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第52話 悪だくみ

 

 問題が発生したのは、ユーゴが人魚の国に来てから数週間が過ぎ、竜の国への帰国を決めた日の夕方だった。


「ダメだ。あの男と行くことは許さん」


 父と母、そしてルフ。

 久しぶりに三人で食べる夕食の席で、父は自分にそう冷たく言い放つ。

 内容は、ユーゴの旅について行くかどうか。

 ルフはもちろんついて行くつもりだった。

 今までがそうだったように。


 しかし、今までは両親を心配させた。

 ユーゴにも「親にはちゃんと許可もらえよ」と言われ、もちろん最初からそのつもりだったルフはなんの迷いもなく父に伝える。

 まさか、止められるなんて夢にも思わなかったからだ。


「どうして!? お父さん!」


 白いテーブルクロスの敷かれた机を両手で叩いて立ち上がる。


「神獣の子同士の争いに巻き込まれれば、お前は死ぬかもしれない。そんな危険な旅に娘を送れるものか。貴様だって、見ただろう。上位冒険者たちが死にゆく姿を」


「でも、あたしは生きてる」


「結果論だ。この先も生き残れる保証はない」


 父テオウスの蒼い瞳は微塵も揺れない。

 どうやら、父は本気で自分をユーゴと共に行かせるつもりはないらしい。

 これ以上、話しても無駄だ。

 ルフは夕食を残し、席を離れた。


「ルフちゃんっ」


 母親であるミエリが立ち上がろうすると、テオウスがそれを制した。

 そして、娘であるルフの背中に向かって言う。


「黙って出て行くのは許さんぞ。どの道、船は明日の朝にしか出ない」


 イラつく気持ちを抑えて、ルフはそのまま屋敷を出た。

 夜の蒸し暑い空気のせいで、汗が滲む。

 夜の街を歩く人たちとすれ違い、ユーゴになんと言えばいいのか考える。


 彼は自分の屋敷で寝泊まりしている。

 今頃は屋敷でノンビリしているか、夜の街に酒を飲みに繰り出しているだろう。時々、ユノレルも一緒に行っているらしい。

 最近は対人経験も増えて、少しだけ我慢を覚えたとか。


 しかし、たまに意味不明なことを言ったり、暴走することもあるからユーゴが色々と教えていた。ただ、変な知識も教えていることもあるので、ちゃんと見ていないといけない。


 すれ違いざまに男と肩がぶつかった。

 すぐに「ごめんなさい」と返したが、その男に肩を掴まれる。


「姉ちゃん。わびはそれだけかぁ~?」


 男の息が酒くさい。

 足元もフラついており、かなりの量を飲んでいるらしい。


「ちゃんと謝ったでしょ。離しなさい」


「可愛い顔して生意気だなぁ~、一緒に飲むか?」


 めんどくさい。今はそんな冗談に付き合う気分ではない。

 それに自分が飲みたいと思うはユーゴ(あのバカ)だけだ。


「しつこい。いい加減に……」


 イラつがピークに達する。

 思わず手に力が入った。

 右手を振り上げ、男の頬に狙いを定める。


「いやぁ、ツレがすいませんね」


 右手を掴まれ、後ろから声。

 振り返るとユーゴが居た。

 酔った男はユーゴの姿を見て、「なんだ男居るのかよ」と言って、フラフラしながら去って行った。


「絡まれたぐらいで過剰防衛だぞ」


 ユーゴが右手を離し、白い歯を見せる。

 様子を見るに、今日の彼は一人で夜の街に繰り出していたらしい。

 レアスもユノレルの姿もなかった。


「ユーゴ。今から帰るところ?」


「まぁ、明日は早朝の船に乗るからな。お前も寝坊するなよ」


 いつもの笑顔。

 父が本当に出て行くことを許してくれなかったら、もうこの顔も見られない。

 そう思うと、胸がチクッと痛んだ。

 ユーゴが歩き出す。ただ、方向は屋敷の方角ではない。


「どこに行く気?」


「二件目。行くぞ」


 彼をそう言って、スタスタと歩いて行く。

 行くぞと言われて、ルフはその後を追った。

 さっきは屋敷に帰ると言っていたのに、どうゆう風の吹き回しなのだろうか。

 ユーゴが適当な店に入り、一番端の席へと案内される。

 

 冒険者たちが疎らに座り、飲み食いしていた。

 向かい合う形で座り、ユーゴに「酒でいいか?」と聞かれる。

 小さく頷くと、彼が店員に注文を済ませてくれた。


「明日早いのに大丈夫なの?」


 ユーゴは頬杖をつき、顔を横に向けて店内を眺めている。

 こうしてみると綺麗な横顔だと、改めて思った。

 そんな彼の口端が僅かに上がる。


「多分な」


 店員が酒の入った木のコップを二つテーブルの上に置いた。

 それを手に取り、ユーゴと乾杯する。

 口をつけて、少し飲む。あまり酒には強くないが、ユーゴとこうして二人だけで飲むのは初めてだった。


「今日は誰と飲んでたの?」


「レアスにちょっと頼み事があってな」


「またあの学院の子に何かしたの?」


 ユーゴの顔をジッと見つめる。

 その視線に彼は笑みを返す。


「仕事の話だ。調べ事を頼んでいたから」


「あの子はまだ学生なのよ?」


「考え方は立派な大人だよ。でも……中身はまだ子供だ。お前と一緒でな」


 ユーゴが再びコップに口をつけた。

 自分が子ども扱いされることがどうも納得がいかない。


「あ、お前は身体もお子様か」


「バカにして……」


 彼がクツクツと笑い。

 腹を押さえた。

 ホントにこの男は、見直したらすぐにまたアホことをするか、バカなことしか口にしない。

 いつも変態なことしか言わず、色んな女の子に手を出し、夜は酒を飲んでから寝る。朝だってダラダラ起きて来るし、本当にだらしない。

 

