北七小雪 VS. 北七大雪
同じ顔が向かい合っていた。
小雪に対してマウントをとるように威嚇している、妙齢の小雪。奇妙な鏡合わせ、そんな構図。
まるで姉妹のようにも見えるその二人は親子だった。母娘だった。
若作りにしては幼すぎる外見の小雪の母親、北七大雪。
先程からだんまりを決め込んでいる自分の娘に対し、苛立ちを隠しきれないようにずっと貧乏ゆすりをしている。
「吐きなさい」
「……」
「三枝さんに、なんであんなことしたのか。黙ってちゃわからないでしょう」
「……ぷいっ」
口に出してぷいっと顔を背ける小雪の顔を、大雪は片手で鷲掴んだ。アイアンクロー完成。
「……っ! っ……!!」
必死でそれを外そうとするが、両の手で力ずくで取り除こうとするが、動く気配すらない。
「いい加減に、しなさいっ!」
「は……はな、せっ!」
「あんたは、人様の家の子に重傷を負わせたっ。しかも顔まで傷物にしたっ」
「……離せっ!」
大雪が力を弱めたのか、ようやく小雪がその手の内から身体を退ける。
はぁはぁ、と肩で息をする。
「小雪、あなたは決して許されないことをしたの。それは分かるわよね」
小雪はようやく視線を上げた。
「けど、あなたが理由もなくこんなことをしでかしたとも思ってない」
「……っ」
「だから、あなたが彼女、三枝さんに何故あんなひどいことをしたのか、その理由が知りたいの。その理由によっては――怪我を負わせたことは償わなければならないけれど、それ以外では一緒に戦ってあげることが出来る。味方でいてあげることが出来る」
小雪が辛そうに表情を歪ませた。
「ご、」
「ご?」
「ごめん、なさい」
小雪とは反対に、大雪は優しく微笑んだ。
「母さん。あたしさ『三枝雨水』彼女のこと覚えてないんだ」
「……なるほど、ね。そういうことか」
「それで、あいつ、中学の時、あたしと同級生だって言って……親友だったって言ってた」
大雪は頬杖をつきながら「そう、ね」何かを思い出しているようだった。
「でもあたしの記憶にないってことは、あいつは黒だってことだ。何が目的であたしに近付いてきたのかもすぐ分かった」
「子規くん、ね」
「そう、シキだ。だからそれは一蹴したよ。あんなやつにはシキに近寄って欲しくないから」
けど、その後だ。小雪はそう呟くと、下唇を強く噛み締める。しばらく黙っていたが、ようやく震える声で続きを話し始める。
「あのことに、関わっていた」
「あのこと」
「そう、あのこと。芒。一ノ瀬、芒」
「……そう、だったのね」
しばらく二人とも無言で、お互いに目をそらしていた。
小雪は、目の前にいる自分の母親の表情をこっそりと窺う。眉間に皺を寄せ、何かを考えている。その悲壮感を感じさせる表情から、辛い過去を思い出しているようにも感じられる。
「母さん?」
「うん? ああ、ごめんなさいね。そっか、そういうことだったか。それで、」
大雪――自分とそっくりな母親の顔が、まったくの別人に見えた。
「三枝雨水、だっけか。彼女が黒幕?」
「……い、いや、違う。あいつは芒を人身御供にした、彼女を差し出したやつだった」
「へぇ」
でも大雪の顔はそっくりだった。
『芒ちゃんを、標的に、すれば、いいって』と宣った雨水の言葉を聞いた時の、小雪の顔にそっくりだった。
「そりゃ、許せない、よねぇ」
「う、うん。そのこと聞いた瞬間、目の前が真っ暗になって、気付いたら足元にあいつが倒れてた」
それで? 大雪が続きを促す。
「そ、それで、」
「判ったんでしょう」
「う、うん。あたしの記憶にないから、どんなやつかは知らないけど。名前だけは、知ってた」
昨日、美容院で髪を元通り――ばっさりと切った小雪が子規に告白した時、その名前が出た。
『ああ、同じクラスに八十八白露って子いたよな? あの細面の美人お嬢様には黒髪ロングがばっちり似合ってた』
ずっと勘違いしていた、ずっと子規の好みだと思っていた。
子規の為だけに拵えた、ずっと続けていた黒髪のロングストレート。
それが、よりにもよって彼女の模倣だったなんて、なんて皮肉なのだろう。
『わ、悪いのは白露さん。白露さんが全部やったことなんだ』
子規の言っていたハクロと、雨水の言っていたハクロ。間違いなく同一人物だ。
中学時代の卒業アルバムを紐解いて、そのハクロなる人物を確認したいところだったが、すでにそのアルバムはこの世にはない。
それにたとえ誰かに借りたしても――小雪にはそのアルバムを開くことは絶対にできない。その確信があった。
「母さんは」
「うん」
「ハクロっていう子、知ってる? ヤソハチハクロって言う名前なんだけど」
その言葉――名前を聞いた瞬間、大雪がその猫目を大きく見開き、両手で自分の顔を覆った。
テーブルに肘をつきながら顔を覆う彼女は、そのまま微動だにしなかった。
「……小雪」
「な、なに、母さん」
「しばらく、その子の詮索をするのは、やめておきなさい」
「なん、で?」
「いいから。わかったわね」
小雪は自分の母親のその姿を不審に思ったが、それが触れてはいけないものだということを本能的に理解した。
小雪は自分の母親を尊敬している。
幼少の頃、事故で父親を亡くしてから女手一つで自分を育ててくれた母親に対し、感謝の念しか湧いてこない。
