流星の女神
ゼクトは目を閉じて、身体を吹き抜ける風の音に耳を澄ませた。
頬を切り裂く風は少しだけ生暖かく、乾いた空気だった。
目を開けると眼下には竜の国の王都が見える。
今いる場所は王都から少し離れた高台だ。
高い外壁に囲まれた王都では、魔道のランプが所々に見える。
五か国の中でも屈指の大都市。
最初に攻撃する街を竜の国の王都に設定した特別な理由はない。
何処の国のどんな都市を攻撃しても、生き残っている神獣の子たちは現れる。
三年前の魔帝軍との戦争で死んだ竜の神獣の子を除く四人は必ず来るだろう。
だけど長期戦にするのも面倒だ。
出来るだけ目立つ方法で神獣の子らを殺し、人々の心をへし折る。
それが一番手っ取り早い。
ゼクトは懐から一つの神力玉を取り出す。
掌に乗る程度の大きさで白濁色の球体には、計り知れないエネルギーが詰まっていた。
しかしそれを引き出して神力適応者以外に運用するには、少しだけ面倒な手順が必要だ。
ゼクトは神力玉に自分の魔力を連結させ、その力を引き出した。
各地の転移魔法の門に干渉し、こちらの映像を見せる。
そして堂々宣言した。
「こんばんは。僕の名前はゼクト。世界に新しい秩序をもたらす者だ」
今頃各主要都市には、自分の映像が映し出されている。
神獣の子らには届いているだろうか。
「世界中の諸君。僕は五か国を一つにする。しかし……邪魔をする者たちがいる……」
人間と同じ笑みを浮かべ、両手を広げた。
竜の国の王都へ言葉を投げる。
「今から手始めに竜の国の王都を滅ぼす。世界の異端、神獣の子らよ。僕たちを止めてみろ。世界の変革を拒否した者たちの叫びを聞くがいい」
それは宣戦布告。
世界中の人々へ、そして神獣の子らへの。
ゼクトは魔力と神力玉の連結を切って、演説をやめた。
準備は整った。
後は神獣の子たちを倒すだけである。
人間でありながら神獣の子を否定する者たちと共に。
「さて。こちらも準備を始めようか」
ゼクトは協力者たちの方を振り返った。
そこには五傑と呼ばれる冒険者たちが居た。
白騎士・黒衣の魔女・血色の剛腕・蒼の鬼人と呼ばれる四人の冒険者。
そして土属性の魔術で十字架に磔になったソプテスカ。
「ゼクト。ソプテスカ王女は用済みか?」
ヴォルトが眉間に皺を寄せたまま聞いて来た。
「結果的にはね。黒衣の魔女が神獣の子の血を採取して来てくれたからだけど」
そう言ってゼクトは小瓶を取り出した。
中身はテミガーの血だ。
ソプアニが奇襲をかけて採取に成功した。
神力に適応した者の血を媒介にして、神力の力を引き出す。
そうすれば神力適応者以外も、その力の恩恵を受けることが出来る。
神獣の子の血液は採取困難だと思い、古き血脈たちでもいいと言った。
そもそも古き血脈が神獣の子を感知できるのは、神力の影響で古代人の身体が変異していたからだ。
だから古き血脈たちも微小ながら神力適正がある。
ゼクトは磔になったソプテスカに近づき、頬に手を添えた。
「傷口に治療魔法をかけて器用だね。だけど傷は塞がっても中の臓器はどうかな?」
「……こんなことをしても……神獣の子たちを怒らせるだけですよ……」
「そうだね。そうじゃないと困る」
消えかけの声で言葉を絞り出すソプテスカに笑顔を返す。
「君の祖国が燃える所を特等席で見てるといいよ」
踵を返し、ゼクトは地面に置いた神力玉四つの元へ。
小瓶の中の血を垂らし、両手を合わせた。
白い輝きを放つ神力玉が宙に浮く。
各神力玉の力を引き出し、冒険者四人の元へ動かした。
戸惑った表情の四人に簡単な使い方を伝える。
「君たちの魔力を流し込むんだ。それで神獣の子たちと同等の力が手に入るよ」
言葉を聞いた四人がそれぞれ神力玉に手を伸ばす。
触れた瞬間に神力玉から溢れた神力が各自の身体を包み込んだ。
「何も変わった感じはねぇぞ」
「ねぇねぇ、ホントにこれでいいの?」
巨漢の獣人であるトマとエルフと人間のハーフであるソプアニが聞いて来る。
「騒ぐな二人とも。ゼクト。時間たてば効果が出るのか?」
「力を使えばすぐに分かるよ。それとも僕で試すかい? 白騎士ヴォルト」
眉間に寄った皺が更に深くなった、
白騎士ヴォルトが神獣の子を嫌悪しているのは知っている。
神獣の子を始末した後、自分に剣が向くのは分かりきっていた。
「神獣の子を殺せるのならなんでもいい。見せしめのこの女を殺すか?」
蒼い髪を揺らし、刀を抜いた蒼の鬼人クルデーレがその刀身をソプテスカに向けた。
無口な彼の中にはいつも殺意が渦巻いている。
淫魔の国出身の彼は、成り上がることに対する執着心が凄まじい。
たとえ世界を敵に回したとしても彼は這い上がるだろう。
「それもいいかもしれないね。利用価値も無ければ、今から壊れる世界には不要な存在だ」
ゼクトは磔になったソプテスカに視線を移した。
人間一人が死のうとどうでもいい。
今からゴミのように死んでいくのだから。
