第85話 共存と調和
「浮いている……」
ルフが呟いた。
空中に浮いた状態で抱きしめていた彼女の身体をお姫様抱っこの形で抱え直す。
眼下には天馬の国の大地が広がり、時々緑色と茶色の魔力が下で輝いている。
きっとベルトマーとテミガーが暴れているのだろう。
樹々があちこちで倒れ、砂塵が舞っている。
あの魔力量から察するに、二人とも神獣化を行ったらしい。
俺も使ったから三人も同時に使ったことになる。
この戦いが終わった後、人の住める土地が残るのか少し心配だ。
抱きかかえるルフを見ると、キョトンとした顔でこっちを見ている。
「驚いたか?」
「当たり前よ! 空を飛べるんだったら最初から言いなさいよ!!」
「悪い、悪い。いつも飛べるわけじゃ無いんだ」
神獣化した場合のみ可能になる空中の飛行。
これが俺の神獣化の能力の一つだ。
とりあえずルフを降ろそう。
そのまま姿勢で足からゆっくりと地上へと近づく。
「ね、ねぇユーゴ」
「ん?」
「どこから聞いた?」
ルフが耳まで赤くして聞いて来た。
「何も聞いてないよ。目を覚ましたらお前がキスしてたんだから」
「言わなくていいからっ」
「恥ずかしい奴だ」
「う、うるさい!」
いつも通り元気そうでホッとした。
本当に良かった。
「ルフ」
「な、なによっ」
ルフが桃色の瞳でキッと睨んで来る。
そんな目で睨まないで欲しい。
感動の再会が台無しだ。
「ごめん」
「え?」
目を丸くしたルフ。
そんなに俺驚くことだろうか。
まるで俺が普段から謝らない奴みたいで失礼だ。
ベルトマーたちの戦いに巻き込まれない少し離れた場所に降りる。
ルフも地面に立たせ、精霊樹に目をやった。
樹が貫いた中腹にある大地にラウニッハは居る。
「さて、行って来るか」
「ま、待って!」
飛び立とうする俺の腕をルフが掴んだ。
「行くの……?」
「おう。ラウニッハを止めないと」
「逃げようよ?」
小刻みに震えるルフの手。
不安に揺れる桃色の瞳。
その姿を見て頬を掻いた。
「軽蔑されたって構わない。だけどこれ以上あんたが天馬の国の事情に、首を突っ込む必要もない!」
ルフが唇をキュッと噛み消えそうな声で言った。
「これ以上戦ったら、あんたの身体は取り返しのつかないことになる……淫魔の国の傷だってまだ癒えていないんでしょ? 死んだら何も残らないよ……」
顔を伏せたルフの肩が小さく震える。
そして地面に水滴が落ちた。
「泣くほど心配してくれるのは、本当にありがたい。だけど……」
腕を掴むルフの手にギュッと力を込められる。
行かないでくれ。逃げてくれ。
そう無言で訴えてきた。
ここで行ったら、また怒られるかな?
