第74話 蒼の炎
頬に当たる風は今まで感じたこと無いほど冷たい。
雪の上を走ったせいで手足を刺すような痛み。
「大丈夫お母さん?」
「ええ。なんとか」
レアスの問いに母であるイムリが答えた。
地下の避難所から地上に出て、今は商業都市から離れる為に逃げている。だけど何所まで逃げればいい。
見える範囲の森は、全て雪化粧が施されている。
(安全な場所なんて……)
「エルフたちだ!!」
周りからの声。
後ろを振り返ると、木々の上を追いかけて来るエルフたち。
流石は最も自然豊かな国、『天馬の国』出身の種族だ。
森の中の戦闘はお手の物だろう。
「お母さん! 先に行って!」
レアスは振り返り、足を止めた。
指を鳴らし、自分の周りにファイヤーボールを四つ生み出す。
人魚の国の魔術学院で習った魔術。
戦争をする為に習ったわけじゃない。
しかし、それで母を守れるのならば。
「ダメよ、レアス! 今は逃げなさい!」
「今こいつらを足止めしないと、私たちは全滅する! ユーゴさんたちが神獣の子を足止めしている意味もない!」
ファイヤーボールを木々の上に居るエルフたちに放つ。
しかし、その火球は異形の者が立ちはだかり打ち落とされた。
「邪魔ばっかりして!」
再び指を鳴らし、ファイヤーボールを発動させた。
それを異形の者に向かって放つが、強大化した爪で火球を切り裂く。そして一気に距離を詰めて来た。
魔術しか使えない自分は接近されると脆い。
(一度距離をとって……)
地面を蹴る。
しかし、雪に足を取られて上手く動けない。
(このままじゃ!)
「伏せて!」
後ろから声。
身体を伏せると、蒼い半透明の矢が異形の者に突き刺さる。
「怪我はない?」
揺れる桃色のポニーテール。
手には黒い弓と身体には赤い外套を着ていた。
ユーゴと共に神獣の子の足止めに残っていたルフだ。
「大丈夫。どうしてあなただけ?」
「ユーゴは神獣の子を足止め中よ」
「一人にしたの!? なんで!」
「あなたたちを逃がす為。あいつの頭はそれ以外ない」
少しだけ寂しそうな顔。
自分が心配されていないことがショックなのだろうか。
そんなにユーゴのことを想うのなら、向こうに残ればよかったのに。
「ルフさんも損な役回りだね」
「あいつが無茶ばっかりするから」
「違いない」
こんな時でもまだ笑える。
まともに戦えるのはルフと自分だけ。
それでもやるしかない。
ルフは小さく息を吐く。
集中力を高め、どうするか考えていると上から声。
「各員散開! 敵を牽制しつつ、逃げる人々を救出しろ!」
顔を上げると竜の国で見慣れたワイバーン。
ただし白い体躯に、蒼い斑模様は初めて見る。
各気候に適応したワイバーンを少数ながら所有しているとは聞いていたが、それを投入するほど竜聖騎士団は本気らしい。
その中の一体がこちらに降りて来る。
「ルフさん!」
「フォルちゃん!? どうしてここに!?」
ワイバーンの背中に乗っていたのは、竜聖騎士団に所属しているフォル。
今思えば、彼女と一緒に飛竜種に乗るために練習したのが懐かしい。
「ベルトマーさんを案内するのと、囚われた人たちの救出だよ! 騎士団の部隊が先行して来たの! 二人もゴンドラに乗って!」
二体のワイバーンに連結した大きなゴンドラが空から降りて来る。
どうやらこれで人々を運ぶ気のようだ。
「あたしは残る。この人たちをお願い」
「……お兄ちゃんは商業都市の中で、淫魔の神獣の子と交戦中だよ。ここに来る間に見つけたの」
「天馬の神獣の子は?」
「ベルトマーさんが対応中。逃げるなら今が最大のチャンスだよ」
「分かった。ありがとう!」
レアスと母であるイムリをゴンドラに乗せて、ワイバーンが空に飛び立つ。それを見送り、ルフは商業都市へと目を向けた。
街を囲む高く空に伸びた壁。
あの中でユーゴは淫魔の神獣の子であるテミガーと戦っているらしい。
足手まといになるかもしれない。
(だからって、無茶するあいつを放っておけるか)
ルフは走り出した。
ワイバーンに乗った騎士、木々を縦横無尽に飛び回るエルフ、暴れ回る異形の者。様々な者が入り混じった戦場をルフは駆ける。
――その先に悲劇が待つとも知らずに……
さて……どこだ?
