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小雪ちゃんは、あきらめない  作者: 平原みどり
第一章 長い一日
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北七小雪 VS. 三枝雨水 5

 頭一つ身長の高い雨水を、小雪が下から覗き込む。

 落ち着きなく黒目を動かす彼女は、動揺、狼狽、パニック、恐慌、そんな言葉をすべて体現したかのように取り乱している。

 にへら、と雨水が泣き笑いのような引き攣った表情で言葉を発する。


「ち、違うよ?」


 小雪が詰め寄っていた彼女からすっと身体を離す。


「そっか。悪いな、三枝。なんか変に勘ぐっちまったな? そうだよなぁ、まさかシキに近づきたいなんて、そんなハズないよなぁ? あたしの親友だったってことは、だ。中学んときは、シキの側にもお前がいたってことなんだろうけどさ。でも、高校生になって半年。今まで何にも接点なく生活していたお前がさ、今更、シキと接触したいなんてことはないよなぁ?」

「で、でも」

「でも、なんだ?」

「わ、わたしと小雪ちゃんは親友、なんだ、し。こ、これからも、小雪ちゃんと」


 言葉を遮るように「あははははは」呵々大笑する。


「やめろよ、笑わせんな。あたしはお前のことを覚えてない。親友だった記憶もない。つい今日の朝、接点を持っただけのただの顔見知りだ」

「これ、からだって、お友達に」

「お友達に? あたしがお前と? これ以上笑わせんな。お断りだよ。お前みたいなやつと付き合えねぇよ。もう一度言ってやる。今後『もう二度と話しかけんじゃねぇぞ、糞が』」


 泣き笑いの顔のまま、雨水はひくっひくっと口の端を痙攣させる。

 「たしかにあたしが一番の壁だもんなぁ」笑い続けている小雪とは反対に、雨水は怒りによるものか羞恥によるものか、顔を紅潮させていた。そして、


「う……」

「う?」

「……うざい」

「はぁ?」

「うざいんだよ! も、もう、オワコンのやつが! 啓にNTRの(ネトラレた)やつが! はぁ!? 記憶がない!? そんなわけないだろ!? つくんなら、もう少しマシな嘘つけよっ!」


 雨水がキレた。


「ぶっ、あははははは。出たなぁ、本性。出しちゃったなぁ?」

「うざい、うざい、うざい、うざいっ! そうだよ? 悪い? 二重くんに近づくの、側にいるの、小雪ちゃんを懐柔するのが一番手っ取り早いんだ、最善だったんだよ! 啓はわたしが彼に近づくことすら嫌がるし、全然使えないしっ!」


 綺麗に整えられたショートボブを掻き毟る。


「ずっと、ずっとわたしのこと見下して……っ! こうやって小奇麗になったわたしのことも『男装少女(イケメン)』雨水様(笑)(かっこわらい)なんて馬鹿にして……っ!」


