嘘つきの怪
有名な片割れの陰に隠れたその怪異は、嘘つきを許さない。
学校では様々な怪談が語られる。それは各地域ごとに多少の違いがあり、ある地域にしか存在しないものがあったりするのだ。
有名な話は様々なバリエーションがあり、大元は同じでも地域によっては名前が違ったりすることもある。しかし、どこででも同じように語られる怪談がいくつか存在する。
皆さんはテケテケという妖怪をご存知だろうか。どの地域でも共通して言われるテケテケの特徴は、下半身が欠如しているという点だろう。
無くした下半身を求めて人間を襲うテケテケを題材にした映画や小説は多々存在する。
しかし、テケテケの下半身についての話を聞いたことがある人は少ないと思う。
下半身だけの妖怪を「トコトコ」と呼んだりするらしい。名前だけが少し知られているだけで詳しい人はほとんどいないだろう。
僕はその、誰も知らないであろうトコトコに出会してしまったことがある。それは僕が小学校六年生の時だった。
僕が通っていたのは、都市部から少し離れた位置にある小さな小学校だった。
僕のクラスは六年一組。このクラスには一人、問題児がいた。そいつの名前は西田コウタ。
彼はいじめをしたり授業中に騒いだりすることはなかったが、よく嘘をつく生徒だった。小さい嘘を何度もついて、先生やクラスメイトをよく困らせていた。
今日、僕は日直だった。早めに登校して花瓶の水を替えたり黒板を掃除したりする。
日直は放課後もすることが幾つかあって、完全下校時刻ギリギリまでかかるから憂鬱だった。時期が冬ということもあり、花瓶の水換えが夏場以上に苦痛なのだ。
下校前のホームルームが終わり、どんどん生徒が帰っていく。そんな中、僕は席に座って日誌を書いていた。そこへコウタが口元を緩めながら寄ってきた。
僕は「あぁ、嘘をつきに来たんだな」と呆れる。
コウタは僕の前に座り、一人で話し始めた。
「なぁ、テケテケって知ってるよな? あの上半身だけの妖怪」
僕は無視をするのは嫌だったから、話を聞き流しながら適当に頷く。
「テケテケの下半身が、この学校にいるらしいぜ」
バカなこと言いやがって。僕はそう思いながら「ふーん」と生返事する。
「すごい勢いで駆け寄ってきて、上半身を奪いに来るんだってさ。走るのが早いから、見つかったら確実に追いつかれる」
コウタが得意げにニヤける。
「けどひとつだけ助かる方法があるんだぜ。特別に教えてやるよ」
どうせ嘘だから知る必要はない。そう思ってはいたが、少し気になって僕は耳を傾けた。
「上半身は線路の上にありますって三回叫ぶんだ。ちゃんと聞こえるように三回叫ぶんだぜ」
そう言うとコウタは立ち上がってランドセルを背負う。
「お前、今日は日直で遅くなるんだろ? せいぜい気をつけるんだな」
コウタは教室を去った。僕は何も言わず日誌を書き続けた。
僕が日直の仕事を終えた時には、もう日が落ちて真っ暗だった。僕は小走りで職員室へ向かう。
廊下は電気がついてはいるものの、数個の電気がおばけ電気になっていた。冷たい空気が立ち込める廊下を僕は黙って進む。
そんな時、コウタが話していたことが頭を過ぎった。
『テケテケの下半身が、この学校にいるらしいぜ』
バカバカしい。妖怪なんかが存在するはずがない。それに、有名な妖怪ならまだしも、聞いたことがないテケテケの下半身の妖怪なんて。どうせコウタの嘘に決まっている。
僕はそう自分に言い聞かせながら職員室へ向かう。
僕は立ち止まって悴んだ手に息をかける。白い吐息が手に当たって消えていくのを見た。その時だった。
廊下の電気が一斉に消えた。
僕の心臓の鼓動が一気に早まる。
落ち着け。ただの停電だ。すぐに復旧する。
僕はぼそぼそと自分に言い聞かせる。
すると僕の背後で一箇所電気がついた。しかしついた電気はおばけ電気で、バチバチと音を立てて点滅する。
僕は後ろから差す光に安堵し、勢いよく振り向く。しかし僕の安堵は、一瞬にして感じたことのないような凄まじい恐怖へと変わった。
点滅する電気の真下に、何かいる。
僕はそれの足元を見て、ゆっくりと視線を上げていった。
それは白い靴下にローファーを履いて、紺のスカートを履いている。しかし腰から上は……。
「ぁ、あぁ……」
僕の口から情けない声が溢れる。
真っ赤な肉が露出し、スカートを伝って赤い液体が滴り落ちていた。僕は身の危険を感じ、職員室へ向かって走り出す。それと同時にそいつも走り出した。
明らかに僕を追ってきている。
「まさか! 本当だったなんて!」
廊下の角を勢いよく曲がり、転びかけながらも走り続ける。
