イケメン男・羅乃太郎物語
「羅乃くんっ」
いきなり呼び止められて、俺は振り返った。
そこには学年一の美人……ではなく、割と普通の可愛い女の子が俺を見ている。
「何、倉本さん」
「えっと、これ……あげるっ」
「え?」
渡された物を見て、俺は首を傾げた。
俺の手の中にあるのは一枚の紙切れ。そこには小学五年生にしては中々上手い、女の子のイラストが描かれている。
「何、これ……」
「知らない? 赤ちゃんムーン・チョチョっていうアニメの絵なんだけど」
赤ちゃんムーン・チョチョは、今女子の間で大人気のアニメだ。でも俺は男だし、名前は聞いた事あるけどどんなアニメなのか全く分からない。
そんなアニメの絵を貰っても、正直困惑するだけだ。
「く、くれるの?」
「うん……貰ってくれるかな」
「くれるなら貰うけど……ありがとう」
俺がそう言うと、倉本さんは嬉しそうに走って女子の群れに紛れて行った。
手の中の赤ちゃんムーン・チョチョの絵を見て、やっぱり首を傾げる。
何でこんなのくれたんだ?
女子の行動は意味不明だ。
俺の好きな漫画のキャラを描いてくれてたならまだしも、何のために描いたのか訳が分からない。今日が俺の誕生日という訳でもない。
彼女の名前は倉本芳子。
可愛くはあるけど、至って普通の女子だ。や、まぁこんなのをいきなり渡す辺り、普通と言えないような気もするが。
「何貰ったんだ、ラノ」
後ろからのぞいてきたのは、金髪長身の朱雀サラマンダー。外国人顔だが日本語ペラペラの俺の友人である。
「なんか……倉本さんにイラスト貰った」
「へぇ、ムンチョチョじゃん。結構上手いな」
ムンチョチョって略すのか。それすら知らなかったよ。
「何で俺にくれたんだろ?」
「え? そりゃあ……」
幼い頃、外国で暮らしていたという朱雀は妖しい笑みを浮かべて。
「ラノに気があるからじゃねぇの?」
そう、言った。
その日から俺は倉本の事が気になりだしてしまった。我ながら単純だなぁと思う。
俺が気にして倉本さんを見ると、決まって目が合った。目が合った瞬間、目を慌てて逸らすのも同時だ。
やばい、ドキドキする。
もし目を逸らさずに微笑んでみたらどうなるだろうか。あっちも微笑んでくれるだろうか。
気になる。やってみたい。でも相手の反応が怖くて出来ない。
もうこの時点で俺は恋に落ちてしまっていたのかもしれない。
そうしてやってきたクリスマス。
倉本さんが俺に手紙を渡してくれた。
これって、まさか?
俺の心臓は爆発しそうになりながらもその手紙を開けてみる。
また、イラストが入っていた。御多分に洩れずムンチョチョだ。よっぽど好きなんだな。
けど今回はイラストだけじゃなかった。ちゃんと手紙が入っていたのだ。
「なになに、羅乃太郎くんへ……」
その内容は……残念ながら、告白の手紙ではなかった。
これからも仲良くしてね……そんな感じの手紙。
女の子ってよく分からない。
でもこの手紙は俺の宝物になった。
その後は特に進展もなく、中学に上がってからも何かがある訳ではなかった。
でも気になって気になって気になり過ぎて、ずっと彼女の事が好きだった。
結局高校がばらばらになって、俺の初恋に終止符が打たれるまで。
彼女に貰った手紙と甘酸っぱい気持ちだけを残したまま……。
***
「おっ」
「あっ」
ラブホ街の一角から出てきた男の顔を見て、俺は声を上げた。まぁ俺も女連れで出て来たばかりなんだが。
「ラノ? だよな! 久しぶり!」
「朱雀!! 何だよ、こんなとこで再会かよぉぉおおっ!?」
小学の時の友人の朱雀は中一の時に転校して行って、それからいつの間にか連絡も取らなくなり、音信不通となっていたのだ。
まさかラブホ街で再会するとは思ってもいなかった。
俺たちは連れの女と早々に別れて、俺の家で飲み明かす事にする。
「ビールこれだけで足りるか?」
「上等だよ。朱雀、ちょっとそこ座っててくれよ。なんかツマミになるもの作るから」
