赤と砂漠
「なかなか面白い魔物だ」
ベルトマーは目の前の魔物にそう吐き捨てた。
闘技場を襲ったのは翼の無いドラゴンに近い魔物。
肥大化した前脚で力強く進み、鋭利な爪で相手を切り裂く。
大きさは大人の象くらいで、数は十体弱。
初めて見るタイプの魔物だが、生存競争の激しい狼の国では固有の種が多く、時に新種が誕生することがある。
問題はその魔物がどうして人間の集まる場所を襲ったかだ。
魔物は本能的に人間と出くわせば殺され事が分かっている。
村を襲うことはあれど、これだけ多くの人が集まる場所を強襲するのは珍しい。
それだけ自信があると言うことだろうか。
しかし相手の魔物の目を見て、それは違うと確信する。
「グオオオオ!!」
目の前の一匹の咆哮。
肉食であろう鋭利な歯に噛みつかれれば一たまりもない。
「興奮状態みてぇだな」
こちらに向けられた縦に長い瞳孔。
その周りに血管が赤く浮き出ていて、相手が平静でないことを示していた。
他の魔物も同様で全ての個体が、興奮状態で襲って来たらしい。
「誰かに誘導されたか」
魔物が興奮状態で人多い所に来るなんて、何かに引き寄せられるしか考えられない。
おそらく闘技場に居る誰かだろう。
しかし今は犯人を捕まえている場合ではない。
ベルトマーは愛用の大剣を構える。
狼の神獣の牙で創られたその刀身は、切るよりも砕くことを重視していた。
もちろん魔力を纏わせればある程度の切れ味は発揮できる。
さっきまで周りに居た獣人の戦士たちには退去してもらった。
彼らは砂上の戦闘は慣れているかもしれないが、自分が暴れる時には邪魔になる。
さらに相手は未知魔物。
全力で叩き潰すには尚更一人で戦う方がいい。
「さぁ、楽しませてくれ!!」
ラウニッハは一瞬だが戸惑った。
理由はもちろん目の前の光景が原因だ。
床に転がるのは武闘大会の参加者たちの亡骸。
そしてそれを生み出したのは一人の冒険者。
五傑呼ばれる高名な冒険者であり、血色の剛腕の異名を持つトマだった。
「どういうつもりだい?」
「どうも何も……こういうことさ!!」
トマがその巨漢からは想像も出来ないほどの速さで近づいて来た。
そして丸太の様に太い腕を振り切る。
ラウニッハは両腕でトマの腕を受け止めるが、身体が簡単に浮いた。
吹き飛ばされて、闘技場の壁をぶち抜いて外へと弾き飛ばされる。
火傷するくらいの熱を持った砂漠に背中から落ちた。
(バカ力め)
心の中で舌打ちすると、照り付ける太陽の中に人影が見えた。
直感的に回避しないとマズいと判断し、素早く立ち上がり後ろへと飛んだ。
「おらぁ!!」
トマの右腕がさっきまで自分が居た場所に振り降ろされる。
まるで巨大な爆発の様に砂が舞い上がり、相手の姿を見失った。
(どこだ?)
砂漠の上に降りて相手を探そうとするが、思った以上に足が砂にとられて上手く動けない。
慣れるまで少し時間がかかりそうだ。
「さすがだぁ!!」
顔を上げると目の前には赤い毛並を持ったトマの姿。
魔力を溜めた右腕でこちらに狙いを定めていた。
(間に合うか!?)
背中の槍に手を伸ばすが、間に合うかどうかはかなり微妙だ。
完全に立ち遅れて主導権を盗られてしまった。
しかも砂上での戦闘は狼の国出身の相手に分がある。
状況はかなり不利だ。
相手の動きを見切る為に目に魔力を集める。
しかし視界の端から白銀の槍が飛んでくるのが見えた。
自分とトマの間に突き刺さった槍を中心に衝撃波。
「なんだ!?」
驚いたトマの巨体が後方に吹き飛ぶ。
自分も衝撃波に上手く合わせてバク宙で距離を空けた。
「ラウ! 大丈夫!?」
闘技場の壊れた壁からチコの声。
「問題ない! チコは観客の避難を頼んだよ!」
チコの槍を砂漠から抜き、彼女方へと投げる。
そして改めてトマと向き合った。
「邪魔が入ったみたいだな」
「すまないね。首を突っ込まないと気が済まない子なんだ」
「あれが噂のエルフの王女か。美人だねぇ。犯したいねぇ」
トマが口端を吊り上げる。
その下品な笑みにラウニッハは舌打ち。
売られた喧嘩は買うだけだが、そもそも彼は罪の無い人々の命を奪っている。
天馬の国の重役としては見逃すことは出来ない。
「捕まる前に言いたいことはあるかい?」
槍を構えてトマに問う。
「捕まらねぇし、このトマ様は負けねぇよ」
どうやら狼の国の猛者は自信家が多いらしい。
ラウニッハは呆れた様子でため息。
そしてギロッと目の前の獣人を睨んだ。
殺気を含んだ金色の瞳で。
「いい度胸だ」
ラウニッハは砂を蹴った。
しかしいつもよりも速度が出ない。
この国の砂は思った以上に粒が細かく、上手く下半身の力が伝わらない。
「思っていたよりも遅ぇな」
同じようにトマが距離を詰めて来た。
素早く槍を突き出すが、トマはそれを半身になって回避。
そしてそのまま腕を振り切る。
身を屈めたまま、トマの腕を回避してそのままトマの身体を通り過ぎる。
「あめぇよ!」
トマが身体を回転させ裏拳で狙って来る。
しかし相手の顔がこちらを向くよりも先に、上へとジャンプ。
振られた裏拳を回避した。
「どこに……」
