第32話 新たなる王
狼の国で起こった内戦はベルトマーが王位を継ぐことにより一応の収まりを見せた。どうやらこの国の人たちにとっては、分かりやすい力の象徴が必要だったらしい。そんなこんなで俺たち三人は狼の国の王都にある城へと招かれた。
まだ復興途中の街。それでも内戦が止まったことで人々は前を向いていた。
エレカカさんはベルトマーが暴れていた時に、誰かの恨みを買って復讐されないか心配していたが、当の本人が「強くなって向かってくるのなら大歓迎だ」と喜んでいたので心配無用だろう。
なによりこいつを倒せるのは同じ神獣の子くらいだ。
ただベルトマーは最近王として覚えることが多いのか、エレカカさんたち側近の者たちに長時間部屋の中に拘束されている。
時々出て来ては俺に対して文句を言っているが、何だかんだで楽しそうだった。
神獣に育てられたとはいえ、彼も人の子だったと言うことらしい。
「こら。まだ動くな」
「だって、退屈だもん」
ルフが口を尖らせる。
王都で一番目立つ城の内部に設けられた一室で、ルフは身体の回復に努めていた。
狼の国の要請でギルドから来た治癒師は各地点の怪我人を見て回っているし、応急処置の済んでいるこいつの優先順位は低く、自然回復に任せることとなった。
基本的には身体の回復力を上昇させるベッドの中で眠るだけ。
身体が動かすのが好きな奴にはつまらないだろう。
事実、肋骨が折れている俺も、同じようになるのが嫌で周りには黙っている。
「ほら、差し入れやるから大人しくしとけ」
彼女の身体を軽く押し、ベッドに座らせる。
腕に抱えた紙袋から赤い実を取り出した。
大きいスモモのような果物だが、狼の国で有名な果物で大人から子供まで大人気らしい。果物を受け取ったルフがどこか不満げな目で見上げて来る。
「エサを与えればいいって、あたしは家畜か」
「このエサでお前の胸が大きくなると嬉しいな」
小さな舌を出して反抗の意志を示すルフ。
元気で本当によかった。
果物を食べて「美味しい!」と喜ぶルフを放置して、部屋にある窓から外を見る。
暑さを感じさせる日差しの下で、人々が汗を流して街の復興に努めていた。
視線を下げると城の近くにある訓練場が見える。
そこには訓練用の木刀を持ったフォルとベルトマーが居た。
ベルトマーの最近のストレス解消は、フォルとの訓練で身体を動かすことらしい。
最初は大丈夫かなと心配だったが、彼もなんだかんでしっかりと教官をしているらしく。フォルの剣捌きは上手くなる一方だと、エレカカさんが言っていた。
この国に来てフォルの中にどんな変化があったのか知らないが、ここんとこはずっと彼女は修行をしていた。
「あんたもあの子の真面目さ見習ったら?」
いつの間にか果物を食べ終えたルフが横に来て、一緒に訓練場を見下ろしていた。
「やだよ。疲れるし」
「最近はお酒も飲んでないみたいだし、不衛生な生活を直すチャンスよ」
「どこが不衛生な生活だ。酒は俺の活力だぞ」
ルフの頭に軽くチョップを落とす。
お酒は娯楽品だし、各地が復興中の今は流通している数も少ない。
「ね、ねぇ……そう言えばさ」
「なんだ?」
「エレカカさんとの報酬の件はどうなったの?」
ルフが上目遣いで恐る恐る聞いてくる。
ため息を一つして、彼女の額を人差し指で押す。
重心を後ろに崩したルフがベッドにチョコンと座った。
そして、耳元で囁く。
「すごかった」
素早く離れると耳まで赤くしたルフがキッと俺を睨む。
「さいてい! さいていよ! 少しは見直したのにホントさいっってい!! バカ! 変態! 飲んだくれ!」
思いつく限り俺を罵倒するルフに肩を竦める。
うやむやになっているが、俺は結局エレカカさんから何も報酬を貰っていない。
要求したら事前の取り決め通りくれそうだけど、国の復興で必死に働いている彼女に今の段階で要求する気にはなれなかった。
「冗談だよ。酒もないし、楽しみにしていた報酬も無いから落ち込んでんだ」
ルフの横に腰を下ろす。ひと二人分を支えったベッドが少しだけ沈んだ。
「え? 嘘なの?」
「嘘だよ。お前の反応が面白くてつい……な」
「むぅ」
騙されたと気がついたルフが頬を膨らませる。
不機嫌だと表情で訴えて来るが、素直に信じすぎだと笑う。
「何がおかしいのよ!」
