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7.ここで私と、ずっと一緒に夢を見ましょうよ

 次第に近づいてくる足音の方を振り向けば、艶のある黒髪を肩のところで端正に切り揃えた少女の微笑があった。そう、そのときに違和感に気付くべきだったのだ。


「やっぱり会いにきてくれた。私、ずうっと待っていたのよ」


 勿論心当たりなどない私には、返す言葉も見つからない。流行のなりきりというものかもしれないと、曖昧な返事でその場を濁す。


「ねぇ、ここったら退屈で退屈で仕方がないのよ。でも司が遊びに来てくれるでしょ、私はそれだけを楽しみに生きているわ」


 あまりにも光の差込が強く、彼女の表情はまるで見えない。その嬉しそうな声音だけが人気のない床に響き渡る。


「ここはどこか、ですって? あらやだ、忘れたの? サナトリウムよ。何度言っても覚えてくれないんだから」


 つまり、と私は思う。少女は療養中の身であり、司という名の少年、あるいは少女が彼女へ会いに度々訪れるというわけだ。少女が私の方へと駆け寄り、言葉を続ける。


「それで……答えは出た? 私、ずっとずっと待ってたのよ」

「えっと……何の話だったっけ」

「またそうやってとぼける気ね? だから……私と、その……」

「うん……?」

「ずっと一緒にいてくれるかどうかって話だわ。もう、言わせないでよ」


 ああ、と私は応じる。そんな話もあったっけ、いやいや忘れていたわけじゃないんだよ……なんて。血色の良い彼女の頬の色からは、むしろ健康な肉体の匂いすら感じる。陽はどこまでも高くなり、眩しさときたらとどまるところを知らない。


「ねぇ、いい加減約束してよ。不安で仕方がないのよ……司はいつになったら答えを出してくれるの?」

「それは……」

「それは?」

「こうやって会いに来るだけじゃダメなのかな」


 このチャット空間だが、一度話したことのある人間と再び会話をするという可能性は極めて低いもののように思う。第一、もし同じ人間と話していたとしても、それには気付かないというのが落ちだろう。何せこの空間で共有するのは心的対象、ログの残らないチャットなのだから。


「私はずっと一緒がいいの! 朝も夜も、明日も明後日もずっと!」


 でも私には……と言いかけ、少女の穏やかでない表情を見る。私は慌てて僕、と言い直し、内心苦笑である。やはり「司」というのは男の名であったらしい。容姿が認識できなければ、性別など一人称でいくらでも印象が変わる。少しくらい役になりきることも私は苦ではない。


「いや、僕にもやるべきことがあってさ……」

「やるべきことって何よ?」

「え? えーと……食べたり寝たり?」

「寝るのはここでいいじゃない。ここで私と、ずっと一緒に夢を見ましょうよ。二人でいたらとても楽しいでしょう? お腹なんて空かないわよ」


 とんだ論理だと思いながら、そういえば……と私は思い出した。何をするにもやりこむ人間というのはいるもので、この夢を見るようにできるチャットでもまた、廃人と呼ばれるユーザーのことが話題になっていた。彼らにとっては睡眠とはすなわち、チャットしていることを指すとか。私のようなたまに使う程度の人間の認識としては、一応目が覚めているのと同様の緊張感で臨んでいる。映画やドラマを見ているような、そんな感覚だ。


「それじゃあ逆に聞くけどさ、君だっていつかはログアウトするわけだろ。それなら永遠に一緒なんて叶いっこない」

「ログアウト?」

「意識を切ることだよ」

「そんなことできないわ」

「何言ってるんだ、ログインしたらログアウトもできるだろ?」

「意識を切るって死ぬということ?」

「そういうことではなくて……」


 わけのわからないこと言わないでよ、と少女は目を伏せる。そうして、外へ出ましょうよと私に手を引き、ね?と上目遣いでこちらを見やる。正直 女の私でも可愛いと思うし、男性ユーザーであれば気持ちを込めて約束をつけるような輩もいていいほどだ。

