第77話 彼の居ない日
天馬の国。
五か国の中で最も自然が豊かな国であり、国のほとんどが森に囲まれている。また住んでいる種族の内訳はほとんどがエルフであり、別名『エルフの国』と言われるほどだ。
ひっそりと設けられたギルドでは、森などで珍しい物を採取できると言う理由から、採取系の依頼が多く集まる。
しかし、過剰な採取はエルフたちが反対しており、採れる量は一定数と決められていた。それに自然と共に生きることを最も大切と考える天馬の国では、外者はあまり受け入れられない。
調和。それが最も重んじることであり、乱す者は何人たりとも許さない。
そんな天馬の国の中央には雲を突き抜ける程高く、天へと伸びる精霊樹と呼ばれる樹がある。
精霊樹の山頂には、天馬の神獣フィンニルが住むと言われており、エルフたちはこの樹を神の樹として崇めていた。
そんな精霊樹の中腹でルフが目を覚ました。
「ここは……」
顔を上げて周りを見渡すが目ぼしいものは何もない。
唯一あるのは大地を貫く大樹のみ。
そして立ち上げって、足場の端っこに移動し下を見ると、眼下に広がるのは一面の森。顔を上へと向ける。
大樹が空へと伸びており、その先は雲に隠れて見えなかった。
「天馬の国が誇る精霊樹はどうだい?」
男の声。振り返ると金色の髪を風に揺らす、天馬の神獣の子の姿があった。
「あんた!」
「おっと。やめておいた方がいい。丸腰なんだから自殺行為だよ? それに、竜の神獣の子は生きているから安心しなよ」
ラウニッハの言葉で、自分の武装が全て外されていることに気がつく。
破弓も腰に差していた短剣も無い。
ただし、ユーゴの外套だけはそのままだった。
それに彼は生きているらしい。
ホッとして小さく息を吐いた。
「どうゆうつもり?」
「本当は君は用済みなんだけど、ささやかな余興だよ」
「あたしになんの用があったの?」
「古代兵器の復活さ。その為には古代人の血を色濃く継ぐ君の血液が必要だった」
彼がそう言って小瓶を取り出す。
その中には血が入っていた。
どうやら寝ている間に少量だが血を抜かれたらしい。
首元がチクチクするのはそのせいか。
「あなた……本当に人間の敵なの?」
「そうだよ。竜の神獣の子とは違う。調和を忘れてしまった人間を粛清する……それが僕の目的だ」
「同じ神獣の子なのにそこまで違うのね」
その言葉にラウニッハが笑みを浮かべた。
嘲笑。そう呼べるような笑みにルフの眉間にシワが寄る。
「竜の神獣の子が変わっているんだよ。僕たちは人間を懲らしめる為に、育てられたのだから」
人間を懲らしめる為?
その言葉は到底信じられるものではない。
ルフは見て来た。
ユーゴが人々を救う姿を。
傷つきながら前に進む背中を。
「あいつは人間の味方よ」
「だから愚かなのさ。世界を壊せる程の力を持ちながら、人の枠に収まろうとしている。まぁ……彼はどのみち殺す予定なんだけどね」
「あいつは負けない」
真っ直ぐにラウニッハを睨みつける。
その視線を彼は鼻で笑う。
「だから、君の目の前で竜の神獣の子を殺す。人間と神獣の子は、交わることが無いと言うことを教えてあげるよ」
そうか。この男はユーゴをおびき寄せる為に自分を生かしたのだ。
ようは目的を釣る為の餌らしい。
ユーゴは来てくれるだろうか。
いつも自分に冷たい彼は、危険を冒してまで来てくれるだろうか。
助けに来てほしいという気持ちと、殺されるかもしれないから来て欲しくないと言う気持ち。
二つの気持ちの間で心が揺れる。
(あんたは……どうするの?)
