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8.私、狙われているんです。誰かに

 薄暗く灯のともるその一室、細部までデザインの施されたテーブルに椅子が二つ。一つは僕が座る分、もう一つは相手が腰掛けるためのものだ。勿論僕がこんな洒落たセットを用意したわけじゃない。


「今夜あなたは探偵さんよ、それで私は駆け込みの依頼人」


 楽しそうに意識の言葉を投げかけてくる相手はすっかりドレスアップしており、縦のラインが際立つ真紅のベストにふわりと広がる白のスカート。相手はその姿を見せつけるかのように僕の前で一周回ってみせる。服から覗くのは黒い人影なのだが、この暗がりでは雰囲気の演出に一役買っているほど。


「オーガンジーのレイヤードスカートよ、可愛いでしょ」

「僕はファッションには疎いから、名前を出されてもよくわからないかな……」


 名前なんていいの、と椅子に腰かける相手――恐らくは今宵の相手は女性だろうと判断したので、以後彼女としよう――は膝の上でその手を重ね、僕を見やる。どうやら僕の服まで設定をしてくれたようで、立派な衣装に身を包んだ自分がいた。


「ディアストーカーに、インバネスコート。素敵、良く似合ってるわ!」


 似合うも何も、黒の人影には現実の体型の一切が反映されることはないので、とりわけ「僕」が似合っているというわけではない。誰が着ても一緒、というのが事実であり、このチャット空間というのは得てして無個性な空間なのである。

 それにしても、と僕は心の内で苦笑する。虫眼鏡にパイプでもあれば、僕でも事件の一つや二つ、解決できそうな気もするものを。僕がこの度持ち込んだものと言えば、ペンとノート。やはり一番現実的で信頼のおけるものだ。こんな状況下に迷い込めると知っていたなら、お気に入りの万年筆でも持ってきたんだけれど……と頭の片隅でそんなことを思いながら、僕はペンを片手にノートを捲る。


「それじゃあワトソン君、始めようか」

「違うわ、私は依頼人よ」

「……言ってみたかったんだ」

「やり直しね」


 このチャット空間ではろくにまともな人間には出会わないし、もしかしたら自分自身もその「まともでない人間」の一人なのかもしれないのだが、彼女の奇抜さは僕にとってどこか心地よかった。これは下心からなどではない、正直かつ明白な気持ちだ。幼馴染の女友達に誓ったっていい。


「それじゃあ仕切り直しだ。……それで? ご依頼は何ですか」

「それが……」

「それが?」

「私、狙われているんです。誰かに」

「成る程ね。そういうベタな展開は嫌いじゃない」

「……変な感想いれないでもっと心配してよ」


 人影に表情などというものはないのだが、口調から彼女はそこまで怒っているわけでもないのはわかる。だが、こうしていては依頼を聞くだけでチャットが終わってしまいそうなのでその後は彼女のシナリオ通りに話を進めていった。彼女扮する依頼人の言うことにはこうだ。ここ最近夢の中で自分が何者かに殺されそうになる夢を見るのだと。殺される前に彼女が反撃してしまうので、実際に夢で殺されることはないということだった。その殺人鬼の容貌というのはまるで見えず、ただ若い男であるということだけが確かな事実のようなのだ。夢と言えどあまりに現実味を帯びた恐怖の感触が忘れられず、この度わざわざ僕扮する探偵――この際調子に乗って名探偵ということにしておいてもいい――に依頼を持ち込んできたわけなのだ。

 まさかこの「夢を見るようにできる」チャットで「夢分析」をさせられることになろうとは、予想だにせぬ展開である。僕は幼少の頃に父親の葬式の夢を見て一度その手の夢の意味するところについて調べたことがある。家族の死は自分が家族から自立することを表しており、逆に自分が死ぬ夢であれば、自分からの自立、つまり自分自身に変化が訪れるということだ。僕は勿体ぶって一つ咳払いの動作でもって、相手に問う。


「夢の中で君は殺されなかったわけだよな?」

「夢だとわかっていても怖いのよ! 刃物を身体に押し当てられる感覚、今でも思い出せてしまう。最初はああ殺されるんだって思って受け入れようとするんだけど、やっぱり怖くなって反撃してしまうの」

「じゃあ今この部屋にも君を殺そうとした男がいるかもしれないんだね?」


 彼女が体を強張らせるのが遠目からでもわかった。動揺のせいだろう、彼女は何度も部屋中を見渡した後で僕の隣へと椅子ごと身体を寄せてきた。


「いないはずよ、だって私……やっと殺したんだから、あいつを。でも……」

「でも?」

「私、あいつを刺し返したのよ。刺されそうになったから、正当防衛! でも……刺すとあいつは紙くずになって、身体という身体を刺したわけではないみたいなの」

「紙くずか……」

「あなたはどう思う? やっぱり私、怖いわ……って、何するのよ!?」


 僕は咄嗟にランプの光を消した。唯一の光が途絶えた今、部屋は漆黒に包まれる。


「その男が現れるとすれば、きっと僕たちと同じように黒い人影の姿だろうと思ってね」

「暗いのは嫌よ! 早く元に戻して!」


 大丈夫だ、と僕は彼女を抱き寄せる。これが生身の女の子だったなら勿論こんなことはできないし、自分の顔も名前も知られていないからこそできたことなのだが、闇と人影の区別はつかず、物質的な身体を感じさせるものは何もない。かろうじてある触感といえば、彼女の衣服程度である。


「暗闇に慣れるんだ。そうすれば見えてくるものがある」

「やめて、離してよ! 嫌よ、怖い! いるかもしれない、あの男が!」

「男は君を変えるために存在するんだ。君は殺されるのを、変化するのを怖がっている! 心当たりがあるんじゃないのか!」

「……っ! 怖いの! 助けて!」


 ◇


 電源の切れた携帯画面をやる気なく見つめながら、幼馴染の女友達が僕に促す。


「で? 名探偵ごっこは上手くいったわけ?」

「そんな、あからさまにつまらなそうな顔をするなよ。結局あのあとは強制ログアウト。彼女が恐怖に耐えられなかったんだろ」

「その殺人鬼って、結局見えたの?」

「さぁ……灯りを消してしまったからどうだろう。見えたとしても彼女にしか見えないんじゃないか? あるべき光も、立ち向かうべきトラウマも。僕はその対象を共有しているわけではないから、きっと彼女が僕より先にログアウトしなくても、僕には何も見えなかったと思う」

「それにしても、よくもまぁ部屋を真っ暗にしたわよね。暗所恐怖症だったらどうするつもりよ」

「よく言うだろ、目先の光に囚われずに闇の中にある真実の光を見ろって」


 そんなの初めて聞いたわ、と幼馴染は徐に立ち上がり、しばらく何かを思案した後で僕のパソコンの前の席を占領した。止めても無駄なのは目に見えているので、僕も野放しにすることを決め込む。僕に比べればゆっくりとした手つきで文章を打ち終えた幼馴染が此方を振り返って不思議な笑みを浮かべる。


「殺人鬼がいる、恐怖の対象がある。その言葉そのものはどんな人間も共有できるのに、それがどんな形をして、どんな風に語りかけて、どんな殺し方をしてくるのか……そういうものはこれっぽっちもわからないんだよね、外部の人間にはさ。私たちって、あの空間で一体何を共有してるんだろ」

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