第65話 愛すべき日常を
目を開けると木目の天井が目に入る。
背中から伝わる感触から、ベッドで横になっていることを思いだした。
そして、眠気の残る頭が最初に感じたのは喉の渇き。
次に二日酔いによる頭の痛みだった。
忘却の都から出る際、咎人の人たちから色々と感謝され、今度来た時はもてなしてくれるとのこと。
後、猿王ルドラカカは出発の日に姿は見せなかった。
神族種も居ないことだし、森の中でのんびりしているのだろう。
天薬草を無事に手に入れた俺たちは、忘却の都を出て近くの村でワイバーンに乗り、竜の国の王都へと帰還した。
薬を調合してもらう為に、教会の治癒師に天薬草を渡して、後の処理は竜聖騎士団に任せた。
あれから数日が経過しているから、今頃各方面へ薬が届けられていることだろう。無事に依頼を達成できて今は一安心だ。
額に手を添えて、身体を起こす。
ダサリスに紹介してもらった宿屋の寝心地は悪くない。
最近ではすっかり慣れてしまって、まるで自分の家のような感覚だ。女将さんや宿屋の人たちもよくしてくれるし不満はない。
ちなみにルフとユノレルは二人で別の部屋で寝泊まりしている。
最初はユノレルが、俺の部屋で寝ると言って聞かなかったが、ルフは強引に自分の部屋へと連れていった。
そのおかげで、俺はゆっくり一人で過ごす時間が確保できたうえに、一人で街に繰り出すことさえ可能になった。
こればかりはルフに感謝するしかない。
時々ユノレルの探索魔法を使って、俺が何処に居るかを特定するのは勘弁して欲しいが……
ベッドから出て備え付けの洗面所に水瓶から水を移す。
手で掬い顔を洗う。ついでにその水で喉を潤した。
頭が冴えて二日酔いが醒める。
昨日はダサリスと飲み過ぎた。
少しばかりの後悔を胸に部屋を出た。
部屋を出て気がついた。
日が高い。
感覚的にはすでにお昼頃だ。
眠そうに欠伸をして一階の受付へと繋がる階段を降りた。
女将さんが笑顔で「おはよう。寝坊助さん」と声をかけて来た。
もうこの宿屋で俺が朝に弱いのは有名な話である。
だからこうしてお昼頃までダラダラしていても、不思議がる人は居ない。
女将さんにルフとユノレルのことを聞くと、二人はすでに宿屋を出たらしい。
起こさずに置いて行かれたことに少しだけ落ち込む。
しかし、偶には一人もいいかとすぐに切り替えた。
それにあの二人の仲が良いのはいいことだ。
二人とも人魚の国出身だから、気が合うのかもしれない。
今日は何をしようか。
ぼんやりと残り半日の過ごし方を考えていると、後ろから呼ばれた。
「お兄ちゃん!」
俺をそう呼ぶ奴は一人しかいない。
振り返るとピコピコと動く猫耳を持った少女。
獣人のフォルが居た。
竜聖騎士団員の彼女は、普段は軽い鎧のような物を着ているが、今日は道着のような動きやすくラフな格好だった。
もしかしてオフなのだろうか。
「どうした?」
「どうしたじゃないよ! 最近顔を見せてくれないから!」
「悪い悪い。ちと忙しくてな」
「また、王女様の依頼聞いたんだって? 騎士団でも有名だよ。王族の右腕だって」
フォルが悪戯っぽく笑みを浮かべる。
その姿を見て、額を押さえてため息。
ややこしい方向に噂が広まっている。
「面倒なことに巻き込まれないようにするよ」
「色々噂する人も居るもんね」
竜聖騎士団に種族や性別は関係ない。
しかし、外の人間にとっては違う。
フォルも獣人と言うことで、アホな貴族たちに何か噂をされていたのかもしれない。それに、竜聖騎士団は時に政治的な関係にも関与することもある。
竜の国が所有する戦力として、それは仕方のないかもしれないが、その分彼女は大人の汚い部分を知っているのだろう。
「今日はどうするの?」
「それを考えてた」
「ギルド行こうよ!」
「別にいいけど、基本的に騎士団員は依頼を受けられないだろ?」
緊急を要する依頼以外、騎士団員はギルドの依頼を受けないのが普通らしい。以前、俺とフォルが防衛線に参加した後、ルフにそう教えてもらった。
ちゃんとした決まりがあるわけではないが、それが風習である。
「ダサリスのおじさんに誤魔化してもらうから大丈夫」
だんだんダサリスが便利キャラみたいになっている。
ただ、意外と規則に従順な彼が手伝ってくれるかは微妙だ。
「全然大丈夫な気がしないけど、とりあえずギルドに行くか」
「やったぁ!」
無邪気に喜ぶフォルを連れて、宿屋を出た。
人混みを抜けてギルドに入ると、周りの視線が向けられる。
その視線が俺ではなく、フォルに向けられているモノだとすぐに気がついた。
理由は目の前の状況を見ればなんとなく分かる。
目の前の受付カウンター、中央の列は今日も長蛇の列だ。
もちろんそれを捌いているのは、フォルの姉であり人気受付嬢のネイーマさん。周りの視線は、妹のフォルに近づけばネイーマさんとも仲良く出来ると言う期待を含んだものだ。
「今日も忙しそうだな」
「偶にはお兄ちゃんも並びなよ」
「俺の受付はあのオッサンしか居ないよ」
