生命の鎮魂歌
竜の国の王都は火の海だった。
転移魔法により街内部に侵入を許し、それと同時に黒衣の魔女の魔術による先制攻撃。
石造りの道は砕けて、木製の建物は燃える。
すぐに出動準備していた竜聖騎士団が応戦するが、転移魔法の門から現れた新しい怪物によって足止めくらう。
人の形をしながら理性を失くした人形たち。
それはゼクトが生まれるまでに捨てられた失敗作だった。
四足歩行で縦横無尽に動き回り、逃げる人を万力の腕で掴めると首を噛みちぎった。
竜聖騎士団の空からの応戦も、建物を巧みに登りそこから操縦者に飛び付いてかみ殺す。
そして墜落したワイバーンすらも喰らう。
今まで放置された渇きを地で潤すかのように。
人ならざる怪物たちは暴走を続けていた。
ゼクトが竜の国の王都に解き放ったのは、組織の施設を出る際に自分の攻撃に耐えた強い失敗作のみ。
数は約百体。
それでも同数の魔物よりは遥かに強いし、神獣の子の成り果てなので能力的にも問題ない。
そんな怪物が暴れる中、クルデーレは人々を切り伏せていく。
人を斬るのが楽しかった。
初めて切り殺したのは父親。
母に暴力ばかり振るう男を斬ったのが始めだった。
それから力を振るう場所を求めて冒険者になった。
魔物、盗賊を斬るのは本当に楽しかった。
特に人間は良い。
殺される直前に見せる、世の中の全てに絶望した表情時のがたまらない。
快感すら覚える。
だから今こうして目の前に居る女性の首筋に刀を当てていた。
「お願いです……命だけは……」
若い女は震える声でそう懇願した。
刃を少しだけ首に入れると、痛そうに歯を食いしばる。
徐々に力を入れていくと、彼女の震えが大きくなった。
「なんで……いや……やめて……お願いよっ」
若い女の顔が歪み、歯の奥がカチカチと音をたてる。
その顔だ。その表情が好きなんだ。
見たかった表情を見て、クルデーレは口端を吊り上げた。
――蒼の鬼人
そう呼ばれるには十分なくらい残虐な笑み。
狂っていると言われれば、それも肯定しよう。
正しい事なんて、淫魔の国ではゴミ同然だ。
狂人でなければ正気を保てない。
それが四六時中女は犯され、男は権力と金のことだけを考えている淫魔の国だ。
「そんなことして楽しい?」
後ろから声。
その瞬間、頭上に水の槍が生成される。
クルデーレは横にローリングして水の槍を回避した。
そして自分とさっきまで震えていた女性の間に半透明の結界。
「そこの貴女。邪魔だから逃げて」
「あ、ありがとうございます!」
さっきまで震えていた女が駆け出す。
それを見送った敵が自分の方を向いた。
白いワンピースに腰まで伸びた蒼い髪。
海のように蒼い瞳が火に照らされて不気味に輝いていた。
「人魚の神獣の子……」
「海都ではどうも。今度は一人なんだね」
「貴様も同じのようだな」
「レアスちゃんは変な魔物を倒しに行ってるよ。強引に港町から転移魔法で飛んだら火の海なんだもん。驚いたよ」
ニコッと笑みを浮かべたユノレルが魔力を高める。
「さぁ……覚悟はいい?」
こちらを睨む彼女の蒼い瞳には、確かな殺気が揺れている。
完全に彼女はこちらを殺す気で来るだろう。
もちろん。何もせずに殺される気は無い。
クルデーレはスウっと息を吸い、集中力を高めた。
そして身体の奥に新しく出来た門を開ける。
今まで感じたことの無い力が身体から溢れ、白いオーラが身体を包んだ。
「凄いね。それが貴方たちが私たちを殺せると思った理由?」
「そうだ。俺が上に行くために神獣の子には死んでもらう」
クルデーレは刀を鞘に戻し、右手を添えた。
今の状態なら小細工も必要ない。
真正面から叩き斬るのみ。
地面を蹴った。
今までに感じたことの無い風が頬を切り裂く。
(人魚の神獣の子は近距離戦が苦手。接近戦に持ち込めば……!)
