第86話 力と刺激
何も聞こえない。
ベルトマーはゆっくりと息を吐いた。
目を閉じて神経を研ぎ澄ます。
先ほどまで魔力の衝突を繰り返していたテミガーの姿を見失った。
巨大樹の森の中は視界が悪い。
全てを斬ってもいいが、視界が遮られる。
その間に間合いを詰められても面倒だ。
いざとなったら全部斬る。
それくらいの感覚だ。
(力を試すには絶好の機会だ)
右手を地面につき、魔力を吸い上げる。
狼の神獣の子であるベルトマーにだけ許された能力。
神獣化の状態に限り、自然物から魔力をかき集めて力に変える。
砂漠が広がり、すぐ死と隣り合わせである狼の国で育った神獣の子だからこそできる芸当。
ベルトマーは身体の底から力が湧き上がるのを感じた。
そして顔を上げ、スウッと目を開けた。
頬を撫でる風。
普通の状態なら気がつかない些細な変化も、今の状態なら感じ取れる。
大剣を握る右手に力を込めた。
右を向くと緑色の魔力剣が飛んできていた。
テミガーが遠距離から攻撃してきたらしい。
大剣を横に振り、魔力剣を消滅させた。
「どうしたぁ!? 万策尽きたのかぁ!?」
森の中にベルトマーの叫び声が木霊する。
淫魔の神獣の子テミガーの神獣化は、思っていたよりも変化が少ない。
扱える魔力量は確かに増えているし、闘術による体術も脅威だ。
しかし幻術が使えると言うのは、神獣化以前から変わらないし、戦闘スタイルは大きく変わらない。
自分の様に新しい能力が使えるようになるわけでもないらしい。
「仕掛けは終わりよ♪」
上から声。
見上げると太い木の枝に乗るテミガー。
そしてその周りに浮かぶ無数の魔力剣。
緑色の半透明の剣が彼女の周りに隙間なく浮かんでいた。
「大したもんだ。そんだけの魔力剣を同時に扱えるとはな」
「風属性が切断系の魔術に強いのは知っているでしょ? 必然的に剣の形状になるのは仕方ないの」
「知らねぇな」
その言葉にテミガーは眉間に皺を寄せた。
「どうやら神獣の子なのに魔術は本当に苦手のようね」
テミガーが肩を竦める。
これまでの戦闘でベルトマーが使ったのは、足場の土の形状を変える土属性の魔術のみ。
その攻撃もテミガーに呆気なく防がれた。
効果が薄いと感じてからは、結局大剣を使った闘術に頼っている。
仕方がない。それが自分のスタイルなのだから。
「魔術なんざ関係ねぇ。正面からぶった切るのみ!!」
大剣を構え、全身から魔力が放出。
あまりに強大な魔力は、空気を振動させ大樹たちがメキメキと音を鳴らす。
普通の人間なら立つことすら困難な、魔力でのプレッシャー
テミガーはそのプレッシャーを感じながらも笑みを浮かべた。
それは愚かな男に対する嘲笑のようだ。
神獣の子でありながら、大剣一本と身体一つで戦う目の前の男への。
「力押しなんて馬鹿ね!」
木の枝の上に乗るテミガーが腕を振り降ろす。
無数の魔力剣の剣先がベルトマーに向き、頭上から降り注ぐ。
ベルトマーが大剣を構え、魔力を刀身、身体の先にまで流した。
「うおおおお!!」
大剣を横に降り、緑色の魔力で造られた魔力剣を叩き落とす。
次から次へと向かって来る魔力剣を相殺していくが、徐々に数で圧倒される。
肩に、足に、頬に魔力剣が掠り、血が吹き出す。
「このままなぶり殺しにしてあげる!!」
テミガーが両手振り降ろす。
魔力剣の数が倍増し、ベルトマーが捌ききれない数量となった。
それを見たベルトマーは大きくバックステップ。
「しゃらくせぇ!!」
構えた大剣の刀身を茶色の魔力が覆う。
周りの自然物からも吸収した魔力量はまさに驚異的。
その量はテミガーが創りだしている魔力剣の魔力量を遥かに超えていた。
「おらぁ!!」
力強く縦に大剣を振り降ろした。
巨大な魔力の塊が相手の魔力剣を飲み込む。
目の前が光に包まれ、視界を遮った。
「予想通りね♪」
顔を上にするとテミガーが迫っていた。
腕からは緑色の魔力剣伸びており、接近戦で決める気らしい。
「なめんな!」
ベルトマーが大剣を振り上げる。
分厚い刀身が確かにテミガーに当たったはずだった。
「残念♪」
しかし気がつくと刀身はテミガーの身体の横を通り過ぎていた。
そして笑みを浮かべる淫魔の神獣の子。
彼女が伸ばした魔力剣がベルトマーの身体に当たった。
「なっ」
テミガーが声にならない声を上げる。
なぜなら彼女が伸ばした魔力剣は、ベルトマーの身体に当たった瞬間に魔力で創られた刀身が折れてしまった。
鉄などの金属も簡単に切り裂くはずの剣が、一人の男の身体にへし折られたのだ。
その事実にテミガーは驚きを隠せなかった。
