神の子たちはみな踊る
少しだけ息を吸って、ゆっくり吐いた。
久しく感じるこの空気。
頬を揺らす相手の膨大な白い魔力。
神力も混じったその力は、まさに驚異的だ。
人工的に創られた神獣の子。
家族を殺され、身体を弄られたその少年は俺との距離を詰めて来た。
俺と同じ赤い瞳の奥には、あまり見たことの無い感情が蠢いている。
――憎悪
創られた自分を、狂ったと言ったこの世界を、神獣に育てられた俺たちを憎むその瞳。
なぁそんなに憎いか?
そう聞けば彼は必ず「憎い」と答えるだろう。
全く別の過程を辿った神獣の子の抱える闇を振り払うことは出来ない。
だけどこの世界を壊すと言うのなら、俺はそれを止めないといけない。
――父の愛した世界なのだから……
「どうした!? 竜の神獣の子!!」
振り降ろされた右拳を迎え撃つ。
こちらも右腕に蒼い炎を定着させて振るった。
白と蒼。
二色の衝突で大地が抉れ、空気が揺れた。
「これがお前の全力か? ゼクト」
その問いにゼクトが歯を食いしばる。
ゼクトは大きくバックステップで距離をとった。
彼の身体を覆う白いオーラが一つに束ねられる。
「消えろ!」
白い魔力の塊が真っ直ぐ放たれた。
避けるのが正しい選択だろう。
だけど俺が避けるわけにはいかない。
一度目を閉じた。
魔力を高めて久しぶりに『門』を開ける。
――神獣化
目をスウっと開き白い魔力の塊に右手をかざした。
竜の神獣の子が白い光に包まれた。
通った後には何も残らない神力と魔力が融合した塊。
その塊を相手は避ける素振りも見せなかった。
まるで全部を受け止めてみせると言わんばかりの戦い方。
そんな彼に苛立ちがつもる。
早く消えてくれと心が叫んだ。
白い魔力が一つの場所に集まって行く。
それが人の形となる。
白い粒子が弾けた中から出て来たのは黒髪になったユーゴ。
「そうだ! それが見たかった!!」
竜の神獣の子だけに許された完全なる魔力吸収。
全てを吸収して自分の力に変える理不尽な力は、かつて魔帝を殺したモノだ。
得た力は生物としての次元を押し上げる礎となる。
「お前は俺が叩き潰す……全力でな」
ユーゴの身体から黒炎が溢れ出る。
神獣化した状態の彼は、神力と魔力の両方の力を備えていた。
それはもちろん彼の扱う黒炎にも含まれている。
防ぐことは難しい絶対の炎。
「怪物め……!!」
「そうだよ。お前以上の……な」
ユーゴが動いた。
そう認識した時には既に目の前に居る。
まず腹に衝撃、次に左の頬。
その後も次々と繰り出せる彼の攻撃に目が追いつかない。
全身の痛みに歯を食いしばり、反応することも出来ず顎を殴られた。
身体が空高く打ち上げられ、夜空と向かい合う。
何もできない。
何もさせてもらえない。
同じ神力に適応した者でありながら、ここまで格差があるのかと思うくらいに。
自分と本物の神獣の子には決定的な差がある?
