第88話 招かざる来訪者
「ユーゴ!」
桃色のポニーテールを揺らし、赤い外套を着た少女が目の前から駆け寄って来る。
俺を心配そうに見る彼女を見て、完全に緊張の糸が切れた。
「よう。ルフ……」
足の力が抜ける。
フラついた俺をルフが支えてくれた。
「大丈夫!? ボロボロじゃない!」
「まぁ……仕方ない……」
淫魔の国から神獣の子と連戦で戦い、神獣化まで使用した。
もう身体には魔力は殆ど残っておらず、動くことすら難しい。
ラウニッハを最後に殴ったのだって、本当なら神獣化した状態で殴るつもりが、直前で強制解除されるくらい魔力が枯渇していた。
「ラウニッハは?」
「あそこで寝ころんでる」
俺が少し後ろで大の字になるラウニッハを指さす。
「勝ったんだ」
「当たり前だ」
「どうせ勝つと思ってた」
「その割には止められたけどな」
「だ、だって! あんたが……心配で……」
ルフの声が小さくなる。
恥ずかしそうに言う彼女が面白い。
それにわざわざ言わなくても、俺の身を案じていてくれたことは分かっている。
「だったら、少し休ませてくれ」
「もちろん。だけどここじゃあ雨に……」
ルフが顔を上げる。
先ほどから振りだした冷たい雨は、止む気配がない。
それどころが雨脚は強くなる一方だ。
どこか雨宿りできる場所がないか考えていると、チコさんの声が聞こえた。
「ラウ!!」
いつの間にか精霊樹から降りて来ていた彼女が、大の字に寝転ぶラウニッハに駆け寄った。
「ねぇ、あのエルフの子誰?」
ルフの声が鋭さを増す。
俺の身体を支える腕に少しだけ力が入った。
「ラウニッハの幼馴染だそうだ。あいつを止めたくて連れていってくれと頼まれてね」
「ふーん……変なことしてない?」
「魅力的な胸をしているとは思ったけど、人の彼女に……いてつ」
言葉の途中でルフが軽くボディブローを入れて来た。
怪我人に攻撃するとは、こいつは本物の畜生だ。
「何もしてないだろっ」
「イヤラシイ目で見ない! 変態!」
「勝手に人の唇奪う奴に言われたくないね」
「あああ!! 忘れなさい! 事故よ! あれは事故なの!」
耳まで赤くするルフの反応が面白い。
ポコポコと身体を叩いて来るが、いつもなら気にならないその衝撃も、今の身体には結構響く。
「おいっ、やめろっ」
「だったら忘れなさい!」
ルフの言葉に頷くとようやく攻撃が納まった。
もう攻撃されないことにホッとして息をはく。
危なかった……トドメをルフに刺されるところだった。
「でも、ホントに無事良かったよ」
「あたしが簡単に死ぬわけないでしょ」
「はいはい。そういうことにしておこう」
笑った俺に対し、何故か不満そうにルフがジッと見つめて来る。
何か勘潜っているようだが、彼女とこうして何時ものやり取りが出来て、今はただただ嬉しかった。
「君には敵わないよ……」
ユーゴとルフのやり取りを見て、ラウニッハは呟いた。
二人のやり取りは本当に自然で、神獣の子と人間という違う生物のやり取りには見えない。
これがユーゴの選んだ未来であり、自分が捨てたモノらしい。
大の字で地面に寝転ぶラウニッハは空へと顔向け、深く息を吐いた。
身体の体温を奪う冷たい雨。
無情にも降り注ぐその雨は、自分への罰なのだろうか。
ユーゴとの戦闘のダメージと神獣化の反動で身体が動かない。
指先だって少しも動かしたくない程、身体が疲労困憊だ。
「ラウ!」
雨音に交じって聞こえるチコの声。
最初は幻聴かなと思ったが、水を弾く足音も近づいて来る。
「ラウ! 生きてる!?」
チコの顔が覗き込んだ。
