北七小雪 VS. 四条啓 2
「はい、シキ。あーん」
「あーん」
子規はぱくりと差し出された厚焼き玉子を口にする。
もぐもぐとしっかり咀嚼し嚥下する。うん、と一つ首肯し笑みを浮かべた。
「ユキの玉子焼きはやっぱり美味いな。上品な甘さと、この口溶けのよさは市販のやつでもなかなか出せない」
「甘味づけに和三盆と蜂蜜を使ってるからね。甘いもの好きのシキに合うように作ってあるんだ。はい、今度はこっちの伽羅蕗。あーん」
「もぐもぐ……うん、この絶妙な甘辛さ、アク抜きも丁寧だし文句なく美味い」
「ふふ、いいお嫁さんになれるかな、あたし」
「おう。ユキと結婚するやつは幸せだと思うぞ」
「じゃあ、あたしと結婚を前提に付き合って下さい」
「ごめんなさい。お友達で」
学校の昼休み、子規に寄り添うように隣席する小雪は、お手製のお弁当で餌付けをしていた。
そんな二人を――キャッキャウフフとまるで恋人同士のようにイチャつく彼らを、教室内に残っている生徒たちは微笑ましいものを見るように――否、何か恐ろしいものを見るように遠巻きに伺っていた。
そう――彼らの傍らにはもう一人、顔を引き攣らせ無理に笑顔を作っている四条啓がいる。
「ね、ねえ、子規くん。小雪ちゃんのだけじゃなくて……啓のお弁当も食べて」
「あ、ごめんね、啓ちゃん。つい」
「う、ううん、いいんだよ。今日は中華なんだ。はい、あ、あーんして」
啓は緊張で震える手でシュウマイを箸にとり、子規に差し出す。
子規は一口でそれを頬張ると、嬉しそうに彼女に微笑みかける。
「美味しい」
「えへ、えへへ、よかったぁ」
子規に差し出した箸をそのまま自身の口に咥え「ふへ、ふへへ」とモジモジする。
小雪はその啓の奇態を見て眉を潜め、ふん、と軽く鼻で笑う「冷凍食品の手抜きのくせに」
啓はピキッと一瞬頬を引き攣らせるが、直ぐ表情を笑顔に戻す「おかずがババ臭いんだよ」
いつもとは違い、今日は子規を挟んで火花を散らす少女二人。
子規は「二人の間で何かあったのかな」とのんきに考えていたのだが、普段はおどおどとおとなしく小雪の後塵を拝していた啓の変化に、周囲は緊張を走らせていた。
「ユキと啓ちゃん、なんか仲良くなった?」
「「なってない」」
『1年B組の北七小雪さん。職員室の担任のところに来てください』
三人がお弁当を食べ終え人心地ついていると、教室内に呼び出し放送が鳴り響いた。
「あー」顔を顰めながら「仕方ない、行ってくる」後ろ髪を引かれるように、小雪は子規の元を離れる。
「……ざまぁ」啓がボソッと呟いた。
◆
ざまぁ。
啓は満足気に小雪の背中を見送り、子規にもたれ掛かった。幸せ。
先程の校内連絡――呼び出しはおそらく、彼女の髪の件だろう。
あんなにも見事に校則違反を犯す小雪に、啓はある種の畏怖を抱いていたが、違反は違反だ。きっちりとその罰を享受してくれと思う。停学になったら彼女の居ない分、子規にべったりと甘えられる。二人だけの時間がもっと増える。
「えへ、えへへ」ピンク色の妄想が啓を侵食し始める――が、その幸せな脳内世界に、どうしても小雪が割り込んでくる。そう、わかっている。啓は、どうしたって小雪という存在を無視できない。
北七小雪は、可愛い。
今日の朝、校門前で彼女の姿を見た時は衝撃が走った。
前の黒髪ロングも物凄く可愛いと思っていたが、それとは次元が違った。
ストン、と何かがピッタリと嵌った。ただでさえ可憐だった彼女が、その髪型になったことでより完璧な存在に昇華した、いや、擬態していたものが解かれ真実が顕になった――そんな感じだった。
啓は下唇を軽く噛む。
彼女は自分がこの高校でも、屈指の美少女だという自覚があった。
自分のあざとさに寄ったこの可愛さが、男子生徒の琴線に触れまくることも分かっていた。校内では『愛玩動物』という二つ名さえ戴いているのだ。
勿論、啓の他にも、美少女、美人だと持て囃され、二つ名がつくような存在は何人かいる。
有名な所では、
『男装少女』三枝雨水。
『愛玩動物』四条啓。
『魔女教師』五十立春。
『偶像虚像』六花立夏。
『性別超越』九曜清明。
啓自身、自分がこのグループの中に入っているのは当然だと思っているし、この中に並んでいても決して引けは取らないと自負もしている。
だが――『偏執狂女』北七小雪、彼女は別格だった。
啓は下唇を強く喰む。
外見の華美だけなら、芸能人でもある六花立夏が頭一つ抜けてはいる。
ロリ枠なら啓だし、イケ女ン枠なら三枝雨水など、二つ名つきグループの中での住み分けは出来ている。
その中にあって、北七小雪は何かが違った。
啓には何が違うのかは伴らなかったが、結論だけは解った。
『彼女は一人の少女として完成されている』
啓はあんなにも可憐で燦たる存在を知らない。あんなにも透明で装飾されていない存在を、彼女以外知らない。
――でも、啓の勝ちだ。
子規くんの恋人になることができた。子規くんを、あの小雪ちゃんから奪うことができた。
仄暗い笑みを浮かべる啓の脳裏に、朝方の小雪の声が響いた。
『あたしはシキから絶対に離れない』
あきらめてよ、小雪ちゃん。
啓は、子規くんを絶対に離さないんだから。