第29話 竜の子と狼の子
一度だけ本気で父に殺されると思ったことがある。
十五歳になったばかりの頃。俺が父の炎を全て会得した後のことだ。
修業の一環で行われたその内容は、全力の父に勝つこと。
父が全力で暴れれば竜の国は滅ぶ。
だから森全体に結界を張り行われた三日三晩の死闘。
世界を七日で焼き尽くすと言われる父の強さは圧倒的だった。
巨大な赤い体躯を消えたと思う速度で操り、四本の手足が少しでも動けば、周りの全てをなぎ倒す。空を飛ぶために羽を振れば大地が抉れた。
「ユーゴ。お前が生き残るために……内なる己を解放しろ」
炎に焼かれて身動きの取れない俺に父がそう言う。
最初は俺の力を試すだけだと、冗談半分で受け止めていた。
しかし、徐々に本気で殺す気なんだと気がつく。
前の世界から含めて、生まれて初めて『怖い』と感じた。
これが本当の恐怖なのだと。
身体が震え、歯の奥がカタカタと音をたてる。
殺されると言うリアルな『死』の恐怖は、俺の心をへし折るには十分だった。
「俺の負けでいい……だからもうやめてくれよ!」
半泣きになって俺を見下ろす父にそう懇願する。
父はそれを鼻で一蹴すると、口から赤い炎でブレスを吐いた。
ボロボロの身体を引きずり、横に転がる。
ブレスの当たった地面が溶けて消えた。
「はぁ……はぁ……なんだよ……本気かよ……」
「何度も言わせるな。貴様が生き残るにはワシを倒す以外にない」
父が再びブレスを吐くために魔力を口へと集める。
本気なんだ……この竜は本気で俺を……
傷ついた身体でゆっくりと立ち上がる。
目の前にはこの世界の頂点に立つ神獣の中でも最強と謳われる竜。
勝てるわけない。そんなことは分かっている。
しかし、死ぬことが怖い。こんなにもどうしようもなく。
恐怖。その気持ちが俺の奥に仕込まれた『門』を開けた。
四日目の朝。俺は『神獣の子』と言う言葉の意味をより深く胸に刻む。
結局、父に勝利したかどうかはよく覚えていない。
ただ、死の刹那で目覚めた力が『禁断の力』だと言うことだけは理解できた。
神獣の子にしか使えない、正真正銘の切り札。
それを会得させるために父は俺を限界寸前まで、追い込んだらしい。
今思うとただの虐待じゃないかと思うのも事実である。
そんな懐かしい記憶が目の前のベルトマーが迫る、コンマ数秒で蘇った。
あの時の記憶はあんまり思い出したくない。本気で怖かったからだ。
「おらぁ!」
ベルトマーが振り下ろした大剣を半身になって避ける。
頬に当たる風圧から、当たれば無事ではないなと勝手に思う。
反撃するために、右腕に魔力を集めた。
あとはカウンターの要領で攻撃するだけだ。
攻撃の体勢を整えた俺に伝わって来たのは揺れ。
地震などではなく、ベルトマーが振り下ろした大剣が地面に小さなクレーターを作り、衝撃が大きすぎて揺れが起きた。
一瞬、バランスを立て直すために俺の動きが止まる。
ベルトマーがそれを見逃さずに、胸倉掴んできた。
そして、血管の浮き出る腕を思いっきり振った。
浮遊感の後、背中から建物へとぶつかり、壁に身体がめり込む。
こいつ……俺に吹き飛ばされたこと……根に持っていたのかよ。
背中から送られてくる痛み。
全身が痛むなんて久しぶりだ。
そんなことを勝手に思っていると、ベルトマーが眼前に迫っていた。
「いい夢、見れたかぁ!?」
横に払われた大剣をジャンプで避ける。
あっという間にベルトマーが小さくなった。