「いやいや。やっぱりお前は面白いよ」
横から彼女の視線を感じる。
そんなに敵意を込めて睨まないで欲しい。
怖くて足が竦みそうだ。
「じゃあ……女の子に癒して欲しいってこと?」
「そうだな。落ち込んだ時はそれに限るかもな」
背中からベッドに倒れ、腕を頭の後ろで組む。
本当はベルトマーとの戦いの時の負傷を治す為と気づかれないように。
「あ、あたしが癒してあげよっか?」
「それは光栄だね」
冗談半分に聞き流していた俺の脇腹をルフが摘まむ。
折れていた肋骨に近い所だったのでいつもより痛い。
「いてっ」
「ご、ごめん! そんなに痛がるなんて思わなくって」
珍しく素直に謝ったルフの顔をジッと眺める。
胸は小さいが整った顔立ちで笑った顔には美女と言う言葉がピタリと当てはまる。
まだ十代だけど、そのうち大人の色気も纏えば立派な女性になるだろう。
「なによ? 顔も不満なのか」
「いや。なんでもないよ」
再び天井に目を向けた。
この国では珍しい木目天井は、竜の国で見慣れた物とは少しだけ違う。
彼女との旅もこれで終わりかと思うと少しだけ寂しい気もした。
「ねぇ。もしかしてあんたも怪我したの?」
「さぁ」
そう返した俺の脇腹をルフが軽く殴った。
「いた!」
「やっぱり怪我してるんじゃない」
折れた場所に拳をねじ込むなどこいつは鬼畜以外の何者でもなかった。
脇腹を抑えてルフに背中を向ける。
これ以上怪我の所を攻撃されると、ホントに心が折れそうだ。
「どうしてそこまであんたは周りに色々と隠そうとするの?」
背中越しから投げられた質問。
その質問は今までのことだろうか、それとも俺の正体についてだろうか。
どっちか分からないが、ルフから見れば俺は神獣の子に勝つほどの力を持った得体の知れない男だ。
そんな俺が正体を明かさない理由は、多分彼女が自分の正体を俺に言わない理由と同じだ。俺たちはきっとそれをお互い察している。
だからルフは確かめたいのだろう。本当に同じ理由なのかどうか。
でも、俺と彼女じゃ同じ理由でも根本が違う。
今回の件で改めて認識した。
神獣の子はこの世界で異端な存在なのだと。
お互いの事を本当に理解できるのは、神と崇められる魔獣に育てられた自分たちだけ。力の象徴を望む狼の国はともかく、他国なら排除される可能性だってある。
もしも俺が神獣の子と知れば、ルフはどう思うだろうか。
本当は避けられるんじゃないかと怖い。
化け物と言われるのではないかと。
彼女がそんな人間ではないと分かっていても、どうしても正体を明かすことには抵抗があった。向こうから神獣の子だと言われない限りは。
「まぁ、損するのはあんただしいっか」
ルフが明るい声でそう言った。
いつも肝心な所は言わない俺を彼女は深く追求しない。
そんな彼女の優しさに感謝し目を閉じた。
回復を欲した身体はいつも眠気を求めている。
そして、見た夢は懐かしき父との記憶だった。
「父さんはなんで『神獣』って言われているの?」
父の赤い身体に乗り、空を飛ぶのに慣れてきた十歳の頃。
眼下に広がる世界に心が躍る。いつか見て回りたいと心の底から思っていた。
当時からずっと。
「人が勝手にそう呼ぶだけだ。昔はちゃんとチヤホヤしていた」
「最近はしてくれないの?」
「昔の人間たちに比べるとな。ユーゴは人間をどう思う?」
「俺も人間だけど、色んな人が居ると思う。だけどそれがいい。違うからいいと思う」
「そうだな。ワシもそう思う」
今思うと自分以外の人間を見たことが無いのに、俺のこの発言に対して父は何も思わなかったのだろうか。普通は「父さんをチヤホヤしないなんてダメな奴らだ」とか言っていてもおかしくはない。
「でもチヤホヤされたいのなら、姿を現せばいいんじゃない? 神獣アザテオトルここにありって」
「恐怖で人々の信仰を集めることを神獣は望んでおらん。それでは意味がないのだ。自由は全ての生命に与えられた平等の権利だ。意志なき選択に意味はない」
「その言葉が意味不明だよ」
小さく呟いた俺に父がフッと笑う。
遠くを見ると山の向こうへと日が沈んでいく。
空から見る夕日は格別だとこの時の俺は呑気にそう思っていた。
父が大切なことを言っているのに、何も聞いていない。
彼らが神獣と呼ばれることとになったその理由。
太古のおとぎ話を。