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第40話 人魚の国

 レアスは淫魔の国で一番の大商人の娘として生まれた。

 幼いころの記憶は、あまり思い出したくない。

 父親に殴られ、母はいつも泣いていた。

 母を庇った時には、容赦なく父に殴られた記憶しかない。


 男は金と権力、女はどれだけ男と寝たか。

 それが淫魔の国の全てだった。

 父に男を喜ばす様々な知識と技術を叩きこまれ、初めて男に抱かれたのは七歳の時だ。相手は父の商談相手で、小太りのおっさんだった。

 

 思い出したくもない。

 脳裏に切り刻まれた記憶。

 身を裂くような痛みと、心かが壊れる音を感じた。


 自分の身体は道具なのだと、その時はそう感じ、自分の部屋に閉じこもった。

 それを見かねた母が、自分を人魚の国の魔術学院に入学されようとする。

 母だけを置いて行けるわけないと反発したが、半ば強引に人魚の国へと送られた。学院に来て、始めて出来た同世代の友達たち。

 

 壊れた心が戻っていくことを誰よりも実感し、母に感謝する日々だ。

 仕送りを貰いながら、生活すること数年。

 ある日突然、母からの仕送りが止まり、一通の手紙が届いた。


 内容は母が働き過ぎで身体を壊したこと。

 命に別条はないが、このままでは学費も生活費も払えないと書かれていた。

 今までは父のお金を送っていると思っていた。


 しかし、母は既に父と離れて暮らしており、実質の離婚状態だった。

 ただ完全に別れてしまっては、レアスの『大商人の娘』と言う肩書が消えてしまい、学院内での立場を悪くすると思い、完全に離れることは避けたようだ。


 手紙には謝罪の言葉が羅列しており、母の無念さが窺える。

 その時、レアスは決意した。

 誰にも頼らず一人で生きていくと。


 男を喜ばす技術や知識を駆使して、身体を許す代わりに金を貰う。

 自分の身体は商売道具だと割り切り、金を貰えるのならどんな男とも肌を重ねた。時々、厄介なトラブルに巻き込まれることはあるが、父の伝手を頼り処理してもらっている。

 もちろん代わりの報酬は身体で払う。


 学費も生活費も全てをそれで稼ぐ代わりに、学院で孤立していく。

 今となっては、学院内でレアスに話しかける生徒は殆どいない。

 たまに身体目当てで近づいてくる男は居るが、貴族の息子以外は無視。

 

 教師たちもそんな自分に手を焼いているようだが、学校内で大きな揉め事は自分から起こさない。本業の魔術の方も成績は優秀で、大商人の娘となれば大概のことは黙認された。


 教師の中には、自分と肉体関係を持った者もいる。

 人間関係なんてそんなモノだ。

 利害の一致と打算。

 それが最も大切で、心からの善意を持つ人間なんていやしない。

 信じられるのは自分だけ。レアスはずっとそう思っていた。


「ん……」


 窓から差し込む白い朝日が、部屋の影を徐々に振り払う。

 薄く開けた瞳。次第に覚醒する頭が最初に感じたのは身体の重さだ。


(身体が重い……あの男……どれだけ元気なんだろ)


 手足が鉛で縛られているように重い。

 ベッドから出るにはもうしばらく時間がかかる。

 船の揺れが既に収まっていることから、人魚の国着いたことを理解した。


 顔を横に向けると赤髪の男の姿なく、この六日間いつもそうだった。

 朝になると男は姿を消し、昼間を驚くほど他人行事。

 しかし、今日は小さな革袋が置かれていた。

 手の取ると中には硬貨。しかも、予定していた数よりもかなり多い。

 レアスは生まれたままの姿で身体を起こし、袋から一枚の銅貨を手に取った。


(ほらね。あなたは払ってくれた)


 銅貨の縁を指でなぞり、船で常に夜を共にした男の事を思い出す。

 あんなに優しくされたのは始めてだった。

 いつもと違う感覚に戸惑ったのは事実だ。

 普段なら心なんて動かず、仕事だと割り切っていた。


 だから、こうやって余韻に浸ることなど絶対にない。

 男に抱かれて、その腕の中で夢中になることも。

 六日目の夜。昨夜も現れたユーゴと名乗る男は、金額を随分と気にしていた。

 これだけ自分の身体を使っておいて、今さらなんのつもりだと少しだけ思ったが、どうやらそれは必要以上の金額を払う為だったらしい。


 事実、革袋がパンパンに膨らんでいるのから予想するに、しばらく男と寝る必要はないと思えるくらいの金額が入っているだろう。

 これは自分があの男を満足させた証なのか。

 革袋をひっくり返すと、ジャラジャラと硬貨がベッドの上に広がる。


 そして、奥から一枚の紙が出て来た。

 シワクチャなその紙は最初に入れたらしく、そのせいで袋の奥で潰れていたらしい。紙を広げるとそこにはメッセージが書かれていた。


『ありがとう。自分は大切に』


 彼がどこまで知っていたかは分からないが、自分が何かしらの事情を抱えていたことは察していたらしい。

 それで革袋には多めの金額をいれたようだ。

 そのことを理解して後、もう一度文章を読んで笑いがこみあげて来た。


(お礼を言うなんて変な奴)


 自分は仕事をしただけだ。

 そして、その分の対価は必要以上もらった。

 むしろお礼を言いたいのはこっちの方だ。

 必要以上の金額を払うなど、バカのすること。善意や憐れみでやっているのなら、そんな気遣いは無用としか言いようがない。


(バカは搾取されるだけ……生き残るには他人は利用するしかない)


