第84話 貴方へ
「これ程とはね」
ラウニッハが思わず呟いた。
精霊樹の中腹にある土の塊から、麓の方を見ていると茶色と緑色の魔力が輝いている。
狼の神獣の子と淫魔の神獣の子の激突。
しかも両者は神獣化の状態で戦っている。
そのせいか空気の震えまでも、ラウニッハには伝わって来た。
歴史上初めてとなる神獣化を発動した者同士の激突。
それは国の地形を変え、周りを破壊するには十分な規模だ。
神獣化は使用者の身体に極端に負担をかける為、長時間の戦闘には向かない。
自然と神獣化を発動した者同士の戦いは、短期決戦になるだろう。
それでも、短い時間で国を亡ぼすには十分だと感じるほど、強大な二つの魔力がぶつかり合っていた。
「ねぇ、これだけの被害を出してまだ戦う気?」
半透明の結界に囚われたルフの声。
振り返ると彼女の桃色の瞳が真っ直ぐに向けられていた。
その姿にラウニッハは、思わずチコの幻影を重ねてしまう。
呆れるほど真っ直ぐで、素直なチコの翡翠色の瞳。
自分が神獣の子と知った彼女の瞳をもう見ることは出来ない。
見る目が変わってしまうことが怖いから。
ラウニッハとしてではなく、神獣の子として見られることが。
「戦うよ。もう僕たちは後には引けない。それは『彼』だって同じだろう」
ラウニッハは思い出す。
神獣の子でありながら人間として生きることを選んだ男の姿を。
身を焦がす程の炎、それを思い出すだけで足が竦む。
本当は怖い。
何もできずに死ぬことが。
生きて来た証を何も残せずに死ぬことが。
「このままあなたとユーゴが戦えば、本当に天馬の国は大打撃を受けるのよ!? 自分の国を亡ぼす気!?」
ルフが結界特有の半島の壁を『ドン!』と叩く。
呑気なものだ。
彼女は捕まっている身なのに、他国の心配をしている。
「それくらいの覚悟は、最初からしているよ」
「バカげてる……大切な人は居ないの? このままじゃその人だって巻き込まれるのよ?」
「居るよ……いや、『居た』の方が正しいかな」
自ら手放してしまった。
差し出された手を一度は握りながらも。
チコの手を……
(僕は神獣の子だ。他の種族と交わることなんて不可能なんだよ……人間とエルフですら未だに距離があると言うのに……)
自分とチコの間には破ることも超えることも出来ない壁が存在する。
その壁の目の前で自分は止まるしかなかった。
それなのにユーゴはその壁を平然と飛び越えようとしている。
彼も怪物なのに。
「君が思っている以上に神獣の子は怪物なんだよ」
ニコッと悲しく、儚い笑み。
そしてラウニッハとルフの間に、空から舞い落ちて来た一本の槍が突き刺さる。
見惚れるほど美しい白銀の槍。
忘れるわけがない。
忘れることが出来るわけがない。
――その槍は大切な人の槍なのだから。
白銀の槍を中心に衝撃波。
身体を吹き飛ばされたラウニッハは空中で体勢を立て直した。
そして結界で囚われたルフと自分の間に、一人の男がエルフの女を抱きかかえたまま着地した。
「来たか……」
そう呟き男に目をやる。
燃えるように赤い瞳と目があい、男は笑みを浮かべた。
そして抱きかかえていたチコを降ろした。
「ちょっとユーゴ。その子誰?」
「説明は後だ」
明らかに不機嫌そうなルフ。
それを宥めたユーゴの前に、チコが白銀の槍を地面から引っこ抜き立った。
「ラウ! もうやめて!」
「今さら何しに来たんだい?」
「あなたを止めに来たの……もうやめようよ? このままじゃあなたは世界から……」
チコの悲痛な表情で訴えて来る。
まだ彼女は自分のことを心配しているらしい。
もしも自分が神獣の子でなければ、こんなに嬉しいことはない。
「チコ。どう転んでも神獣の子は世界から拒絶される。だったら、僕が世界を壊す。それに……」
――僕と君は一緒に生きられない
そう言いかけて、言葉を飲み込んだ。
喉まで出て来たその言葉言うことが出来ない。
(君だ……君たちのせいだ……)
ラウニッハはいつの間にか結界を破壊して、ルフを救出していたユーゴを睨んだ。
その視線に気がついたユーゴがルフを自分の後ろに隠した。
神獣の子と人間でありながら共に生きようとする二人を見ていると、表現できない感情が胸に渦巻く。
自分が捨てたモノをユーゴが持っているからだろうか?
共に生きられないと言っているのに、諦めない彼らを見ているからだろうか?
