第72話 力の象徴再び
「困るな。僕の仲間を消されては」
静かな声。
冷静さと知性を感じさせるその声の主は、圧倒的な存在感を持っていた。
顔を上げると、地下の大空洞の破壊された天井部分に男が一人立っている。
風に流れる金髪は後ろで一つに纏められており、心の中まで見透かすような金色の瞳。中性的な顔立ちは、女装でもすれば似合いそうだ。
「テミガー。ここは僕に任せて、逃げた人間たちを追ってくれ」
「分かったわ。でも、本気を出すのは少し待ってちょうだい。商業都市が滅んだら元も子もないから」
「分かっているよ」
「幸運を。ラウニッハ」
淫魔の神獣の子テミガーが、男と入れ替わるようにして瓦ふ礫の上を器用に登り、破壊された天井部分に登る。
「逃がすかっ」
ルフが逃げようとするテミガーに向かって矢を放つ。
素早く放たれた矢は、あっという間にテミガーの背中へと近づいた。
「勝手は許さないよ」
いつの間にか、テミガーと矢の間に割って入ったラウニッハと呼ばれる男が、手に持った金色の槍で矢を消した。
こいつ……いつの間に移動したんだ?
正直、ラウニッハが動いた瞬間が見えなかった。
本当に気がつくとそこに居たと言う感じだ。
流石『最速の神獣』と言われる天馬の神獣『フィンニル』の子だけはある。
机上の空論と言われる、雷属性の魔術による神経伝達速度の向上。身体に雷を流す為、本人の身体にかかる負担は尋常ではない。
ただし闘術による身体能力強化があれば可能だと言われている。
それを実現するのは常時、魔術と闘術を発動し続けなければならない。
当然消耗する魔力量は桁違いだ。
しかし神獣の子なら、それも可能に出来る。
「僕の力の考察かい?」
射抜くようなラウニッハの視線。
どうやら、俺の考えはお見通しらしい。
狼の神獣の子のような勢いだけではなく、人魚の神獣の子のような一時の気の迷いでもない。おそらく奴と俺の間には、淫魔の神獣の子の時のような力の差はほとんどない。
「ユーゴ! あたしは皆を追いかける!」
「ダメだ!」
ルフを一人で行かせることは出来ない。
もちろん、テミガーを一人で相手にさせるわけにはいかないと言うこと、そして予想だけど、ラウニッハはもう手を打っている。
その二つが理由でルフにはここに居て欲しい。
「なんでよ! 今いかないと手遅れになる!」
分かっている。そんなことは百も承知だ。
今いかないと逃げているレアスを含めた人々は、テミガーに追いつかれる。
その後は殺されるか、捕獲されるかの二択だ。
「そんなに彼女のことは心配かい?」
「……なんの話だ?」
「フッ。君の懸念を答えてあげよう。すでに元人間の怪物とエルフたちに追撃させている。逃げ出した人たちは、確実に追い詰めて終わりさ」
やはりこいつは既に手を打っていたか。
今ルフに行かせればテミガーだけではなく、エルフたちや異形の者たちを同時に相手することになる。
流石のルフも人々を守りながらそれは不可能だ。
「テミガーの言っていた通り……君は心底人間が大切らしい……」
ラウニッハが殺気を振りまく。
ギラついた金色の瞳には、確かな殺意が込められていた。
「だからこそ、僕は認めない……君と言う存在を……!!」
ラウニッハが手に持つ金色の槍を向けた。
雷属性の魔術が付属されているのか、槍全体が静電気を纏っている。一般的に、武器の切れ味を上昇させる雷属性の特性。
なんとも相性のいい武器と属性だな。
どうする?
選択が迫っている。
時間はない。
それに避難所から逃げた人たちを救えなければ意味もない。
「ユーゴ」
ルフの力強く静かな声。
「あたしを信じて」
「………気を付けろよ」
「あんたもね!」
ルフの走る音が後ろから聞こえる。
今頃レアスたちを追いかけて、地下道を走っているだろう。
息を大きく吸って、ゆっくりと吐く。
ルフのこともレアスたちのことも心配だ。
だけど今は、目の前の男を倒すことだけを考えろ。
「どうやら。戦う以外道はないらしいな」
「君は殺す予定だしね」
「嫌われたもんだ」
肩を竦める。
初めて会った奴に本気で『殺す』と言われるのはなかなか悲しい。
理由は分からないけど、天馬の神獣の子はどうあっても俺を殺したいらしい。
まぁ、天馬の国の考え方から少し考えれば、分からないこともない。
向こうにも色々と事情があるのだろう。
「大人しく殺される気は無い」
三色目である白い炎を全身に纏わせる。
ルフやレアスを助ける為に、時間はかけられない。
「一気に決めさせてもらうぜ!」
地面を蹴りジャンプ。地上に居る相手との距離詰める。
相手の顔面に向かって拳を振るが、振り切った時にはそこに相手の姿はなかった。テミガーの時のように外したわけではない。
避けられたんだ。それも視認できない速度で。
外に出ると夜になって気温が落ちたせいか、雪が舞っていた。
「遅い」
右から声。
視界を右に移すよりも早く、相手の槍が視界の端で向かってくるのが見えた。
半身に身体を捻り、攻撃を回避。
「っ!」
避けたつもりが、槍が腹を掠める。
「やるね」
「どうも……!」
左拳を振るが、顔を捻って躱される。
ニヤリと笑ったラウニッハが槍を引く。
そして突きを連続で繰り出す。
「ぐっ」
両腕に白い炎を定着させて、突き出される槍を払う。
雷属性が付属されている槍だ。
少しでも炎に込める魔力を緩めたら殺される。
速い突きだが、ついていける速度だ。
隙を見つけて、どこかで反撃の一撃を加える。
ジッと見つめ、突きを払いながら反撃の機会を窺う。
そんな俺をあざ笑うかのように、ラウニッハが口端を吊り上げた。
「この程度はついて来られるみたいだね」
「なに?」
黄色の光。
それが一瞬光ったと思った時には、相手の姿がない。
これが天馬の神獣の子の最速か!