俺が台所に立つと、朱雀は座ってろと言ったにも関わらず後ろから覗いてくる。
「ふーん、手際がいいな。一人暮らしが長いからか?」
「うるさいなっ。そうじゃなくって、俺はこれでも料理長なのっ! これくらい、朝飯前だよ」
「へぇ〜、コックさんかぁ!」
コックさんと言われると急にちゃちくなるからやめて欲しいが、朱雀は素直に感心しているようなので何も言わない事にした。
出来上がった料理をテーブルに並べて、俺達はビールを飲み始める。朱雀が俺の作った料理を口にして、驚いたように目を丸めた。
「おお、マジで美味い」
「料理長を舐めないでくんない?!」
本当に意外そうに言う朱雀に、俺は思わず突っ込んだ。朱雀は楽しそうにハハハと笑い、ビールをグビグビと飲み干している。そしてプハッと小気味良い音を出して、絡むように俺に話し掛けてくる。
「これだけ料理が上手いと、女の胃袋もつかみ放題だろ」
「まぁそれ程でもないけどね」
「イケメンで料理上手とくれば、女はほっとかねぇもんなぁ!」
そう、朱雀の言う通り、俺は自他共に認めるイケメン料理長だ。女に誘われた事は数知れず、数多の女をベッドの上で喘がせてきた。
「朱雀だってイケメンだろ。結婚しないのか?」
「特に今は考えてねぇなぁ。決まった女もいねーし。ラノはどうなんだよ?」
「まぁ俺も今のところは良いかな……」
色々な女と遊んできた俺には、ちょっと嫌な思い出もある。しばらく女は体の付き合いだけで十分だ。
朱雀は「ふーん」と適当な返事をしながら、俺の作ったツマミを口に入れている。
「そういや俺、バスケチーム作ってんだけど、お前も入らねーか?」
「え? バスケ? 朱雀、今もバスケットやってるのか?」
俺は小学生までは野球をやっていたけれど、中学の時は朱雀と一緒にバスケ部に入ったんだ。当時流行っていたスラム街のダンクという本の影響で。
朱雀は中一で転校してしまったが、俺は三年間部活を頑張り通した。
「おう、中学ん時から高校も大学でも、ずっとバスケやってるぜ」
「マジか。俺は高校は柔道部だったからな」
「へえ、柔道!! 意外だな。ずっとバスケやってるもんだと思った」
帯をキュッとよ、という漫画の影響で部活を変えたとは言えなかった。俺は曖昧に笑いながらビールを流し込む。
「まあ一回俺のチームの練習を見に来てくれよ」
「バスケットボールなんてもう二十年近く触ってないんだけど?」
「良いんだよ、運動不足解消でやってるようなユルいチームだから」
「でもなぁ。俺の仕事、結構夜遅くまでやってるから」
「いつ休みなんだ?」
「水曜が定休だから、その日だけ」
「じゃあ水曜だけでも来いよ。その日はママさんバレーと体育館半分ずつだけど、運動不足解消にはなる」
バスケットかぁ、と俺は天井を見上げた。そう言われると無性にやりたくなってきたが、まともに出来るかな。ゴールの感覚を忘れて久しいんだけど。
そう考える俺に、朱雀が妖しい目を流してくる。
「ところでさ。ラノ、倉本って覚えてるか?」
「……えっ、倉本さん?」
俺の鼓動が一瞬にして高鳴った。思春期なんか遠に過ぎているというのに、倉本さん名前を聞くと俺の心はピュアッピュアに戻ってしまう。
「そう、お前にムンチョチョの絵を送ってた、あの倉本。忘れちまったか?」
「忘れるわけないだろ、ちゃんと覚えてるよ」
「来てるぜ、倉本。彼女ママさんバレーチームに入ってて、顔を合わせるんだ」
「……マジで?」
朱雀の目が更に妖しく光る。
「水曜、来いよ」
くそ、絶対断らないと思ってんな。まぁ断らないけどねぇっ!?
斯くして俺は、朱雀に釣られる形で水曜のバスケットボールの練習に行く事になったのだった。
***
ダムダムダムダム……
うわぁ、ドリブルの音が懐かしい。
そして庶民シュートを外す俺。だっせぇっ!!
俺は庶民シュートを外した直後、ママさんバレーの方を見た。倉本さんが俺のだっさい姿を見てたら恥ずかしい。
……ってか、倉本さんどれだ?
