第42話 贅沢な男と不憫な女
倒れたレアスの光を失った瞳が俺に向けられる。
助けでも求められるかと思ったが、彼女は再び目を閉じた。
「おい。こいつの知り合いか?」
男の一人が問い詰めてくる。
「だったらなんだ?」
「こうゆうことだよ!」
男の右ストレートをヘッドスリップで避ける。
そのまま男を通り過ぎ、レアスを素早く肩に担いだ。
地面を蹴りシャンプ。屋敷の屋根に着地した。
消えた俺たちに驚く彼らに向かって、ダガーを三本投げつける。
一直線に飛んでいったダガーが男たち三人の足を貫いた。
「なんだ!?」
「クソが!」
「どこ行った!?」
足を貫かれた男たちが傷口を抑え辺りを見渡す。
手に魔力を集めて、ダガーを呼び戻すと素早く懐にしまい、レアスを背負う。
そのまま屋敷から飛び降り、柵の外へ。
まるで脱獄囚だな。
傷だらけの彼女を背負って歩くのは、目立つだろう。
早く落ち着ける場所を探さないと。
「ん……」
背中のレアスがもぞもぞと動く。
どうやら意識が戻ったらしい。
「起きたか?」
「あれ……? 何してるの?」
「色々だ」
「……ここに行って……」
レアスが震える手で一枚の地図を差し出す。
それを頭に叩き込み、目に魔力を集める。
目の前に目的地までの道筋が赤い色で浮かび上がり、どう行けばいいのか一目で理解できた。その赤い道筋の通りに街を歩く。
背中のレアスは再び眠ってしまったのか、一定のリズムで呼吸を繰り返していた。あの男たちにレアスが絡まれていた理由はなんとなく分かる。
金を盗られた腹いせと言った所だろう。
レアスが船に乗っていると言う情報を聞きつけ、船内に居た彼女を強引に連れ出し、屋敷内で暴行した。街中ですれば、ギルドの評判や、住民に見つかるなど色々と具合が悪いのだろう。
レアスが教えてくれた場所は大分入り組んだ路地裏だ。
人の多い大通りに比べ、雰囲気が暗い。
白い煉瓦で造られた建物ではなく、古いも木造の建物がより一層その雰囲気を強めている。時々すれ違う人たちは、皆ボロボロの服を着ており、中には残飯をあさる子供たちも居た。
まるで人魚の国とは別の世界。
この国の裏側を見たような気がした。
赤い筋が一つの扉で途切れる。
どうやら目的地に着いたらしい。
古い小屋のような小さな建物。
扉を開けると中にはベッドと全身が映る鏡。
こじんまりした部屋は外の雰囲気の割に、中は綺麗にしてある。
とりあえず、レアスをそのベッドで横にした。
部屋の隅から小さな木製の椅子を動かし、ベッドの傍に座る。
どれくらいの暴行を受けたかは分からないが、治癒魔法を彼女の身体全体にかけた。打撲の跡くらいならすぐに消えるはず。
「こんなもんか」
治癒魔法をかけて数時間。
顔にあった打撲の跡は綺麗に消えた。
怪我自体の完治はまだだろうが、俺の治癒魔法ではこれが限界だ。
意識が戻ったら、治癒師に治してもらうのが一番だ。
椅子から立ち上がり、部屋の中を見渡す。
ここがレアスの普段使っている部屋にしては、荷物が圧倒的に少ない。
生活に最低限の物があるだけで、あとは色々な情報の詰まった雑誌が転がっている。中にはギルドの依頼もあった。
中身は本来なら淫魔の国でしか依頼されない、ハニートラップ関連の物ばかり。どうやら裏で依頼を流している奴が居るらしい。
確か学院には寮があるから、ここでレアスがいつも生活しているとは考えづらい。おそらく、学院の監視から逃れる為の別荘と言った所だろう。
「女の子の部屋を観察するのは感心しないなぁ」
振り返るとレアスが身体を起こしていた。
「気分はどうだ?」
再び椅子に座り、レアスと向き合う。
彼女は少し乱れたブレザーを着直す。
「悪くないかな」
「そうか。相手は少しくらい選べよ」
椅子から立ち上がり、レアスに「じゃあな」と言って部屋の扉の前に立つ。
今から神獣の子を名乗る奴を探しに行かないといけない。
どこで情報を集めようか。
どうしようか考えていると、左腕にレアスが抱き着いて来た。
