第46話 人魚の神獣の子ユノレル
『ユーゴさん! 結界が発動するから街の中に居て!』
右の耳にレアスの声が響く。
街を半透明な壁が覆った。
街全体を守る球体の結界は、神獣の子の攻撃を微塵も通さない。
攻撃が止んだことを確認して、ルフを解放した。
「何これ……」
ルフがポツリと呟く。
彼女の目の前には血の海が広がり、傷ついた冒険者たちと元は人だった肉片が転がっている。この様子じゃ、ギルドの戦力はほぼ壊滅と考えるべき状況だった。
「お父さん!」
ルフが傷だらけのテオウスさんに駆け寄る。
彼も肩を負傷しているが、なんとか攻撃に耐えきったらしい。
他にも動ける者、生きている者は居るが、これ以上の戦闘は難しそうだった。
踵を返し、結界越しに神獣の子が造ったスライムと向き合う。
あの水が高密度で固められているのは、鎧であり武器でもある。
地の利は向こうにあった。
まともな戦闘で勝てるか?
街がこんな近くにある状態で。
「レアス。結界はどれくらいもつ?」
『内蔵されている魔力が尽きるまでかなぁ。三日は大丈夫だと思うよ』
三日か……それが結界のリミット。
それまでになんとかする方法を考えないと。
「テオウスさん」
ギルドマスターである彼にルフと同じように駆け寄る。
「なんだ?」
「生きている人を連れて、後退してください。結界が張ってある今の間に、街を守る術を整えてください」
「あの化け物はどうする?」
「自分がなんとかします」
そうだ。俺がなんとかするしない。
同じ神獣の子である俺が……
拳をグッと握った時、周りの冒険者たちがどよめいた。
彼らの視線は結界の外に向けられている。
同じように人魚の神獣の子の方を向くと、スライムから太い水の腕が二本伸びていた。
鞭のように撓《しな》るその腕は、結界を破壊しようと半透明の壁を叩き始めた。
相手の腕が当たる度に、『ドン!』と腹の底に音が響く。
どうやら、三日どころか一日も保てそうにない。
「ルフ。テオウスさんを連れて街の奥に避難しろ。俺が残る」
「で、でも! いくらあんたでも規模が違いすぎる! 勝てるわけない!」
「いいから行け。誰かが奴を引きつけないと、もうこの街を囲む海は全部相手の土俵なんだよ。この街全域が相手の攻撃範囲だ。誰かが引きつけるしかない」
「でも……でも……」
まだ動かないルフ。
桃色の瞳が不安で揺れている。
当然だ。自分の生まれた街が滅ぶかもしれない。
そう思ったら誰でも怖いに決まっている。
少しでも気休めになればいい。
そう思って、脱いだ外套を彼女の身体にかけた。
代わりにルフが使っていた白い外套を身に纏う。
「お守り代わりだ。返してもらうから、俺の大切な外套を失くすなよ」
安心させるため、彼女頭を優しく撫でる。
そして、ちいさく呟いた。
「生きてくれ……頼む」
ルフの頭から手をどけ、テオウスさんを見る。
彼は俺の考えを察してくれたのか、黙って頷いた。
「野郎ども! 後退だ! 動ける奴は重傷者に手を貸せ!」
ギルドの冒険者たちが、重い足取りで街の中に消えていく。
そんな彼らに背を向けて、神獣の子と向かい合う。
「ユーゴ! 約束だからね!」
後ろからルフの声。
本当に彼女の声はよく響く。
俺は右腕を挙げて、その声に応えた。
死んだから怒られそうだ。
「レアス。結界が破られそうなんだけど、再構築にはどれくらい時間がかかる?」
『分からない。最初の発動よりもかかるかも』
「結界が破られたら、残りの魔力を総動員して、結界を再構成してくれ」
『でもそれじゃあ、少しの間しかもたないよ!?』
「それでいい。その間に決着をつける……!」
レアスとの通信を切る。
そして、集中力を高めて、結界を叩く二本の腕に注目した。
魔力によって高密度に固められた腕。
結界に当たる度に、魔力を流し込み結界を中和しているようだ。
破壊ではなく、同じ種類の結界で徐々に浸食しているらしい。
どうやら、今度の相手は魔術だけではなく、法術の知識もあるようだ。
本来、法術で使われる結界を破る方法は大きく分けて二つある。
その結界自体を打ち破るほどの強力な攻撃を当てる。
もしくは、結界を結界で中和し、相手との空間を共有する方法だ。
ようは打ち消すと言うことだ。本来なら、この方法は相手と自分に実力差がある時しか使えない。相手の繊細な魔力制御に合わせた結界の発動が必須だからだ。
海都全体を覆う、広範囲・高密度の結界に干渉して中和するその腕前。
間違いなく神獣の子だろう。理屈ではなく、本能がそう告げた。
両腕に『二色目』、黄色の炎を纏わせる。
ルフから貰った外套が魔力に耐えきれず、灰になった。
怒られるかな?