分からない。何もかも。
だけどしなければならないことだけは、ハッキリと分かる。
「僕はその男を殺さないといけない」
槍を構え、ユーゴへと向けた。
同じ神獣の子でありながら、考え方も生き方も真逆の男。
世界を壊せる程の力を持つ危険な男。
そんなユーゴが肩を竦めた。
「心配してくれる女性に向かってヒドイ奴だな」
「チコが勝手にしているだけだ。君だって分かっているはずだろう? 神獣の子は、人間やエルフと共に生きることなんて出来やしない。許される訳もない。世界を乱す存在その者なのだから」
「かもな。お前言っていることは正しいよ。神獣の子はこの世界であまりにも飛びぬけた力を持っている。それこそ、世界を壊してしまうほどの力だ。拒絶されたっておかしくない」
ユーゴは眉一つ動かさず、さも当然だと言いたげな表情だった。
そんな彼は自分の後ろに隠したルフを横目でチラっと見る。
そして再びこちらに視線を戻した。
その表情は自信に満ちていて、迷いなんて一切感じない真っ直ぐなものだ。
「それでも……俺はこの力に意味があると信じてる。共に生きることだって出来ると」
(竜の国お得意の『共存』か……)
世界は人間や亜人たちだけの物ではない。
そこに生きる魔物や獣も同じように生きる命である。
拒絶するのではなく、共に生きられるように折り合いをつける。
それが竜の国。
今までとは違う『何か』が現れても、それすらも受け入れて共に生きようとする。
天馬の国ならば今までの調和を乱す者が現れた時、全力で排除するだろう。
「反吐が出る。そんな綺麗ごとは現実では通用しない。世界は絶妙なバランスで成り立っている。そして一度保たれてしまった調和は乱れることはない。世界を一度壊さない限りはね」
調和を保とうとするのは生命の自然の本能だと天馬の国では考えられている。
そして一度釣り合いのとれた状態になってしまえば、それを保つために全てが動く。
世界を壊して再建しない限り、それは延々と続くだろう。
「だからって、ラウが全てを背負う必要はないよ」
チコが足を前に踏み出し、一歩ずつこちらに近づいて来る。
近づいて来る度に心が揺れた。
彼女の表情一つ一つが昔と何も変わらない。
翡翠色の瞳に映った自分の姿すらも。
(来るな……僕の方へ来るな……)
ラウニッハの魔力が自然と高まる。
それはチコへの拒絶。
心の本能的な反応だった。
「来るなぁ!」
そう叫んだラウニッハが『天相』の力を発動させた。
分厚い雲が集まり太陽の光を遮る。
ユーゴたち辺りを暗く染め上げ、ラウニッハが槍を振り降ろした。
轟く雷鳴。
降り注ぐ雷がユーゴたちの立つ地盤に当たる。
「やりすぎだろっ」
ユーゴが四色目である蒼い炎を発動させた。
両手を上に伸ばて、炎を頭上に広く展開し、辺り一面の空を蒼い炎で覆う。
高密度の魔力で生み出された蒼い炎に雷が防がれる。
大自然の雷ですらも防ぐその炎。
やはりユーゴは危険だとラウニッハは再び自分に言い聞かせた。
「やっぱり君は世界の為に消えるべきだ!!」
「ラウ!」
チコの呼び声には目もくれず。
ラウニッハは雷属性の魔術を身体に纏い、地面を蹴った。
あっという間にユーゴへと肉薄し、槍で狙いを定める。
「終わりだ!」
「なめんな!」
突き出した槍をユーゴが掴んだ。
その手は炎を定着させたのか、蒼く輝いていた。
初手の攻撃を防がれたラウニッハは素早くユーゴの懐に潜りこんだ。
そして彼の胸倉を掴み、背負い投げの形で放り投げた。
反応が遅れたユーゴの身体が転がり、地盤の端まで飛ばされる。
一瞬のやり取りだったが、ラウニッハは確信した。
「まだ傷は癒えていないようだね」
「はて? なんのことかな?」
とぼけたふりをして笑みを浮かべるユーゴ。
だが呼吸が荒い。
肩が上下している。
そして先ほどの反応が遅れた様子。
それらから察するに、彼の負った痛手はまだ回復には至っていない。
かなり無理をしているらしい。
「愚かだね」
「ユーゴはやらせない!」
先ほどまでユーゴの近くに居たルフ。
彼女が後ろから拳をつき出して来た。
首を倒して拳を避け、顔の横を素通りしたルフの細い腕を掴み、力いっぱい投げた。
「え?」
投げられたルフの身体が、地盤の無い空へと投げ出された。
このままだと精霊樹の中腹にあるこの高さから落ちて死ぬ。
どれくらいの高さからは知らないが、地上に居る人が豆粒の様に見えるくらいの高さだ。
死ぬのは間違いないだろう。
一瞬困ったような表情をしたルフ。
しかし、自分の状況を理解した彼女はユーゴをチラッと見た。
そして身体が落下し始める。
「ルフ!!」