事前に聞いた話だと人魚の神獣の子は、魔術・法術特化だ。
距離を詰めての戦いは苦手のはず。
だから素早く抜刀することに何の躊躇いもなかった。
相手が「神獣化」と呟いたとしても……
ユノレルは「はぁ」と小さく息を吐いた。
白くなった息が空中で消える。
突然の気温低下に身体がついてきていないのか、ブルッと四肢が震えた。
「バ、バカな……」
クルデーレが呟いた。
「残念だけどこれが現実」
ユノレルは言葉を返した。
巨大な氷の塊によって身体の自由を奪われたクルデーレに向かって。
彼が斬りかかる直前に、神獣化を発動させて一気に魔力を解放した。
神獣化すると水だけでなく氷や霧も生み出せるため、氷を生成してクルデーレの自由を奪った。
顔は氷から出ているが、四肢は氷の塊に自由を奪われている。
これを解かすにはユーゴ並の火の魔術が必要だ。
当然ながらそんな魔術をクルデーレは持っていない。
神力で力を高めたところで、圧倒的な力の前には全てが無意味だ。
「こんな甘い世界で育った神獣の子なんかに……」
クルデーレはまだ現実を受け入れられないらしい。
「貴方が私のことどう思っているか知らないけど……生かすつもりはないからね」
ユノレルは掌に魔力を集め、氷の槍を生成する。
まずはそれをクルデーレの腹部へ突き刺した。
「グッ!」
身体を貫通した氷の槍にクルデーレの表情が歪む。
意識を失われても困るので負傷させた箇所を中心に氷漬けにして止血。
「はぁ……はぁ……」
相手がギロッとこちらを睨む。
自分と同じ蒼い瞳。
その片方の瞳に向かって、新たに生み出した氷の槍を突き刺して左の眼球を潰した。
「うわぁぁああ!!!」
「いい反応♪」
ボタボタと血が足元に流れ、クルデーレの息がさらに荒くなる。
しかし彼の右目にはまだ闘争心があった。
「へえ……そんな顔するんだ♪」
ユノレルは右手をギュッと握り、彼の四肢を固定する氷の圧力をあげた。
クルデーレは歯を食いしばり、潰されないように必至に抵抗しているが無意味だ。
――グシャ
グロテスクな音と同時に彼の四肢が潰れた。
「ぐうううう!!」
胴体のみとなったクルデーレの身体を腹部に氷を巻き付け固定。
そして彼の頬に手を添えた。
驚くほど白い指を……
「今から殺される気分はどう?」
「はぁ……はぁ……」
クルデーレの身体が小刻みに震える。
ようやく彼は自分がただ殺されるのを待つだけだと言うことを理解したらしい。
ユノレルは彼の潰れた左の眼球から溢れ血を指につけた。
小さな舌でペロっとそれを舐める様は、可憐な容姿からは想像できない。
「勝てると思った? どうせ私なら殺されないと思ったんでしょ? でも残念……神獣の子で人間を殺すことに一番躊躇ないのは私かな……」
無邪気な子供のように微笑むユノレル。
寒さのせいで赤くなったクルデーレの耳に口を近づける。
「私は『あの人』以外いらないの……友達の子たちだって、『愛しの人』を奪うのなら本当は殺したくてウズウズしているの……本当にしたら『あの人』に嫌われるからしないけどね♪」
「……嫌われないのなら?」
クルデーレが震える声で返して来た。
ユノレルは彼から離れ、踵を返す。
数歩歩き「はぁ」と息を吐いた。
母は言った。
かけがえのない存在になることは出来ると。
だけど自分はそんな我慢がでるほど、まだ大人にはなれない。
愛しい人の全てが欲しい。
その為ならば世界を壊しても構わない。
この狂おしいほど歪んだ愛を『あの人』に受けてとってもらいたい。
そんな感情を胸に、闇が深くなった夜空に向けてユノレルは呟く。
「この想いをどうしたらいんだろうね……」
そして振り返る。
屈託の笑みをクルデーレに向けて。
「容赦なく殺すよ」
抑揚のない声でそう呟き。
右手を上から下へと振るった。
歪んだ愛を乗せた最後の氷の槍がクルデーレの額を貫いた。
ソプアニは異変に気がついた。
さっきまで感じていたクルデーレの魔力が消えた。
(やられた? もう?)
