第53話 心の声で故郷にサヨナラを
「ん……」
ルフは薄く目を開けた。
身体を起こし、ズキズキと痛みを発する頭に手を添える。
「ここは……」
周りを見るとここは自分の部屋だ。
いつの間にか部屋で眠っていたらしい。
しかし、帰って来た記憶が無い。
(昨夜は屋敷を出て……ユーゴと偶然会って……)
自分の記憶の断片を辿っている途中で、ルフはあることに気がつき、窓を見た。日は既に昇っており、カーテンの隙間から日差しが入って来ている。
(嘘! ホントに寝過ごした!?)
ユーゴは朝一の船で竜の国に帰ると言っていた。
早朝の船は日が昇る前に出る。
時間で言えばとっくに過ぎていた。
ベッドから飛び降り、そのままの勢いで部屋を出る。
自分を運んだのがユーゴならば、彼も寝る時間が遅かったはずだ。
寝坊をしている可能性だってある。
僅かな希望を胸に、廊下を走り、ユーゴは使っていた部屋の扉を開けた。
「ユーゴ!!」
乱れた息を整える自分の息遣いだけが聞こえる。
誰も居ない部屋。ベッドのシーツも綺麗に整えなれており、新しい客人をもてなす準備が完了していた。
(まだよ! 諦めてたまるか!)
港に行けば、何かしらの船のトラブルで出港が遅れているかもしれない。
それに、船に乗って竜の国へ行ってしまえば、なんとかなるはず。
そう思って、ルフが部屋を出ようと踵を返すと、部屋の外には衛兵たちが居た。
「どきなさい! あたしは行かないといけない所があるの!」
「ダメです。テオウス様の命により、今日一日、あなたを部屋の外に出すなと言われております。それに今後は監視がつき、船に乗って他国に行くことも禁止です」
「ふざけないで!」
「マスターからの命令です。大人しくしてもらいますよ」
衛兵の一人が自分の腕を掴もうと手を伸ばす。
それをヒラリと躱し、ルフは部屋の窓から外へと飛び出した。
屋敷の外で着地し、飛び下りた部屋を見上げる。
衛兵たちの慌てる声が聞こえた。屋敷の中をバタバタと走る物音も聞こえるから、彼らは自分を捕まえる気らしい。
当然か。父であるギルドマスターの命令は絶対なのだから。
屋敷の庭を疾走し、敷地の端まで急ぐ。
端まで移動してしまえば、柵を飛び越えるだってできる。
衛兵たちに見つかるよりも早く、端まで辿り着いた。
後は飛び越えるだけだが、柵の状況を見て、ルフはそれが無理だと悟った。
この屋敷の敷地を結界が覆っていたのだ。
しかも、内側に向けられているため、自分を逃がさないようにする結界である。武器を持たないルフに結界特有の半透明の壁を破壊することは出来ない。
武器があっとしても出来るかどうか、分からないと言うのが本音だ。
(門は? あそこなら……)
柵がダメなら、門から直接出ればいい。
屋敷の門には、外からの魔術対策としてあらゆる魔術・結界に対する耐性がある。そこなら、結界に穴があるかもしれない。
そう思って、門まで移動するが、淡い期待はあっという間に打ち砕かれた。
門の前には父テオウスが陣取っていた。
愛用の大斧を肩に担ぎ、門の前に立っている。
そして、門まで来た自分に気がついた。
「来たか……」
「お父さん。お願いここを通して」
「ダメだ。一緒にはいかせん」
「分からずや! 少しは娘の言うことを聞いたらどうなの!? 嫌われるわよ!!」
テオウスが大斧を手放し、鼻で笑った。
「娘が死ぬくらいなら、嫌われた方がいい」
大斧を構え、父の放つ魔力がその圧力を増す。
どうあっても、テオウスは自分の旅立ちを許してくれないらしい。
力づくで通ろうにも、今のルフには武器が無い。
丸腰で父に勝てるわけがなかった。
「ルフちゃん! 受け取って!」
母の声だ。
振り返ると、弓が投げられていた。
それ見た父が、受け取りを阻止するために動く。
一歩で自分との距離を詰め、右拳を伸ばす。
その拳を身体を屈め回避。
そして、そのままジャンプした。
空中で全体を黒で統一された弓を受け取る。
そして、あることに気がついた。
矢がない。
「魔力で撃てる弓よ! 『破弓』それが名前よ!」
屋敷の入り口に居る母の声。
確かこの弓は、家宝として大切にされていたはず。