そして建物を破壊するどころか、周りも全て破壊した大剣の威力に驚く。
いや、彼も神獣の子からそれくらい当然か。
国を滅ぼすほどの力を持った神獣の子なら、この街一つを壊滅させることは難しいことじゃない。
「街を破壊する気か?」
「てめぇに勝てるなら喜んで破壊するさ!」
脳筋め。心の中でそう呟く。
事実今の彼は闘術しか使っていない。
俺が法術を使えない様に、魔術と法術が苦手なのか。
まだ舐めているから、闘術しか使っていのか。
正直なところ判断しかねる。
大剣を構えたベルトマーが俺の方をジッと睨む。
ジャンプした俺の着地するタイミングを狙っているようだ。
右手を眼下に居るベルトマーに向け、火球を生み出してそれを相手へと放つ。
人の顔くらいの大きさで威力よりもスピード重視の火球は、ベルトマーへと真っ直ぐ向かっていく。
直撃と同時に炎が舞い上がり、爆炎と熱風で周りの砂を吹き飛ばした。
人ひとりを殺すには十分すぎるほどの威力。
周りから見ればやり過ぎた感は否めないけど、このくらいじゃ神獣の子は死なない……と思う。少し不安を覚え、立ち込める砂塵と煙を見つめる。
砂塵と煙が急に左右へと割れた。
そして、中から出てきたのは元気一杯のベルトマー。
どうやら大剣の風圧で煙と砂塵を吹き飛ばしたらしい。
「ぬるいぜ!」
ベルトマーが俺の着地を狙い、剣を構えた。
俺も右腕に魔力を集め、火属性の魔術を付加させる。
「これで終わりだぁ!」
ベルトマーは力強く大剣を俺に向かって振る。
それに対し、赤みを帯びた右拳をぶつけた。
ぶつかった衝撃で魔力がバリバリと音をたてて、耳に響く。
耳を覆いたくなるほどの爆音は、衝撃の大きさを示している。
そして徐々にだが、右腕に定着させた魔術が剥がされていく。
どうやら正面からの激突は向こうの方が強いらしい。
ベルトマーの振り切った剣に合わせて、身体が宙へと投げられた。
背中から地面に落ち、何度か転がる。
急いで体勢を立て直し、顔を上げるが、そこにベルトマーの姿はない。
「おせぇ!」
横から声。顔を向けるとベルトマーが水平に大剣を振るっていた。
こいつ……俺よりも闘術が……
大剣があばらにめり込む。ボキボキと骨の折れる音。
再び吹き飛ばされ、街の建物を貫通して遠くまで吹き飛ばされた。
「くそっ」
ペッと口の中の血を吐き出し、顔を上げた。
ベルトマーは肩に大剣を担ぎ、嬉しそうな笑みを浮かべている。
そんなの俺を吹き飛ばしたことが嬉しいのか。
「いいねぇ……俺様の動きについて来られる奴は始めてだ。それにその火の魔術……てめぇまさか……」
ベルトマーが言葉を言い切る直前だった。
聞こえたのは悲鳴。今、俺たちの居る場所は最初に居た所よりもかなり離れている。吹き飛ばしたり、吹き飛ばされたり、建物を破壊しながら戦っていると何時の間にか、かなり離れた場所に来ていた。
魔力を全身に張り巡らせ、周りの気配を探ると新しく複数の気配を感じる。
そして、その中には覚えのある気配もあった。
「ほぉ。獣人どもが攻撃してきたか」
ベルトマーは余裕の笑みでそう呟く。
新しく複数現れた気配はおそらく、この要塞都市に潜伏していた獣人たちだろう。
俺たちの騒ぎが襲撃のチャンスだと判断したと言ったところか。
「魔物も一緒か……」
複数ある獣人の気配の中に、砂漠の主と砂漠の獣と呼ばれる魔物の気配もあった。
しかも、サソリ型魔物である砂漠の獣の気配は、複数ある。
きっと今頃、俺たちが先ほど居た所は敵味方入り乱れての乱戦状態だろう。
