第51話 本音
街が茜色に染まり始めた夕刻。
ルフの屋敷に辿り着くと、何かの準備でメイドさんや冒険者たちが忙しく働いていた。屋敷の外に並べられた丸テーブルの上には、白いテーブルクロス。
立食式のパーティーでも始める気らしい。
「何する気なんだか」
「英雄を祝うとか?」
何故か図書館からそのままついて来たレアスがそう言った。
大人しく家に帰れと言っても、「嫌だ」と返され、帰る気配無い。
それどころか、謎の赤い液体に関する調査を引き受けないと言い始めた。
調査して欲しかったら、連れて行けと俺を脅してきたわけだ。
ルフやユノレルと違い、頭の回るレアスは敵に回すと面倒だ。
流石は大商人の娘。交渉は得意のようだ。
屋敷の中に入ると、メイドさんに「こちらです」と案内された。
黙って屋敷の中を歩くこと数分。
部屋の前でメイドさんが立ち止まり、「宴までここでお待ちください」と言い残し去って行った。
控室なのは結構だが、俺は参加するとは一言も言っていない。
そもそも、なんの宴なのかも分からなかった。
「どうするの?」
「まぁ、宴は不参加よりも、参加だろ」
白い扉につけられた金のドアノブに手をかける。
部屋の中に入ると、高級感漂う内装にダルブベッド。
壁には絵画がかけらており、部屋の雰囲気を一層華やかにしていた。
ルフはともかく、ユノレルの姿がない。
あの二人はどこに行ったのだろうか。
「隙あり♪」
バタンとドアの閉じる音。
それと同時に、レアスが背中にダイブしてきた。
柔らかい感触を背中に感じ、なんとか踏みとどまる。
「ここじゃ雰囲気でないでしょ」
レアスがそう言うと、風属性の魔術を発動させ、俺たちの身体を風で運んだ。
ベッドに背中から落とされる。
深く身体が沈み、寝心地はよさそうだと勝手に感想を抱いた。
レアスは俺の身体の上に四つん這いとなり、顔を近づけて来る。
「誰かに見つかるかもしれないって思うと……ドキドキするね」
「見つかると俺が死ぬからどいてくれるかな?」
「い・や♪」
笑顔で返され、思わずため息。
こんな所、ルフに見つかったら間違いなく殺される。
もしかすると、ユノレルも暴れるかもしれない。
ダメだ。やっぱりこの状況はマズい。
なんとか抵抗しようと身体を動かすと、レアスが俺の左手を自分の胸に押し付けた。ブレザーの上からでも分かるその感触。
そして、彼女が俺の耳元で囁いた。
「いいんだよ……? 私の身体はユーゴさんだけのモノだから……滅茶苦茶にしても……」
色っぽい声に思わず唾を飲み込む。
彼女の甘い香りが鼻孔を擽る。
左手の柔らかい感触越しに伝わる彼女の鼓動。
耳に吹きかかる吐息。
その全てが俺を誘惑してくる。
「それとも……私がユーゴさんを食べちゃおっか?」
顔を耳元から離し、俺を見下ろす彼女がペロッと舌を出しだ。
おいおい。なんだこの状況。
完全に想定外も、想定外だぞ。
「ど、どうゆうつもりだ……?」
「それはこっちのセリフ。あの蒼髪の女の子は誰?」
「……ちょっと込み入った事情があってだな」
レアスの眉間にシワが寄る。
どうやらユノレルの事がお気に召さないらしい。
「モテない男よりも、モテる男の人の方がいいけどさ……やっぱり、嫌なんだよねー」
「何が?」
「他の女の子とイチャイチャしてる所を見るの」
「だからって、この状況はおかしいだろ」
「見せつけてやるのよ。何も知らない小娘たちに」
ニヤッと彼女が悪い笑みを浮かべる。
誰も居ない屋敷の中なら大歓迎だが、こんな目撃者多数の羞恥プレイなど、俺の趣味には存在していない。
そろそろ本気で脱出しよう。
そう思った時、部屋の扉が開いた。
「嘘よ! ユー君が私以外の女の身体を要求するなんて!」
「真実よ。あのバカに関わらない方がいい」
最悪の二人が入って来た。
そして、ルフが俺とレアスの様子を見て固まった。
その隣で、ユノレルがオロオロしている。
「あんた……人の家で何やってるの?」
「見て分からないの? 私とユーゴさんの邪魔しないで」
レアスが俺の首に手を回し、ルフを挑発する。
つまり、俺はレアスに抱き着かれた状態で、ルフと対峙しているわけで……
「やっと分かったわ……あんたは痛い目見ないと分からないってことが……」
ルフの握りこぶしがプルプルと震えている。
やべぇ……めっちゃ怒ってるよ……
「ユー君……私のこと嫌いになったの?」
ユノレルの蒼い瞳が、潤んでいる。
嫌いとか好きとか、まだ俺たちの関係そこまで深くないと思う。
しかし、それを言ってしまうと、また暴走するかもしれないから胸の中にしまう。レアス一人を連れて来たせいでとんでもない事態だ。
「よし。一回落ち着いて、話し合おう」
「やだ! 私の身体はユーゴさんのモノだもん!」
「ユーゴ! 今度こそキッチリ説明してもらうわよ!!」
「私のユー君が……」
おかしい。俺は何処で選択肢を間違えたんだ?
