第71話 追い詰められて
自分が神獣の子だと気がついたのがつい最近のことだ。
淫魔の神獣の子、テミガーはずっと自分は人間だと思い込んでいた。
父はおらず、母と二人暮らしであることにさして疑問を持っていたわけはない。父親が分からない子供など、淫魔の国にはたくさんいる。
それに母は驚くほどモテた。
連日違う男と寝ては、金を貰い生活の足しにしていた。
自分もいつかそうなるのかなとよく想像したものだ。
しかし、母は自分に魔術の使い方や『幻術』と呼ばれる、戦い方を教えくれた。男を惑わすことが重要なこの国で、戦闘技術が必要なのかどうかは疑問に思いながらも、母の言うことは素直に聞くことにしていた。
そして、二十年経ったある日。
世間では『神獣の子』と呼ばれる存在で話題が持ち切りとなる。
狼の国で現れた神獣の子が王位に就いたことが理由だ。
その後も人魚の国で起こった神獣の子による海都襲撃。
世界は神獣の子を中心に動こうとしていた。
世界を変えるほどの力を持った神獣の子に興味がないと言えば嘘になる。
淫魔の国に漂う閉塞感。
生まれでその後の人生が決まってしまうこの国の天井は、驚くほど低い。
地道な努力や正義なんて、淫魔の国では紙クズ同然だ。
だからこそ、世界をこれだけ動かしている神獣の子には魅力的に見えた。
そんな満たされない日々を送っていた自分の元に一人の青年が現れた。
流れるような金髪と同色の瞳。
中世的な顔立ちは品があって、淫魔の国では見かけることが困難だと思った。
そんな彼は母に会いに来たらしい。
また夜の約束かと、最初は思ったがそれは違った。
「淫魔の神獣。アルンダルに会いに来た」
最初は驚いた。
人間だと思っていた母は実は淫魔の国で神と言われる、魔獣だった。
そして、自分は世間を賑わせる神獣の子らしい。
青年の前で母は全てを教えてくれた。
表向きは人間を懲らしめる為に育てたことも。
「刺激ある人生を送りなさい」
それが母の言葉だった。
強制はしない。別に人間なんて懲らしめなくてもいい。
そう言われた。
確かに人間に紛れてきた自分は、人を滅ぼしたいかと言われればそうではない。好きかと聞かれれば違うけど、嫌っているわけでもない。
そんな自分に青年はこう言った。
「僕は天馬の神獣の子だ。力を貸してくれないか?」
彼はどうやら天馬の神獣の子で、人間を懲らしめる気らしい。
それもエルフたちは既に味方につけている。
後は戦力さえ整えば、人間と戦える……と。
人間が死のうが生きようが興味はない。
だけど、世界を変える。
そう言って自分を誘って来た彼の言葉は刺激的だった。
こんな閉塞的な国を壊すのも面白いかもしれない。
そう頭に過ぎった時、自分が神獣の子であることを受け入れた。
天馬の神獣の子は計画の全貌を素直に話してくれた。
基本的に神獣の子は味方につけたい。
ただし、竜の神獣の子だけは殺すと。
その理由はシンプルなものだ。
何故とは思ったが、彼の話を聞いた時、それも仕方がないかなと思った。天馬の神獣の子の考え方は歪んでいる。
そんな彼は、竜の神獣の子の存在自体を受け入れないだろう。
存在自体を否定し、どんな手を使ってでも殺す。
天馬の神獣の子にはその覚悟がある。
――たとえ世界を壊してでも殺す覚悟が
(ねぇ……竜の神獣の子である貴方にはその覚悟ある? 『世界を壊してでも』って覚悟は?)