「残念だったなぁ」
今度はベルトマーが口端を吊り上げる。
それは勝利を確信した表情。
自信に満ちた笑みだった。
神獣化したベルトマーは膨大な魔力を最後の最後で身体の一点に集めた。
テミガーの攻撃してくる場所を正確に見切り、その場所に魔力を固めたのだ。
その結果、闘術により魔力剣を上回る硬度をベルトマーの身体は手にした。
「あばよ!!」
ベルトマーが横に振った大剣が、テミガーの脇腹にめり込んだ。
大剣を握るベルトマーの手にずっしりと重さが伝わる。
それを意に介さず大剣を振り切った。
テミガーの身体が大樹の幹を貫通して、吹き飛んでいく。
幹に穴が空いた樹々が折れて、森の爆音が響いた。
ベルトマーは肩に大剣を担ぎ、テミガーの方へと近づいた。
晴れる砂埃の中から、大樹に寄りかかってぐったりと下を向くテミガーの姿。
身体中に切り傷やかすり傷、腕には内出血を示す青い痣が出来ていた。
見るだけ痛々しい姿の彼女をベルトマーは見下ろす。
「死んだか?」
ゆっくりと顔を上げたテミガー。
口元から流れた血が、地面に落ちて斑点をつくった。
半開きの目は焦点が合っておらず、鈍い光を放ちながらベルトマーの姿を探している。
そして震える唇が動いた。
「まさか……魔力剣を弾くなんて……反則でしょ……」
自虐、諦め、そのような感情が入り混じった笑み。
そんなテミガーに首筋に大剣を当てた。
「俺様は闘術だけが取り柄だ。魔術は毛の生えた程度。法術に関しては全く使えん……だが、闘術は誰にも負けねぇ。そんだけだ」
「フフ……呆れるくらい真っ直ぐね……」
「ハッ! 正面から勝ってこそ意味があんだよ」
テミガーが再び顔を下に向けた。
そして放出していた魔力を抑え、神獣化を解除。
完全に戦闘態勢を解いた。
「あたしの負けよ……早く殺しなさい……」
「もう諦めんのか?」
「仕方ないわ……だけど、そこそこ楽しかった……最後の方は刺激的で……」
――だから、早く殺しなさい
テミガーの言葉を聞いたベルトマーは大剣を握る手に力を入れた。
一応相手は敵だ。
倒した時は殺すのが筋だろう。
しかし色々と考えた後、ベルトマーは大剣を背中に戻した。
そして踵を返す。
見逃されたテミガーは顔を上げ、信じられないと言った表情だ。
だから男を呼び止めた。
「待ちなさいっ」
「なんだぁ?」
めんどくさそうに振り返ったベルトマー。
彼の鋭い視線がテミガーに突き刺さる。
「どうして見逃すの……?」
「お前を殺したら、俺様と全力で戦える奴が減るだろうが。強くなってまた俺様を殺しに来い。次はもっと楽しませてくれよ」
ニッと笑み浮かべるベルトマー。
テミガーを見逃したのは、別に情けをかけたわけではない。
現段階で自分の方が強い。
それが分かれば満足だった。
そして生かすことで次の戦いに備える。
自分の全力と戦えるのは同じ神獣の子だけだ。
だから殺すのは惜しい。
楽しみが減ってしまう。
その結果、ベルトマーはテミガーを生かすことにした。
淫魔の神獣の子には勝った。
次の目標は、精霊樹の中腹地点に居る天馬の神獣の子だ。
肩をコキっと鳴らし、精霊樹を見上げると赤と黄色の光が見えた。
ユーゴが放った火柱が空中から放たれ、地上に直撃した。
森の樹々は燃えると言うよりは消滅し、火柱が通った後には何も残らない。
空を覆う分厚い雲からは、雷鳴が轟き時々地上に雷が落ちていた。
「結構派手にやってんなぁ」
天馬の国を跡形もなく破壊する勢いで戦う二人。
自分に周りを巻き込むなと言っていた竜の神獣の子は、自分以上に天馬の国を破壊している。
商業都市の壊滅も含めると、神獣の子で一番色々と破壊しているかもしれない。
「もうこの国も終わりかもね……」
振り返ると、樹にもたれかかり立ち上がるテミガーの姿。
自分の大剣が当たった脇腹を抑え、今にも倒れそうなほど足元は覚束ない。
そんな彼女を見てため息。
「だったら逃げる体力は残しとくんだなぁ」
「あなたは行かないの?」
「二対一なんて、俺様の好みじゃねぇよ。弱った所を倒すのもな」
一対一で相手の全力に勝ってこそ意味がある。
だからここで見守るだけだ。
世界を破壊する程の力を持った二人の神獣の子の戦いを。
「ホント……狼の神獣の子って、真っ直ぐね」
「知るか。俺様のやりたいようにやるだけだ」
ユーゴに勝つのは自分だ。
だから死なれては困る。
負けることも許さない。
自分より強い男が二人いることになるからだ。
「負けんじゃねぇぞ。ユーゴ」
小さな呟きは空に消える。
そしてそれに応えるかのように、赤い火柱が再び大地に墜ちた。