 彼女に誘われて外へ出たなら、夥しいほどの緑が私たちを出迎えていた。心なしか空気も澄み渡っているかのように思える。チャット上級者であればより現実に近い感覚を得ることができるようになると聞くが、このような感覚を研ぎ澄ましていけば、私もその境地に至ることができるのだろうか。


「私はこの場所以外の何もかもを忘れてしまった。この場所には何もないわ。誰もいない。司しかいない」

「現実の世界はいろんな人間がいるよ。僕が見守ってるからさ、先にログアウトしてみたらどう?」

「さっきからログインとかログアウトって何なの? 現実の世界? ここが現実じゃなくて何なの?」

「……」


 役になりきっているにしては、えらく露骨な表情を見せると思った。私は思わず言葉に詰まる。


「ここは、意識空間だから。ここでの一切の出来事は思い込みに過ぎなくて……だからほら、チャットが終わったらここのことは曖昧な記憶でしか残らないだろ?」

「チャット?」

「えっと、チャットっていうのは……」

「それは知ってるわ。私たち、ただ話をしているだけじゃない。それを司はチャットというの?」

「それは……そうなんだけど……」

「それで、どう? 私と一緒にいてくれる気になった? ずっとよ、ずうっと」


 だめなんだ、と私は弁明する。ここはいわば仮想空間で、それに飲まれるわけにはいかないこと。現実の肉体が置いてけぼりになってしまうこと。私にはこの世界を体感することができないこと。


「別にいいのよ、体感なんてできなくていいわ。私はこの空間しか知らないの。だから司も共有してよ……私と一緒にいてくれるでしょう?」


 少女の声を聞けば聞くほどに、私はログアウトをしようという意識が働かなくなっていた。頭の中で響く言葉。チャット上級者になれば、より現実に近い感覚を得ることができる……つまり、この空間を現実と思い込むことも可能なのだ。現実世界を夢と捉える、少女の言い分も筋が通らないわけではないと、そう思えた。

 風の通り道は私のすぐそばにあったようで、すっと横を抜ける風を目で追う。不規則に揺れる草の葉は永遠にそのリズムを刻むのだろうか。頭上の空は永久の真昼なのだろうか。私は彼女とずっと一緒に――。


 ◇


「おい! 起きろ!」


 あまりの重さに開けるのも億劫な瞼を開ければ、幼馴染の真剣な眼差し。


「……何? 小説のデータなら私は何もいじってないからね……」

「そうじゃなくて!」

「……?」


 短く深い溜息をついて幼馴染が頭を抱える。これは何とも滑稽な、と悠長に考えていれば、彼により衝撃の事実を突きつけられた。


「いいか、僕は何度も起こしたんだぞ。それなのにお前ときたら死んだみたいに寝続けて……。一日中ログインし続けるなんて、あんまりだ。このままずっと目が覚めなかったらと思うと心配でだな……って、おい聞いてるのか!?」


 成る程、と私は一人納得した。少女とずっと一緒にいるというのはそういうことだったのかと。


「可愛い女の子だったんだよ、黒髪の。彼女はサナトリウムにいて――」

「黒髪の女の子?」

「そう、色白で、それがまた笑顔が良くって」

「……黒い人影じゃなかったのか?」


 幼馴染に指摘され、ようやく私はことの異常さに気がついた。何故私は彼女の容姿をありのままに捉えることができたのか。


「……そいつ、人間じゃないかもしれないな」

「えっ、どういうこと?」

「一部で噂があるんだよ。人ならざるものとの意識の会話……。まぁ、とにかく。お前が無事に目を覚ましてくれて助かったよ。今度から気をつけろよな」


 普段の言動からは到底想像できないような、甲斐甲斐しい幼馴染の姿を前に、私は目前の現実をも夢のように感じたのだった。

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