ハーレムってこうもっと、チヤホヤされて楽しいはずだ。
それどころか、命の心配をしないといけないって……
ルフが強引に俺からレアスを引き剥がし、何やら問い詰めている。
やっと解放されたことに安堵していると、今度はユノレルが近づいて来た。
俺の身体をペタペタと触る。
「あの金髪の子に変なことされてない?」
「未遂で終わってる」
「一緒にお風呂に入って、身体を洗おうか? 他の女の子の匂いがするユー君なんて嫌!」
思わず眉間を押さえる。
また話が飛躍しすぎだ。
「あんた。ユーゴとどうゆう関係なのよ」
「肉体関係。胸の無いあなたには無理な関係かもね」
「この……一番気にしている所を……」
ルフとレアスの言い合いが怖い。
それにどさくさに紛れて、レアスが爆弾を投下している。
幸い、胸の話に話題が移ったため、ルフは気がついていない。
ルフとレアスは何時までも口論を続けていて、ユノレルは隣でずっと飛躍した話を続けていた。部屋の中は混沌としていて、もう俺では収集がつきそうになかった。
結局、控室でのパニックは、ルフを迎えに来たメイドさんたちによって収束した。メイドさんたちに便乗して、部屋の外に出るとずっと屋敷の屋根上に隠れていた。日はすっかり落ちて、宴が始まった。
屋敷の外では立食式で冒険者や街の人々も集まって飲み食いしている。
中ではダンスでも行われているのか、さっきから音楽が鳴り響いていた。
久しぶりに一人でゆっくりできる。
空を見上げて、深く息を吐いた。
女性に好かれるのは悪くない。
ただ、俺の周りはちょっとクセが強い面々が多いらしい。
もっとこう……癒してくれるような子、居ないかなぁ……
「はぁ、大変だ」
「それはこっちのセリフよ」
空を見上げていた顔を前に戻すと、ルフが居た。
いつもポニーテールに纏められている髪を降ろしている姿は新鮮だ。
そして、何より身体のラインを強調する白いドレスは、細身の彼女によく似合う。成程、メイドさんたちはドレスを着させるために、ルフを迎えに来たのか。
「ジロジロ見ないでっ」
ルフの顔が心なしか赤い
どうやら、ドレス姿を人に晒すのは慣れていないらしい。
「なによ。何か不満でもあるわけ?」
視線を外さない俺にルフがそう聞いて来た。
「いや。よく似合ってるよ。思わず惚れそうだ」
「バカにして……」
笑って返したせいか、ルフが不機嫌そうに呟く。
ルフが隣に腰を下ろし、二人で並んでパーティー会場を見下ろした。
俺たちの間には沈黙が流れ、聞こえるのは人ごみの音と、ダンスを踊るメロディだけ。遠くを見ると海都が魔力の街灯で輝いている。
その様子はとても幻想的で、緑の多い竜の国とはまた違う表情だった。
「ホント、綺麗な街だな」
「当たり前でしょ」
ルフが誇らしげに言う。
本当にこの街が好きなのだろう。
「ねぇ、ユーゴ」
「なんだ?」
「ありがとう。この街を守ってくれて」
礼などされる立場ではない。
結果的に俺は街を守ったかもしれないが、張本人であるユノレルと一緒に居る。家族を失った者もいるだろう。
もしかすると、神獣の子自体を恨む人だっているかもしれない。
その人たちからすれば、俺は裏切り者だ。
だけど、同じ神獣の子として、ユノレルを見捨てることも出来ない。
人間としても、この街の人たちの気持ちを踏みにじる事を出来ない。
だから、街の人たちから『英雄』と呼ばれることが苦しかった。
「礼なんて俺に言う必要はないよ」
「でも、あんたは狼の国に続いて、この国も神獣の子から救った……見ず知らずの他人の為に命を賭けた……同じ神獣の子だから?」
ルフの方を見ると、俺の事を真っ直ぐ見つめていた。
嘘も偽りもない瞳で真っ直ぐに。
流石にどんなバカでもこれだけ一緒に居て、神獣の子と互角に戦う奴が居れば、同類と気がつくのは当然だ。
今さら誤魔化しても仕方がなかった。
「そうだな。同じ神獣の子として、放ってはおけなかった。ユノレルのことも神獣のユスティアに頼まれたしな……」
「そっか……だから、あの子と一緒に居るんだ」
「まぁな。ユノレルのこと恨んでるか?」
「街を壊したことや、冒険者の人たちを殺したのは事実だけど……それは今後、ユノレルがどう向き合うか次第。突出した力を人の為に使うのなら、それいいと思う。根は悪い子じゃないし」
「なんだかんだでルフは優しいな」
ルフの眉間に少しだけシワが寄る。
「ギルドマスターの娘として、優秀な力を持つ者は味方にしておきたいのは当然よ」
「はいはい。そうゆうことにしとこう」
ルフがプイッと前を向いて、足を抱えた。
三角座りのような格好だけど、下からパンツとか見えないのかな?
