第48話 人魚の神獣
「もう一丁!!!」
ユノレルは息をのんだ。
目の前で赤髪の男が白い拳を向けて来る。
膨大な魔力を込めて生成された、白い炎を定着させたその拳。
当たれば間違いなく死ぬ。
しかし、全身全霊を込めて作った水の斧が破壊され、抵抗する手段は残されていない。
負けた? 自分はこの男に?
そう感じた次の瞬間。
ユノレルの視界は、白く染まった。
一瞬感じた熱さは、すぐに無くなり視界が黒く塗りつぶされた。
あぁ、死んだ。
それが最初の感想だった。
ユーゴと名乗る男は自分の顔面に向かって、容赦なく拳を振るった、
それに当たり、視界が白くなった後、すぐに真っ黒に塗りつぶされた。
だから、今黒く染まっている視界は、目を開けるとあの世の光景へと変わる。
「起きたか」
そこにあったのは赤髪の男の顔。
驚きのあまり、肩がビクッと動いた。
「なんで……生きてる……?」
背中から伝わるのは砂の感触。
耳には波の音、匂いは潮の香。
どうやら自分は砂浜で寝ころんでいるらしい。
その傍で腰を下ろす、ユーゴが頬を掻き、こちらを見つめる。
彼の拳の皮は、火傷で所々捲れていた。
小さなかすり傷や、打撲の跡も腕には見える。
きっと服に隠れて見えない場所も、傷だらけなのだろう。
「俺も驚いた。まさか、吹っ飛ばした顔面が再生するなんて」
ユーゴが少し戸惑いながら言う。
ユノレルは身体を起こし、自分の首元を触る。
いつもの感触。顔もペタペタと触り何時もと同じか確認した。
「元通りの綺麗な顔だから安心しろって」
ユーゴが笑顔でそう言った。
一瞬、綺麗と言われてドキッとするが、騙されるなと己を律する。
男は信用してはならない。
しかし、初めて容姿を褒められ、心臓が高鳴る。
コホンと小さく咳をして、男の赤い瞳を見た。
「どうしてトドメを刺さなかったの?」
「あんな可愛らしい寝顔を見せられると出来ないよ」
胸の高鳴りがさらに大きく鳴る。
騙されるな。自分にそう言い聞かせるが、口元が緩んでしまう。
「水があれば再生できるのが君の神獣化なのか?」
「分からない。神獣化したの久しぶりだったし」
「それもそうか」
男が顔を海の方へと向けた。
それにつられてユノレルも海を見た。
果てしなく広がる大海の大地へ太陽が沈んでいく。
茜色のその姿は、幻想的で美しいと思った。
「あなたは火属性が得意だから、竜の神獣の子?」
「そうだよ。俺の父親は竜の神獣アザテオトル。他の神獣の子に会うのは君で二人目だ」
「他の子に会ったの?」
「おう。狼の神獣の子にな」
この男は自分よりも広い世界を知っているらしい。
自分は人魚の国から出たことが無い。
男に騙され、傷つき、ここまで来てしまった。
海を見つめるとこの横顔は、とても穏やかで人間のモノと何ら変わりはない。
神獣の子でありながら、人間に味方する男。
知りたかった。どうして、人間と良好な関係を築けるのか。
それとも、人間を滅ぼす為に今は人に紛れているのか。
「どうして、あなたは人間の味方をするの? 人間なんて、汚くて、自分の事しか考えてない……関係を築いたって苦しいだけだよ」
「色んな人が居るからなぁ。悪い人も良い人も居る。だから人は面白い」
彼は何かを思い出したのか、笑顔で遠くを見つめていた。
羨ましい。彼は人間の光の部分を知っている。
「まぁ……ユノレルも……その内……」
ユーゴが突然仰向けで倒れた。
何が起こったのか。
息が荒い。そして、徐々に弱まっていく。
「どうしたの?」
すでに耳が聞こえていないのか、彼は返事を返さない。
さっきまで明るかった赤い瞳が光を失っていた。
そして、背中からドロッと赤い液体が流れて来た。
(血……?)
