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小雪ちゃんは、あきらめない  作者: 平原みどり
第一章 長い一日
14/33

北七小雪 VS. 二重節

「ねね、シキ。今日は何食べたい?」


 腕を絡ませ上目遣いに覗き込む。

 子規の腕にぶら下がるような格好で甘えている小雪は、傍から見ても恋愛脳に侵されている発情期の猫のようだ。

 制服姿でイチャイチャと睦み合う二人に、擦れ違う人がみな視線を向ける。普通ならば『今どきの若い者は、まったく』『こんな道端で。見ろよ、あのビッチ』等と辛辣な言葉や感情が彼らに向けられて然るべきなのだが、その二人を見る目――見守る視線は、生暖かいものだった。


「子規くん、小雪ちゃん。これからお買い物?」

「うん、そうなの! いまね、お夕飯の献立なにがいいかなーって」

「今日は駅前のスーパーで葉物が安かったわよ。キャベツとか白菜」

「あらやだ、素敵。冬キャベツの和風ロールとかいいかも。あとは、寒くなってきたしお鍋もいいなぁ」

「うちは鍋にするつもり。あ、そうだ、これ持っていって」

「これ、塩麹じゃないですか」

「これも特売だったから多く買いすぎちゃった。だからお裾分け」

「いいんですか? わぁ嬉しい。喜んで頂きますね」


 近所の奥様方に声をかけられ、慣れ親しんだように和気藹々と会話を交わす。

 道すがら、擦れ違う人擦れ違う人、二人に声をかける。子規と小雪が近所でとても可愛がられていることが、その様子からもはっきりとわかる。


「うひひ。これで今日の献立決まっちゃった。冬キャベツの塩麹鍋に決定」

「素晴らしい。それだったら鶏団子も欲しいな。つくねも作ろう」


 自分の渡した塩麹が小雪たちの役に立つことが本望だったか、手渡した本人が嬉しそうに顔を綻ばす。


「本当に仲がいいわねぇ、子規くんたち。子規くん今いくつになったんだっけ……え、まだ17なの? 結婚は来年までお預けねぇ」

「も、もう、おばさまったら。け、結婚なんて、気が早いんだからっ」

「あらそう?」


 おほほほ、とテンプレの様に笑い、二人を誂うことに満足したのか愉しげにその場を後にする。

 道すがら、擦れ違う人擦れ違う人、二人に声をかける。子規と小雪の近所でのおしどり夫婦と見紛う立場が、その様子からもはっきりとわかる。


「恥ずかしいなぁ。結婚だって。ねぇ、シキ?」

「まったくだ。俺たちはそんな関係じゃないのにな」

「じゃ、そんな関係に立候補するよ。あたしと結婚を前提に」

「ごめんな」


 ふんっ、とそっぽを向いて怒ったフリ。ふんふんっとする小雪の頭を子規は優しく撫でる。小雪の溜飲はいつもそれで下がってしまう。

 やがて間もなく目的地、いつも行くスーパーに辿り着こうという時、その入口付近でキャベツを手に持ったブレザーの制服姿の女の子が、こちらを凝視しているのがわかった。

 その彼女が品定めしていたキャベツをそっと売り場に戻した。


「兄さん」


 花咲く笑顔で彼女が子規のもとへと駆け寄ってくる。眼の前に飛び込んできた彼女が軽くステップを踏み――子規と小雪の間に天を仰ぐように振り上げた両手で手刀を振り落とす。


「あぶなっ」


 間一髪、絡めていた子規の腕を離しその鋭い手刀を回避した小雪。避けた勢いでヨロリと足がもつれる。そしてその隙に、先ほどまで小雪がいた位置にその彼女は割り込むことに成功する。

 子規の腕、だけではなく、胴体ごとその懐中に収めた彼女――二重節は小雪に今気づいたといわんばかりに図々しくも「ふっ」鼻を鳴らした。


「あら、誰かと思ったら。姉さんだったのですね。頭がゆるふわ、失礼、髪型が変わっていたので気が付きませんでした」

「せ、せっちゃん。モンゴリアンチョップはダメだよ。危ないよ」


 その小雪の言葉を無視して「えへへ、兄さん」と子規の胸元に顔を埋め「すーはー」その体臭を堪能している節。だがベリベリと粘着物を剥がすように子規が彼女を退け、その頭に軽くチョップを見舞う。