ネイーマさんを目当てで出来た長蛇の列の横は、今日も人が並んでいない。暇そうなダサリスが手元の紙を見ていた。
「よう。ダサリス」
「お前か。丁度よかった」
そう言ってダサリスは手元の紙を渡して来た。
「何これ?」
「姫様からだ。何かしたのか?」
「ラブレター!?」
フォルが一人ではしゃいでいる。
どうやらソプテスカが俺充ての手紙をダサリスに預けていたらしい。
半分に折られた紙を開く。
内容は天薬草を手に入れ、伝染病の騒ぎを鎮静化したことに対する報酬の件だ。どうやら、国王様が呼びつけるようにソプテスカに言ったらしい。
国のトップにお呼ばれされたとなれば、断るわけにもいかない。
因みに後半は、いつ自分を貰ってくれるのかなど、プレッシャーをかけてくる内容だった。
「ちょっと城に行ってくる。王様に呼ばれた」
「お前は本当に厄介事にしか巻き込まれないな」
「さすがお兄ちゃん!」
何故か俺の左腕を掴んで飛び跳ねるフォル。
後で離してもらうとして、ダサリスには聞きたいことがある。
「ダサリス。ルフたち知らない?」
「さっき依頼から帰って来て、城に行ったぞ。偶然だな」
ルフたちも城に居るのか。
合流するなら丁度いいかな。
呑気にそんなことを思っていたが、ダサリスが言った言葉の中に引っかかるモノがあった。
「依頼から帰って来た……? あいつら運搬の依頼を受けたのか?」
「おう。俺も何度も確認したけど、ワイバーンに乗れるから大丈夫って、ルフの嬢ちゃんが言ってたぞ」
あいついつの間に……
なんだが娘の成長を見た父のような気分だ。
今度お祝いしてやろう。
「じゃあ、ダサリス。また後で」
「あいよ」
今日の飲みに行く約束を取り付け、俺とフォルはギルドを出た。
「フォル。今日は休みなのに、城に行ってもいいのか?」
「大丈夫だよー。あれだったら、お兄ちゃんも訓練に参加する?」
「しんどいからやだ」
隣のフォルにそう返し、城まで繋がる長い階段を上る。
額に少しの汗を滲ませて、階段を上りきると見慣れた城と離れた場所に建てられた竜聖騎士団の訓練場。
訓練場では数人の兵士が模擬戦をしたりして身体を動かしていた。
魔物の討伐に不慣れな冒険者の多い竜の国では、騎士団は貴重な戦力だ。そのことを本人たちも自覚している。
自分たちが崩れれば、竜の国は総崩れになるかもしれない。
その想いからか、訓練も熱が入っているように見えた。
そんな訓練場を横目で見ながら、城の門兵に事情を話すと、既に話がいっていたらしく中へとあっさり入れてくれた。
ついでにフォルも入って来たけど、よかったのかな。
そんなことを思いながら、すれ違うメイドさんたちに一応頭を下げる。
なんとなく居心地の悪さを感じながら、大理石の廊下を歩いていると、目の前から見慣れた顔ぶれが近づいて来た。
「ユー君!」
「あんたも城に来たの?」
居たのはルフとユノレル。
そして、ユノレルは駆け寄って来て俺に抱き着いて来た。
「ルフちゃんがね! 私がユー君のことを目覚めのキスで起こすって言ったのに、許してくれなかったの!」
「男の部屋に入るなんてダメよ!」
「一緒に寝たら問題ない!」
「大ありよ!」
元気な二人が言い合いを始めている。
俺としてはなんでもいいが、ユノレルと同じ部屋で寝ると結界か何かに閉じ込められそうで怖い。
この前も居酒屋で知り合った女の子と飲んでいたら、店に入って来たユノレルが結界で俺を閉じ込めた。
行きつけの店じゃなくてよかったが、もう同じ店には行けない。
「それよりもユー君。この子誰? もしかして、私の知らない所でデートしてたの……?」
フォルを見たユノレルの目から光が消える。
やばい。いつの間にかスイッチが入ってやがる。
「た、偶々会ったんだよ? ね、ねぇお兄ちゃん?」
ユノレルから放たれる殺気に感づいたフォルが、汗を流しながら聞いて来た。ここは話を合わせておくことがベストだろう。
「そうそう。偶然会ってな。俺は国王様に呼ばれたんだ」
「なんだぁ。浮気かと思ってビックリしちゃった。もしデートだったら、城が無くなってたよ~」
怖い。怖すぎる。
そもそも彼氏彼女の関係じゃないのに、浮気どうとかの概念自体がよく分からないが、最悪の事態を避けることには成功したらしい。
いつになったら、俺の元を離れて独り立ちしてくれるんだが。
今度、人魚の神獣の所に行って、相談してみようかな。
「ユーゴ。国王様を待たせてもいいの?」
「そりゃまずい。じゃあ三人とも、また後でな」
ルフの言葉に便乗し、ユノレルのプレッシャーから逃げるようにその場を去った。どうも、俺絡みだとユノレルの精神が安定しない。
根はいい子だから、なんとかなると思うんだが……
はぁ、と小さくため息。
そして国王の待つ執務室へ。
何度か話したことのある間柄とは言え、相手は国王だ。
当然ながら緊張はする。
コンコンコンと三回ノック。
中から「入れ」と聞き慣れた声。
緊張で声が裏返らないように、「失礼します」と言って、扉を開けた。