「どうだ、カン取り戻してきたか?」
「ぜんっぜん! 全く体動いてくれないしぃい!」
「やってりゃ思い出すって!」
そう言って朱雀は軽々とダンクをかました。タッパある奴は良いよね……
ってかこのチーム皆うまいよ!!
俺だけ中学生レベルなんですけどぉぉおおおお!?
どこが運動不足解消なんだっての!!
くそ、俺だって!
俺はパスを貰ったボールをダムダムとドリブルしながら……
喰らえ、庶民シューッ!!
よし、今度は入った。参ったかこの野郎。試合してるわけじゃないけど。
「ナイッシュー!」
不意に聞こえる女の声。
あれ? このチームに女は居なかったはずだ。
驚いて思わずママさんバレー方を見ると、一人の女性が少し恥ずかしそうに俺を見て笑っていた。
誰あれ、めっちゃ綺麗。
え、まさか……倉本さん!?
「よう、倉本! そっち頑張ってんな」
「朱雀くんも」
「そっち休憩か? よし、こっちも休憩にしようぜー」
朱雀の一言で、バスケチームも休憩となった。俺はスポーツドリンクを出すのも忘れて、倉本さんと朱雀の居る方へと駆け寄る。
緑色のネットを挟んで向こう側に立って居る倉本さん。
ぜんっぜん面影ないし?! 女ってすごい、めちゃくちゃ化ける。あ、でも笑った感じが倉本さんだ。
俺の事、覚えてくれてるかな……
「倉本、こいつ覚えてる? 同級生のラノ」
「うん、覚えてるよ。私、羅乃くんに下手くそな絵を送っちゃったんだよね。恥かしい。羅乃くんは覚えてくれてくれてるか分からないけど……」
「覚えてる! 覚えてるよ、めっちゃ大切に持ってる!!」
思わず大声で力説してしまって、体育館中の注目を集めてしまった。倉本さんも恥ずかしそうに少し俯いている。
そりゃあ恥ずかしいですよねぇぇえ?! ごめんなさいぃぃぃいいっ
しばらくの沈黙があり、また体育館内がガヤガヤし始めた所で倉本さんが口を開く。
「ありがとう、まだ持っててくれてるんだ」
今でも持ってるとか、気持ち悪かったですかねぇぇええ?!
俺は顔面蒼白になりながらシュパシュパとタキタキオヤジのように両手を動かす。
「いやいやいやいや、あれなら返すよっ!? いつまでも持ってても、困るよねぇ!?」
「えっ? じゃあ……」
そして彼女が発した次の言葉は。
「今度、返してくれる?」
だった。
──まじかぁ……。
自分から提案した事だけど、めちゃくちゃ後悔した。馬鹿だ、俺は。
まぁいつまでも大切にされてたら気持ち悪いよね。仕方ないか……
「分かった、次の水曜日に持ってくるよ」
「ううん、明日お店に取りに行くから、その時にでも」
「え? 店?」
俺が瞠目して聞き返すと、倉本さんは彼女らしくニッコリと笑った。
「羅乃くん、駅前の通りのお店で働いてるよね?」
「え、なんで知って……」
「私、よくあそこのお店利用するんだ。知らなかった?」
「ええええええ〜!?」
知らなかった。ぜんっぜん知らなかった。
俺はほとんどホールに出ないから当然だけど。
「一回羅乃くんらしき人を見つけて、気になっちゃって」
「よく俺だって分かったね」
「だって羅乃くん、あんまり変わってないから」
えー? 俺も成長したと思うんだけどなぁ〜。
ま、女性と比べればそんなに変わってない部類か。倉本さんは美人になったもんなぁ。
「じゃあ明日、仕事終わってから食べに行くね」
「ありがとう。じゃあその時に返すよ」
なんか嬉しいんだか切ないんだか、分かんない約束の取り付けだなぁ。
倉本さん、結婚してんのかな。指輪は見当たらないけど、スポーツする時は外してるだけかもしれない。独身だったら……良いな。
そんな風に思っていると、一人の小さな女の子が倉本さんの手を引っ張り始めた。
「ママ! もう休憩終わりだってー!」
「え、本当?」
俺の頭は金だらいが落ちたかのようにグワンと鳴る。
うわー、一気に希望が砕けた音だ。まぁ絵を返してと言われた時点で、期待はしていなかったさ……ちくしょー。
「山田さーん! 練習試合始めるわよー!」
「あ、はーい!」
倉本さんは山田さんと呼ばれて返事をしている。ああ、もう確定的だ。
ピュアピュアな俺よ、さようなら……。
「あ、えっと……」
「ママ、早くっ」
「ま、また明日! 羅乃くん!」
俺は「うん」と力無く答え、何か泣きそうになった。
そんな俺の頭を軽々しく朱雀がぐしゃぐしゃと撫で回す。
「何だよ、朱雀……っ」
「よしっ、休憩終わり!! コート半面だから、今日はスリーオンスリーで試合するぞっ!」
「俺、まだぜんっぜんカン取り戻してないんですけどぉぉおおおお!?」
俺の絶叫を聞いて、倉本さんが笑っている気がした。
***
翌日。
倉本さんは来なかった。
マジか。
閉店準備をしていると、溜め息が漏れる。
なんだよなんだよ、こんなミジメな気持ちになるの久々だよっ!