「節。ダメだよ。姉さんに謝りなさい」


 「えぇ」としばらく口を尖らせていた節が不承不承、小雪に顔を向け、


「チッ、はんせいしてまーす、です」


 どこぞのスノーボーダーのようにふてくされたまま謝意を口にした節に、小雪がピキッとこめかみを引き攣らせていた。



「で、節はなんでここに? 友達と遊ぶんじゃなかったのか?」

「それなんですが兄さん。今日、兄さんは姉さんのところでお夕食をいただくんですよね」

「そう()()()はずだけど。節は友達と一緒にご飯を食べるんだろう」


 それなんですが、もう一度同じことを言い、節は薄い口唇に人差し指をあて、


「断ってしまいました」

「そうか、断ったのか」

「はい。だからここで兄さんを待ち伏せしてました」

「何故『だから』なのかよくわからないが……そうか、待ち伏せたのか」

「はい。十中八九、お夕食の買い出しに出かけると踏んでました」

「まぁ、すれ違わなくてよかったよ」

「それでですね。節も兄さんとご一緒したいのです」

「そっか。でも、それは俺に言うことじゃないよな」


 小雪がにこやかな笑みを浮かべ、首を傾げる。節はそれを嫌そうに見つめる。


「姉さん」

「ん? なぁに?」

「あのですね。節も今日、北七家で御相伴に預かりたいのです」

「えー、どうしようかなー」


 ぐっ、と節は言葉を詰まらせる。悪戯っぽくにやけている小雪を見て、ぐぬぬっ、と悔しさを噛みしめる。


「お、お願いするのです。節も一緒にご飯食べたいです」


 小雪がぽんっと節の肩に手をおいた。満面の笑みを浮かべ、


「やだ」


 にべなく断った。

 節が天を仰ぐように両手を振り上げる。「うがぁぁ」そのまま振り下ろされた手刀の一撃を小雪はすんでの所で受け止める。小雪が節の両腕をしっかりと掴む。力が拮抗した。


「せ、せっちゃん。モンゴリアンチョップは、あ、あぶないんだよ」

「く、くたばれ、です」


 上から手刀を力の限り押し付ける節と、下からそれを必死に支える小雪。周囲が何事かと興味津々に二人を眺めている。

 子規が、パシッパシッと二人の頭を叩いた。


「まわりに迷惑だ。じゃれ合ってないで、さっさと買い物いくぞ」

「「はぁーい」」


 買い物籠を取り上げ店内に入った子規を、二人は慌てて追いかけた。


 子規の右手に節、左手に小雪が侍るハーレム布陣で最初は物色していたが、次第に小雪と節が率先して歩を進め始めた。

 二人とも家事大好きっ子であり、その中でも料理に関しては、もう何年も自家の台所を預かる熟練の調理人でもある。二人は食材を手に取り、お互いに侃々諤々と食材についての議論を戦わせている。