胸を腕に当て、上目遣いでこちらを見て来る。
「お礼♪ 何がいい?」
「このまま離してくれることかな」
「贅沢な男ね」
頬を膨らませ不満そうな顔。
「怪我人は大人しくしとけ」
「じゃあ、ご飯奢ってあげる。この前臨時の収入があったの」
彼女が見覚えのある革袋を取り出す。
それは元々俺の金だと言う気も起らず。
深いため息。
「またややこしい奴らに絡まれないだろうな?」
「大丈夫♪ 今日はオフだから♪」
ブイサインでウィンクをするレアス。
ついさっきまで厄介事に絡まれていた彼女を見て、何がオフだから大丈夫なのか分からないと思ったのは、仕方のないことだと思う。
「追加くださーい!」
目の前に座るレアスが店員を呼び止める。
大通りから少し路地に入った場所にある店には、冒険者たちの姿が多く見える。外は既に夕方だから、依頼の疲れを癒しているらしい。
そんな喧騒が飛び交う店で俺はレアスと一緒にご飯を食べていた。
「おい。飲みすぎだろ」
「大丈夫♪ 大丈夫♪」
顔を赤くしたレアスが「ひっく」と吃逆。
さっきからお酒をちょいちょい口にしては、テンションが上がっている。
いい感じに酔うのは勝手だが、泥酔だけは勘弁して欲しい。
メイドさんが新しく運んできたお酒で乾杯。
木のコップを傾けた。
「ねぇ。船で連れてた子は?」
「ルフのことか? 次の依頼がちょっとややこしくて親御さんに預けて来た」
「それでギルドマスターの屋敷に居たんだ」
「まぁそんな所だ」
レアスが「ふーん」と言って、コップを傾ける。
口にコップを当てたまま上目遣いでこちらを見て来た。
何か言いたそうだ。
「ねぇねぇ。その依頼ってどんなの?」
「お前には関係ない」
「情報が欲しいなら、色々な伝手は必要じゃない?」
レアスが言うのも御尤もだ。
今回の相手の居場所はギルドでも判明していない。
大体の絞り込みは済んでいるらしいが、ダミーの恐れもある。
しかも相手は神獣の子以外に、その信者も敵になるかもしれない。
街中に敵が潜んでいる可能性だってある。
向こうが神獣の子なら、止められるのは同じ神獣の子だけ。
ベルトマーの時と同じように、各神獣の子の特徴を知っている可能性が高い。
俺が知っているように。
レアスは知り合いが多い。それは間違いない。
関係性が健全かどうかは別にしてだ。
その中には有益な情報を持っている奴だって居るだろう。
彼女の協力を仰げば、解決は早い。
しかし、巻き込んでいいものか……
「仕事の話でしょ? 危ないと思ったら身は引く。その辺は心得ているから」
俺の考えを見つかすような金色の瞳。
確かに彼女は十代でまだ学生だが、その辺の感覚はシビアそうだ。
さっき男たちにやられていたのは、ちょっとミスったと考えるべきか。
「最近、人魚の国で神獣の子と名乗る奴が、信者を集めてる。そいつが人魚攫いの首謀者と繋がっているらしい。そんで、首謀者の捕縛を頼まれた」
「その話、知ってるよ?」
レアスが懐から一枚の紙を取り出す。
綺麗に四つ折りにされた紙をテーブルの上に広げる。
内容は神獣の子を信仰する宗教団体への勧誘だった。
勧誘を受ける者は指定の場所まで行かないといけないらしい。
おそらくその場所から団体の隠れ家まで移動するのだろう。
「どこで手に入れた?」
「路地裏で配ってた。どうやらお金の無い人や、帰る場所を失くした人に配ってるみたい」
人の弱みにつけいるとは、まさに邪道だった。
何も悩みの無い人と、心の弱った人なら後者の方が圧倒的に信者にしやすい。
なんとも姑息な神獣の子だ。
それだけギルドを警戒していると言うことだろうか。
どの道、他に情報が無い。
この指定される場所に行って、後をつけるしかなさそうだ。
紙を貰おうと手を伸ばすと、レアスがその紙を取り上げる。
「どうゆうつもりだ?」
「連れて行って♪」
「引き際は心得てるんじゃなかったのか?」
「まだ違うでしょ。それに……あなたに興味があるの♪」
俺を指さし、妖艶な笑みを浮かべるレアス。