……まぁ結婚してて子供もいるんだから、中々仕事終わってからは来られないんだろう。旦那さんにでも反対されたのかな?
別に何を期待するわけでもないけど、約束くらいは守って欲しかったよな。ってか来れないならメールの一本くらい入れてくれても良いんじゃないか?
「って俺、倉本さんのメアド聞いてないしぃぃぃいいいいっ!?」
「ごめんなさいっ!!」
俺の絶叫の直後、後ろから声が聞こえた。
「く、倉本さんんーーッ」
「遅くなって、ごめんなさいっ! 仕事が長引いちゃって……このお店に電話する暇もなくって……」
倉本さんは走ってここまで来たのか、息を切らしながら申し訳なさそうに話してくれる。
そうだよな。そんな礼儀知らずな子じゃないよな。俺の初恋の相手だもん。
「大丈夫だよ、こうやって会えたし」
俺は閉めかけていたシャッターを完全におろし、鍵をかける。そして約束の物を取り出して、倉本さんに渡した。
「これ、返すよ」
「あ、うん、ごめんね。こんな下手くそな絵をあげちゃって」
「いや、あの時はびっくりしたけど、嬉しかったよ。良い思い出だった」
この絵が自分の手から離れて行く物寂しさ。きっと倉本さんには分からないだろうなぁ。
ムンチョチョの絵を懐かしそうに恥ずかしそうに見た後、今度は倉本さんが別の紙を取り出した。
「あのね、これ代わりと言っては何だけど、今の私が描いたイラスト。貰ってくれる?」
「え?」
ムンチョチョの代わりに得たイラストは、やっぱりムンチョチョだった。でも小学生の時の彼女の絵とは段違いだ。その時も年の割に上手かったが、この絵は神がかって上手い。原作者の絵を優に超えている。でもこのイラスト、どっかで見たことあるような……?
「うわ、すごいっ!! めちゃくちゃ上手いっ! プロみたいだよ!?」
「ありがとう。素人なんだけどね、いつかは絵で食べていけたらなぁ。羅乃くんはすごいね。料理長だなんて」
尊敬の眼差しを向けられ、俺はむず痒かった。何かが起こるという訳でもないというのに。
「ありがとう。じゃあ今度はこれを大事にするよ」
「本当!? うれしいっ」
ちょっと何、そのキラキラお目目。超可愛いんだけど。ヤメテ、惚れちゃうから。
「えーと、じゃあ駅まで送るよ。もう遅いし」
そう言うと倉本さんは『え?』という顔をした。ん? 俺の方が『え?』なんだけど。用は済んだんだから、帰るんだよね?
「あ、そっか」
何が『そっか』なのか、倉本さんは勝手に納得している。あ、いや、山田さんだけど。
「何?」
「夜遅くに出掛けるなんて無理だよね。奥さん、家で待ってるんでしょ?」
倉本さんは流れる髪を耳にかけながら、伏し目がちにそう言った。
何だよこの可愛い生き物!? 色んな女を相手にして来たけど、こんなに可愛いと思った人はいなかった!