心でそう呟き、炎を両腕に定着させ、その時を待つ。
――バリン!
まるで巨大なガラスが割れたような音。
右の耳からレアスの『本当に破壊されたの!?』と声が聞こえる。
今はその声を無視して、相手の二本の腕に向かって火を向けた。
両腕それぞれから放たれた巨大な黄色い火柱が、相手の腕を蒸発させていく。
「おおお!!」
相手の腕が消えたことを確認して、その火柱二つを一つに纏めて相手に放つ。
巨大な黄色火柱が海に浮かぶ、スライムへと伸びて行った。
そして、直撃すると同時に水蒸気が視界を覆った。
より近くで様子を見るために、魔力を足裏に集め、海面へと降りる。
足裏から伝わる、ゼリー状のような感触の海面は安定感に欠けそうだ。
「誰……?」
海風に吹き飛ばされた水蒸気の中から、一人の女の子が顔を出した。
風になびく腰まで伸びた美しい蒼い髪と、吸い込まれそうになるほど澄んだ蒼い瞳。
白いワンピースから伸びた白い手足と整った顔立ちは、まるで人形のように美しく、生気を感じなかった。
「俺はユーゴ。それ以上でも以下でもないよ」
「あなた……ルフちゃんの……」
どうやら向こうはルフの知り合いらしい。
ならば、答えは一つしかない。
「君がユノレルか?」
「ええ……人魚の神獣の子……人の街を破壊する者……」
澄んだ蒼い瞳から光が消える。
「最初から人間を懲らしめるつもりで?」
「その目的を知っている? そうか……だからあれだけの魔術を……」
ユノレルが何か納得したらしい。
きっと、俺が神獣の子だと察したようだ、
彼女が風に舞う髪を耳にかけた。
「あなたは人間の味方をするの? 同じ神獣の子なのに」
「そうだな。俺は人間を懲らしめるつもりはないよ。生憎、この街はルフの街でね。破壊させるわけにはいかない」
「どうせ、すぐにあの子を裏切るくせに……」
ユノレルを覆う魔力が急速に強くなる。
攻撃が来るかもしれないと、足に力を入れた。
「男なんて最低よ! 横暴で我儘で! いつも自分の事しか考えていない! あなただって、都合が悪くなれば他人を裏切るに決まっている!!」
海面がボコボコと生き物ように動き、彼女の身体に集まっていく。
これ以上はさせないと、左腕から火柱を放つが結界に防がれた。
「嫌い! 嫌い! みんな大っ嫌い!!!」
叫びともに生成されたのは、水の巨人。
見上げる首が痛むほどの巨大さに、思わず半歩後退した。
巨人の胸の部分には、自分を結界で覆い酸素を確保しているユノレル。
「すごいな」
「勝てるわけないから当然よ。地の利は私にある!」
水の巨人が右腕を振り降ろす。
大きくバックステップでそれを回避した。
右腕は巨大な水柱をまき散らし、海に突き刺さった。
「おっと」
海面が揺れて、小さな津波で足場が安定しない。
こんな攻撃を連続でされたんじゃ、たまったもんじゃない。
右耳を押さえて、レアスに通信を飛ばす。
「レアス! あとどれくらいだ!?」
『もう少し! 今、ギルドマスターの娘が来て、人手を補充してくれたから思ったよりも早く……あ!』
レアスの声が一瞬途切れる。
何かあったのか心配になったが、すぐに理由が分かった。
『ユーゴ! まだ生きてる!?』
聞こえたのはルフの声。
どうやら彼女が強引に魔具を奪ったらしい。
その声に応えようとしたら、水の巨人の左腕が振り下ろされた。
それをジャンプで避ける。
『凄い音したけど、どうしたの!?』
耳元でルフが騒ぐ。
あいつの声がよく響くのは、魔具を通しても変わらないらしい。
「こっちは大丈夫だ。そっちの仕事に集中しろ」
素早くそう返し、眼下に居る水の巨人を観察する。
膨大な海水を魔力で押し固めた魔術だ。
簡単には突破できない。
全部を破壊すると途方もない労力がいる。
ならば、ユノレルが居る胸の部分を一点突破で狙う。
水の巨人に狙いを定めていると、足元の海面が揺れた。
出て来たのは、先が鋭利な水柱たち。
クソ、ここまで複雑で同時に魔術を使えるのか。
両腕を向かってくる水柱に向ける。
炎を円形に展開し、自分の目の前に炎の壁を作った。
これでやり過ごして、反撃だ。
確実に隙をつくために、向かってくる水柱から目を離さない。
――来る!