周りの気配を探る。
天まで高く突き出た壁に囲まれた商業都市の中。
閉鎖的な都市は、この国の在り方そのものを表しているようだ。
真っ直ぐ整理された街の大通り。
今は人がないが、並んだ露店にはいつもは武器や珍しい品が並んでいるのだろう。それに金持ちが多いせいか、一つ一つの建物が大きい。
最低での二階建てで、大きい物はそれ以上だ。
建物の陰に姿を隠されると、邪魔でしかない。
右肩の傷は一応塞いだけど……
ラウニッハの持つ槍に貫かれた右肩の傷は、表面上は傷が塞がっている。フォルに乗せてもらい、テミガーを見つけるまでの間に自身の治癒魔法で塞いだ。
ただし、未熟な治癒魔法では表面の傷を塞ぐだけだ。
肩の中の筋肉はボロボロだし、内出血だってしている。
あまり無理に動かすと、後遺症が残る可能性もあった。
今はそんなこと言っている場合じゃないんだけど。
右の建物が崩れた。
渦を巻くように風がこちらへと迫って来る。
三色目の白い炎を右側に全体に展開し、テミガーの風属性の魔術を防ぐ。右手を払うとズキンと右肩に痛み。
白い炎が消えると同時に、相手の風を振り払った。
「いい感じね!」
消えた白い炎の壁の後から、テミガーが近づいて来る。
両手の爪から出した風属性の剣。
その両方が振り下ろされた。
「ちっ!」
両方の掌に高密度の白い炎の膜を張る。
そのまま相手の魔力剣を受け止めた。
ズキンと痛む右肩。
高密度の魔力同士の衝突でバチバチと耳元で音が響く。
「あのルフとか言う子がいないと、あたしに攻撃を当てられないことを分かっているのに、愚かな男ね!」
テミガーの蹴りが脇腹に突き刺さる。
その瞬間に魔力を脇腹に流し、なんとか耐えた。
そして魔力を掌へと回す。
ゼロ距離なら……どうだ!?
相手の剣を受け止めている掌から白い炎を放出。
テミガーの身体を白い炎が包み込んだ。
「残念でした♪」
横から声。
テミガーは健在で、右腕には緑色の魔力が螺旋状に放出されている。
彼女の緑色の髪と瞳によく似合う綺麗な色だ。
戦闘中じゃなければ、見惚れて動けなくなるほどに。
「終わりよ!」
テミガーが右腕を伸ばしてくる。
雷属性の魔術の影響で、身体も上手く動かず回避も間に合わない。
腹部に突き刺さる風属性の魔術による攻撃。
「ぐ!!」
肉が抉られる音と、意識を飛ばす程の激痛。
テミガーが腕を振り切ると身体が吹き飛ばされた。
大通りに降った雪の上を背中から滑る。
「はぁ……はぁ……効いたなぁ……」
分厚い雲が覆う空を眺める。
頬に触れる粉雪は、まるで空が憂いているようだ。
肉が抉られた腹が熱い。それに反比例して指先が冷える。
背中からも雪が溶けてジンワリと水が沁み込んだ。
――冷たい
こんなに身体が冷えるのは初めてだ。
だけどまだ死ねない。
身体を起こし、立ち上がる。
腹に開いた傷から大量の血が流れ、雪の上に赤い絨毯を敷く。
顔を上げると、テミガーがゆっくりと近づいて来る。
「しぶといわねぇ。闘術と火の魔術の組み合わせ戦うあなたと、あたしの相性は最悪のようね。あなたに広範囲を殲滅するだけの攻撃が使えればなんとかなったかもね♪」
テミガーが再び両手の爪から緑色の剣を出す。
トドメを刺す気か。
このままじゃやられる。
そう思い、ジッとテミガーを見つめていると、空に昇る光が目に入った。
商業都市の高い壁よりも高く打ち上げられた黄色い信号弾。
それは竜聖騎士団騎士団からの合図。
――避難を完了した合図だ
そうか。もうこの辺りに人は居ないのか。
加減する必要はもうない。
思いっ切りやらせてもらう。
全身に魔力を滾らせ、白い炎を次の段階へと押し上げる。
神獣化の一歩手前。父から受け継いだ四色の炎の最後の色。
「何をする気なのか知らないけど、もう遅いわよ!!」
テミガーが素早い踏み込みで近づいて来る。
今までは早く感じた彼女の動きも、すでにスローモーションに感じた。白い炎は収まり、身体の中から湧き上がる『ソレ』が胎動する。
テミガーが両手で振り下ろした魔力剣を受け止めるのではなく、しっかりと掴んだ。グッと手に力を込めて今度こそ逃がさない。
「掴んだ!? なんで……!!」
テミガーが驚いている。
当然だ。魔力で生成された剣を掴むなんて、相当な魔力差がないとできない芸当なのだから。
隙を見せたテミガーに蹴りを繰り出すが、バク宙で躱された。
「意外と冷静だな……」
「あなた……一体何者なの……?」
口端を吊り上げ、同じ神獣の子である相手を睨む。
「俺はユーゴ。それ以上でも以下でもないよ」
身体の中に溜まった魔力を全面開放する。
蒼い炎が全身を包み込むように吹き出し、まるで鎧のように纏わりつく。
「凄い炎ね……闘術で強化していないと溶けそうだわ♪」
「だろうな」
一歩踏み出すと、石造りの足場が熱でグニャと歪んだ。
さらに一歩。テミガーへと近づく。
「これが噂の四色目ね」
「目に焼き付けたか? もう終わりだ……何もかも……」
込められる最大の魔力で蒼い炎を展開する。
あっという間に街に広がった蒼炎が全てを燃やし、巨大な蒼い火柱が天へと伸びた。きっと……もう後には何も残らない。