だけど俺は行かなくちゃいけない。
ルフに指を一本ずつ摘まんで、腕から離した。
まだ下を向く彼女の頭をポンポンと叩く。
「ほら、顔を上げろ」
「ん……」
今にも崩れそうな表情。
いつ強気で負けず嫌いなお前は何処に行ったんだ。
そう心で呟き、笑顔で彼女に言った。
「行ってきます」
「ラウ……あなた……!」
「なんだい?」
振り返るとチコが白銀の槍をこちらに向けていた。
そんな彼女にラウニッハは笑みを返す。
「あの二人を殺す必要はなかった! ユーゴさんは彼女を助けに来ただけでしょう!」
「いい加減にしなよ」
殺気を込めて呟いた。
向けられた気にチコが半歩後退する。
「本当に説得できると思っていたのかい? 戦う気がないのなら、君は出て来るべきではなかった」
「なんで……どうして……神獣の子だと言うことがあなたはそんなに許せないの?」
チコの訴えにラウニッハは無言。
一歩前へ踏み出す。
「そう……もう戻れないのね……」
チコが何かを悟ったように涙を拭った。
そして白銀の槍を構える。
「私が止める。世界に爪をたてたとしても……」
――そんなあなたを愛してしまったから
ラウニッハの足が止まった。
嘘偽りの無い彼女の言葉。
それを受け入れることは出来ない。
大きく息を吐いたラウニッハ。
それ見たチコが一気に距離を詰める。
一瞬の隙だと判断したのだろう。
だけどそれは間違いだ。
「神獣化」
ラウニッハは呟く。
全身を駆け巡った魔力が、黄色いオーラとなり可視化された。
もう跡形も残さない。確実にチコを殺す為の全力。
「ラウ!」
チコが突き出した槍をサイドステップで避ける。
彼女からは消えたように見えるだろう。
「無駄だよ」
ラウニッハはチコの槍を握ると、それを遠くへ投げた。
武器を失った彼女の足を払い、バランスを崩し尻餅をつかせる。
そしてチコの白い首筋に槍を当てた。
「力の差が分かるだろう? これが僕だ」
込められるだけの魔力を全身から振りまき、彼女を威圧した。
普通の者なら気を失うほどの重圧に、チコの額から汗が滲む。
呼吸が浅くなり、肩が上下していた。
「はぁ……はぁ……凄いね……」
「神獣の子だからね」
それ以上の言葉も理由もいらなかった。
もう消えてくれ。
目の前に立ち塞がらないでくれ。
「……あの時と同じ顔してる」
チコの言葉。
殺されそうだと言うのに、彼女の表情に焦りは見られない。
真っ直ぐと向けられた翡翠色の瞳の鏡に神獣の子が映った。
「あの時?」
「ずっと独りだったあの頃と同じ顔」
そうさ。どうせ独りだ。
――だって、僕は神獣の子なのだから
これ以上、心を乱さないでくれ。
決意を鈍らせないでくれ。
共に生きることは出来ないんだ。
でも……もしも……あの二人のようになれたのなら……
迷いを振り切るために、ラウニッハは槍を引いた。
後はチコの首を貫くだけである。
「さようなら……多分、初恋だった」
意を決して槍を持つ手に力を込めた。
神獣化をして増大した魔力を込めた槍は、確実に彼女を死に至らしめるだろう。
自分を惑わす唯一の女性を。
「自分を想ってくれる女の子は大切にしろよ」
真上から声。
それはあの男の声だ。
何度心をへし折っても、奴は舞い戻って来る。
自分の前の前に立ち塞がる。
「君は後回しだ」
チコの周りを結界で覆う。
これで彼女は囚われの姫だ。
チコは後で殺す。
(だけど今は……)
顔を上げるとそこには宙に浮いて、赤い魔力を身に纏ったユーゴが居た。
「あれ? 助けるつもりだったのに」
彼はチコを助けるだったらしい。
肩を竦めたユーゴに笑みがこぼれた。
本当にバカバカしい。
ふざけた奴だと
「君を殺した後で殺すさ。邪魔をする奴はね」
「そんなこと言わず、彼女の目を見てやったのか?」
「……その必要はない」
その言葉にユーゴの眉間にシワがよった。
そして確かな殺気がこちらへと向けられる。
「今なら見逃してやる。だが、これ以上世界に亀裂を加えるのなら、俺は力づくでもお前を止めないといけない。最悪チコさんの目の前でお前を殺すことになるだろう」
――だから、もうやめろ
そう言うユーゴに対して、言葉にできない感情が湧き上がる。
怒り? 嫉妬? 憎悪?