 戦っている時も、リラックスしているのか、緊張感が無いのかどちらか分からないくらい、軽口をすぐにたたく。

 しかし、土壇場の窮地ではちゃんと助けてくれる。

 その背中を見ていると安心した。


 ――だけど、そんな彼ともう一緒には居られない。


「親に止められたか?」


 ユーゴの燃えるように赤い瞳がこちらに向けられる。

 顔に出ていたのだろうか。それを彼は察し、こうして誘ってくれたのか。


(ユーゴと飲むのも、これで最後になるかもしれない……こうなったら!)


 ルフは手に持ったコップを口につけ、一気に傾けた。










「おい。一気に飲みはやめとけ」


 ルフにそう忠告するが、聞く耳を持たず、どんどん飲んでいく。

 そして、木のコップを力強くテーブルに置いた。


「ヒック……なんてぇ~?」


 耳まで赤くなり、充血した潤んだ瞳でこちらを見つめて来る。

 完全に出来上がっていた。久しく見るルフの泥酔モード。

 俺は親に止められて、落ち込むルフを慰めるか、どうやったら許可してもらえるのか一緒に考えるつもりだった。

 なのに……どうしてこうなった……


「あのクソ親父……なんでユーゴと一緒に行くのを許してくれないの!」


 ルフが父親であるテオウスさんのことをボロカスに言い始めた。

 神獣の子の脅威を肌で感じた後だ。

 娘のことが心配で、許しを出さない気持ちはなんとなく分かる。

 だから、俺からは強く言い出せることが出来ない。

 俺がいくらルフと一緒に旅を続けたいと思っていてもだ。


「まぁまぁ。テオウスさんも心配してるんだ。そんな風に言ってやるなよ」


 俺の返しに泥酔したルフが立ち上がる。

 そして、俺の隣にドンと腰を下ろした。


「ユーゴは、あたしが居なくて嬉しいのぉ? ユノレルとイチャイチャ出来るもんねぇ……あの子、人形さんみたいで可愛いもんねぇ」


 いつもの泥酔状態とは違う、棘のある言葉。

 こいつは本当に酔っているのだろうか。


「レアスとか言う子は胸大きいもんねぇ……ユーゴは胸の大きい子の方が好きだもんねぇ……」


 小言のようにブツブツとそう言って、俺の腕を掴む。

 ギュッと握った彼女の拳が小刻みに震えていた。


「なんで……? あたしが最初だったのに……ずっと一緒に居たのに……なんで、一緒に行っちゃいけないの……?」


 ルフの頬を涙が伝い、俺の腕を握る拳の上に落ちた。

 彼女の頭を抱き寄せて、桃色の髪を撫でる。


「そんなことない」


「ホント……?」


「ああ。だからテオウスさんとミエリさんを説得しないとな」


「うん……」


 ルフが涙を拭って小さく頷いた。

 木のコップを手に取る。

 結局、ルフは俺の腕を握ったまま寝てしまった。


 




 


 ルフを背負って屋敷に戻る。

 魔力で動くランプで照らされた門を潜り、屋敷の入り口に近づくと人影。

 ルフと同じ桃色の髪を持つ女性がこちらを向く。


「娘をありがとうございます」


 ミエリさんが頭を下げた。

 娘を夜まで連れまわしていたと思われれば、印象が悪いかな。


「その子を部屋まで運んで下さりますか?」


 ミエリさんが踵を返し、屋敷の中へと入って行った。

 その後をルフを背負ったままついて行く。


「娘の部屋に男の子が入るのは初めてです」


 ミエリさんが一室の扉を開けて、中へと通される。

 とりあえず、ルフを中のベッドに降ろした。


「ン……ユーゴぉ……バカぁ……」


 寝言でも悪口言われる俺って……


「大丈夫ですよ。ちょっといい夢を見ているだけです」


 ミエリさんが口元を押さえて、クスクスと笑う。

 そして、ルフのベッドに腰を下ろし、自分の娘の髪を優しく撫でた。


「この子から事情は聞きました?」


「ええ。どうしても許さない気ですか?」


「私としては、あなたに連れて行って欲しいのだけど……」


 つまり、反対しているのはテオウスさんか。

 まるで娘の結婚を反対するお父さんだ。

 だけど、ミエリさんが賛成派だったのは予想外だった。

 てっきり、危ないから反対していると思っていた。


「危険な旅なのにですか?」


「この子がそれを望んでいるのであれば」


 静かに、そして力強い言葉。

 強い意志を感じるその姿は、頑固なルフと重なる。

 この母にして、この子ありか。


「ユーゴさんはどうなのですか? 娘が居るのは邪魔ですか?」


 腕を組んで壁に背中を預ける。

 邪魔ではない。

 ただ危険な旅かもしれない。

 でも、降りかかる火の粉は俺が払えばいい。


「俺としても、居てくれた方が助かります。その……色々と」


 頬を掻いてそう答えると、ミエリさんが立ち上がる。


「じゃあ、悪いことしましょうか」


 言葉とは正反対の笑み。

 何やら大変なことを頼まれそうで思わずため息が出た。


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