美しい翡翠色の瞳の中に、自分の姿が映った。
昔と変わらない自分の姿が……
「なんとかね……」
「よかった……本当によかった……」
チコが胸に手を当て、嗚咽を漏らす。
さっきまで殺し合いをしていた自分たちは、今はこうして普通に話している。
それに彼女は、神獣の子として生きると決めた自分を追いかけてここまで来てくれた。
だから自然とその言葉が出た。
世界に反旗を翻しても、見捨てずにいてくれたチコへの素直な気持ち。
「ありがとう。こんな僕を止めようとしてくれて」
今度は真っ直ぐにチコの瞳を見つめて言った。
その瞳を見るのが怖かった。
自分を『ラウニッハ』としてではなく、『神獣の子』として見られるのではないかと、本能が怯えていた。
だけど彼女は昔も今も変わらず、自分を真っ直ぐに見てくれる。
ラウニッハとして接してくれる。
その事実にやっと気がついた。
ユーゴに殴られ事でよくやく目が覚めたらしい。
戦争を始めて、世界の調和を乱した罪は消えない。
恨まれるようなこともたくさんした。
これからそれらを償わなければならない。
今度は正面から向き合おう。
「チコ……僕は罪を犯した……許されることじゃないだろう……エルフの立場だって悪くなったかもしれない……そんな僕が怖くないのかい?」
「あなたはあなたよ……罪の償いをすると言うのなら、私は一生ついて行くわ。その為にここまで来た。今さら一人にはしない」
潤んだ瞳で微笑む彼女に胸が痛くなる。
(あぁ、どうして僕は気がつかなかった……受け入れてくれる人が居ると言うのに……)
自分は恵まれているのだろう。
ゆっくりと上半身を起こし、ふらつく足で立ち上がる。
心配そうに自分を見上げるチコに笑みを返した。
「今度は僕が手を貸すよ」
そう言って右手を差し出した。
少しだけ戸惑った表情をしたチコ。
しかしすぐに笑ってくれた。
「ありがとう。ラウ」
彼女の右手が伸び、自分の手を掴もうとした時だった。
――それは突然やって来た。
黒い光の筋。
何処から現れたのか見当もつかない、その黒い光の筋がチコの胸を貫いた。
「え……?」
状況が把握できていないチコが呟く。
貫かれた彼女の胸には赤い穴。
大量の血が流れて地面へと落ちた。
「ラウ……逃げ……て……」
まるでスローモーションのように、チコがゆっくりと地面に倒れた。
傷口から出た血が、赤い池をつくる。
その中に彼女の可憐な身体が沈んでいった。
「チコ……?」
突然の事態に頭が追いつかない。
そんなラウニッハの耳の飛び込んできたのは声。
低く相手に恐怖抱かせる声だった。
「おや? 外したか」
顔を上げると全身を黒い鎧で覆った人型の敵がいた。
顔面も鎧で覆われており、表情は見ることは出来ない。
しかし言葉には確実に愉悦が含まれていた。
手に持つのは黒い弓。
どうやら破弓と同じように魔力で矢を撃つタイプらしい。
「人間狩りは久しいなぁ」
敵は楽しそうにそう言った。
あまりに突然の事態に頭が追いつかない。
それは俺の身体を支えるルフも同じらしい。
ラウニッハとチコさんのやり取りを少し離れた所で見ていた俺たちの目に飛び込んできたのは、黒い光に貫かれるチコさんの姿だった。
相手は黒い甲冑で全身を包んでおり、その姿から神族種の可能性が高い。
ただし今までの神族種とは違い、相手は言葉を発した。
その声を聞いて、何故か背筋が寒くなる。
危険だと頭の中で警鐘が鳴った。
「貴様ぁ!」
激高したラウニッハが飛び出す。
しかしボロボロの身体では、いつもの様な速度は出ていない。
拳を突き出すが、相手の神族種にあっさりと避けられた。
