北七小雪 VS. 四条啓
「さっきは雨水ちゃんが乱暴な物言いしてごめんね。悪気はないと思うんだけど」
「……」
「で、でも小雪ちゃんもよくないよ。お友達にあんな態度はいけないんだよ」
「……」
「それで、ね? 啓、小雪ちゃんに言いたいことがあって」
「……」
校門前の一悶着の後、三人は揃って1年B組――小雪と啓の教室へと赴いている。
先程から小雪の横で、啓が胸の前で手を組みながらずっと喋り続けている。
身長155の小雪よりさらに小柄。150にも満たないであろう『ちんまい』彼女。
彼女が必死に喋る度に、頭を小刻みに動かす度に、彼女の二つに結いたお下げがピョコピョコと揺れ、とても愛らしく映える。
ハムスターのような愛玩小動物――それが四条啓という女の子の評価であり、学内ではある種のマスコットとして確立されている存在だ。
だが、そんな必死な啓などまるで眼中にないかのように、小雪は彼女の言葉を先程からずっと無視し続けていた。
その様子を見て、雨水は彼女たちの後ろで腕を組みながら、どこか苛立たしげに貧乏揺すりをしている。が、一切二人には口出しはしない。
小雪に対した最初の威勢が嘘のように、だんまりを決め込んでいた。
朝早く、誰もいない寒々しい教室。
入室してからも二人を無視し続ける小雪は、バッグを置くと、てきぱきと何かに取り掛かる。
自分のロッカーを開け、中に入っていた消毒用エタノールと使い捨ての布巾を手に、机を掃除し始めた。
「あ、あの?」
「……」
小雪は慣れた手つきで軽やかに手を動かしている。
キュッ、キュッと右手に持った布巾で丁寧に丁寧に、目の前の机を拭いている。
シュッ、シュッと左手に持った消毒用エタノールで慎重に慎重に、目の前の机を吹いている。
一見してその机には落書きや目立つ汚れなどない。それでも彼女は真剣に眼前の机を清掃していく。
「こ、小雪ちゃん。なんでそんなに机をきれいにしてるの?」
「……」
今度は、椅子を丁寧に拭き始める。
「ねぇ、小雪ちゃんっ」
「日課」
「え?」
「これはあたしの日課」
「日課って、小雪ちゃん、毎朝こんなことしてるの?」
その言葉は無視し、小雪は手に持った専用掃除用具を自身のロッカーに手際よく片付け、
「だってそこ……子規くんの席、だよ」
「そう。シキの席だから、綺麗にしてる」
ウェットティッシュで両手を拭きながら、ようやく啓に視線を向けた。
「や、やめてくれないかなぁ。子規くんの席、掃除するの」
「なんで? 朝一で席が綺麗になってるの、シキだって嬉しいじゃん」
「そ、そうだけどっ。だからって小雪ちゃんがすることじゃないよ」
「なんで?」
「なんでって……そんなの」
啓は俯き、下唇を軽く噛む。
「そ、それとね。こ、これからはね、お昼に子規くんのお弁当つくってくるのも、やめて欲しいんだ」
「なんで?」
「お弁当作るのは、啓の役目だから……今日だって作ってきてるし」
「だって四条の弁当不味そうじゃん。栄養も彩りも何も考えてない冷凍食品詰め込んだだけの粗悪品。そんなもん、シキに食わせんなよ。あたしの手作りのほうが遥かにマシだ」
啓はさらに俯き、下唇をギュッと喰む。
怯えたように微かに身体を震わせる。
「小雪ちゃんはただの幼馴染じゃない……! そんなことまでしなくていいんだよっ」
「なんで?」
同じ疑問を返す小雪に、先程まで俯き悔しそうにしていた啓の表情が――消えた。
怯える小動物のようにビクビクしていた彼女の態度が霧散する。
「なんで? じゃなくね?」
小雪に一歩踏み込むと、啓は眉根を寄せ下から彼女を睨め付ける。
「……あのさぁ、ちょっとは空気読んでよ、小雪ちゃん」
「は?」
「子規くんは、啓の彼氏なの。恋人なんだよ。小雪ちゃんが出る幕ないよね? ね、雨水ちゃんもそう思うでしょ?」
啓の背後に居た雨水が「そ、そうだな」と緊張した声で応える。
「いつまで付き纏ってんの? ホントうざい。子規くんが小雪ちゃんのこと許してるからって調子乗ってない? 啓はそんなの認めないし、絶対許さないよ。このストーカー女。早く消えてほしいんだけど」
小雪は「ぷっ」と吹き出した。
「……なに、笑ってんの」
小雪のセーラーの胸元のリボンを引き寄せ、啓は顔を寄せる。鼻がつくくらいの距離でガンをつける。
それでもクスクスと笑い続ける彼女に、啓はギリッと歯を鳴らした。
「なにが可笑し……」
小雪が胸元をねじあげている啓の手首を掴んだ。
そして彼女の腕を絡めながら自分の手首を掴み、彼女の手をその背後に回すように捻り上げる。
アームロック完成。
「ひいぃ、痛い痛い痛いっ!」
突然の腕が折れるような激痛に啓はじたばたと暴れ、外そうとする。が、ますます極まってしまいより強い痛みが走ってしまう。
もはや啓は身動きが取れず、膝をつき、じっと痛みに耐えるしかなかった。
小雪は薄笑いを浮かべたまま、その様子を愉しげに眺めている。
「啓っ!」
「来んな。近寄ったらこいつの腕をへし折る」
慌てて駆け寄ろうとした雨水がその言葉で躊躇し、そして瞳孔が散大している小雪の双眸を見て――足を止めた。
「なあ、四条」
「な、なにっ! 早く、こ、これ、外してぇ!」
「四条、お前はあたしのことを認めない、絶対許さないって言ったね」
「許すわけないじゃん! だって、子規くんの彼女は啓なんだよっ! それなのに何で小雪ちゃんがいつも彼の側にいるのっ! そんなのおかしいじゃん!」
「おかしくない」
「おかしいよ! 朝、啓より先に子規くんを起こしに行くし! 授業中も休み時間もずっとくっついてるし! お昼のお弁当までつくってあげてるし! 啓がいるのに放課後なんて毎日のように告白してるしっ! 油断してたら子規くんとの休日までかっさらってくし!」
「その代わり、登下校は四条に譲ってるじゃないか」
「足りるかっ! 彼女は啓なんだからっ! 全部ぜんぶ全部! 啓が一番がいいんだよ!」
小雪はスッと啓の腕を解放する。啓は腕を押さえたまま恨めしそうな涙目でキッと小雪を睨みつける。
「シキはあたしが側にいてもいいって言ってくれてる。あたしはその言葉にだけ従う。周りが、お前が何と言おうと、あたしはシキから絶対に離れない」
「……っ。じゃ、じゃあ、子規くんが『近寄るな』って言ったら! その時は小雪ちゃん、彼の側からいなくなってくれるの!?」
「そうシキが望んだら……側にはいられないかもしれない、ね」
「とった! 言質とったから! 雨水ちゃんも聞いたよねっ? ねっ!?」
呆然と成り行きを見ていた雨水が「そ、そうだな」と緊張した声で応えた。