いや、違う。彼が異常に強いのだ。
竜の神獣アザテオトルを上回る炎。
大地を抉る高速体術。
それらを連動させ、経験に裏打ちされた身のこなし。
神力適応うんぬんの話ではない。
目覚めたばかりの自分といくつもの死線を潜り抜けて来た彼とは、埋められることの無い溝があった。
「これで最後だ」
目の前にユーゴが現れた。
右腕は黒く染まっており、彼の放つ最後の一撃だと感じた。
ユーゴの息が荒い。
まだ神獣化して数十秒しか経っていなのに彼の消耗は尋常ではない。
やはり竜の神獣の子ですら、神獣化の負担は大きいようだ。
黒い炎を纏った腕、固く握られた拳が真っ直ぐ振り降ろされた。
地面にフワリと着地した。
神獣化を解除して息を深く吐いた。
そして新しく出来たクレーターへと近づき、その中央に倒れる男の傍へ。
「まだ息があるのか」
大の字で寝転ぶゼクトの赤い瞳がこちらを向いた。
腹部には俺の拳によって開いた大きな穴。
ただし傷口は炎によって焼かれおり、血が流れることを邪魔している。
流血による気絶は望めない。
普通の傷よりも痛みを感じながら死ぬことになる。
「強いね……本当に強い……」
「どうも」
肩を竦めた俺を見て、ゼクトの頬が僅かに緩んだ。
「君は……これからどうするんだい?」
「今までと変わらない。人間として生き……父の愛したこの世界の行く末を見守るよ」
「こんな世界を……君は……守るのか?」
「そう自分に誓ったからな。ただの俺の我儘だ」
ゼクトが「はぁ」と吐息。
そして空へと顔を向けた。
「絶対に世界の何処で神獣の子を否定する者がいる……」
「当然だ。みんながみんな受け入れるわけないだろ」
「また僕のような呪われた子供が必ず現れるだろう……」
「何度でも止めるさ」
「いずれ神獣の子は過去になり……神獣の時代が終わったように……神獣の子の時代も必ず終わる……」
「いいことじゃねぇか。いつまでも頼るのはよくない」
ゼクトの顔に影が出来る。
見上げると空が僅かに明るみを帯びていた。
どうやら夜通し戦っていたらしい。
「殺してくれ……」
ゼクトが呟いた。
それもそうか。
戦っている最中も、彼は自暴自棄になっているように見えた。
本気でこの世界を憎み、全部をぶち壊そうとした。
だけど結局は心のどこかで死を求めていたのかもしれない。
呪われたこんなを自分を止めてくれと。
「早く家族に会いたいんだ」
「そうか」
短くそう返し、右拳に炎を定着させた。
膝を曲げてゼクトの首に指を当てる。
――ありがとう
――礼なんてよせ
それが最後のやり取りだった。
「ん……?」
ソプテスカはまだ半分寝ている頭で、シャンデリアの吊るされた天井をぼんやりと見つめていた。
暫くして頭が覚醒する。
慌てて半身を起こすが、ベッドの傍に居た友人の言葉で冷静さを取り戻した。
「無理したらダメ」
「ルフ……」
「ほらほら。怪我人は大人しく寝る!」
ルフに額を人差し指で押され、再びベッドに横になった。
彼女がここに居ると言うことは、王都襲撃を防いだと言うことだ。
「ルフ。ゼクトと名乗る少年と仲間の冒険者たちはどうなったの?」
「全員死亡した。あとゼクトはユーゴが殺した」
「ユーゴさんが……」
「あのゼクトとか言う子、人工的に創られた神獣の子だったんだって。家族を殺され、身体を弄られた……過剰な力に身体がついていけず、ユーゴが殺さなくてもいずれ死んだわしいわ」
「何処の誰がそんなこと……」
ルフが肩を竦めた。
何も分からない。
それが答えだからだ。
「他の冒険者たちはどうして死んだの?」
「神獣の子が殺したみたい。あとベルトマーとラウニッハは帰ったわ。やることが山積みなんだって」
「そういえばどうしてユーゴさんを置いて、一人で助けに来たんですか?」
それはソプテスカの素朴な疑問。
ユーゴがルフを一人で危険な場所に行かせるとは考えにくい。
「ダサリスと飲んだせいで、二日酔いで寝ていたの。起こすのに何回叩いたか」
「ユーゴさんらしいですね」
思わず笑いが出てしまう。
どうやらこの三年で彼の堕落した部分は磨きがかかっているらしい。
「だけど……何故か力が伸びてる」
ルフの表情が僅かに曇る。
「力が伸びているとは?」
「あいつが修行する所なんて見たことが無い。だけどこの三年間、ユーゴの力は増す一方なの。魔力量も魔力操作も磨きがかかっている。三年間に比べたら、今は通常状態で神獣化に匹敵するくらいよ」
「多分それは、三年前の状態はまだ発展途上だと言うことなのよ。神獣の子はまだまだ強くなる……それこそこちらの想像を軽く超えるくらいに……」
神獣の子はどこまで行くのだろうか。
突出した彼らはさらに上へと向かっている。
「お! 気分はどうだ? ソプテスカ」
扉が開いて入って来たのは噂をしていたユーゴだ。
