第1話 竜の国
以前の世界の記憶はある。
だけど、この世界に転生することになった瞬間だけが曖昧だ。
二十四歳の夏。スーツ姿で炎天下の中歩いていた。
徐々に視界の端が白く染まり、気がつくと目の前には怖い顔をしたドラゴン。
驚いて声を出すと「おぎゃー」と言った。
ドラゴンは名前をずっと付け忘れていたので「名前をつけてくれ」と頼むと深く悩んだ。
悩み過ぎて三日が経ち、とうとう天に向かって吼え始めた。
後から聞くと、自分の息子だから格好いい名前を付けたかったそうだ。
だから、悩み過ぎて葛藤していたとか。神と崇められる神獣は意外と神経質だった。
そんなわけで以前の世界の名前である「雄吾」を自分の名前にした。
父はその日から一週間くらいは「ユーゴ、ユーゴ」と用もないのに連呼していた。
さすがにうるさいので、無視すると拗ねて口を聞いてくれなかったのは今では笑い話である。
懐かしい記憶だ。振り返ると本当に懐かしい。
「やっと見えた」
広大な森の中を歩くこと半日。ようやく街が見える場所まで来た。
教えられた方向が本当に街に繋がっているのか、そろそろ父を疑い始めていたころだった。
懐かしい記憶のついでに、父に対して怒る心配もなさそうだ。
これならあと数時間あれば竜の国の王都に辿り着けるだろう。
休憩でもしようと耳を澄ますと、近くで水の流れる音。
音のする方に歩き川を見つけると、赤い外套を脱いで青く張った水面に手を入れた。
キンキンの冷たさが身体にめぐり、掬った水を顔にかける。
光を反射した水面には、赤い髪と瞳を持った男の顔が映り、これが今の自分の顔かと思うと少しだけ違和感。
この世界に転生した俺の容姿は、赤い髪と瞳で顔は個人的な感想だとカッコイイ方だと思う。
その美的センスがこの世界で通用するのならの話ではあるけど。
川の水で喉を潤すと外套を着て立ち上がる。
街までの道はあと少しだ。
天気も快晴で崩れる心配もない。
「お。ワイバーンか」
顔を上げると空を小さなドラゴンが飛んでいた。
その背中には人がひとり乗っており、ドラゴンの手綱をとっている。
父であるドラゴンの神獣を神と崇める竜の国では、飛竜種の魔物を利用した航空術が発達している。
物資の運搬などはお手の物で、辺境の村にも頼めば物資が来るらしい。
人里で生活したことのない父の話なので、事実かどうかは自分の目で確かめる必要があった。
馬車が通るために木が伐採され、広めの道を歩く。
王都に近づくにつれて、遠目だがこの世界に来て初めて見る人影。
俺が話したことのあるのはドラゴンの父のみ。
今になって思うが、俺たちが意思疎通をしていた言葉はちゃんと人間と話せる言語なのだろうか。
神獣は知能も高いため、人の言葉も話すことが出来ると言っていたが、実際はどうなのだろう。
目の前から馬車に乗った商人らしき男が近づいてくる。
言葉が通じるかどうか、少しだけ不安を胸に「どうも」と話しかけると軽く会釈された。
どうやら言葉は伝わっているらしい。
あの商人が俺のことを不審者だと思って、とりあえず頭を下げとけ、みたいなノリじゃない限りは。
やがて石造りの高い外壁が囲む街に近づき、門に並ぶ人の列に加わる。
年中比較的安定した気候で、魔物の強さもそんなに高くないこの国で外壁が必要なのかと顔を上にして思う。
高い外壁の上から次から次へと人を乗せたドラゴンが飛んでいく。
本当にここは航空術が盛んなようだ。
父の背中には乗り慣れている。その要領で他の飛竜種の魔物に乗れるのだろうか。
王都に着いたら試してみよう。
そんな事を思っていると、いつの間にか俺の番。
赤い外套は珍しいのか、それとも赤い瞳が気になるのか、鉄の鎧を全身に纏い槍を持つ門兵は俺の顔をジッと見つめる。
「なにかついてる?」
「いや。珍しい品を着ているな。他国で買ったのか?」
「まぁ、そんな所。通りたいんだけどいい?」
「証明書はあるか?」
「ない。始めて来たんだ」
「はぁ。めんどくさいけど質問に答えて、銅貨一枚を納めてくれ」
門兵は腰につけたポーチからしわくちゃの紙を取り出し、鉛筆のような物を手に取った。
質問は出身や、街に来た目的などだった。
適当に答えて、ポーチから銅貨一枚取り出し門兵に渡す。
旅に出る際、何故か父はお金まで用意してくれていた。
相場が分からないので、どれくらい生活できるのか分からない。
父が言うにはそんなに長くは生活できないらしいが、何故ドラゴンの父が知っているのだろうか。
当時は「へー、そうなんだ」くらいにしか思っていなかったが、今思うと明らかに不自然だ。
俺の銅貨を受け取った門兵は、新しい紙を取り出し渡してくれた。
項目の内容が俺が答えたモノになっており、これが街に滞在するために必要な証明書らしい。
「問題を起こしたら、この国の法で裁かれるからな」
「あいよ。ありがと」
門兵の男に礼を言って、門をくぐった。
石造りの家と道。この世界に転生してから山の中で育った俺は思わず圧倒された。
人の大来に紛れて、比較的大人しいとされる魔物たちの姿が見える。