先祖が使っていた弓だが、適応者がおらず、倉庫の奥に眠っていたガラクタのはずだ。戸惑いながらも、ルフは弓を父に向かって構えた。
自分の魔力を吸い取った弓に蒼い線が入る。
黒い弓から、どうやって使うかが脳内に直接送られてきた。
弦を引くと蒼い半透明の矢が魔力で精製される。
「あくまで抵抗するか」
「あたしはユーゴと一緒に行く!」
魔力の矢を放つ。
僅かに目標を父からずらし、足元を狙った。
矢が地面へと突き刺さり、爆発する。
砂が空高く舞い、予想以上の威力にルフは驚いた。
地面に着地し、再び弓を構える。
砂塵の中からテオウスが現れ、真っ直ぐ自分に向かって来た。
威嚇の意味もこめて、父を狙うが、先ほどの威力を見た後。
撃つことを僅かにためらった。万が一当たれば父は大怪我してしまうと。
「遅い!」
その一瞬の躊躇が隙となり、テオウスはそれを見逃さない。
眼前まで迫られ、ルフは抵抗する手段を失ってしまう。
弓使いの自分に接近戦は不可能だ。
胸倉をつかまれ、柵の方へと投げられた。
屋敷の周りを囲む結界に、背中からぶつかる。
身体の節々が痛む。
それでも、ルフは立ち上がり、再び弓を構えた。
「お父さん……お願い……あたしを行かせて!」
「ダメだ。お前にはまだ早い」
テオウスがゆらりと前方に身体を傾ける。
また来る。魔力で生成された矢を放つかどうか、ルフは一瞬考えた。
父に怪我を負わせたくない。しかし、撃たないとユーゴの元へは行けない。
迷いを振り切るために、右手を弦から離そうとした時だった。
「よいしょ」
後ろから声。それと同時に、結界が「パリン!」と音を立てて消失した。
振り返ると、赤いフードを被った男。
その男は自分に近づき、周りの目も気にせず、お姫様抱っこの形で身体を持ち上げた。そして、父に向かって言う。
「娘さんは俺が責任を持って、守りますんで」
男はそのまま、ジャンプし建物の屋根上を伝って走る。
徐々に小さくなる自分の屋敷。
父の言いつけを破って出てきた自分は親不孝かもしれない。
それでも、自分の心には従いたかった。
少しの罪悪感と名残を込めて、ルフは小さく呟いた。
「行ってきます」
ミエリはあっという間に見えなくなった娘に小さく手を振っていた。
昨夜。ユーゴに娘を誘拐してくれと頼んだ。
テオウスに言葉での説得は難しいだろうから、力づくで連れて行ってくれと。
彼は「いいんですか?」と色々心配していたが、後のことは任せてもらい、彼に承諾してもらった。
「ミエリ。どうゆうつもりだ?」
娘を誘拐されたテオウスが問い詰めて来る。
彼の視線に笑みを返した。
「どうもこうも、ルフの意志を尊重しただけです」
「危険な旅だ。それに、『破弓』まで渡して……」
「あの子が彼の隣に居る為に、必要な力だと思ったからです」
テオウスがため息をして、衛兵たちに「もう追わなくていい」と指示を出した。ルフのことが心配なのは彼も同じだ。
だから、危険の多い神獣の子との旅に反対した。
だけど娘をいつまでも子ども扱いするわけにはいかない。
いつか大人になり、巣立っていく。
それに、娘の恋愛は応援したいものだ。
「頑張ってね。ルフちゃん」
母ミエリは見えなくなった娘にひっそりとエールを送った。
もう追いかけて来る連中は居ない。
そろそろ、地上に降りても大丈夫のようだ。
屋根上から大通りへと着地して、ルフを降ろした。
そして、被っていたフード脱ぐ。
「ふいー。撒いたらしいな」
「……なんでいるの?」
何故かルフが睨んできた。
おかしい。
俺はこいつが一緒に来られるように、助太刀した立場なんだけど……
どうして、睨まれているのだろう。
「ミエリさんに頼まれてな。一緒に連れて行ってあげてって」
「お母さんに?」
「おう。誘拐してくれとさ」
肩を竦めた俺にルフがため息。
小さく「あたしは商品か」と呟いた。
「ユノレルは?」
「先に港に居る。俺たちの移動手段を用意してくれている」
ルフにそう返し、ユノレルの待つ港の前に寄り道。
大通りで待ち合わせしていたのは、大商人の娘であるレアス。
人混みの中でも彼女の輝く金髪はすぐに見つけられる。
「遅くなった」
「ううん♪ ユーゴさんの為だったらいくらでも待つ♪」