「問題ありません。また助けて頂いたみたいですね」
「気にすんな。成り行きさ」
「お酒を少しは控えなさい」
ルフの言葉にユーゴが肩を竦めた。
「おいおい。偶々重なっただけだろ。お酒は明日への活力だぞ」
「ユーゴさん。今夜は私も一緒していいですか?」
「もちろん」
「怪我人を連れまわすなんて非常識よ!」
「本人が良いって言ってるんだからいいだろ」
ユーゴがそう言ってルフに笑顔を返した。
二人のいつものやりとり。
それが今はとても羨ましく思えた。
「ユノレル、久しぶり!」
「テミガー……貴女も来てたの?」
「まぁねー」
向かいの席に座ったテミガーが肩を竦めた。
今二人が居るのは、竜の国の王都にあるギルドの酒場だ。
内部は怪我人が運び込まれたり、街の被害を確認したりで、職員たちが忙しなく動いていた。
「とりあえず事態は収拾したみたいね」
「そうだね。おかげでやっと海都に帰られる」
「あらぁ? 愛しの彼とは会わないの?」
「今頃ルフちゃんたちと飲んでるよ。現場を見たら冷静じゃいられなくなる」
テミガーが口元に手を当ててクスクスと笑っている。
「少しは大人になったのね」
「うるさいなぁ。そっちこそあのエルフの王子と居たんでしょ。その子はどうしたの?」
「アレラトはさっきラウニッハたちが連れて帰ったわ♪ また遊びに来るって」
「仲のよろしいことで」
小さな舌を出してテミガーに向ける。
彼女はどうやらアレラトを夢中にさせてしまったらしい。
淫魔の国の出身者はどうしてすぐに身体を許すのか。
「価値観の違いじゃない?」
自分の心情を察したテミガーの言葉。
確かに淫魔の国の価値観は、他の四ヶ国と比べるとかなり異色だ。
人の欲望が渦巻くあの国では正義や努力なんて意味がない。
「海都に居るレアスだって同郷よ? あたしだけ悪く思われる筋合いはないわ」
「レアスちゃんはユー君一筋だもん。色んな人と寝る淫魔の国の女性たちとは違うよ」
そんなレアスは今頃ギルドに頼まれた依頼でバタバタしている。
魔術学院の教師。
それだけで人々は期待を寄せる。
人の探索に怪我人の介抱。
今頃色んな雑務を押し付けられているだろう。
「だけど今回の奴ら大したことなかったわね」
「元は人間だし神力に適応したばかりだったからじゃない? ゼクトもまだ完全に神力を使いこなせたわけじゃないみたいだし」
「だけどこれで、神力こそが神獣の子の力の源だと知られた……楽しくなりそうね♪」
口端を吊り上げたテミガーにため息。
彼女の言う通り、神獣の子を倒そうとする連中は、今度も神力への適応に対する実験を繰り返すだろう。
自分たちが魔帝を倒す為に育てられてように……
狙う立場から狙われる立場へ。
そう思うだけで面倒くさい。
ただし刺激を求める彼女にとって、狙われると言うことは愉しいことらしい。
まるでベルトマーみたいだ。
「きっとこれは始まりにすぎない……あたしたちが世界に変革を促したように、次から次へとゼクトのような存在は生まれるわよ」
「別に興味ない。邪魔なら倒すだけだし」
「あらあら。冷たい子ね」
テミガーが肩を竦めた。
そうだ。邪魔なら倒すだけ。
人の恋路を阻む者は全員……
木製のコップに入ったエールを見つめていると、ゼクトが言った言葉が頭をよぎった。
――いつか神獣の子の時代は終わる。
ゼクトのように神力に適応した者が今後も現れるかもしれない。
「ユーゴ?」
正面に座るルフが顔を覗き込んできた。
また顔に出ていたのかな。
「ユーゴさん! 乾杯しましょう!」
怪我明けのソプテスカ横で騒いでいる。
傷が開かないか少しだけ心配だ。
勢いで連れてきてしまったが、今になって反省している。
ルフの言う通り、怪我人は連れまわすべきではない。
「よし。コップは持ったな? 乾杯!」
「「乾杯!!」」
俺の合図でルフとソプテスカとコップを合わせた。
三人で飲んで騒いで今を楽しむ。
ゼクトの言う通りなのかもしれない。
神獣の子を越える為に、なりふり構わない連中は一定数存在する。
受け入れられない存在だと拒絶するからだ。
神力に適応する者は今後次々生まれるかもしれない。
俺たち自身も結局のところ、どうして神力に適応したか分かっていなかった。
ただ力の源が神力だと言うことだけが認識としてある。
つまり神力の使い方次第で神獣の子を越えることも夢ではない。
きっとゼクトの出現は始まりにすぎないのだろう。
――これから始まる戦いの……
「ユーゴさん進んでいませんよ!」
「こら! ベタベタしないで!」
左腕に抱き着いた王女をルフが注意した。
二人のやり取りを見ていて、思わず笑みがこぼれた。
たとえこれが今だけの仮初の平和だとしても……俺は構わない。
父さんが愛したこの世界で生きると決めたのだから……