 いや、それはお前自身が言ったんじゃねぇか、と小雪は内心思ったが、一歩引いて雨水の狂態を眺める。


「振られたくせに! 寝取られたくせに! いつもいつもいつも! 二重くんの傍にいやがって! うざいんだよ! ホントウザいっ!」


 目に涙を溜めながら睨め付け、口角泡を飛ばしながら糾弾する。

 それでも小雪は、さっきと同じこといってるな、罵倒の種類が少ないな、と冷静に雨水の狂態を眺めている。

 そして、その後も同様の罵倒を繰り返し言い続けた雨水は、とうとう「はぁ、はぁ」肩で息をし始めた。


「うざ、いんだ、よっ!」

「そうか。もういいか?」


 爽やかな笑顔で一瞥すると、雨水の背後にあるドアを肩越しに覗き込む。帰りたい、の合図。

 その小雪の何の気なしの様子に、雨水は歯噛みする。親の仇のように睨み続け――そして何かに気が付いたように、はっと目を見張った。


「……っ! そ、そうか。気付いて、たんだ」

「うん?」

「だから、わたしの存在を無視してたんだ。だから、記憶がないなんて嘘ついたんだ。だから、そんなに冷徹だったんだ。ずっと、忘れてなかったんだ」

「ううん?」


 小雪は頭に疑問符を乗せる。


「わたしがむかししたこと、本当は気付いてたんだ。だから、こんなにわたしに辛くあたるんだ。その髪もわたしへの当て付けだったんだ」

「むかし、したこと? 当て付け?」

「な、なにが天使よ。なにも、できなかった、くせに。こうやって鬱憤を晴らすくらいしか、できない、くせに」

「あん?」


 しばらく訝しげに雨水を見つめていた小雪の脳裏に、何かが引っかかった。

 先程から独り言のようにブツブツと呟かれるその謎めいた言葉が、何故か小雪の気に障る。


「で、でも、わたしは悪くない。わたし、悪くないんだから」

「お前、さっきから何言ってんだ?」

「わ、悪いのは白露さん。白露さんが全部やったことなんだ」

「ハクロだ?」


 そして、



「す、(すすき)ちゃんがあんなことになったのは、わたしのせいじゃないっ」



 その言葉が、


「いま、なんて言った?」


 小雪の禁忌を破った。



 突然の窒息感が雨水を襲う。喉元をナニかが強い力で圧迫している。

 その圧迫しているモノ――小雪の両手を必死になって外そうと雨水は藻掻く。

 しかし外れない。小柄な彼女のものとは信じられないほどの力が込められていた。


 やがて、軽く雨水の呼気が戻ってきた。

 襟首を捻り上げた小雪が力を弱めたのだろう。襟首は掴まれたままだったが、ようやく雨水の顔に血の気が戻ってきた。


「な、なにす」

「黙れ。今からあたしがする質問にだけ答えろ」

「……」


 雨水はコクコクと頷く。俯いているからか、雨水からは小雪の顔は見えない。


「お前はいま『芒ちゃん』と言った。間違いないな」

「う、うん」

「それはあたしたちの同級生だった一ノ瀬(いちのせ)(すすき)のことだな」

「う、うん」

「芒を嵌めたのは――お前か」

「ち、違うっ。わたしは、なにも」


 雨水の首元が締まった。「かはっ」呼気が止まる。


「もう一度聞くぞ。芒を、追い詰めたのは、お前、か?」

「わ、わたしは、白露さんに、言った、だけ」

「何を言った」

「芒ちゃんを、標的に、すれば、いいって」

「へぇ」

「そ、それだけ、なのっ。悪気は、なかったっ。白露さんがあそこまでするなんて、思わなかったっ」

「へぇ」


 そこで小雪は襟首から手を外した。背伸びをするように伸び上がっていた雨水が糸の切れたマリオネットのように、ぐしゃっと崩れ落ちる。四つん這いになって、ぜぇぜぇ、と必死に空気を肺に取り込む。そして、ようやく呼気が落ち着いた頃――雨水は自分の目の前に足があるのに気付いた。白く細長い足。もう季節的に寒いにも関わらず素足のそれは、紺のハイソックスに包まれてはいたが、均整の取れたとても美しい肉付きをしていることが分かる。そんな美脚が雨水の目の前から消えた。片足だけ消えた。


『ドスッ』


 屋上に鈍い音が響いた。

 雨水は何が起こったのかまったくわからなかった。理解が追いつかなかった。

 それでも自分が屋上のコンクリートの上で転がっていることだけはわかった。

 やがて――脳が追いついた。脳が自分の状態を認識する。


「あ! あっ! ああああああああああああああああああ!!」


 痛いっ! 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いっ!

 身体が悲鳴をあげた。脳が悲鳴をあげた。

 自分の顔が痛い、自分の顔が熱い、雨水の生まれ変わったその美顔がバラバラに散っていく。

 雨水は顔を抑え、転げ回った。


 足を振りかぶり、雨水の顔面に蹴りを叩き込んだ本人――小雪は、彼女に向かってゆっくりと歩をすすめていく。

 雨水の元へ辿り着き、顔を抑え蹲っている彼女の背中を踏みつけた。悲鳴をあげて逃げる彼女を追い詰め、何回も、何回も蹴りつける。その度に、雨水の肺から「がっ、はっ」息が漏れる。雨水の口から「もう、やめ」悲鳴が漏れる。

 やがて――雨水が倒れ伏し、その動きを止めた。


「お前らっ! 何やってるんだっ!!」


 屋上からの断続的な悲鳴を聞いて、慌てて駆けつけてきたのだろう。

 最寄りの教室の教師が、屋上の扉を乱暴に開け飛び込んできた。



 勘違いしたわたしに悪魔が囁いた。

 二重子規を手に入れるには、邪魔なものを排除すればいいんだって。


 だから勘違いしたわたしも悪魔に囁いた。

 二重子規を手に入れるには、天使を堕天させればいいんだって。


 その悪魔と、鏡に写ったわたしの瞳は同じだった。

 彼を見るその瞳は同じ色をしていた。同じ鈍色だった。


「八十八、白露さん。少しお話があるんですけど」


 深窓令嬢。麗人。姫君。

 そう呼称される、このクラスのもう一人のクイーン・ビー。


 美しい漆黒の髪を輝かせながら、その悪魔が振り向いた。


「わたくしに何かご用かしら、三枝さん」

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