬ小雪の姿の他に、彼女――啓がいることで、今の歪な関係が出来上がっていた。
清明は子規の胸元に引き寄せられ、幸せそうに彼の胸で鼻を鳴らしていた啓を思い出す。
「くそっ、あの雌豚っ! なんて羨ましいんだっ!」