分からない。
この感情になんと名前を付けたらいいのか。
だから叫んだ。
赤子の様に、それしか方法を知らなかったから。
「上から偉そうに……君だって神獣の子だろうに!!!」
「上から偉そうに……君だって神獣の子だろうに!!!」
激高したラウニッハ。
それに呼応して、彼を包む黄色い魔力が空中に解放された。
分厚い雲の中で雷が鳴り、まるで世界の終わりのように地上に暗い影を落とす。
「僕たちは受け入れられない存在なんだ!! それが分かっていながらどうして平然として居られる!!」
「……俺はユーゴ。それ以上でも以下でもないよ」
きっとラウニッハは自分の存在を受け入れることが出来ないんだ。
彼がどんな風に育ったのかは知らない。
だけど世界の調和を乱す神獣の子を嫌悪している。
それが自己否定につながり、自分を認めることが出来ない。
だからチコさんを殺そうとした。
全てを振り切るために。
まだ彼には迷いがある。
本当はチコさんと生きる未来だって選べるはずだ。
迷いがあるから、チコさんを結界で守った。
――今から始まる戦いに備えて
「反吐が出る。君だってあのルフとか言う子と一緒には生きられない。そんなこと分かっているだろう!! それなら切り捨てるしかない! 化け物と罵られてまで生きたいのか!!」
「そうかもな。お前の言っていることは間違ってない。神獣の子を化け物と言う奴だって居るだろう。これだけのことをしたんだ。恐怖を抱かれてもおかしくない。でも、俺もお前も運がいい方だ」
「なに?」
「俺たちには受け入れてくれる人が傍に居る。それだけで十分だろ」
俺だってルフに恐怖を抱かれるのではないかと怖かった。
ソプテスカにだって、敵意を抱かれる可能性だってあった。
だけどあいつらは俺を受け入れてくれた。
神獣の子としての俺を、ユーゴと言う存在そのものを。
そんな存在がラウニッハにだっている。
しかし今はそれを見るほど彼には余裕がない。
こちらに向けられるラウニッハの金色の瞳。
神獣の子という言葉を誰よりも重く受け止め、苦しんだ彼の瞳は暗く光を失っている。
それを醒ますにはどうするか……単純だけど一番手っ取り早い方法が浮かんだ。
「何故だ……君だって世界を壊す程の力を持ちながら……」
「世界を壊してでも守りたいモノがある。傍に居て欲しい人が居る」
守りたいモノが生きる世界を壊しても構わない。
矛盾だ。そんなこと分かっている。
自分の我儘の為に世界を壊すなんて本当は許されない。
だけど俺に関わった人間を巻き込まないなんて、もう無理なんだ。
周りを巻き込みたくないだの言っている間に、大切なものを失うかもしれない。
俺に関わった奴らは厄介事に巻き込まれてしまう。
それならば、周りを巻き込まない様にするべきだと思っていた。
それが違うとは今も思わない。
ただ覚悟が足りなかった。
――周りを巻き込んででも、前に進むと言う覚悟が
だから関わった人たちには申し訳ないが、腹を括ってもらう。
我儘かな? 我儘だろう。
その代わり、災厄が降り注ぐ時は俺が盾になろう。
災厄を振り払う剣になろう。
この炎で全てを焼き尽くそう。
「……勘違いしていたよ。僕は君という『人間』を」
「ご理解いただけて光栄だね」
ニヤッと笑う俺を見て、ラウニッハが口端を吊り上げた。
そして高らかに笑う。
「ハッハッハ!! 君は人間だよ!! 我儘で欲望に従順!! 己の欲の為に世界を滅ぼし、周りを巻き込むことも厭わない!! 天馬の国のエルフたちを苦しめ続けてきた人間そのものだ!!」
「そりゃ俺は人間だからな」
俺たちは魔力を高めた。
ラウニッハの身体から溢れ出た黄色い魔力がさらに大きくなる。
「世界の調和を乱す君の力を僕は放置しない! 世界の為に君は死ぬべきだ!!」
「お前は誰かに一発殴られないと目が覚めないんだよ」
そう言って身体を鎧の様に包み込む赤い魔力を右腕に集める。
視界を曇らせるラウニッハの目を覚まさせる方法。
やっぱり一発殴るしかないと思う。
もちろん全力で。
もしかすると彼が死ぬかもしれない。
だけど余裕の許される相手でもない。
全力で……殺すつもりで戦う。
「来いラウニッハ。お前の葛藤も憤りも俺が受け止めてやる!」
「戯れ言を言うな! もう僕は止まらない! 止まることは出来ない! 世界を壊し再建する! だけど君は消えるべきだ! 世界の為に!!」
お互い譲れない想いと信念。
戦うことでしか決着できないのなら……俺たちは……
魔力を固めた右拳を固くに握り、足元に居るラウニッハへと急降下した。




