第36話 彼を追いかけて
「なんで酔い潰れたフリをして、ユーゴの背中に乗っていたの?」
「好きな人に背負われたいと思うのは当然よ」
ソプテスカが顔の手を添え、頬を赤くした。
その様子を見てルフはため息。
国王がユーゴと二人きりで話したいと言って、廊下に出てもうずいぶんと経つ。
いつまで待たせる気だと、腕を組みイラつきを抑える。
「あのバカ……いつも待たせて……」
「確かに少し遅いような気がする」
ソプテスカが細い指を顎に当て執務室の扉を眺める。
そして何を思ったのか、扉に耳を当てて中の会話の盗み聞きを試み始めた。
「こら! いくら娘だからって、王の会話を盗み聞きするのはよくないでしょ!」
「シッ。静かにして」
ソプテスカが人差し指を顔の前に立て、ルフに黙れと伝える。
バレたらもの凄く怒られるような気がして、ルフは思わずため息をしてしまった。
目の前で本能のままに行動するソプテスカを見て、自分はどうするべきか考えていると彼女の顔色が徐々に白くなる。
「どうしたの? 何かマズい会話でもしてた?」
「もっとマズいかも」
ソプテスカが素早くドアノブに手をかけた。
盗み聞きでもマズいのに、一応密会中の部屋に特攻などもっとマズい。
「あんたの行動の方がマズいわよ! やめなさ……」
ルフの言葉も聞かず、ソプテスカが扉を開けた。
そして、目を丸くして固まる。
ルフも恐る恐る中を見て、目を疑った。
「なん……で……」
そこには国王しか居なかった。
「思ったよりも早かったな……」
王がそう呟き頬を掻いた。
部屋の窓が開けられており、そこからユーゴは出たらしい。
王はそれを見逃したと言うわけだ。
「父上! ユーゴさんは何所に!?」
ソプテスカが問い詰める。
しかし、王は「急ぎらしいぞ」と言って答えようとしない。
どうやら国王はユーゴの味方のようだ。
何故彼が黙って、自分たちの目の前から姿を消したのか、理由が分からない。
混乱する頭で必死に考えるルフに国王が話しかけた。
「そうだ。ルフ・イヤーワトル。君は少しの間、この城に留まるといい。娘の大切な友人だ。もてなすぞ」
ぎこちない笑顔の国王。
嘘だ。その案は王のモノではないと直感で分かった。
そして、『誰が』国王にそのような案を頼んだのかも。
「折角のお話ですが、あのバカを探しに行きます」
王とソプテスカに一礼し、ルフは部屋を出た。
部屋の中から「待て! 我が青年に怒られる!」と困った声の王と「やっぱり何か知っているんでしょう! 早く言ってください!」と父を問い詰めるソプテスカの声が聞こえた。
ルフは城を出て急いで街へと繋がる階段を降りる。
街と繋がる階段はこれ一つだけだ。
ユーゴも通ったはずなのでまだそれほど遠くへは行っていない。
「はぁ……はぁ……どこに……」
周りを見渡すが彼のトレードマークでもある赤い外套は見当たらない。
王都と一言に言っても、人ひとりを探すにはかなりの広さだ。
闇雲に探しても見つからないことは分かっている。
(落ち着いて。冷静に……あのバカが姿を消した理由は後で問い詰めるとして……今のあいつの目的は何?)
走ったせいで乱れていた息を整え、思考をまとめる。
ユーゴは意外と無駄なことはしないタイプだ。
特に姿を勝手に消した時は、何か理由があってフラフラすることが多い。
情報収集か、魔物を人知れず倒す為か。
その目的に順じた行動をするとすれば、今の彼の目的に必要なことをするはず。
「あ……」
ルフの思考は一つの可能性に辿り着いた。
その予想は、今思うと冷静になれば至極当然の予想だった。
すぐに思いつかなかったから、自分でも想像以上に取り乱していたらしい。
(絶対にあそこしかない)
その想いを胸に、ルフは人ごみをかき分け走った。
城からそれ程離れていない、ワイバーンの飛行所にきっと彼は居る。
次の目的地は人魚の国だ。竜の国から行くには、一度港街に行く必要がある。
地上を行けば数か月かかる道も、ワイバーンを使えばすぐにたどり着ける。
長い階段を一段飛ばしで駆け上がった。
息が乱れる、手足が重い。酸欠で徐々に思考が鈍る。
どうして自分がこんなに必死になって走っているのか分からない。
放っておけばいい。心の中でそう思う自分も居るが、それを否定する自分も居る。
祖国である人魚の国に戻れば、遅かれ早かれ自分の正体を彼に明かすことになる。
家出同然でできた自分を彼はどう思うだろうか。
父から見放されたに等しい自分を見て……
ワイバーンの飛行場に辿り着いた。
周りを見渡すが赤い外套は見えなかった。
受付の白いテントに近づき、少年に声をかけた。
「ねぇ! 赤い髪の男を見なかった!?」
「あ、あの人ならあそこですよ」
自分の勢いに押された少年が空を指さす。
彼の指が示す先には、見覚えのある赤い外套の後ろ姿。
間違いない。ユーゴだ。
もうすでに彼はワイバーンで出発したらしい。
「ありがと! 一体ワイバーン借りるね!」
「あぁ! ちょっと! あの人みたいなことしないで下さいよ!!」
少年の言葉を背にワイバーンの緑色の体躯に跨る。
驚いたワイバーンが暴れるが、手綱を握り押さえつけた。
