第59話 猿王ルドラカカ
黒いインクをぶちまけたような空を見上げて「はぁ」と息を吐いた。
俺とソプテスカを見下ろす蒼い月は、その姿を雲に隠されしまった。
「すいません……」
焚火を挟んで向こうに座るソプテスカの声。
視線を彼女に移すと、小さく頭を下げていた。
理由は日中に襲われ続けた、全身に甲冑をつけた魔物の集団に関することだろう。身体の特徴からおそらく『神族種』に分類される魔物のはず。
ルフたちと逸れた後も、俺たちは日が暮れるまで攻撃を受け続けた。
最初の方はソプテスカにも援護してもらいながら、魔物たちを撃退し続けていた。しかし、時間が経つにつれて俺はともかく、ソプテスカの魔力と体力が底を尽きる。
動けなくなった彼女に赤い外套を被せ、自分の周りを最小限の魔力を使い、結界を展開させた。
悪い言い方をすれば、終盤彼女は完全にお荷物状態だった。
別にそのことに関して、彼女の責める気は無い。
一日中魔物に囲まれて波状攻撃を受ければ、普通の人はそうなる。
しかも相手は、普通の魔物よりも数段強い神族種なのだから。
「気にしなくていいよ。ほい、魚」
焚火で焼いていた魚の一本を彼女に差し出す。
ソプテスカは受け取ることに難色を示した。
自分が迷惑をかけてしまったと思っているから、気が引けているらしい。
「迷惑をかけたのに貰う訳には……」
そこまで言ったソプテスカのお腹が、音を鳴らした。
「あぅ……」
恥ずかしそうに顔を伏せてしまった。
耳まで赤い。王女として育った彼女のことだ。
腹の音を人に聞かれることなど、滅多にないだろう。
彼女の女の子らしい仕草に思わず笑いが出る。
「わ、笑わないで下さいっ」
「しっかり食えよ。明日も襲って来るかもしれないからな」
ソプテスカが焼けた魚を受け取り、小さな口で噛り付く。
俺も焚火で焼けた一匹を手に取った。
近くに川が流れていてよかった。
霧の中じゃ、食料を探すだけでも大変だ。神族種の魔物は倒すと光の粒子になって消えるし、食べる気も起らない。
「ユーゴさんたちは、いつもこんな危険な目にあっているのですか?」
「いつもこんなもんだ。流石に一日中魔物と戦うのは初めてだけど」
狼の国で内戦に巻き込まれたり、人魚の国で海都襲撃に遭遇したり、本当に運がない。行く先々でいつも厄介事が起こる。
そろそろお祓い的な何かを、真剣に考えないといけないような気がする。
「ユーゴさんが人魚の国へ行くとき、一人で旅立った理由がよく分かりました……ルフもいつもこんな目に?」
「そうだな。首を突っ込んで来るから、いつも心配だよ」
今頃ルフとユノレルはどうしているだろうか。
彼女たちも神族種による波状攻撃を受けているとしたら。
「ルフが必死に訓練している理由が少しだけ分かりました」
ソプテスカがニッコリと微笑む。
焚火の火で照らされた彼女の顔の半分に黒い影が映る。
結局、ルフは新しく剣技を覚える理由を最後まで教えてくれなかった。
魔物討伐の依頼で疲れた身体に鞭を打ち、目をギラつかせて訓練していたルフの姿。どうして、そこまで必死なのか。
横で見ていてずっとそう思っていた。
「俺には分からん」
「あの子はユーゴさんには言わないでしょうね」
「嫌われてるのかなぁ……」
「その発想はどこから出てくるのですか……」
ソプテスカが呆れ気味で呟いた。
だけど実際、これだけ一緒に居て訓練撃ち込む理由を教えてくれないなんて、それくらいしか思いつかない。
母親であるミエリさんに頼まれて連れてきたけど、嫌がっていたらどうしよう。
この依頼が終わったら、ご飯でも二人で行くか。
いつも隣に居てくれる彼女への感謝も込めて。
「まぁ、今はゆっくり休もうぜ。慌てたって仕方ない」
「はい。明日は頑張りますね!」
「はいはい。期待してるけど、無茶はするなよ。居なくなると困るから」
「も、もうっ、そう言う口説き文句はもっと雰囲気が良い時に……」
どこか口説き文句だったのか俺には理解不能だが、頬を押さえて悶えるソプテスカを見て一安心。
やっといつもの調子に戻った。やっぱり元気な方が彼女らしい。
ちなみに、古き血脈の神獣の子を感じ取る能力だが、今回の一件で分かったことがある。この感知能力は自国の神獣の子にしか適応されない。
つまり、俺を感知できるのはソプテスカだけであり、ユノレルを感知できるのはルフだけだ。
もしも、ソプテスカとルフが逆の状態なら、霧の中でも合流は容易だったかもしれない。あくまで仮定の話だ。結果を見てからではどうしようもない。