馬の代わりに、ダチョウのような魔物に跨る人、羽を休めているドラゴンに跨り、そのまま道を歩く人も居た。
この国の価値観として重きを置かれている、『魔物との共存』の一端が垣間見えた瞬間だった。
この世界に来てから人の多い場所は始めてだ。
フードを被り、人ごみに紛れて歩くと周りの視線が必要以上に気になる。
何となく落ち着かない。
周りの視線を減らすために人ごみから離れて裏道に入る。
静かで人の気配がない代わりに、家の壁などにもたれ掛かり下を向く人がチラホラ居た。
比較的平和なこの国でも、スラムは存在するらしい。
山でサバイバルの生活を二十年間送って来た俺にとって、食料は狩でもすれば何とでもなる。
寝る場所だって野宿は慣れてしまった。
前の世界の記憶があるとはいえ、二十年間の習慣は簡単には変えられない。
だけど、人生には余裕が必要だ。
グーダラしてお金を稼げれば楽に生活ができる。
魔物や獣の狩りで命を賭ける必要もない。
しかし、働かないとお金を稼ぐことが出来ないのは、この世界でも同じだ。
それにせっかく人の住む場所まで来たのだ。
ベッドで寝泊まりして、働いて報酬を得てみたいと思うのも事実である。
もちろん出来れば楽な方法で。
裏道を歩きながら何でお金を稼ぐことが出来るか考える。
魔法は一応使えるが、身元が不確かな奴に教えを乞う者は少ないだろう。
この世界に来てしたことと言えば、魔物や獣を狩ることばかり。
頭を使って商売をするより、身体を動かす方が性に合っているような気がした。
「ギルドでも探すか」
ギルド。
別名冒険者と呼ばれるこの異世界独特の職業だ。
魔物討伐、物資の運搬、資源の採取などを斡旋している組織で誰でもなれる。
ここまではよくあるファンタジーだ。ただこの世界は国によって依頼の傾向や難易度にバラつきがある。
理由はギルド本部から来た依頼を自国の依頼として承認するかどうかは、各国の判断に頼るからだ。
たとえばこの竜の国では『魔物との共存』に価値を置いているため、必要以上の魔物は殺さないし、魔物が大量発生する事態も殆どない。
物資の運搬が多く依頼として挙げられ、飛竜種にさえ乗れればお金を稼げる。
魔物と戦うことが少ないため、命を落とす危険もない。
だから駆け出しの冒険者が多い、それがこの国のギルドの特徴だ。
「あれは……」
裏道を歩いていると、目の前に人だかりが出来ていた。
何かに珍しくて集まっていると言うより、一人を六、七人の男が取り囲んでいる感じだ。
カツアゲが何かだろうか?
気づかれないようにゆっくり近づき、男たちの隙間から囲まれている人を見た。
「おい、お嬢ちゃん。こんな所で何やってんだ?」
「別に。ギルドに行きたいの。どいてくれる?」
桃色の髪と瞳。髪は後ろポニーテールで纏められ、つり目の瞳からは強気な印象。
灰色のチュニックからスラッと伸びた白い手足。スレンダーな美少女、そんな言葉が頭に浮かんだ。胸は残念だけど仕方がない。
背中に弓を背負っており、腰には矢の入った入れ物をぶら下げている。
この女の子は冒険者なのだろうか?
「顔はいいのに生意気な女だなぁ」
リーダー格の丸坊主の男が女の子を見下ろす。
彼の発言には全くもって同意である。
「臭いから近づかないで」
今の発言で頭に上がったのか、男は右拳を握り女の子に伸ばした。
それはダメだろと思い、男と女の子間に割って入り、拳を掌で止めた。
パン! と乾いた音が鳴り、衝撃が掌を突き抜ける。男の拳が抜けないように腕に力を入れた。
「なんだてめぇは!?」
「人間」
「ププ」
後ろの女の子が吹き出した。
「なめてんのか、あぁ!?」
「俺がいつお前の身体を舐めたんだよ。お前らの臭い身体なんて、こっちから願い下げだ」
「この野郎……っ」
男の歯ぎしりが聞こえる。
煽り過ぎたかな? 久しぶりの人との会話に少しだけ口が軽くなってしまった。
反省、反省。
男の発する気配がより攻撃的なモノに変わる。
獣や魔物が飛び出してくる直前の雰囲気にそっくりだ。
このままだとこいつら全員相手にする必要があるかもしれない。
それは面倒だと思い、男の腹にパンチを一発ねじ込む。
「ブッ!」
足が数センチ浮いた男は息と共に、何かは口から吹き出し地面に伏せ倒れた。
「アニキィ!」
周りの男たちがざわつき始める。
「ナンパするタイミングが悪かったな」
男たちを睨むと引き際と判断したのか、意識を失ったリーダー格の男を抱きかかえ去って行った。
「乱戦になるかと期待したのに」
背中越しの女の子の残念そうな声。
振り返ると小さな握り拳を顔の前に構えていた。
「今度はあんた?」
女の子が突き出した拳が、目の前で止まる。
「偶然見かけただけだ」
「一応お礼は言っておくわ。あたしが全員ぶっ飛ばしてもよかったんだけど」
細い身体からは想像も出来ないほど野蛮な発言だった。
どうせ助けるならもっと可愛らしい子が良かったなぁと思いため息。
それ聞いた彼女がちょっとだけ睨んできたけど、気づかないフリをした。