 レアスは指で銅貨を弾いた。キンと小さく響いた音がスッと心に沁みる。

 男と寝た後に、『寂しい』なんて感情を抱くとは思わなかった。

 あのバカでどうしようもない男は、想像以上に自分の心に土足で踏み込んできたらしい。その事実を今は受け止めることが出来なかった。


「ギルドマスターの娘と一緒に居るなんて……あなたは何者?」


 再び弾いた銅貨が、部屋の床に落ちた。

 乾いた木の音が部屋に響く。レアスは再び背中からベッドに倒れた。

 失った体力を回復させるためだ。

 その為には寝ることが一番早い。

 目を閉じて、瞳の裏に浮かんだ夢は、久しぶりに良い夢だった。















 出そうになった欠伸をかみ殺す。

 船に揺られること六日間。

 久しい大地の感触に感動すら覚えそうだ。


「ねぇ。なんでそんなに疲れた顔してるの?」


 横に居るルフが俺の顔を指さす。


「人の顔を指さすなんて、失礼だぞ」


 ルフにそう返し、両腕を上に伸ばす。

 前に目をやると、人魚の国の首都『海都』と呼ばれる街が見える。

 建物の壁は白の煉瓦で造らており、屋根の色は赤い。

 広大な島国一個がまるまる海上都市と呼ばれる街であり、他には周りに点在する小さな島があるだけ。人魚の国の人口のほとんどはこの海都に集中しており、人魚の国と言えば普通はこの街を指す。


「島とは思えないくらい大きいな」


「南側は森がそのまま残っていて、人が住んでいるのは実質島の半分だけよ」


「これで半分か……」


 街の端から端までどれくらい時間がかかるのか想像もしたくない、

 それなのに、その領土は島の半分とは恐れ入る。

 港の受付に船を乗る際に使った紙を見せて、証明書を貰う。

 これでギルドに捕獲されることもないだろう。


 ポーチの中に入った謎の茶色の球体。

 狼の国で発掘されたと言うことらしいが、同じような球体が竜の国の王族にも受け継がれている。

 人魚の国にも同じような物があるかもしれないと言うは、当然の懸念だった。


「ねぇ、ユーゴ」


 ルフが外套の端をチョンチョンと引っ張り、先ほどまで乗っていた船の方を指さした。そこには、鎧を着た男たちがゾロゾロと船の中に入って行く姿。


「船の検査か何かだろ。早く用事を済ませよう」


「はいはい。早くお酒を飲みたいだけでしょ」


 ルフに本音がバレて肩を竦める。

 街の中心にあるギルド本部は、かなり大きめの建物で島の端であるこの場所からも、空に突き出した屋根を見ることが出来る。

 ただし、距離は割とあるので歩くのがしんどそうだ。


 ルフが狼の国で使っていた白い外套を身に纏い、周りに気づかれないようにフードを被った。自分の生まれた国なのに潜入調査のような格好に不安しかない。

 周りに見つかると不都合なことでもあるのか。

 

 今更聞いても既に遅いと腹を括り、街の中を歩く。

 ギルド本部があるせいか、強そうな武器や防具。

 ピンと張りつめた空気を纏う冒険者たちの姿が多く目に入る。


 そして、獣人や時々耳の尖ったエルフもあった。

 数多くの露店が並び、武器や宝石、魔具など多種多様な品がある。

 面白そうな品があれば買ってみたいが、レアスのせいで金を最低限しか残っていない。ギルド本部もあるし、またギルドで稼ぐことになりそうだった。


 人が通りやすいように整理された大通り。

 白い煉瓦の並ぶ街並みは美しく、人間と獣人が治める国の中で最も美しい都市と言われるのも納得だ。

 竜の国で以前一緒に飲んだ商人が、「女を連れて行くなら海都に限る」と言っていた意味も、やっと理解できた。


 ギルド本部着いて、城のような建物を見上げると首が痛い。

 建物には駆け出しから、ベテランまで様々な人が出入りしている。

 中で迷子にならないか心配だ。


「さて。ギルドマスターに謁見願うかね」


 要件を済ませるために足を前に出した俺の外套をルフが掴んだ。また何か不満があるのか。ため息をして振り返ると身体を小さくするルフの姿。


「どうした?」


「あ、あのさ……ずっと言えなかったんだけど……」


 ルフが言葉を言い切る直前、背後から俺の首に剣が当てられた。

 ざわつく周りの人々。そして、人ごみの中から鎧を着た男たちがゾロゾロと出て来る。いつの間にか包囲されていたのか。


「なんのつもりだ?」


 剣を俺の首に当てる男にそう聞いた。

 三十代くらいの男が鼻で笑う。


「こっちのセリフだ。よくもまぁ、堂々とギルド本部に顔を出せたもんだ。犯罪者」


 いつも間にか犯罪者扱いされていた。

 何をしたか、今までのことを必死に思い出す。

 狼の国で建物を破壊した件か? 嘆きの山の麓の街でメイドさんに手を出したことか? それとも学院の生徒である、レアスに連日手を出したことだろうか?


 ダメだ。思い出しただけでも、バレたら怒られそうなものばかりだ。


「待って! 剣を収めなさい! この男は犯罪者じゃない!」


 ルフがフードをとり、俺と剣を持った男の間に割って入る。

 この男たちとルフの関係性が読めない。

 混乱する頭を必死に動かしていると周りの人が叫んだ。


「ギルドマスターの娘!?」


 自分が犯罪者扱いされる理由を理解して、俺は眉間を手で抑えた。

 そして、心の中で呟く。

 ソプテスカの時といい……またこのパターンか……


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