呑気なことを考えて、空を見る。
蒼い三日月が空から見下ろしていた。
そこから見る海都はさぞ絶景だろう。
そんな事をふと思い、思わず呟いた。
ずっと気になっていたことを。
言わないといけない。
そう思いながらも、ずっと先延ばしにしていたことを。
「俺のこと怖くないのか?」
ルフは知っている。
神獣の子がどれだけ異端な存在なのか。
人間にして神獣と呼ばれる五体の魔物に育てられ者。
街一つを簡単に破壊し、国を亡ぼすことだってできる存在。
人は自分たちと違う者を怖れる。
エルフや獣人たちが、天馬の国や狼の国を創って、一部の者は除き人間と関係を遠ざけたのも人が亜人を怖れたからだ。
だからルフが俺の事を本当は怖れていても不思議ではなかった。
「あんたのどこにビビるのよ?」
空を見上げていた視線をもう一度ルフへと戻した。
「俺は神獣の子だぞ? お前だって、ベルトマーやユノレルを見ただろ。どれだけ異端な存在なのか知ってるだろ」
「自分たちが化け物みたいな言い方はやめなさい。あんた達の力にはきっと意味がある。あんたもそう信じてたから、人知れず人助けしてたんでしょ?」
俺を見つめるルフに迷いなんてない。
本気でそう信じているらしい。
俺たちのこの『力』には意味があって、それは人を助けるためだと。
「神獣の子は本当に凄いと思う。きっと、歴代の人間の中でも間違いなく最強……きっとその力には意味がある。それを生かすも殺すもその人次第……だけど、だからって、あんたを怖れる理由はない」
ルフが「それに」と小さく呟き、俺から視線を外した。
そして、視線を横に向けて言う。
「あ、あんたの背中……見てると安心……するし……なんとかしてくれるって」
心なしか顔が赤い。
「ルフ。顔真っ赤」
「う、うるさい! とにかくあたしを怖れされるなんて、百年早いわ!!」
腹をかかえて笑う俺にルフが叫んだ。
力を持つ意味なんて考えたことも無かった。
己の才能を生かすことを、最重要視する人魚の国らしい考え方だと思った。
ダサリスも言っていた『その力で嬢ちゃんを守ってやれ』と。
俺の力は守る為ではなく、人間を懲らしめる為に与えられた。
ただ漠然とそう思っていた。竜の神獣である父に育てられ、二十年間必死に修業した。人を殺す為の力をつけた。
人間に敵対する気もなかったくせに。
だけど、俺には力をつけるしかないと思っていた。
生まれてきた意味とか、転生した俺には意味がなく、自分の存在を証明するために、父に認めてもらう為に力が必要だったからだ。
そっか。ずっと俺はこの力の意味を探していたのか。
人間として生きると決めて、自分は特別じゃない。
同じ人間だと心の中で思いたかったのかもしれない。
だから人間に害をなす為に、二十年間磨き続けたこの力から目を背けた。
誰かを守る自信はないと言い訳をして……
やっと自分の本心を理解し、胸の中がスッキリした。
「ありがとうな、ルフ」
「今日はやけに素直ね」
「俺は何時も素直だ」
「どーだが」
ルフが肩を竦めた。
そして、再び彼女がパーティー会場を見下ろす。
その横顔は本当に穏やかだ。
僅かに口角が上がり、微笑むルフ。
そんな彼女を見て、本気で守りたいと思った。
いつまでも彼女が隣に居てくれるように……