レアスの言葉を華麗にスル―して、ポーチから茶色の球体を取り出し、彼女に渡す。狼の国で渡されたこの球体は、学院の方で保管することになった。
「じゃあ、レアス。くれぐれも調査は気をつけろよ」
「何かあったら助けに来てね♪」
「はいはい。いつでも呼んでくれ」
笑顔のレアスに肩を竦める。
彼女には、偽物の神獣の子が使用していた赤い液体を調べてもらう。
それもあって、レアスは人魚の国に残る手筈となっていた。
危険なことに首を突っ込まないことを、ただ祈るばかりである。
「そうだ。ユーゴさん」
レアスが手招きをしたので、耳を近づける。
すると、突然彼女は俺の襟元を掴み、口を塞いできた。
ルフが横で「な!?」と驚きの声を上げる。
解放され、レアスを見ると満足そうに笑みを浮かべた。
「離れ離れになるからこれくらいはいいよね」
「だからって、突然すぎるだろ」
「こら! あんた達は場所を考えなさい!」
顔を赤くして俺たちを叱るルフ。
そんな、ルフにレアスが向かい合い、ビシッと指をさした。
「ギルドマスターの娘さん。ユーゴさんと一緒に居られるからって、油断しない方がいいよ。勝つのは私だから」
高らかに宣言するレアス。
そんな彼女に、眉間を押さえてため息。
なんの勝負なのか分からないし、ルフを挑発するのはやめて欲しい。
後が怖い。ルフが何か言いだす前に、逃げる意味も込めて、ユノレルの待つ港へと急いだ。しばらく歩くと後ろから「元気でねー!」とレアスの声がしたので、右手を挙げて応えた。
港に着くと、人だかりが出来ていた。
なんとなく勘でその原因がユノレルだと察する。
人だかりを抜けると、案の定ユノレルの姿。
そして、彼女は海の中に浸かる人魚たちと会話していた。
「ユノレル。準備はいいか?」
「ユー君! みんな見て、私の旦那さん」
集まった十体弱の人魚たちから「おぉー」と小さな歓声が上がる。
隣のルフからもの凄いオーラが出ているが、まだ命が惜しいので何も言わない。こんな所で血の海に沈むのはごめんだ。
「ちょっと、ユーゴの質問に答えなさいよ」
ルフが冷たく言い放つ。
彼女は何故かいつもより機嫌が悪いらしい。
「ちゃんと出来てるよ。みんなに頼んで用意してもらったから」
ユノレルがドヤ顔でルフにそう返した。
俺も驚いたことだが、ユノレルは幼少期から人魚と仲が良かったらしい。
育ての親が人魚の神獣と言うこともあって、海都近海にある人魚の住み場所から相談などを受けていた。
その時に仲良くなり、今回はこうして力を貸してもらえることになった。
「可愛いユノレルちゃんの頼みなら仕方ないわよねー」
「ホントよ。旦那さんと逃げるから力を貸してだなんて」
「愛の逃避行……素敵……」
好き勝手に言いたいことを口にする人魚たち。
もう否定するのが面倒くさくて、とりあえずそのまま放置する。
ユノレルが「みんな、お願い」と言うと、人魚たちが輪になり魔力を連結させていく。人魚たちを白い光が包み、海面に白い影が精製されて行く。
形を織りなし、白い光が散った。
精製されたのは、白い小舟。
帆を必要としないこの船はどうやら、魔力で動くらしい。
僅かに帯同する魔力を感じた。
「じゃあ。乗って」
ユノレルに促され、ルフと船に乗る。
三人乗るには、結構狭い気がするけど船は海面に確かに浮かんでいた。
耐久値に関しては問題なさそうだ。
最後に乗ったユノレルが両手を合わせる。
彼女の魔力が肥大化していき、海面を捉えた。
この船の魔力に反応する推進力と海面を操り、人魚が海の力を借りて精製した船を動かす。
人だかりから歓声。人魚たちが近くの近海まで案内してくれると、船の横を並んで泳いでくれた。
徐々に遠くなる海都。まだ復興の途中とは言え、あの街には活気が溢れている。完全に元に戻る日もそう遠くないだろう。
空を見上げると、雲一つない晴天。
旅出には最高だなと思い、横を泳ぐ人魚たちに話しかけたら、ルフに何故か怒られた。ユノレルも機嫌を悪くし、船を左右に揺らす始末。
俺がどんな悪いことしたのか、サッパリだった。
そんなこんなで、俺とルフは人魚の神獣の子。
ユノレルを連れて、竜の国へと帰還した。