目の前に居る竜の神獣の子を見て心の中で問いかける。
ユーゴと名乗る竜の神獣の子の横には、人間の女が居た。
竜の神獣の子は人間として生きることを選んだ。
だから人間の女は横に置き、人間ごっこをしている。
神獣の子と人間、本当は交わることはないと言うのに。
横目で辺りを見渡せば、白い炎に焼かれるエルフや元人間の怪物。
用意したこちらの戦力は一瞬で無くなった。
神獣の子と本格的に戦いのは初めてだ。
テミガーは背筋に走る悪寒を感じた。
ゾクゾクとした感覚が体全体へと徐々に広がる。
殺されるかもしれない。
生きるか死ぬか分からないギリギリの戦い。
この緊張感こそ、自分が求め続けた刺激なのだろうか。
生きていると実感するための……
(さぁ……あたしに見せて……貴方の生き様を……)
「ルフ!」
竜の神獣の子が人間の女の名前を叫ぶ。
どうやら、あの桃色の髪を持つ女は『ルフ』と言うらしい。
古代人が使っていた武器を扱う者。
それは先祖の血を色濃く継いだ証であり、天馬の神獣の子が求める力でもあった。殺すには惜しい。
そんな彼女が蒼い半透明の矢を自分に向かって放つ。
その矢は自分の顔の横を通り過ぎた。
それを見たルフが「また外した!?」と驚いている。
外したわけだは無い。自分が『外させた』のだ。
彼女が狙っているのは幻術により生まれた幻だ。
認識を微妙にずらす幻術の前には、あらゆる攻撃は無力である。それこそここら一帯を破壊するような攻撃でもない限り、自分に攻撃は当たらない。
「こらならどうだ?」
ユーゴが白い炎の火柱を放つ。
身体の真横を通過した火柱の熱が、頬を撫でる。
ピリッとした熱さ。
念の為に全身を闘術で強化していなかったら、たちまち焼かれていただろう。
「いい熱ね。身体が暖まるわ♪」
相手に悟られないように余裕の笑みで返す。
表情の演技ならお手の物だ。
それが出来ないと淫魔の国では生きてゆけないのだから。
風属性の魔術を発動させる。
両手の指先から吹き出した緑色の魔力が一つの形となり、風の剣が精製された。その一本をルフに向かって矢を放たれたお返しをと言わんばかりに放つ。
竜の神獣の子はそれを防ぐために動くかと思ったが、彼はルフ向かって伸びる緑色の魔力剣を意に介さない。
このままだと魔力で生成された剣が彼女を貫く。
「このままじゃ、大切な彼女が死ぬわよ?」
その問いに竜の神獣の子は何も答えず、白い炎を左手に定着させた。
どうやらまた近距離戦を挑んで来る気らしい。
「そんなわけないだろ」
ようやく答えた竜の神獣の子。
それと同時に、ルフが自分に向かって来る魔力剣を矢で撃ち落とした。
神獣の子が生成したモノを打ち落とすだけの矢を作り出す魔力量。
それに加えて、正確な射撃。
竜の神獣の子が自信を持って連れて来るだけの理由がよく分かる。
「面白いのね! 貴方たち!」
「そんな余裕もこれで終わりだ」
竜の神獣の子が右拳を自分に向かって伸ばしてくる。
しかし、その拳は何もしなくても顔の横を通り過ぎた。
彼が見ているのは発動している幻術が創りだした幻だ。
その事実は動かない。
「残念でした♪」
「どうかな?」
竜の神獣の子が身体を半身に捻る。
そして、身体の陰から出てきたのは蒼い半透明の矢。
(しまったっ、幻術の特性をもう……)
急いで幻術を発動させるが、蒼い矢が右の肩を掠める。
当たった場所から血が吹き出し、顔の半分を血で染めた。
「ぐっ」
「今度は本体か」
竜の神獣の子が白く輝く腕を、チョップの形で縦に振り降ろす。
地面を蹴り、大きくバックステップ。
再び竜の神獣の子と向かい合った。
「やっぱり。幻術は毎回発動させないとダメらしいな」
「やるじゃない……」
幻術はあくまで相手の認識を本来のものからズラスだけだ。
ようは自分に向けられ攻撃は、別の個所に向けられていると同義である。
ただし、一度相手の認識をズラした幻術は、その直後の一瞬だけ効果が切れる。その間だけは効果が得られないが、本当に一瞬でそもそも使わなくても闘術で強化された身体で戦うテミガーには問題ないはずだった。
(それをいとも簡単に……)
竜の神獣の子が攻撃し、自分が反撃に転ずるまで一瞬の間。
その間を狙って、竜の神獣の子越しに居る自分を射抜く、その腕前。
認めなければならない。
ルフは強い。神獣の子同士の戦いに介入しても遜色がないほどに。
(まぁそれも……相手があたしだからだけど)
天馬の神獣の子の強さは、自分の比ではない。
彼の強さの前には自分などゴミ同然である。
本気を出されれば、幻術も意味はなく、一方的に殺されるだけだ。
「タネは割れたぞ。大人しく投降して、人間たちを解放しろ」
竜の神獣の子の全身から白い炎が吹き出し、まるで彼自身が白い鎧を纏っているようだ。震える大気。周りの瓦礫もその炎の熱に煽られ、熱さを増していく。
ただの人間であるルフが大丈夫なのか気になったが、竜の神獣の子が着せた赤い外套がその熱を防いでいるらしい。
「バカね。『あの男』がそんな要求、認めるわけないでしょ」
「やはり、天馬の神獣の子がメインか」
「天馬の神獣の子と竜の神獣の子……どちらが上なのでしょうね?」
「知るか。投降しないのなら、覚悟はいいか?」
竜の神獣の子を包む白い炎が右腕に集まり、腕が白く輝いた。
ルフも弓を構えており、攻撃の体勢を整えている。
幻術の仕組みはバレた。
本来なら竜の神獣の子の方が力は上だ。
そんな竜の神獣の子に加えて、古代人の使っていた武器を使う人間が相手では流石に分が悪い。
王都の時のように風属性の魔術で逃げるか?
いや、それを許してくれるような相手ではない。
一度見た魔術に対する対策は必ずしているはず。
相手は経験豊富な冒険者なのだから。
(ちょっと甘く見てかなぁ……ごめんなさいね『ラウニッハ』)
最後の手段は『神獣化』しかない。
しかし、実戦で使ったことはなく、どうなるか自分でも分からない。
それでも、生きる可能性があるのなら。
テミガーが神獣化の為に魔力を高めようとした時だった。
「困るな。僕の仲間を消されては」
顔を上げるとそこには天馬の神獣の子、『ラウニッハ』の姿があった。