どいつもこいつも、そんなに俺のストーカーをしたいのか。
「ダメだ。危険すぎる。相手は神獣の子だぞ」
「あら? 私を殺しかけたのは、ベッドの上のあなただけよ♪」
つかみどころのないレアスを言葉で言い包めるのは無理らしい。
それに彼女は情報の提供者だ。いわば共犯者でもある。
情報提供の代わりに連れて行けと言うわけだ。
「私の心配は無用よ。これでも学院での成績はいいの。自分の身は自分で守るわ」
「さっきは守れてなかったぞ」
「どこぞの誰かさんがベッドで私をヘトヘトにしたせいよ♪」
何を言っても無駄らしい。
ここまで来たら仕方がない。
「分かった。ただし、俺の指示に従うこと。危ないと思ったらすぐに手を引けよ」
「はーい♪」
軽い返事をするレアスにため息。
絶対に分かってない……
「誰も居ない……」
ルフは屋敷の廊下から外に出た。
柱に身を隠し、警備の様子を見る。
父と母には悪いが、ユーゴを放っておくことは出来ない。
相手は神獣の子だ。
ベルトマーの時のように規格外の力を持っていることは容易に想像できた。
しかも、今回は相手の組織自体を敵に回すかもしれない。
一人では厳しいだろう。いくらユーゴが強いとしてもだ。
(変に甘い所あるからなぁ……女の子に甘いみたいに)
心の中でユーゴの他の女の子に対する態度に毒を吐く。
警備の隙を見計らって、柵を飛び越えた。
石の煉瓦で造られた道に着地して、狼の国で使っていた白い外套を身に纏う。
ギルドマスターの娘として顔の割れている自分が見つかると、父に報告が伝わる。それだけは阻止しないといけなかった。
大通りに出て、夜の街を歩く人たちを見て固まる。
勢いで出てきたのはいいが、ユーゴを探すアテがない。
彼が夜に居そうなのは酒場だが、それも無数にある。
片っ端から探していては、日が昇ってしまう。
きっと彼は情報収集してるはず。
何か神獣の子に関する情報か、人を探すことに長けた人物は居ないだろうか。
ルフは周りを見渡しながら街を歩く。
そして、不思議な感覚に気がついた。
(なんだろう……誰かいる……)
言葉では言い表すことが出来ない不思議な感覚。
姿は見えない。誰か分からない。
しかし、『何かの存在』だけがハッキリと感知できた。
道を外れて路地裏へと入る。
その感覚だけを頼りに入り組んだ道を進むと、若い男女が居た。
建物の陰に隠れて、その二人の様子を観察する。
「しつこいんだよ!」
「どうして!? 私は貴方のことこんなに想っているのに!」
蒼い髪をもった女が男の腕を掴む。
しかし、男がめんどくさそうにそれを払った。
女の身体が激しく道に叩きつけられる。
(別れ話かな……)
二人の男女が放つ雰囲気でそう察した。陰から見るのは趣味が悪いと思うが、ルフは不思議とその女性から目を離せない。
透き通るような白い肌と、海によく似た蒼い髪は真っ直ぐ彼女の腰の位置まで伸びている。
一瞬こちらに向けられた瞳も蒼く、その透明度に目を奪われそうだった。
「もう俺の前に二度と現れんな!」
男がそう吐き捨て、彼女の前から去る。
女は俯き、嗚咽を鳴らす。
「なんでぇ……今度こそはって……思ったのにぃ……」
誰も居ない路地裏で泣く彼女を放っておくことも出来ず、ルフは物陰から彼女に近づく。
「大丈夫?」
ルフの問いに気がついた彼女が赤く腫れた目をこちらに向けた。
「あなたは……?」
「あたしはルフ。まぁ……その偶然見ちゃったんだけどさ……あたしで良ければ話聞くよ?」
女が鼻をすすり立ち上がる。
そして、蒼い瞳を真っ直ぐこちらに向けた。
さっきは気づかなかったが、彼女が首からぶら下げたペンダントが揺れる。
蒼い小さな棒がついたペンダント。
半透明の蒼いそれは、彼女の瞳によく似合う。
「私はユノレル……聞いてくれるの?」
「なんか放っておけないし」
「ありがとう~」
ユノレルと名乗る少女の目に再び涙が溜まる。
とりあえず場所を変えよう。
そう思ったルフは、涙の目のユノレルを連れて大通りへと向かった。