金銭的にも困ったことはないし、育児放棄をされたこともない。勿論、過剰な躾による押さえつけなどまったくない。
姉妹のように育ってきたが、そこにはきちんとした規範がある。母親の愛情だってしっかりと小雪は受け取っている。
だから、従ったほうがいいと理解した。
自分の母親の表情を、言葉の端々を、小雪は敏感に感じ取る。
「わ、わかったよ」
「……じゃ、この話はここまで。次は、三枝さんへの謝罪のこと、停学のこと、そして明日からのこと、一つ一つ解決していきましょうか」
でも、覚悟はしておいてね。その大雪の言葉で、子規の顔が思い浮かんだ。
明日から、どうなるんだろう。停学か、退学か。
違うな。あたしのことよりも、三枝のことが第一だ。
あたしは彼女のことが許せなかった。
だから怒りに我を忘れて、ひどい傷を負わせてしまった。
だけど、それはやってはいけないことだった。
三枝がどんなに許されざることをやったからって、あたしが彼女を害していい理由にはならない。
ちゃんと、謝らないとな。いくら、芒にあんな――
――ナニイッテルノ? あンなヤツ、死ネバよかッたんだ。
ああ、シキに逢いたいなぁ。
◆
ピン、ポーン。
ドアチャイムが鳴った。
「来たわよ」
先程まで意気消沈していた小雪が顔を跳ね上げ、ガタンっと椅子を蹴飛ばし玄関口へとダッシュをかます。
我が娘ながら、なんて小賢しいんだろう。
小雪の後ろ姿を見ながら、大雪は独りごちる。
今日、小雪がトラブルを起こしたと学校から連絡があった。会社を迷いなく早退し、学校へと急行した。あの小雪が暴行事件を起こしたというのだ。俄には信じられなかった。
若干、そう若干、自分に似て暴力的ではあるが、人様に悪意を持って危害を加えるような教育はしていない。
だから現場でその状況を実際に見るまでは、とてもじゃないが信じることができなかった。
暴行した相手、傷を負わせた相手は、三枝雨水という子らしかった。
知っている。その子の名前は何度も聞いたことがあるし、家にだって何度も遊びに来たことがあったはずだ。
小雪が中学の時の同級生。その時の友人だったはずだ。まさか、地元から離れたこの高校に同じように進学しているとは思わなかった。
その彼女は保健室で簡易的な治療を受けた後、教師の車で最寄りの病院へ直ちに運ばれたようだった。
養護教諭の話を聞いた限りでは、顔面打撲、頚椎捻挫、肋骨骨折、決して軽くはない。むしろ重傷といっていい。
その時点でもまだ信じてはいなかった。そんなひどいことを小雪ができるとは、大雪は思っていなかった。
生徒指導室へ通され、そこで座していた小雪を見た時、
あ、こりゃやったわ。
大雪は天を仰いだ。そう確信したのは、小雪の瞳を見たから。虚のような空洞を見てしまったから。小雪があの目をしている時、それは彼女が反転する時だということを、大雪は誰よりも理解していたから。
その他に、学年主任、生徒指導の教師、担任、そして三枝雨水の両親と思われる大人が小雪と同様、黙したまま座していた。
部屋に足を踏み入れた大雪は、
『ゴッ』
小雪の頬をグーパンチで思い切り殴り、
『ガバッ』
間髪入れず、雨水の両親の前で頭を床に押し付け、土下座をした。
その後、状況確認の話し合いが行われ、処分などについては後日話し合うことが決定し解散となった。
雨水の両親は自分の娘の容態が気になるようで、早く病院に向かいたがっていたようだ。
担任、たしか五十立春先生から「もう、お帰りいただいて結構です。処分についてはこちらから追って連絡致します」との言葉をいただき、なるべく早く詳しい事情を聞きたかった大雪は、教室へと荷物を取りに向かうよう小雪に指示したのだが、そんな何気ない言葉に彼女が逆らった。
その時の小雪の言葉を思い出す。
「鞄とコートは置いていく。きっと、シキが家まで持ってきてくれるから」
こんな時に、何を言ってるんだ、この色ボケバカ娘は。
唖然とする担任を尻目に、そそくさと車に乗り込む小雪の後ろ姿を見ながら、大雪は深く溜息をついた。
「シキっ! 荷物持ってきてくれたんだ、嬉しいー。ささ、上がって上がって、寒かったでしょ」
靴を履いたままの彼の腕を引っ張り、部屋へと連れ込もうとするバカ娘。
さっきまでの落ち込んだ顔が、嘘みたいに花開き始めるバカ娘。
玄関で困ったように笑っている彼は、そんな愛娘の想い人。
あ、こっそりと覗いている私と目があったわね。
はにかんだように笑い、丁寧な会釈をしてくれる、とても礼儀正しい男の子。
爽やかな面持ちなのに、どこか憂いを帯びた瞳が蠱惑的な、とてもチャーミングな男の子。
小雪とずっと一緒にいてくれて、小雪をずっと甘やかしてくれる、とても優しい男の子。
それが、二重子規くんという男の子。
小雪は彼のことが大好きだ。依存しているわけではないと思うけど、どこか執着している。
小雪は彼のことを愛している。偏執病ではないと思うけど、どこか囚われている。
だから、小雪が彼のことをあきらめきれないのは――無理もないことなのかもしれない。
だけどね、小雪――
――子規くんは、ダメ。
あきらめて、小雪。
子規くんは、とても×××男の子なんだから。