色んな疑問が浮かんでは消えるが、王都の城へと続く階段に足をかけた。
魔術で身体を地面から僅かに浮かし上がっていく。
今街は『なりそこない魔物』が暴れており、城の警備は手薄なはず。
普段なら絶対に入ることのできない城へ急ぐ。
おそらく城の内部の何処かには目にするには、難しい魔術の研究文献などがあるはずである。
あるかどうか分からないが純粋な興味だ。
見ないと気が済まない。
しかし階段を上がりきり、城を目の前にしてその目論見はダメになりそうだと悟る。
何故なら城の前には緑色の髪を揺らす女が居た。
「こんばんは♪」
こちらに向けられた緑色の瞳。
黒のタイツで覆われる細い足、白を基調とした脛まで伸びたスカートと肩が露出した広い襟ぐりの服はまるで媚婦だ。
赤い唇の端を吊り上げ笑うその女が一歩前に足を出す。
「わざわざソプアニを待っていたの? 意外と暇なのね、淫魔の神獣の子」
「受けた屈辱は倍にして返すわよ」
「王都の防衛はいいの? 街が燃えているけど?」
「フォルちゃんにアレラトも行っているか大丈夫よ♪ それに……」
言葉を一度区切り、テミガーが魔力を高めた。
「今のあたしは貴女にしか興味ないの」
冷たく言い放つ彼女の両手に緑色の魔力剣が握られる。
淫魔の神獣の子の戦闘スタイルは、基本的には風属性の魔力剣を使った近距離戦だ。
高速戦闘でこそ相手の認識をズラす幻術は本領を発揮する。
(近づけさせなければいいだけのこと!)
ソプアニは杖を地面に突き刺した。
先ほど練り上げた魔力を使い魔術を放つ準備をする。
このまま連続で魔術を放ち、一気に勝負を決める。
既に神力の力は引きだしており、スタミナは無尽蔵に近い。
テミガーが息絶えるその時まで魔術を放ち続けることも可能だろう。
「死ぬ準備は出来てる?」
ニコッと笑うテミガー。
彼女はまだ動こうとしない。
自分が魔術を放つことは彼女も理解しているはず。
(なのにどうして……)
ソプアニはテミガーの足元に影が出来ていることに気がついた。
闇夜に覆われたこの時間にだ。
(まさか……)
顔を上げた。
そしてゾクっと背筋が凍った。
何故ならそこには……
「どれくらい生きられるでしょうね……」
テミガーが狂気に近い笑み。
自分の真上には空を埋め尽くす程の緑色の魔力剣が輝いていた。
「撃ち落とせば関係ない!」
ソプアニが魔術を発動して魔力剣を撃ち落とす。
白い光の筋が空に伸びて、魔力剣を消していく。
「無駄よ♪」
テミガーが右手を振るうと空に浮かぶ魔力剣が一斉にソプアニの元へ。
空から、そして横からも。
退路を断つように次々と襲う。
「はぁ!」
ソプアニが彼に杖を振るい、白い光の筋で巧みに魔力剣を撃ち落としていく。
その様子を見てテミガーが舌打ち。
神獣化と呟いた。
増大した魔力で、生み出される魔力剣スピードが倍以上になる。
それはソプアニが剣を撃ち落とす速度を遥かに超えていた。
「クッ」
まずは一本。ソプアニの肩に掠った。
「なんのっ」
次に左足。
「まだっ」
腕にも当たった。
粘るソプアニ。
テミガーはため息を一つこぼすと、腕を振るった。
「さようなら♪」
緑色の魔力剣が一つに集まり、巨大な魔力の塊となる。
それを操り、正面からソプアニに近づけた。
「一か所なら!」
地面に杖を突き立てたソプアニが白い魔力を放つ。
緑色の魔力剣とぶつかる白い魔力の塊。
しかし力の差は歴然で魔力剣が押し返していく。
「ソプアニは貴方たちを解剖するの! それで……」
「この程度じゃ全くもって無理だから諦めなさい♪」
テミガーが込める魔力をさらに増やした。
そして白い魔力を完全に押し返した無数の魔力剣が、ソプアニを飲み込んだ。
身体の節々に剣が突き刺さり、赤い液が舞う。
「ぎゃあああああ!!!!」
悲鳴。絶叫。
身体を切り裂かれるソプアニの身体が赤く染まっていく。
やがて魔力剣をその身体で全て受け止めたソプアニが仰向けになって倒れた。
テミガーは魔力剣を握り、彼女に近づく。
血で赤く染まった彼女へ……
「まだ生きているでしょ? 死なない程度に手を抜いたから」
「……な……んで……」
もうピクリとも動かない彼女の瞳だけが向けられる。
その視線に満面の笑みで答えた。
「あたしの手で殺す為よ♪」
握った魔力剣を彼女の細い首筋に当てた。
「安心して、貴女の死体は商業都市の裏で売りさばくから」
「嫌……やめて……」
「解剖される気分はどう?」
小さく首を横に振ったソプアニ。
それを見たテミガーは彼女の首に剣を突き刺した。
ソプアニの足が一瞬ビクッと跳ね上がり痙攣……やがて動かなくなる。
「どだい無理な話なのよ……貴女たち如きじゃあ……」
赤い池に沈む女性の死体にテミガーはそう吐き捨てた。