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第45話 暁の水平線より

 

 ユノレルは魔力を足裏に張り、海面の上に一人で立っていた。

 水平線より登って来る太陽。新たな朝の始まりだ。


「ねぇ、ママ……男なんて最低だ……恋なんて、しんどいだけだよ……」


 ポツリと呟く。

 そして、自分を育ててくれた母を思い出す。

 生命の源、大海を統べる人魚の神獣『ユスティア』のことを。


「恋をしなさい。人間を懲らしめるのはその後でもいい。もしも、ユノレルが一緒になりたいと思う人が居たのなら、その人と共に生きなさい」


 母にそう言われ、生まれ育った国の海都へとやって来た。

 色んな男に尽くしてきた。でも、最後は男に裏切られる。

 何が悪いのか分からない。


 人魚たちからも人間のことは色々と聞いていたのに、どの男とも上手くいかなかった。

 同性の友達もおらず。自分の心は摩耗していった。

 今度こそはと意気込んだ男との終わりも呆気なかった。


 傷心する自分の目の前に現れたのは、桃色の髪をポニーテールに纏めた、スレンダー美女のルフ。生まれて初めて、同性の人と親しく話した。

 楽しい時間はあっという間に過ぎ、彼女の力になれたらいいなと思い、探している人を見つけてあげた。

 

 ルフとその男のやり取りを見て気がついた。

 彼女は自分とは違う。

 こんなにも自分が苦しんでいるのに……彼女には優しい人が居る……


 理不尽だ。どうして自分だけ、辛い思いをしないといけない?

 黒い感情が胸から溢れて、頭の中で声がする。


 ――壊せ、こんな世界


 嫌だよ。まだいいことがあるかもしれない。


 ――そうやって何度裏切られてきた?


 何度も裏切られた。


 ――壊す為の力を磨いてきただろう


 うん。二十年間ずっと……


 ――醜いこの世界に破壊を


 そうだね。


 ユノレルの身体から溢れた膨大な魔力。

 足裏から海へと流し、海都を覆う海域の海全てに魔力を流していく。

 全てを支配するにはまだ時間がかかる。

 

 ユノレルは朝日で白く染まる海都に目をやる。

 今日も普段と変わらないと思う、哀れな人間たちが動き始めていた。

 

 その顔を恐怖に染めてあげよう。

 自分が味わった失望を恐怖に変えて……


 魔力で街全体を覆い、声を飛ばす。

 宣戦布告。シンプルに言えばそうなる。


「人魚の神獣ユスティアの子です。今から街を滅ぼします」


 踊れ人間。行き場を失くし、恐怖を味わえ。己の無力を噛みしめるがいい。

 さぁ……絶望の宴を始めよう。














 突然街に響いた宣戦布告。

 趣味の悪い悪戯にしては度が過ぎている。

 それに、とうとう人間に牙を向ける神獣の子が現れたか。

 