「人間にしてはいい動きをする」
神族種が腕を軽く横に払った。
軽く振ったように見えたのに、その腕に触れたラウニッハが簡単に吹き飛ばされる。
「ルフ! チコさんの容体を見てくれ!」
「バ、バカ! 考えも無しに突っ込んだらダメよ!」
ルフの警告を無視して、地面を蹴る。
ラウニッハ同様にボロボロの身体に気合を入れて、神族種との距離を潰した。
闘術に回すような魔力の余力はないが、今はそんな悠長なことは言っていられない。
どこから現れたのか分からないが、こいつは敵だ。
今すぐ排除する。
「今度は貴様か……人間風情が勝てるとでも?」
「なめんな!」
右拳を繰り出す……よりも早く、相手の拳が俺の顎を捉えた。
脳が左右に揺れて、視界が歪む。
足に力が入らない。
「ぐっ」
「何年経っても……人間は脆い」
ふらつく俺の腹に相手の拳がめり込んだ。
ボキボキと音を立てて、骨が簡単に粉砕され、内臓が潰される。
逆流した血が口から溢れ吐血。
そのまま膝をついた。
「ユーゴぉ!!!」
ルフの悲鳴に近い声が聞こえる。
心配をかけるな。
抵抗しろ。
そう思って立ち上がろうとした俺をあざ笑うかのように、神族種が頭の上から足を振り降ろした。
うつ伏せで地面に倒れ、後頭部を足で抑えられては動くことが出来ない。
「どれくらいで貴様の頭蓋骨は割れるかな?」
徐々に足に込められる力が増していき、それに比例して頭がメキメキと音をたてた。
やばい……このままじゃ本当に殺される……
父に殺されかけた時と同様に、リアルな死の恐怖が身体を駆け巡る。
抵抗しようにも魔力はほぼ底を尽いており、まともな反撃が出来ない状態だ。
どうしようか考えていると、相手の足が突然離れた。
そして次に音が聞こえた。
樹々が破壊され、折れる音が。
「よくもチコを……!!」
ラウニッハの声。
身体を素早く起こすと、鬼のような形相で相手を睨むラウニッハの姿があった。
金色の愛用の槍を握る手に力が入る。
「ラウニッハ。ここは一旦引こう。チコさんの治療もあるし、俺たちも戦える状態じゃない」
「……仕方ないか」
ラウニッハが槍を背負い、俺たちは神族種に背中を向けて、負傷したチコさんとそれを診るルフに駆け寄ろうとした時だ。
「どこに行く気かな?」
俺たちの目の前に割って入ったのは、吹き飛ばされたはずの神族種。
顔は見ることは出来ないが、その言葉は何処か楽しそうだ。
それに、視認できない速度で動いたって言うのかよ。
「二人とも避けて!!」
ルフが声を張り上げる。
神族種が動く。
握った拳が俺たちを狙っているが、それを避けるような体力は残されていない。
クソ……なんなんだこの神族種は!?
疲労を差し引いたとしても、ここまで差が出るのは想定外だ。
今まで戦って来た神族種とは別格で強い目の前の魔物。
そんな神族種に心の中で舌打ちをしていると、今度は俺たちと神族種の僅かな間に雷が落ちた。
雷のせいで地盤が砕け、俺とラウニッハは身体が吹き飛ばされる。
空中でバランスを整えようとしていると、柔らかい何かに背中が当たった。
手の部分を見ると、流れるような金色の毛並。
そして背中か伝わる力強い鼓動。
「母様……」
横に居るラウニッハの声。
こいつの母親?
つまり俺たちの周りの金色の毛並は……
顔を上げると馬の顔から生える一本の角。
そして翼を持った馬体。
竜の神獣アザテオトルにも劣らない体躯を持つその身体が空へと飛んだ。
「ここは私に任せなさい」
美しく品のある声。
そこには天馬の神獣フィンニルの姿があった。