雷属性の魔術と闘術により、実現された速度には舌を巻くばかりだ。素早く周りを見渡すが、相手の姿は見えない。
クソ。急がないといけない時に限って、ややこしい敵だ。
背後から気配。
身体を反転させながら右拳を伸ばす。
相手の槍と俺の右腕が交差した。
槍が肩に突き刺さるが、そのまま拳をさらにねじ込む。
ラウニッハの頬を捉えたと同時に魔力を解放。
拳を振り切った。
ラウニッハが木々を破壊して吹き飛んだ。
破壊された木々が倒れて、森に爆音が響く。
カウンターで狙ったわけだが、その代わりに右肩を負傷した。
命に別状はないが、今の戦闘中には上手く動かないだろうな。
右肩に突き刺さったままの槍を抜こうと左手を伸ばすと、槍が勝手に抜けてラウニッハが吹き飛んだ場所へと飛んでいった。
槍の抜けた右肩から溢れ血が、足元の雪に落ちて赤く染まる。
「生きているようだな……」
まだ『四色目』でも『神獣化』した状態でもないとは言え、三色目の炎が直撃したんだ。倒せなかったのは少しショックだな。
それに……手を抜かれているのも。
「痛み分け。以上かな」
口端から血を流しながら、ラウニッハが立ち上がる。
足元がふらついているから、ダメージはしっかりとあったらしい。これで足が止まると嬉しいけど、『あの能力』を使われるのも困る。
天馬の神獣だけ有する唯一無二の『能力』。
俺が竜の神獣の四色の炎を継いだように、ラウニッハも継いでいると考えるべきだろう。
そろそろ本気で来るか?
「君の懸念のようにはならないよ。君が『蒼炎』を使わないようにね」
こいつ……!
「僕も腸が煮えくり返っている。君が商業都市を気にして本気を出さないことにね」
手を抜いたわけじゃ無い。
それでも、四色目である『蒼色の炎』を使う気にはなれない。
制御しきれる自信も無ければ、全力で解放すれば商業都市が滅ぶかもしれなかった。そんな可能性があるのに、目の前の一人を倒す為だけには使えない。
「結構本気で殴ったんだけどな……」
再び攻撃を仕掛ける為に、魔力を全身に回そうとした時だった。
「っ!?」
魔力が上手く身体を巡らない。
それどころか身体自体が痺れて、何時ものように動かなかった。
「雷属性で貫いたからね」
クソ。雷属性ってのは身体の神経にいい影響も悪い影響も与えるのかっ。
ちゃんとレアスにでも聞いて、勉強しておくんだった。
「意外と呆気なかったね。最強の神獣に育てられた子供も……」
「舐めんなっ」
身体が動かないが、込められる魔力を全て込めて白い火柱をラウニッハに向けた。相手も足に来ているのか、今までとは違い回避行動はとらなかった。
白い火柱に飲み込まれたラウニッハ。
「いい攻撃だ」
白い炎の中から、ラウニッハの金色の瞳が覗く。
相手は身体全体を半透明の球体で覆っていた。
結界まで使えるのか。
闘術・魔術・法術。
その全てにラウニッハは精通しているらしい。
一筋縄ではいかない相手に舌打ち。
身体は上手く動かないし、相手は三色目を防ぐほどの結界を張れる。
突破するには四色目を使うしかない。
しかし、制御できるのか?
上手く魔力が流せない状態で、右肩に空いた穴からの出血も酷い。
頭が重く、意識も遠くなってきた。
ルフの心配をしときながらなんてザマだ。
ラウニッハの持つ槍が雷属性特有の黄色い魔力放射を見せる。
どうやら、あの槍で俺を貫く気らしい。
上手く動けない相手には持ってこいの攻撃だな。
「いいザマだなぁ。ユーゴ」
「全くだ」
え?
思わず普通に答えしまったが、『奴』の声だ。
あいつの声を聞き間違えるはずがない。
なんせ奴は……
――俺が始めて出会った神獣の子なのだから
「君は……」
空から落ちて来て着地。俺とラウニッハの間に割って入った一人の男。
こんなに寒いのにノースリーブから伸びた褐色の腕は今日も筋肉質で力強さを感じさせる。
手には相手を潰す為に造られた大剣と、その背中から発せられる獣のような威圧感。なんでこんな所にいるんだか。
「久しぶりだな狼の神獣の子」
振り返った奴の顔は、出会った時と同じ自信に満ちた表情だった。