端に居たユーゴが一瞬で移動して、躊躇することなくルフに飛び付いた。
同じように空中に投げ出されるユーゴの身体。
どの道、落ちて死ぬだろうが念には念を入れる。
「死ね」
そう呟き槍を縦に振る。
ラウニッハの魔力に反応した天空から、一筋の雷が落ちて来た。
雷鳴と共にその光がユーゴたちを貫いた。
ルフがグッと閉じていた目を開けた。
雷鳴が鼓膜を震わせ、目が眩むほどの光。
反射的に目をつぶってしまったが、身体にいつまでたっても雷が当たらないことに疑問を感じた。
「ユーゴ!」
最初に飛び込んできたのは雷に打たれ、全身に火傷を負ったユーゴが落下している姿。
自分も落下中なので上手く動けない。
それでも彼へと手を伸ばす。
(届け……)
彼の外套の端を掴み自分の方へと引き寄せた。
意識がないのか目をつぶりピクリとも動かないユーゴ。
そんな彼の身体をギュッと抱きしめる。
最悪の事態も頭に過ぎるが、それでも腕に力を込めた。
彼に気づいてもらえるよう強く、強く……
この時ルフは気がついた。
自分が来ているユーゴの赤い外套の表皮が僅かに焦げていることに。
この外套が無ければ、自分は死んでいたかもしれない。
「ねぇユーゴ?」
彼は何も反応を示さない。
ルフは抱きしめていた腕を離し、両手を挟むような形でユーゴの顔に添えた。
目を瞑っていても整った顔立ち。
目を開ければ映える赤い瞳を今は見ることが出来ない。
「あんたがどうして『怖いか』って聞いて来た理由がやっと分かったよ」
彼も一人で戦っていたのだ。
世界から拒絶される孤独と、他者から人として見られなくなる恐怖と。
だから神獣の子だということも隠していた。
そして人魚の国で自分に聞いて来たのだ。
正体を知った自分が『恐怖』を抱かないか不安だったから。
あの時、自分は「怖くない」と答えた。
それは今も変わらない。
だけど一つだけ決心のついたことがある。
「たとえ世界があんたを拒絶しても、他人は化け物と恐怖を抱こうとも……あたしはあんたの……」
――ずっと傍に居る
この声は届いているだろうか。
彼は目を閉じ、何も反応を示さない。
それに頭から落下している今の状況。
このままでは間違いなく死ぬ。
これが旅の終着地点なのだろうか。
(やっぱり人間死ぬときなんて、結構呆気ないのかな……)
ルフはユーゴの頬を優しく撫でる。
いつも人を馬鹿にしてきて、お酒が大好き。
朝はダラダラ起きて来るし、色んな女の子良い顔をしている。
だらしない。本当にだらしない男だ。
(だけど……)
困った人は放っておけないお人好し。
どうせあの胸の大きいエルフだって、頼まれたから断れなかったのだろう。
だから危険だと分かっていても連れて来た。
(そんなあんたのことをあたしは……)
やっと気がついた正直な気持ち。
ずっとこの感情を持て余していた。
彼が自分を見てくれないことが嫌だった。
死んだと思って見つからなかった時は、不安に襲われた。
その理由はきっと一つだ。
ルフは顔をユーゴに近づける。
そして呟いた。
「好きだよ、ユーゴ」
そのまま彼の唇を奪った。
こんな時に何をしているんだと自分でも思うが、死ぬ間際くらい我儘は許してくれはずだ。
ゆっくりと顔を離し、目を開けた。
「お前……こんな時に何やってんだ……」
彼の赤い瞳と目があった。
大好きな彼の瞳に顔を赤くした自分が映る。
「バ、バカ! 生きてるな言いなさいよ!」
「今起きたんだよ……落下中に俺の唇を奪うとはいい度胸だ……」
「わざわざ言わなくていいからっ」
「こらっ、暴れるなっ」
動こうとした自分の身体をユーゴが抱きしめた。
彼の焦げ臭い匂いと力強い心臓の音が伝わる。
(あ、あたしの音も聞かれているのかな……)
恥ずかしすぎて心臓がバクバクと動いている。
それが伝わっているか心配になるが、すぐに違う心配が湧いて来た。
今自分たちは頭から落下中なのだ。
「ど、どうするの!?」
「しっかり捕まってろ」
ユーゴに言われ、彼の身体に腕を回す。
地面が急速に近づいて来るこの状況で彼は何もする気だろうか。
一人で考えているとユーゴの魔力が徐々に高まっていく。
(まさか! 真下に炎を放つ気!?)
確かに商業都市を焼き付くほどの蒼い炎なら、炎圧だけで落下の衝撃を減らすことも可能かもしれない。
しかしそれだけの炎を出せば、間違いなく地表が壊滅する。
「下にはベルトマーだって居るんでしょ!? 巻き込まれるわよ!?」
「炎は使わない。ちょっとズルするだけだ」
僅かにほほ笑んだユーゴ。
そんな彼が小さく消えそうになるほどの大きさで声を出した。
「神獣化」