「お願いっ、言うことを聞いて!」
絶叫に近い声の張りで、ワイバーンに伝える。
自分が下手くそなのは分かっていた、それでも今ユーゴに追い付くにはこれしか手段が無い。ワイバーンの動きを制御しきれていないが、羽を広げ空へ。
無事に飛べたことに安堵し、ユーゴを追いかける。
徐々に高度が高くなり、王都が小さくなった。
落ちたら間違いなく死ぬ。下を向くなと自分に言い聞かせ、赤い背中を負った。
しかし、技量の差なのか距離は縮まるどころか、広がっていく一方だ。
(このままじゃ……)
このままでは見失う。
焦りと動揺。
それが手綱を握るワイバーンの伝わったのか、身体が大きく揺れた。
「え!? 待って! そんなに暴れたらっ」
身体が宙に投げ出された。
目の前に太陽。背中には王都。
そして身体を包み込む浮遊感で全てを悟った。
自分はワイバーンから落ちた。そして、このまま落下して死ぬ。
遠くに見える男の背中はまだ遠い。それに彼は自分に気づいていない。
どうせ気づいたところで間に合わないだろう。それでも、ルフは自分の存在を知らせるために腹の底から叫んだ。
「ユーゴ!!!」
一気に肺から酸素が出て行く。
酸欠で視界が霞み、徐々に意識が遠のいて行った。
以前ユーゴが、高度が上がると酸素が薄くなるから気をつけろとか、何か言っていたような気がする。
今となってはそれも意味はない。これから落下する自分は死ぬだけだ。
目を閉じると今まで過ごした時間が浮かぶ。
これが以前死にかけた冒険者から聞いた走馬灯と言うものらしい。
人魚の国生まれ、自分の才能を生かすことを価値観として最重要視するあの国は、自分にとって息の苦しい国だった。
冒険者としての才能に恵まれた家系。しかし、その才能が自分には無かった。
だから必死に努力した。父に教えてもらった弓を来る日も来る日も練習した。
たった一言、父に褒めてもらう為だけに。
しかし、父には「才能の無いことに時間を無駄にするな」とそれを否定された。
母は優しく気にするなと言ってくれたが、父に突き放された事実に深く傷ついた。
自分のしてきたことは無駄ではない。そう言い聞かせ心の平穏を保つ日々。
そうしないと今にも自分が崩れそうで怖かった。
そんな時、竜の国で魔物の変わった動きがあると噂で聞いた。
自分の努力が無駄では無いことを証明するために単身、家を出て竜の国へとやって来た。右も左も分からない国でボロボロになりながらも、やっとの思いで王都へ。
人の多い場所が、自分が独りだと言う事実を突き付けて来る。頼れる人も自分を見てくれる人も居ない。人魚の国に居た時もそう思ったことはある。
しかし、母は気にかけてくれていたし、本当の意味での孤独を味わったのは始めだった。
ソプテスカなどの知り合いはいるが、家出してきた当時は会えば迷惑になると思い、会いに行く気にはなれなかった。
人混みを避けるようにルフは路地裏へと逃げ込み、重い足取りでギルドを目指す。
なんのために自分がここに居るのか分からなくなりながらも。
そして、気がつくと男たちに囲まれ、脅された。
本当は怖かった。負ける気はしなかったけど、あの時の自分は酷く心が弱っていた。そんな時、自分の目の前に現れたのが『あの男』だった。
女性に最低なことをして、お酒を飲んではいつもフラフラしているダメ人間。
そんな彼を自分はずっと利用していた。寂しさを紛らわせるために傍に居た。
(人生終わる時なんて、意外と呆気ないのかも)
背中から吹き抜ける風を感じながら、そんな事を思っていると声が聞こえた。
自分の名前を呼ぶ。あの男の声が。
「ルフ! 手を出せ!」
目を開けると太陽を背に降りて来る一体のワイバーン。
そして、声の通りに手を出した。彼はその手をしっかりと握ってくれる。
そのまま自分身体を持ち上げ、男は自分を後ろに乗せた。
「しっかり捕まってろ」
「う、うん!」
男の腰に腕を回ししっかりと力を込めた。
そして、男が手綱を操りワイバーンが急停止。
再びゆっくりと上昇を始めた。
「おい。大丈夫か?」
ユーゴの言葉に小さく「うん」と頷いた。
すると彼は明るい声で「そうか」と返してくれた。
ワイバーンが必要な高度まで上がり、地面と身体を水平にすれば揺れも収まり、かなり安定した姿勢となる。
ようやく落ち着いたルフは彼に話しかけた。
「ねぇ……なんで一人で行こうとしたの?」
「成り行きかな……」
「邪魔……かな……?」
ルフは男の腰に回した腕にギュッと力を込めた。
小さな震えは彼に伝わっているだろうか。
「そうだな。顔は可愛いけど胸小さいし、俺が落ち込んでいる時は癒してくれない。俺が他の女の子に声をかけるといつも不機嫌だ」
想像以上にボロカスに言われ、ルフは一人で落ち込んだ。
「でも……お前が居ないとつまらないかもな。うるさい奴が居ないと」
彼はそう言って笑った。
まだ彼の傍に居てもいいらしい。
何となくホッとしたルフが彼の背中にもたれかかった。
(ソプテスカの言っていた通り、結構大きいんだ)
そんな事を思い、自然と頬が緩んだ。
まだ彼との旅は続くらしい。
その事実がどうしようもなく嬉しかった。