どうやら、自分との戦いの時についた傷らしい。
「どうして? 私を放って、戻ればよかったじゃない……」
今度は聞こえたのか、男はニッと笑みを浮かべた。
「寂しいと……叫ぶ女の子を放置するなんて……男がすたる……」
バカだ。この男は自分の意地の為に残ったらしい。
本当に大馬鹿者だ。
「あなた、このままじゃ死ぬよ?」
「かもな……ルフに……ごめんって伝えといてくれ……」
自分が死にそうな時にまで、彼女の心配をするのか。
そう呟き、ユーゴは目を閉じた。
何故かその顔は穏やかで、自分が見て来た者たちとは違う。
知りたい。どうして、そこまで人間との繋がりを守ろうとするのか。
ユノレルは立ち上がり、ユーゴを見下ろした。
そのまま視線を上げると海都の街並みが見える。
人間なんて嫌いだ。みんな嫌いだ。
だけど、人間を知りたいと叫ぶ自分も居る。
この男はそれを教えてくれるだろうか。
分からない。今までもこれからも、何が正解なのか。
この男を殺すのは今がチャンスだ。心はまだ揺れている。
迷いを抱えたまま、ユノレルは目の前に男に魔術を向けた。
海都では街の復興及び、神獣の子の捜索が行われていた。ユーゴとユノレルの戦闘が行われていた場所を中心の探索も、二人の姿見つからない。
海都を半壊させた神獣の子の行方を知ることは、ギルドの最重要課題だ。
ギルドマスターにして、ギルド長テオウスは自室の机に座り、頭を悩ませていた。街を壊し、ギルドの戦力を低下させた神獣の子。
機密事項となっているが、狼の国では複数の上位冒険者たちが行方不明になった。神獣の子が関与していると思われるが、神獣の子が正式に王位に就いてしまっては、ギルドも不用意に手は出せない。
既にギルド本部のある海都が半壊した情報は世界中に回っているだろう。
それが神獣の子によって引き起こされたことも。
世界はこれで彼らの存在を認識した。
ギルドの戦力を持ってしても、狼の国の屈強な獣人たちの身体を持ってしても、微塵も彼らを止められなかった。
敵に回せば勝ち目はない。
倒すには同じ神獣の子が必要だ。
狼の国は神獣の子を味方につけている。
テオウスは今すぐに神獣の子を見つけ、交渉を始めたい。
特にユーゴは貴重だ。人魚の神獣の子と互角に戦えるその戦闘能力は、間違いなく神獣の子だろう。
神獣の子にして、人間の味方をする者。
有効な関係を築きたいのは本音だった。
「あなた。今日も見つからなかったらしいわ」
妻であるミエリが机の上に本日の報告書を置いた。
「……探索は意味がないようだな。ルフは何か感知しているか?」
ミエリが「はぁ」とため息。
「少しはあの子の気持ちも考えてあげたら? 仲のいい男の子が死んだかもしれないのよ?」
「そのユーゴとか言うガキを見つける為に、必要だと言っているんだ。祖先の血を色濃く受け継ぐルフの力が」
「偶には、あの子自身の顔を見てあげて下さいね」
ミエリが踵を返し、部屋を出て行った。
テオウスは頭を掻き、ため息。
最近、ギルドが上手くいっていないからと言って、少し娘を蔑ろにしてしまっていたらしい。
自分は古代人の血を引く家系だが、ルフはその血を濃く継いでしまった。
才能を生かすこの国でも、普通は必要とされない力。
ルフの力に気がついた時から、何故この時代に彼女が生まれたのか疑問だった。神獣と密な関係にあったと言われている古代人。
その末裔が各国には散らばっている。
神獣の子が同時期に現れた理由。
何故、人間に味方する者とそうでない者が居るのか。
悩みと疑問は尽きない。
テオウスは椅子の背中を預け、天井に顔を向けた。
息を深く吐き、前途多難だなと呟いた。
暗い。真っ暗だ。
何も見えない。
目が開いているのかどうかも分からない。
「もういいのか? ユーゴ」
懐かしいアザテオトルの声。
常闇の中で父の声だけ聞こえた。
「父さん……まだだ……まだ死ねない」
「そうか……」
父の声が遠くなる。
次に感じたのは、指先まで巡る暖かい感覚。
大きくなっていくその感覚が、俺を呼び覚ました。
「あれ……?」
白い。そして、明るい。
それが目を開けた最初の感想だった。
洞窟の中なのか、ジメついた空気が身体に纏わりつく。
洞窟の天井には、光を放つ鉱石が埋め込まれており、洞窟内を明るく照らしていた。首を横に向けると、ユノレルの顔。
「ぅん……」
肩が微かに上下している。
どうやら彼女はまた眠っているらしい。
ここが何処で、何故彼女が隣で寝ているのか。
また過ちをやらかしてしまったかと、不安に駆られる。
身体を起こして、周りを見渡すと湖の中央にある岩の上。
湖の水は澄んだ青色で底まで見える透明度だ。
どうしよう。
そう思って頬を掻く。
その時、初めて気がついた。
身体の痛みがとれている。
拳を見ると、火傷の跡が消えていた。
背中の傷も塞がっているのか、血が流れてこない。
ユノレルが治してくれたのだろうか。
もう一度彼女の寝顔に目を移す。
穏やかな寝顔で、微かな吐息。
先ほどまで、殺し合いをしていた少女と同一人物とは思えなかった。
「娘の寝顔はなかなか可愛いでしょう?」
後ろから声。
振り返ると、湖の中に一体の人魚が居た。
人ひとりと変わらない身体の大きさ。
額に蒼い宝石が埋め込まれており、肩まで伸びた蒼い髪は毛先まで濡れていて、女性の色香をさらに魅惑なものへと押し上げる。
男を惑わす胸元には、胸当てをつけて前を隠してあるだけ。
むしろ上半身を隠しているのはそこだけで、ヘソが丸出し
人魚じゃ無ければ、露出狂と言われても仕方がない。
「人魚の神獣ユスティアよ。よろしく」
蒼い宝石のような目を細めて、彼女は笑った。