 まだ本格的な攻撃が始めっていないから、住民たちは平静を保っている。

 それに、ギルド本部があることから、いざとなれば冒険者がなんとかしてくると思っているに違いない。相手はその辺の魔物を軽く上回る者なのに。


「ルフ。街が攻撃される時はどうするんだ?」


「お父さんがギルドの人たちに指示を出していると思うけど……ホントに神獣の子かな?」


「可能性があるのなら対策しないと、街が滅ぶぞ」


 ルフの顔つきが一瞬で変わる。

 緊張感のある顔。彼女は神獣の子がどうゆうものかその身を持って知っている。

 どれ程の破壊をもたらすのかも。


「ギルドマスターの所に行こう」


 何故かレアスも連れて、三人でルフの屋敷へと急ぐ。

 まだ人の通りが少ない大通りを走って抜ける。

 屋敷に着くと、鎧を着た男たちが門の前に集合していた。


「どきなさい!」


 ルフの一括で男たちが左右に割れる。

 その間を三人で抜けて、屋敷の中へ。

 謁見の間では既に十人弱のギルド首脳陣で、会議が行われていた。

 その会議に近づき、人の間から割って入る。


「テオウスさん。話があります」


「戻ったか青年。神獣の子を捕縛しろと言ったが?」


「教団の神獣の子は偽物です。便乗しただけでしょう」


 そのままギルドマスターであるテオウスさんに全てを伝えた。

 教団を壊滅させたこと、人魚攫いの首謀者も捕まえたこと。

 そして、今回の相手が本物なら、街が滅ぶことも。


「警告には感謝する。しかし、ここにはギルド本部がある。倒せない生物は居ないと言っても過言ではない」


「あなたは神獣の子の恐ろしさを分かってない」


「なに?」


 テオウスさんがギロっと睨む。

 そして、外から悲鳴。

 攻撃が始まったらしい。

 謁見の間を貫いて、攻撃してきたモノが天井をぶち破り、屋内に入って来た。


 水の槍とでも言えばいいのか、おそらく魔術で生成されたその槍は真っ直ぐこちらに落ちて来る。回避は間に合わない。

 火の魔術を発動させ、人差し指から鞭のように細く、纏めた炎を伸ばした。

 それを水の槍に向かって振り、一刀両断。

 形を失った水の槍は、ただの水となって俺たちの身体を濡らした。


「今みたいなのが、街中に降り注いだら……」


 ルフが蒼白な顔で呟く。

 そして、外へ。


 屋敷から出ると街全体に同じように水の槍が降り注いでいた。

 あちこちで悲鳴が聞こえ、大通りの並ぶ白い壁は赤く染まっている。

 血の匂いが街全体に満ちており、どこで人が死んでいるのかも分からない。


「今すぐ冒険者たちに迎撃させろ! 街に攻撃を当てさせるな!」


 テオウスさんの命令と同時に、武器を持った男たちが水の槍を地上で迎撃する。

 魔術も見えるから、学院の生徒も抵抗しているらしい。

 まるで空から降り注ぐミサイルを迎撃するレジスタンスだ。


「結界か何か無いのか? このままじゃ消耗するだけだぞ」


「魔術学院になら、街全体を覆う結界がある。でも、発動に時間がかかっているのかも」


 レアスが炎属性の魔術を発動し、水の槍を迎撃しながら言った。


 時間をそれまで稼ぐか? 

 いや、本気を出せば一撃で街を葬れる。

 それをしないと言うことは……


 どの道、神獣の子をこの街で倒せるのは俺だけだ。

 この間に探すしかない。

 だけどどうやって?