ルフたちは大丈夫なのだろうか。
遠くで聞こえる悲鳴と爆発音を聞いてそう思った。
「余所見をするとはいい度胸だ!」
悲鳴の聞こえる方に一瞬視線を外した俺の目の前に、気がつくとベルトマーが居た。振り降ろされた大剣を火属性の魔術で幕を張った両腕で受け止める。
「俺様の親父の牙で創られたこの剣を何度も受け止めるとは……大した魔術じゃねぇか!」
ベルトマーがそう言って、大剣へとさらに力を送る。
足が地面にめり込み、身体中がその重さに悲鳴をあげた。
それにこの大剣は俺の外套の様に、神獣の素材で創られているらしい。
俺の魔術と正面衝突して壊れない理由がようやく分かった。
足に魔力を流し、ベルトマーに蹴りを当てる。
相手は蹴りが当たるタイミングを見計らって後方へと飛んだ。
地面に着地したベルトマーが剣を肩に担ぎ、不満そうな顔。
その不満がハッキリ分かるほど眉間にシワを寄せていた。
「不満そうだな」
「あぁ。不満だ」
ベルトマーがハッキリそう答え、大剣の切っ先をこちらへと向けた。
「てめぇ。竜の神獣の子なら、本気を出しやがれ!」
「どうして俺が神獣の子だと?」
「俺様の動きについて来られるのはそれくらいだ。だが! 手抜きは許さねぇ! 世界を七日で焼き尽くすと言われる『四色の炎』はどうした!? その一色しか俺様相手に出さないとはいい度胸だ!!」
どうやら。お互いの神獣は相手の特徴を子供たちに伝えているらしい。
父の炎について、具体的にそこまで相手が知っているとは正直思わなかった。
遠くで聞こえる爆発音がさらに大きくなる。
ルフたちの方では、人間・獣人・魔物による三つ巴の戦いになっているはず。
本当に心配だ。だからと言って、目の前のベルトマーは俺が彼女たちの元へ行くことを許してくれないだろう。
倒すにしても相手も神獣の子だ。簡単なことではなくすぐには無理だろう。
「本気を出しやがれ!! てめぇも神獣の子なら、この場に居る奴ら全員を殺すくらい造作もないはずだぁ!! 俺様は本気のてめぇと戦いたいんだよ!!」
大剣を構えるベルトマーの魔力が更に大きくなる。
普通の人が相手なら、そのプレッシャーだけで殺せそうだ。
ビリビリと伝わる奴の気迫と殺気。
相手は本気だ。今のままじゃ正直厳しい。
今さら神獣の子じゃないと言い張っても、こいつは信じてくれないだろう。
「来いよ! 本気のてめぇに、俺様が勝って! 竜より狼の方が上だと証明してやる!!」
父が依然言っていた。以前、互角に戦える生物は居るのかと聞いた時だ。
狼の神獣カトゥヌスは父と互角に戦える唯一の存在だと。
血の気の多いカトゥヌスに父はよく喧嘩を売られて、困っていたらしい。
一方的にライバル視され、正直うんざりだと。
どうやら息子にも竜の子には負けないように、色々と仕込んだらしい。
どんだけ負けず嫌いなんだか。
「お前は俺の本気が見たいんだな?」
「そうだぁ! 出せ! 『四色の炎』と呼ばれる力を! 全部叩き潰してやる!」
鼻息荒く叫ぶベルトマー。
そんな彼に対し、俺は魔力を抑え、戦闘態勢を解く。
「おいなんのつもりだ? まさか降参じゃねぇだろうな?」
俺の変化に気がついたベルトマーの表情が更に険しくなる。
別に降参をするわけじゃない。
ただの交渉前の準備だ。
俺は頭に浮かんだ案を彼に提案する。
幼稚で単純な案だ。作戦と呼ぶにはあまりに雑な。
そんな俺の提案を聞いたベルトマーは、口端を吊り上げ歓喜した。