天馬の国に広がる森を見て、今は何処にいるかも分からない彼に問う。ラウニッハの話が本当なら、どうして彼は人間の味方になったのだ。
出会った時からずっと一緒に居るが、知らないことばかりだ。
小さく吐いたため息は、風の音共に空に消えた。
囚われの身となったルフだったが、待遇は意外と自由だった。
武器を盗られているので抵抗は難しいが、精霊樹の中腹にあるこの大地の中は自由だ。
食べ物も精霊樹になっている赤い実を食べれば問題ない。
精霊樹を降りれば逃げられるだろうが、周りに結界を張られているためそれも不可能だ。
「意外と暇ね……」
水平線の向こう側に沈む太陽を眺め、赤い実を食べながら呟く。
お腹が空き過ぎて思わず手に取った謎の実だが、ほのかな甘みと潤いのある果汁。やっぱり取り立ては美味しい。
「話し相手になりましょうか?」
「あなたっ」
ルフは素早く立ち上がり横に降りた女から距離をとる。
「そんなに警戒しないで♪」
ニッコリと笑うのは淫魔の神獣の子。
武器は無い。一応人質だが相手が手を出してこない保証はなかった。
警戒心を持って向き合うのは当然だった。
「あなたも人間の敵なんでしょ。あたしを殺す気?」
「ラウニッハの許可もなくアナタを殺さないわ♪ 人間の敵って言うのは、立場的には合っているけど」
「どうして? あなたたちも人間なのに……」
「あたしは刺激が欲しいのよ。楽しめさえすればそれでいい……最初に誘われたのがラウニッハ……それだけよ」
ルフは肩を落として深くため息。
ユーゴと言い、どいつもこいつも自由すぎる。
その様子を見て、テミガーが悪戯っぽく笑みを浮かべ、人差し指を向けた。
「今あたしが一番興味あるのはアナタよ」
「あたし?」
「そうよ。神獣の子と一緒に居る人間なんて面白そうじゃない♪」
何が面白いのか。
ルフには分からない感覚だが、ラウニッハも言っていたように神獣の子は、自分たちが異端だと自覚している。
人と交わることは難しいと。
それなのにユーゴと一緒に居た自分に興味がある。
そんなところだろう。
「彼とはもうチューとかしたのか?」
「ブッ!」
食べかけていた赤い実を吹き出した。
口元を拭い、テミガーを見る。
ワクワクとでも言えばいいのか、緑色の瞳が輝いていた。
「な、なんであたしがあのバカとキ、キスとかするのよっ」
「だって、あなたは竜の神獣の子が好きなんでしょう? だったら、手を繋いだり、イチャイチャしたり。その後も色々としたいと思わないの?」
「し、したくないってわけじゃないけど……そもそもあたしは、あんな奴のこと好きじゃないっ」
「ヒドイ言われようね~」
テミガーが肩を竦めた。
「毎日お酒を飲んで、朝はダラダラ起きて来る。他の女の子に言い寄られて嬉しそうにするし、あたしの胸が小さいっていつもバカにしてくる……そんなダラシない奴のこと誰がっ」
「なに? 惚気話?」
「ち、違う!」
顔がアツい。
火が吹きそうだ。
そもそもこの神獣の子は何しに来た?
自分とユーゴの関係を聞いてどうする気だ。
何故か相手はニコニコ満面の笑みを浮かべ、満足そうである。
「人の彼氏を殺すのは気が引けるわぁ」
「……やっぱり、あいつを殺す気なの?」
「ラウニッハがそう望んでいるから仕方ないわ」
「仕方ないって……」
仕方ないとは何故だろう。
異端な神獣の子の中でも、ユーゴはまた異端だからか。
それとも人間の味方をすると言うのは、それほど罪が重いのか。
「ラウニッハは調和を乱す者を許さない。竜の神獣の子の力はあまりに危険すぎるの♪ だから排除される……それだけよ」
「あいつは危険じゃない! 人に危害を加えるわけがない!」
「目を背けるの? あなただって見たでしょう?」
テミガーの放つ雰囲気が変わる。
先ほどまでの親しみやすい雰囲気は何処かへと消えてしまった。
こちらを射抜く緑色の瞳の光は鋭く、不敵に笑う姿に冷たい汗が流れる。
「商業都市の壊滅……あんなの序の口よ? 竜の神獣の子が本気なれば世界だって壊せる。ラウニッハも同じだけどね♪」
「……そのうち世界がユーゴの敵なるって言いたいの?」
「あなたたち人間はそうやってきたでしょう? 自分たちと違うモノを怖れ、その果てに排除する。だからこそエルフや獣人たちは、自分たちの国を創った。歴史は繰り返す……今度は違うけど♪」
確かにそうかもしれない。
かつては共に生きていた種族は今やバラバラだ。
大昔に比べると、共存を理念とした竜の国やギルドのおかげで、種族間の壁は低くはなってきている。
それでも、完全な相互理解には程遠い。
魔物や他国を怖れない力を何処かが手に入れれば、すぐに戦争になるだろう。そんな緊張感で包まれた世界に、変革を促す者たちが現れた。
――それが神獣の子
神と崇められる魔獣の力を継ぐ子供たちは、人外の力を宿し、絶妙に保たれていたバランスを徐々に崩し始めた。
今ならまだ立て直せる。
しかし、もう立て直せない状態になったら?
人間はどんな手を使ってでもバランスを保とうとするだろう。
それが人間にとって、良い世界なのだから。
世界が神獣の子に牙を向く。
それが今の世界にある結末だ。
ユーゴも世界に拒絶される。
(そっか……それを分かっていたから……)
彼は自分に『怖くないのか?』と聞いて来た。
理屈か本能かは分からないが、彼は世界に拒絶されることを理解していた。
だからこそ一緒に居る自分にそう聞いたのだ。
「だから理解できた? 人間であるあなたと、竜の神獣の子が一緒に居るのは無理なの♪ もしも一緒に居たいのであれば、世界中を敵に回す覚悟はある?」
重い。あまり重い覚悟だ。
世界中を敵に回す。
そんなこと考えたことも無い。
もしも世界がユーゴを拒絶した時、自分はどうするだろうか。
考えれば考えるほど、答えなんて出やしない。
だから心の声に素直に従うことにした。