 居場所の分からない、今この時ほど『古き血脈』の力を借りたいとは思わなかった。

 闇雲に探しても見つからない。それどころか、このままじゃ街は壊滅だ。

 必死に頭を回転される俺の横で、ルフが「あれ?」と呟いた。


「どうした?」


「海の上に誰かいる……」


「分かるのか?」


「うん。ユノレルと会った時も今と同じ感じがした。言葉で伝えるのは難しいけど……」


 ルフが出会った、ユノレルと言う子が、神獣の子かどうかを考えている暇はない。ルフが感じているその感覚が、『古き血脈』が神獣の子を感知する際の感覚なのかも。


「レアス。魔術学院に行けば、結界を発動させる時間を早められるか?」


「出来るよ。私は優秀だから」


「じゃあ、頼む。ルフはそのユノレルって子の所まで案内してくれ」


「分かった!」


 レアスに「気をつけろよ」と言うと、彼女が懐から小さな球体の鉱石を出した。

 指で摘ままないと無くなりそうな金色の鉱石からは、魔力を感じる。


「なんだ?」


「遠距離でも言葉が届く魔具。この前、盗んだ」


 笑顔で言うレアスにため息。

 お金の他にも、珍しい物は盗むらしい。

 それでも、今はありがたいことに変わりない。

 レアスから受け取り、右の耳に入れる。

 彼女も同じように左耳に鉱石をつけた。


「話す時は耳ごと鉱石を押さえればいいから」


 レアスが使い方をモーション付きで教えてくれる。

 彼女の言葉に頷くと、俺たちはそれぞれの目的地へと走り出した。

 ギルドの冒険者と学院の生徒たちを総動員した抵抗のおかげで、街に当たる水の槍の数は減っているように見える。


「ルフ! どっちだ!?」


「この大通りを真っ直ぐ!」


 ルフが正面を指さす。

 彼女と並んで街を疾走する。

 耳に届く爆発音と悲鳴。

 助けを求める人々も全てを無視して全力で走る。


 本来なら今すぐ助けに行くべきだ。

 しかし、それは俺のやるべきことを放置することになる。

 犠牲者を一人でも減らすには、今は急ぐしかなかった。

 

 正面にある、海に面する港の方から黄色い信号弾が打ち上げられる。

 どうやら、異常を発見した冒険者たちの合図だ。

 街を抜けて、港に出るとそこには海面に浮かぶスライムのような生物。

 海の水で造られた身体は、見上げるほど大きい。


「感覚はあの中から」


 ルフがスライムを指さした。

 どうやら、あの中にユノレルと名乗る子が居るらしい。

 大海を統べる人魚の神獣ユスティアの子だ。


 海の上での戦闘は得意と考えるべきだろう。

 本当なら向こうの土俵での戦いは避けるのが基本なんだけど……


 相手と対峙して考えを纏めていると冒険者たちが、闘術を使って海面を走っていく。

 足の裏に魔力を集めるのは一番難しく、海面での戦闘は難易度が高い。

 しかし、彼らの機敏な動きを見ていると慣れているようにしか見えなかった。

 さすがギルド本部の冒険者。基本戦闘能力は高いらしい。

 

 ただ相手は神獣の子だ。

 突っ込んだって、結果は見えている。


「おい! やめろ!」


 声に出して警告するが、彼はそれを無視して特攻を仕掛ける。

 剣を、槍を、斧を海面に現れた巨大なスライムに向かって、四方から振り下ろした。

 

 ――グシャ


 それが最初に届いた音。

 スライムの身体から飛び出した棘が冒険者たちの身体を貫いた。

 身体を貫かれた冒険者たちの血が海に流れ、朝日に輝く海面が赤く染まる。


「全員! 攻撃準備!」


 後ろから声。

 振り返るとテオウスさんが居た。

 その周りには信号弾を見て集まった冒険者たち。


 どうして? いつの間に集まった?

 上からは水の槍が降り注いでいて、とても動ける状態じゃなかったのに……まさか……


 空を見上げるといつの間にか攻撃が止まっていた。

 あれは陽動? ギルドの面々一か所に集める為の……だとしたら!


 スライムの放つ魔力が急速に高まる。

 奴はギルドの主力を一撃で倒すつもりだったんだ。

 あの水の槍は、ほんの小手調べ。

 本命の攻撃は次だ。


「ダメだ! 全員この場から離れろ!!」


 スライムが弾けた。

 小さな水の散弾が四方に放たれる。

 それと同時に、海面から水の槍が無数に飛んできた。

 速度が速すぎて炎による防御は間に合わない。


 フードを被り隣に居たルフを抱きしめ、外套に渾身の魔力を流しスライムに背中を向けた。背中に相手の攻撃が当たるが、外套は全てを防ぐ。

 しかし、周りの冒険者たちが、水の散弾で身体がバラバラになり、水の槍で身体を引き裂かれていく。腕利きの冒険者たちは自分で防ぐが、それも死なない程度にだ。

 完全に防ぐことは出来ない。木霊する叫びと肉が飛び散る音。


「ユーゴ! 離して! みんなが!!」


 俺の胸に顔を押し付けられているルフには、冒険者たちの悲鳴しか聞こえない。目の前で起きている惨劇は彼女の目には見えなかった。

 腕の中でもがく彼女を渾身の力を込めて押さえる。


 目の前の惨状に唇を噛みしめながら。


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