一瞬で視界から消えた自分に驚くトマ。
そしてそのまま槍を振り降ろした。
「おっと!」
自分の位置に気がついたトマが身体を後ろへ僅かに逸らし槍を回避。
大柄な身体のくせにその機敏な動きには驚くばかりだ。
目標を見失った槍が砂漠に突き刺さった。
「もらったぜぇ!」
砂に突き刺さった槍を支えにして逆さまの自分を目標にして、トマが右腕を振り切った。
ラウニッハは魔力で障壁を創り、攻撃を防ぐ。
半透明の壁が相手の拳を受け止め、メキメキと揺れた。
(チッ。とんでもない怪力だな)
ユーゴの一撃すらも防ぐ障壁を揺らす相手の力。
正直ただの冒険者がここまでの腕力を誇っているのは予想外だった。
ラウニッハは目の前に精製した障壁を足場にして蹴る。
トマとは距離を空ける形で飛んで、砂漠の上を何度も転がった。
口の中に入った小さな砂粒をペッと吐き出して立ち上がる。
迎撃する為に素早く槍を構えるが、トマは先ほどの場所に居た。
視線が外れた隙を見て攻めて来ると思っていたのに予想外だ。
「さすがだな。天馬の神獣の子。天候を操らなくても身体捌きだけで、このトマ様と互角だなんて」
トマが拳を構え、「しかし……」と言葉を続けた。
「『天相』の力を使わないのは、避難者たちを巻き込むからか?」
(こいつ……)
ラウニッハの耳にはまだ人が移動する音が聞こえている。
王都近くの闘技場だが、完全な非難が完了するまでまだ時間がかかる。
天相の力で雷を落とすと周りに被害が出るかもしれない。
三年前の戦争時ならまだしも、今の自分は天馬の国の重役だ。
万が一他の国の要人や、狼の国に被害をもたらせば天馬の国への非難は免れないだろう。
ここまで他国と交流で深めきた信頼が一瞬で崩れ去るかもしれない。
三年前よりもエルフが受け入れられているとはいえ、まだそれは始まったばかりだ。
ここでこんな冒険者一人のせいで頓挫するわけにはいかなかった。
様々な要因と理由で天相の力を使うことが出来なわけだが、相手のトマはそれを見抜いている。
思った以上に冷静だ。
ただの力押しなら簡単だった。
おそらくこちらが砂上の戦闘に不慣れなのも計算に入れていることだろう。
長引かせると厄介だ。
(どうする? 神獣化で一気にケリをつけるか……)
ラウニッハが魔力を高めようと、一瞬だけトマから意識を外した。
それと同時にトマが踏み込んできた。
「させるかよ!」
(大振りだ。当たるわけがない)
トマが大きく右拳を引いている。
横に避けて反撃だ。
足に魔力を集めて砂を蹴るが、さっきと感触が違う。
(くそ、場所によって砂の硬さが違うのかっ)
先ほどよりも柔らかい感触に身体が流れる。
中途半端な移動では相手の攻撃範囲から逃げきれない。
「ざまぁねぇな!」
トマが力強く振りぬいた右腕を細い槍一本で受け止める。
魔力による補助が施してあるので、折れることはないが身体を支えるのは不十分だ。
闘技場の方へと、簡単に身体が吹き飛ばされた。
(さっきから吹き飛んでばかりだな)
自分でそう思っていると背中に柔らかい感触。
振り返ると隆起した砂の壁が自分を支えていた。
「いいザマだな。ラウニッハ」
そう言って目の前にベルトマーが降り立つ。
どうやら魔物の掃討を終えてこちらに来たらしい。
「まったくだ。君に助けられるとはね」
そう返して立ち上がる。
身体についた砂を払いトマを観察する。
神獣の子二人を前にしても、相手の表情に陰りは見られない。
「さて……魔物を誘いこんだのはてめぇか?」
ベルトマーの真っ直ぐな質問にトマが残虐な笑みを浮かべた。
「だったらどうする? 王様よ」
「捕えるだけだ。ぶっ飛ばした後でな」
ベルトマーが切っ先をトマに向けた。
いつものように放たれる殺気の中に僅かな怒りが含まれている。
それは武闘大会を台無しにしたことか、それとも国民に傷をつけたことか。
今のラウニッハは分からなかった。
「かつて憧れた力の象徴は、そんな甘くはなかった。強い者は容赦なく殺す! そんな殺伐としていた貴方は何処に行った! 狼の神獣の子!!」
「てめぇの意見は聞いてねぇよ。今は大人しく捕まれ」
ベルトマーが肩に大剣を担いだ。
どうやらベルトマーはトマの言葉を聞く気がないらしい。
それにトマが言っているのは、ユーゴやエレカカに会う前の彼のことだろう。
以前の彼は強い者に戦いを挑み、皆殺しにしてきた。
見境の無い戦闘狂だったと聞いたことがある。
「……さすがに神獣の子二人相手では分が悪い、ここは引かせてもらうぜ」
トマがそう言って両腕で砂を叩いた。
同時に爆発が起こり、砂塵が空高く舞う。
「逃がすかよ!」
ベルトマーが即座に反応して、魔力の斬撃を飛ばした。
しかし茶色の魔力斬撃は砂塵を切り裂いただけだった。
そこにトマの姿は無い。
「チッ」
「逃げられたか」
舌打ちしたベルトマーが大剣を背中に戻した。
結局トマがこのような凶行に出た理由は何も分からないままだ。
(ギルドマスターになんて報告したらいいのやら)
五傑の冒険者による武闘大会中の殺戮。
そんな話を報告しないといけない。
そう思うだけでラウニッハの気分は沈んだ。