「さて。ソプアニは魔術で王都を攻撃する準備をしようか」
「了解!」
ソプアニが杖を地面につき、魔力を高めた。
「クルデーレ。彼女を殺すのは王都が燃えてからにしなよ」
「絶望する中で殺すのか。あんたもヒドイ奴だ」
クルデーレの言葉に肩を竦めた。
世の中にはもっと酷い奴らが居る。
怪物を生み出す者や、簡単に国を亡ぼす怪物とか……
「あなたたちは今の世界が許せないのですか……」
「僕はただの歪さ。この狂った世界に産み落とされた怪物。そして世界を壊す為だけに生み出されたんだよ」
ソプテスカの白い首筋の手を這わす。
人間である彼女から伝わる温もりも鼓動も自分と変わらない。
しかし、神力と適応した。
これだの差で自分たちは生物と別の次元に居る。
彼女にも適正はあるがそれだけだ。
神力の力を引き出す神獣の子や自分とは別の生物なのだ。
(そろそろかな)
そう思い魔術の準備をするソプアニに視線を移した時だった。
真上から気配。
顔を上げると蒼い月を背中に一体のワイバーンが急降下。
そして風を切り裂く音。
(矢か)
向かって来たのは蒼い半透明の魔力の矢。
首を倒して避けると頬を掠めて地面に突き刺さった。
その直後に衝撃波。
身体を吹き飛ばされ、空中で体勢を立て直した。
(最後の五傑か)
地面に着地して空からの強襲者を見た。
ワイバーンから降りた敵がソプテスカの前に立ち塞がる。
手には黒色の弓、外套の隙間から見える腰には二本の短刀。
そんな冒険者の白いフードが風で外れて顔が顕わになった。
「流星の女神か」
ヴォルトがボソッと呟いた。
フードの中から現れたのは桃色のつり目と同色のポニーテール。
ギルドの冒険者で五傑に数えられる女性。
流星の女神と呼ばれるルフ・イヤーワトルだ。
「ルフ……?」
「もう大丈夫ソプテスカ。今からワイバーンを使って逃げて」
彼女がそう言うと遅れて魔力の矢が空から降って来た。
その矢がソプテスカの拘束されていた手足の紐を破壊する。
グッタリと身体を前に倒したソプテスカをワイバーンがその身体で支えた。
「いい子だから彼女をよろしく」
ルフがそう言うと指から魔力の紐が伸びて、ワイバーンとソプテスカの身体を縛った。
落ちないように固定した後、ワイバーンが翼を広げる。
逃げられない様にクルデーレとトマが動こうとするが、ルフが目で追うにのも困難な速度で矢を放つ。
一本の矢が枝分かれしてクルデーレとトマを襲った。
威力は低いが、無視して進むには数が多い。
無数の矢を避けたクルデーレとトマ。
そしてヴォルトが舌打ちをした。
ワイバーンは既にこの地を離れており、王都へと向かっていた。
夜間飛行時間が限られているから、少しでも早い撤退が必要だ。
ルフはこの場の残り、囮となってワイバーンを逃がしたらしい。
「逃げられた……代わりにこいつを切っていいか?」
「どうすうすんだヴォルト! こいつは邪魔する気だぜ!」
クルデーレとトマの言葉にヴォルトが深く息を吐いた。
そして隣に居るゼクトを横目で見る。
「ゼクト……」
「人間同士のことは任せるよ。それに数の利は圧倒的だ。どんな手段を使っても勝つだろうし」
「分かっている」
ゼクトは同じ冒険者であるヴォルトたちに任せることにした。
下手に縛り付けて反発されても面倒だ。
今はまだ彼らの力が必要なのだから、ここは泳がせることにした。
「流星の女神……君はこの世界に疑問を感じないのか?」
ヴォルトが前に出た。
凛々しいその立ち姿は白いマントがよく似合う。
だがそんな彼の問いにルフは鼻で笑った。
「そんな大層な話? 各国への宣戦布告に王女の誘拐及び傷害。ただで済むと思っているの?」
「我々の目的は神獣の子らから世界を取り戻すことだ」
ヴォルトが力強く右拳を握った。
声にも熱が入る。
「本来ならば世界は人間の手で運営されるべきなのだ。神獣の子と言う怪物たちに干渉されることなく!」
「それが神力玉を盗み、世界を壊す理由?」
「力を手に入れた。もう神獣の子らは『特別』な存在ではない! 人間は神の子らに追い付き、そして追い越すのだ!」
ルフが破弓を背中に戻し、腰ぶら下げた二本の短刀をそれぞれの手で握る。
「あんたの考えをとやかく言うつもりはないわ。ただ……あなたたちはあたしの友達に傷をつけた。その落とし前だけはキッチリつけてらうわよ」
ルフが二本の短刀を構えこちらを睨む。
その姿にゼクトは珍しく背筋が寒くなるのを感じた。
彼女の視線には迷いが無い。
こちらを殺すと言う純粋な殺意。
それが向けられたからだ。
実質五体一でも彼女の闘志は全く揺らがない。
(どうやら潜り抜けて来た修羅場が違うらしい……)
ゼクトはルフの姿を見て勝手にそう思った。
人魚の国の古き血脈にしてギルドマスターの娘。
そして三年前の神獣の子に関する事件の殆どに関与している。
肝が据わるのも納得がいった。
「じゃあ……行くわよ」
殺気の籠った声でルフがそうハッキリと言った。