すると、追いかけてきていた下半身は曲がりきれずに壁に激突した。血しぶきが上がり、床を真っ赤に染める。
凄まじい勢いでぶつかったにもかかわらず、そいつは再度凄まじい速度で僕を追い始めた。
どんどん鼻を覆いたくなるような悪臭が迫る。
必死で走っていた僕の視界に、一つの光が入る。数メートル先に電気のついた職員室が見えたのだ。
僕は全力で走り続けた。「これで逃げ切れる」そう思った時だった。
足が絡まり、僕の体が床に叩きつけられる。
足がガタガタと震えて思うように立ち上がれない。僕は足を叩きながら「動け!」と数回叫んだ。しかし足は動いてくれない。
その時、背後から単調な音が響く。
コツ、コツ、コツ、コツ……。
その音はだんだん大きくなり、それに合わせて血生臭さが増していった。
僕の目から涙が溢れ、呼吸はどんどん乱れていく。あいつが迫っているのが、見ないでもわかる。
コツ、コツ、コツ、コツ……。
僕の真後ろで音は止まった。僕は無理やり息を整えようと深呼吸した。生臭い匂いが肺いっぱいに広がって吐き気が込み上げる。
恐る恐る振り返ると、そこには血を滴らせた下半身が立っていた。
僕の体は恐怖に竦み、目の前に立った異形の妖怪から目が離せなくなる。
ここで、僕の頭にコウタが言っていたことがよぎった。助かるための呪文を彼は言っていた。あいつが言っていたことを信じてみるしかない。
「上半身は線路の上にあります! 上半身は線路の上にあります! 上半身は線路の上にあります!」
呪文を大声で叫んだ。
しかし、下半身は姿を消すことなく僕の前に立っている。
あぁ、呪文は嘘だったのか。
僕は泣きながら目を閉じた。その時だった。
……こ…………いた。
声がどこからともなく響いてくる。
——どこで聞いた。
次ははっきり聞こえた。
呪文のことを聞いているんだろう。僕はそう解釈して答える。
「コウタに……西田コウタに聞きました」
それを聞くと、下半身は闇の中に姿を消した。
一気に緊張が解けて身体中の力が抜ける。目から溢れる雫は勢いを増し、頬を伝って服を濡らした。
「コウタが教えてくれた呪文、本当だったんだ……」
僕がそう呟いた時、ゆっくりと職員室のドアが開いた。
不思議そうな表情を浮かべた担任の教師が僕の顔を覗き込む。
「どうかしたのか? もう下校時刻だぞ」
教師はそう言った直後に僕の周りを見て息を飲んだ。僕の周囲は真っ赤に染まり、ひどい悪臭を放っていたのだ。
僕は職員室に入って担任と学年主任の教師に、何があったかを聞かれた。全てを包み隠さず話したが、学年主任の教師は全く信じていないようだった。
話が一通り終わって、学年主任は部屋を出る。すると、担任が緊張した表情で僕の肩を掴んだ。
「なぁ、お前を襲った妖怪に、どんな呪文を唱えた?」
「えっと……上半身は線路の上にあります、と唱えました」
それを聞いた担任の表情が硬直した。そして血相を変えて僕を強く揺さぶる。
「その呪文誰から聞いた! その呪文を教えた人の名前を妖怪に聞かれたか!」
あまりの迫力に、僕は怯えながら口を開く。
「コウタに聞きました……誰から聞いた?って声が聞こえたから、コウタの名前を言いました」
担任は突然走り出し、電話を手に取る。担任が電話をかけたのは、コウタの家のようだ。
「コウタ君は! コウタ君は無事ですか!」
怒鳴るように叫ぶ担任は普段の優しい様子とはかけ離れていて、すごく怖かった。
数秒の間が空き、担任は肩を落として電話を切った。
そして僕の前にしゃがみ込み、僕の頭を撫でる。
「お前のせいじゃない……お前が無事でよかった……」
先生はその後、僕を車で家に送ってくれた。
翌日、職員室に呼ばれて担任から説明があった。
昨日僕を襲ったあいつは、失った上半身を探して彷徨っている。出会った人間の上半身を切って持っていこうとする妖怪らしい。あいつに出会してしまった時、助かるための呪文は不明だという。
ただ、あいつは上半身の話をされることと、嘘をつかれることが大嫌いだそうだ。
コウタが僕に教えた嘘の呪文があの妖怪を怒らせ、その場にいないコウタにターゲットを変えたらしい。
コウタは自宅で死んでいた。腹部から上下に真っ二つにされた状態で母親に発見された。しかし、母親が警察に連絡していた数分の間にコウタの上半身がなくなってしまったそうだ。
大学生になった今でも、あの時のことを鮮明に覚えている。
嘘をつきそうになる瞬間に、あの日の光景が脳裏に広がって胸を締め付けるのだ。
次はいつあの日のような出来事が起こるかわからない。
はっきり言えるのは嘘はつかないほうがいいということだ。
次にあの化け物に狙われるのはあなたかもしれないのだから。