何でだろう、初恋の人だから? 倉本さんの一挙手一投足が愛しくて仕方ない。
けど残念ながら、人のもんなんだよなぁ。流石に不倫とかで揉めるのはごめんだ。
「俺は独身だから構わないけど、そっちが駄目だよね? 子供も旦那さんもいるみたいだし」
「そ、それ、誤解……っ」
「……え?」
誤解? 何が? 何も勘違いしてないはずだけど。
今度は倉本さんがタキタキオヤジのように手を何本も見せて否定している。
「いたよね? 小さい女の子」
「あ、あの子は違うの……っ。友達の子供で、私の事を慕ってママって呼んでくれてるだけ! 本当の母親にはお母さんって呼んでるよ。あれはただのあだ名みたいなもの」
「でも、苗字が倉本じゃなくて山田って……」
「私、高校の時に親が再婚したの。それで苗字が変わっちゃって、私が結婚したわけじゃないよ」
親の再婚? そうか、全然考えつかなかった。という事は、倉本さんは……
俺と同じ独身ですかぁぁああああ!?
「今からどっか食べに行かない!?」
変わり身早いな、俺。
けれど倉本さんは嬉しそうに頷いてくれた。
***
俺たちはとある料理屋で舌鼓を打っている。
なんか胸がいっぱいで、あんまり入っていかないんだけど。
まさか倉本さんが独身とはなぁ。絵を返してって言われた時は悲しかったけど、もしかして会う約束を取り付けるためだったと考えたら……やっぱり彼女は俺の事、好きなのかも?
ちょっと遠回しに探ってみるか?
「ねぇ、倉本さん」
「ん?」
「ムンチョチョの絵をくれた時、俺の事好きだったの?」
「っえ!?」
ぬわーーーーッッッツ!! どこが遠回しだッ!!
俺、めっちゃ直接的〜〜〜〜〜〜ッツ!?
で、でもまぁ聞きたい事ナンバーワンだ。もう過去の事だし、教えてくれるかもしれない。
倉本さんは恥ずかしそうに顔を伏せた後、目だけを俺に向けて答えてくれる。
何その上目遣い、可愛すぎるんですけどぉぉおおおお?!
「い、今だから言っちゃうけどね……あの頃の私……」
「う、うん」
ごくんと湧いてくる唾液を嚥下する。ああ、きっとこの後に続く言葉は……
「朱雀くんが好きだったの」
朱雀の方かよぉぉぉおおおッッ
「って言うのは冗談で」
倉本さんも冗談なんか言うんですねぇぇええええ!?
心臓に悪いからやめてくんない?!!
「私、羅乃くんの事が気になってたのは、確かかな」
何その微妙な返事。結局俺の事好きなの好きじゃないの、どっち!!
「ふ、ふーん」
気取ってふーんとか言ってんじゃないよ俺!! 踏み込めって!!
「……」
「……」
あ、駄目だ、間を置いてしまった。もう聞けない乙女な俺。
しばらく料理をつついていると、今度は倉本さんが遠慮がちに口を開いた。
「あの絵を渡された時、羅乃くんはどう思った……?」
「え? うん、ちょっと困惑したかな……いきなり何の脈絡もなく、しかも見たこともないアニメのイラストだったから」
「うわぁ、そうだよね、恥ずかしい……っ! もうあれ、私の黒歴史だよぉっ! 忘れてぇ!」
体をくねらせて身悶えする倉本さん。
俺の右の鼻からツツーと鼻血が垂れ落ちる。
よし、この女、今夜抱こう。
「えっ、羅乃くん鼻血が!? ティッシュティッシュ!」
倉本さんは素早くポケットティッシュを取り出し、俺の右の鼻を詰めてくれた。すると左の穴からも鼻血が出てきて、そちらも詰められてしまう。
くそう、これじゃあイケメンが台無しだぁあ!!
「だ、大丈夫? どうしていきなり鼻血なんて……」
「黒歴史だなんて言うなよ! 俺、あの時から倉本さんの事、好きになり始めてたんだから!」
両鼻にティッシュ詰めたまま、何告白してるんだ俺はぁああ!!