「え、鶏つくねに胸肉ですか? でも姉さん、それ、ぱさつきませんか」

「うふふ。普通はモモ使うのがいいんだけどね。今日は豆腐と生姜と葱を合わせたネギ塩鶏つくねを作ってみようかと」

「なるほどです。ヘルシー鶏つくねです」


 子規は買い物かごに次々と投入されていく食材を見ながら、そんな二人の背中を追う。にこやかに幸福そうに、そんな二人の背中を見つめる。

 時折節が子規に顔を向け、ちらちらと窺っている。


「……時に、姉さん」

「なんだい」

「あの、四条某とかいう泥棒猫なのですが……今日はいないんですか」


 ひそひそと小雪にだけ聞こえる声でささめく。


「今日は特別、にね」

「特別、ですか。まぁ、いないことはとてもいいことです。毎日、特別がいいです」

「ふふっ、せっちゃん、しばらくヤキモキしてたもんね」

「今でもしてるのです。まったくあのプッシーキャットは、」

「せっちゃん、その言葉はやめておきなさい」

「でもですよ。突然、兄さんの彼女という設定をつくったかと思えば、兄さんの生活にもだんだんと侵食し始めてきているのです」


 いやよねぇ、と二人は頷き合う。


「登校するときも駅まで迎えにくるし、帰りも駅までついてくるんです。方向も違うし遠いんだから、とっとと去ねなのです」

「ストーカーみたいな真似しないでほしいよね」


 いやよねぇ、と二人は頷き合う。

 実際には、啓が子規と一緒にいたい一心で登校時には子規の最寄りの駅まで足を運び、下校時には遠慮する子規を無理矢理押し切って駅まで送っていくという涙ぐましい一途な思いの結果なのだが、この二人は当然それを快くは思っていない。むしろそんな啓の動向を逐一観察し、啓の住んでいる場所まで特定している彼女たちの方がよっぽどストーカーチックなのだが、本人たちはそれに気付いていない。


「明日からも、節は警戒しておくのです」

「でもまぁ明日からは……」


 自分で吐いた「明日から」という言葉で、小雪はどんよりと気分を曇らせる。


「明日、あしたかぁ」

「姉さん? どうしたんですか」

「うー、せっちゃん。あとで全部話すよ。一先ず、あたしは明日からシキを起こしに行けないから、せっちゃんにお願いする。それとお弁当はいつも通り作るから、取りに来てもらって」

「ね、姉さん?」


 節が驚きに目を丸くする。節の大きな瞳が更に大きく見開かれる。驚いて当然だった。今、小雪は「シキを起こしに行けない」と言った。二重家の合鍵を所持し入退場フリーパスの小雪が、毎朝蕩けた顔で子規の部屋に鎮座ましましている彼女が、「シキを起こしに行けない」とは一体何があったというのだろうか。

 節が小雪の額に手を当てた。


「大丈夫。熱ないから」

「で、でも」

「あたしは明日からしばらくは行けないけど……その間さ、せっちゃんにシキのことお願いしていいかな。ひょっとしたら四条のやつが行くかも知れないけど、無碍に扱って構わないから」

「は、はぁ。わかりました、けど。あとで事情を説明してください、です」

「りょーかい」


 どんよりしたまま食材をカゴに放り投げる小雪の背中には哀愁が漂っていた。



『今日は北七家で夕食にお呼ばれすると思う。節はどうする?』


 そんな連絡が節のスマホに入った。

 いつものことなのです。節はその文面を頬を膨らませながら見つめる。

 こういう時、節はいつも一歩引いてしまう。遠慮して、断ってしまう。そんな時は、一人寂しく夕食を取る。


 二重家には、兄と自分と、父親しかいない。両親がニ年前に離婚して以来、この広い家が閑散と、とても寒々しく感じている。

 父親は殆ど家に帰ってこない。仕事にかまけて家族を疎かにしている、といった定番の理由からではないことを節は知っている。

 父親は家にいたくない。自分が家族に疎んじられることに耐えられない、といったお決まりの理由からではないことを節は知っている。

 節は父親が大好きだし、父親だって節のことをとても可愛がってくれていると思う。お小遣いに困ったことはないし、学校の行事にだって忙しい仕事の合間を縫って駆けつけてくれるし、たまの休みには高級なダイニングに食事にも連れて行ってくれる。

 でも、父親は殆ど家に帰ってこない。その理由が兄さんだということを節は知っている。


『節はどうする?』


 節はその文面を無心で見つめる。節はどうする? 節はどうする? 節はどうする?

 決まってるのです。この言葉がある時は、答えは一方通行に閉じているのです。だって、


『お前は来るな』


 という意味なのですから。


 でも北七家から出てきた二人を見て、兄さんの表情を見て、節は覚悟を決めました。

 姉さんがエコバッグを持っているってことは、二人はこれから駅前のスーパーに夕食の食材を買いに行くつもりなのでしょう。先回りします。


 今日の兄さんは、なんだかとても恐ろしく見えました。

 ああいう表情をした時の兄さんは、とても危険で危難で鬼胎で怖くて恐くて怖ろしくて恐ろしくて――愛おしいんです。


 だから節はあえて飛び込みます。

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