「先に寝ますね」
「おー。お休み」
ソプテスカが外套に身を包み横になる。
やっぱり日中の疲れがかなり溜まっていたのか、彼女はあっという間に眠ってしまった。焚火に照らされる彼女の肩が小さく上下している。
無防備な王女様だ。
ふとそんなことを思った。
そして、俺も目を閉じた。
一応、周りに警戒心を抱きながら。
次の日。湿った朝の空気を感じて目を開ける。
周りを囲む霧が僅かにだが晴れており、昨日よりも見通しが良い。
回復したソプテスカを起こし、俺たちは出発した。
周りの警戒を怠らずに二人で歩く。
馬は昨日の襲撃で失ってしまった。
帰りが少しだけ心配だが、今はこうして歩く森の中で方角が曖昧な方が心配だった。
「今日は襲ってこないですね」
「昨日の段階で、無理だと思ったんだろう」
できればそうあって欲しい。
実はあの神族種たちは諦めの良い集団であると。
そんな願いとは裏腹に『何か』が近づいて来る。
「ソプテスカ」
「はい」
二人で魔力を高め、戦闘態勢を整える。
俺たちの真上から近づいて来るプレッシャーの塊。
その正体が砂塵をまき散らし、目の前に着地した。
それは猿。見上げる程の強大な体躯をした、茶色の毛並を持つ猿だった。
昨日まで襲撃して来た神族種とは違う。
こいつは完全に別物の魔物だ。
俺たちを見下ろす茶色い瞳がこちらに向けられる。
「貴様らか……ワシの結界に手を加えたのは」
「な!? しゃべった!?」
横でソプテスカが驚いている。
俺も言葉を話す人間以外の生命体は、神獣しか会ったことがない。
知能が高い魔物の中には話すモノもいると聞く。
それにこの姿。間違いない。こいつが……
「あんたが『猿王』か?」
「いかにも、ワシが猿王ルドラカカ。この土地の王だ」
最も神獣に近い魔物。また名を猿王。
それがこの忘却の都に住む最強の魔物の呼び名だった。
情報が足りない。結界ってなんだ。
「俺たちは結界に手なんて加えていない。この霧の中で神族種に襲われて困っていたんだ」
「やはり、昨日森の中で暴れていたのは貴様らか。しかし……」
そこまで言って、猿王ルドラカカは大きな目を細めた。
まるで俺たちを観察するような視線。
「神獣どもと同等の力を感じたと思えば……人間とはな」
理屈や理由は分からないが、こいつは神獣の力が感知できるらしい。
だとしたら、こいつが感知したのは俺の魔力かもしれない。
昨日は結構暴れたからなぁ。
「猿王ルドラカカ! 私たちに戦う意思はありません! 天薬草が欲しいだけです! 伝染病で苦しむ人たちの為にもお願いします!」
ソプテスカが前に出て頭を下げる。
一応、警戒はそのままで彼女と猿王のやり取りを見守った。
「……貴様ら外界の者に渡すモノなど何もない。ワシの気分が変わらんうちに去れ。死にたくなければな……」
「なるほどね。あんたは拳で語り合うタイプか?」
俺の言葉に猿王の雰囲気が僅か締まる。
ここまで来て帰ることなど出来ない。
それにルフたちを探す必要だってある。
帰るなど始めから選択肢に無かった。
「死にたいのか小僧?」
「まさか」
猿王の言葉に肩を竦める。
「仲間を見つけないといけないし、多分結界に手を加えたのもそいつらだ。俺たちじゃない」
どこに結界があるのか知らないけど、多分結界をいじったのはユノレルだろう。向こうがどうゆう状況なのかは分からないが、きっとルフも一緒に居る。
とりあえず、生きている確信が得られてよかった。
「だからと言って、このワシに喧嘩を売って生き残れると思うな」
「試してみろよ。天薬草を大人しく渡さないのなら、力づくでも渡してもらう」
「面白い。ワシに喧嘩を売る人間など初めてだ」
猿王の放つプレッシャーが急激に増していく。
どうやらやる気になったらしい。
知りたいことは色々あるが、こいつは無償で他人に教えるようなタイプではなないだろう。ならば、力で黙らせてそこから交渉だ。
「我が名は猿王ルドラカカ! 『この地』で生まれた者の中で最強の生物! 来い! 小僧!」
猿王が空に向かって高く吼える。
ベルトマーの時といい、脳筋タイプは暑苦しいから苦手だ。
それに自分を奮い立たせるための言葉の中にも、気になる単語がいくつかある。こいつは多分知っている。
俺たちの親である神獣の謎とこの世界の核心を。
高まる集中力。
そして、魔力を足に乗せて、俺は地面を蹴った。