「え……ほ、本当に……?」
「本当! だから黒歴史だなんて言わないでよ。俺にとってはすっごく良い思い出なんだから」
「そ、そうだったんだ……嬉しい……っ」
あ、ヤヴァイ。主に下半身のヤる気がヤヴァイ。んもうラブホに連れ込む事しか考えられない。
「もし良かったら、昔にくれたムンチョチョのイラスト、また俺が持ってても良いかな? 返してって言われた時、実はちょっとショックだったんだ」
「え、そうなの? そっか……うん、良いよ。そう言ってくれるの、本当はちょっと期待してた」
はにかみながら昔描いたイラストを出してくれる。俺はそれを受け取り、さっきもらったムンチョチョの絵と見比べた。
「上手くなったよね、倉本さん。どっかにイラスト投稿してるの?」
「あ、うん、あのね。『小説家になろまい』っていうサイトにFA……あ、ファンアートね。それを送ってたりする」
「え?『小説家になろまい』に??」
「うん」
「それ、俺も利用してるよ。どの作品にファンアート送ったか教えて。今度検索してみる」
なんたる奇遇。社会人になってから小説を書き始めたが、まさか倉本さんも同じサイトを利用してただなんて。
「えっとね、最近だと『陽炎ライフ』っていう作品にファンアート送ったよ」
「……『陽炎ライフ』? もしかして、『夏・祭り企画』作品の?」
「そうそう。確か、メイビートゥモローさんって方が主催だったかな」
それ、俺が書いた小説ですけどーーッ!!
いや、確かにFA貰った!
俺、あれが初のFAで、かなり浮かれた記憶がある。そうか、どこかで見たことあると思ったら、あのFAのタッチと同じだったんだ!
まさかあれを描いてくれたのが倉本さんとか、偶然って凄すぎない!?
「そ、それ、俺だよ!」
「え?」
「その『陽炎ライフ』書いたの、俺なんだ!」
「本当に?! 作者名が『らの』だったから、もしかしてとは思ったけど……まさか、本当に……」
「あのイラスト、最高だったよ! 本当にありがとう!!」
思わず手を取ると、頬を染めて微笑む倉本さん。
待て俺の下半身。しばしの間、『待て』だぞ!
その後は小説やイラストや昔の話で盛り上がり、店の閉店時間までいた後ようやく外に出た。
「今日はありがとう、羅乃くん」
む、当然の事ながら、倉本さんはお帰りモードだな。
数多の女を落としてきた、俺の手管を披露する時だッ
「く、倉本さん、あのさ、この後、え〜っともし用事がなければ……ごにょごにょ」
って俺、何シドロモドロ君になっちゃってんのぉぉおおおお!?
どうやって今まで女を誑かしてたんだっけぇぇえ??
「用事は特にないけど……帰って寝るだけだし」
「じゃあ俺と一緒に寝ない?」
何言っちゃってんですか俺ェェエエエ!!
下半身が物を言ってくれちゃってるよコレ!!
「え……ええっ??」
ほら、倉本さんドン引きしちゃってるし!!
どう収拾つけるんだよ、下半身さんよぉ?!
「俺には時間がないんだ!! ラブホ行こうよ、ラブホーー!!」
下半身の駄々こねが始まったーーーー!!
こんな文句で釣れる女なんかいないだろ!! 時間ないって何ですか!!
「時間……ないんだ?」
あれ? なんか倉本さんの雰囲気が……
「確かカゲロウって、成虫になってから三時間から一日しか生きられないんだったよね」
「……うん」
俺の書いた『陽炎ライフ』を思い出すように倉本さんはそう呟く。
なになに、どういう意味だ?
「私も時間がないの」
「え?! なんか病気??」
「そうじゃなくて……」
倉本さんは少し恥ずかしそうに……でも意を決した感じで俺の目を見た。
「子孫を残せる期間が、残り多くはないって事」
倉本さんの発言に、俺は一瞬息を詰まらせる。
ああ、そうだ。倉本さんは俺と同い年だ。確か三十五歳過ぎれば高齢出産になるんだっけ?
世の中には五十を過ぎて出産した人もいるみたいだけど、そんなのは稀だろう。
女性には確かに出産の期限があるんだ。そう考えると時間がないと表現出来るかもしれない。
「よし、俺たちには時間がないんだ! 急ごう!! いざ、ラブホへ!!」
「うん!!」
わー、倉本さんはチョロインですかぁぁああああ!?
でも利害は一致しているので、そこは突っ込まない!!
突っ込むのはラブホ行ってから!!
その日の俺たちは、成虫となったカゲロウばりに励んだのだった。
***
「昨日はありがとう。じゃあね、羅乃くん」
どこか満足げな彼女。朝日が眩しいなぁ。
ラブホから出勤か。まぁたまにはこんな日があってもいいかも。
同じく出社するという彼女を見送ってから気付く。
「携帯の番号、聞いてませんけどぉぉおおおお!?」
俺の未来は、多分明るい。