そう思った瞬間、水柱が突然柔らかく曲がり、俺を避けて通り過ぎた。
そして、もう一度曲がった水柱の鋭い先が俺の背中に向かって飛んでくる。
しまった……ここまで繊細な制御が出来るなんて……
もう炎による防御は間に合わない。
背中に水柱が突き刺さる。
「ぐ!」
背中に水柱が突き刺さったまま、腹から海面に急接近。
顔面に海が近づいてくる。
「消えちゃえ……」
ユノレルの小さな声。
それに反応した水の巨人が、俺に向けて右拳を引いた。
やばい。あんな水圧に押されたらやられる。
しかし、空中では身動きが取れない。
背中に刺さった水柱が俺の身体を押し続ける限り、海面へと近づくばかりだ。
神獣化も今からじゃ間に合わない。
「ちくしょう……」
そう呟いた俺に水の巨人の右拳が放たれた。
目の前から身体が押し潰される勢いで水に当たる。
身体の節々が悲鳴をあげ、内臓から血が逆流した。
「が!」
振り切られる水の巨人の拳に合わせて、今度は空へと吹き飛ぶ。
空中で血を吐き、太陽と向き合う。
そして、頭から海面に落下していく。
やばい……意識が……
酸欠と全身へのダメージで意識が遠のいていく。
まだだ。結界が再展開されるまで時間を稼がないと……
『ユーゴ!』
魔具からルフの声。
その声で失いかけていた意識が再び灯る。
海面に向けて火柱を放ち、炎圧で身体を支えた。
体勢を立て直し、足から海面に着地する。
「しつこいね」
「はぁ……はぁ……男の子舐めんな……!」
水の巨人の中から俺を見下ろすユノレルにそう返す。
口端から垂れた血が、海面に落ちて赤色が足元に広がる。
呼吸するたびに身体の節々が悲鳴をあげた。
状況はかなり切迫している。
やっぱり、神獣の子って強いな……
心の中でそう呟いて、右耳から聞こえる声に集中した。
『大丈夫なら返事して!』
「おう……どうした?」
『今から結界を展開する。今すぐ街の中に戻って!』
「もう街の中だ。今すぐ張れ」
『分かった!』
嘘だ。本当はまだ海面の上だ。
後ろにある海都が再び半透明の球体に覆われた。
発動は無事に成功したらしい。
「あんな結界無駄よ。何度でも壊して絶望を教えてあげる」
「バーカ。お前から街を守る為に結界を張らしたんじゃない」
「……どうゆうこと?」
ユノレルが操る水の巨人が俺の方を向く。
街に結界を張らしたのはユノレルの攻撃から守る為じゃない。
俺の炎が放つ炎圧から街を守る為だ。
「お前を止める為ってことさ」
右腕を横に突き出し、魔術を発動させた。
白い炎が右手を覆い。海面が強大な魔力に震えた。
「いくぜ……これが『三色目』だ」
水の巨人と再び対峙する。
今度は自信と確信を持って。




