蠢く闇
白騎士と呼ばれる男の名はヴォルト・エッケシル。
人魚の国にある冒険者の名家に生まれ、名声をほしいままにした。
白髪と碧眼の容姿と誰にでも平等に接するその紳士的な態度から周りの信頼も厚く、強大な魔物と戦う時は先陣で立ち向かう。
五本の指に入る冒険者の中でも最強と謳われ、最も有名な冒険者でありギルドの象徴とも言われていた。
(そんな男がなんで……)
レアスは目の前に姿を見せたヴォルトをジッと見つめる。
白い盾で凶刃を受け止めた彼が、腰に差す剣に手を添えた。
それを見たクルデーレが素早く距離をとった。
同じ五傑の冒険者でもやはりヴォルトとの力の差は大きいらしい。
「クルデーレ。こんな場所で武器を出すなど、どうゆうつもりだ?」
「……あんたには関係ない」
「それは貴様の意見だ。私は同じ冒険者として見逃すわけにはいかない」
「……」
クルデーレが鞘に刀を収めた。
最強の冒険者の威厳のおかげで事なきを得た。
そう思った直後、クルデーレがヴォルトの懐に一歩で入り込んだ。
身を屈めた姿勢から、刀を抜きヴォルトの首筋を狙う。
「甘いぞ」
身体を僅かに後ろに逸らし、ヴォルトは刀を皮一枚で回避。
そのまま左手に持った盾を振り上げた。
狙いはクルデーレの刀。
「くっ」
クルデーレの表情が僅かに歪む。
その直後に刀が宙を舞った。
武器を弾き飛ばされたクルデーレの腹部にヴォルトの盾がめり込んだ。
細身のクルデーレの身体が吹き飛び、地面に背中から落ちた。
頭を強打したクルデーレの動きが止まる。
どうやら意識を失ったようだ。
ヴォルトがそんな彼に近づき、拘束するための魔術を発動させた。
指先から出た白い魔力が、クルデーレの身体に巻き付いた。
「あの。助けて頂きありがとうございます」
レアスはヴォルトに頭を下げた。
「当然のことをしただけだ。魔術学院の優秀な教師を守るのもこの街に住む冒険者の役目だ」
「あたしをご存知で?」
「嫌でも噂は耳にする。優秀な教師であり、三年前に神獣の子と共に行動していたアナタの噂は……」
ヴォルトの蒼い瞳が身体の芯に突き刺さる。
味方の筈なのに『神獣の子』の単語が出た途端に雰囲気が変わった。
「友人は無事かな?」
「はい。お陰様であたし達には何も被害はありません」
その言葉にヴォルトは笑顔で「そうか」と返し、魔力の紐で拘束されたクルデーレを肩に担いだ。
「君がここに居るのは、魔術学院に侵入者が現れた件か?」
「はい。テオウス様より調査をお願いされまして」
「そうか。ならば私が知った情報を教えよう。犯人は金髪に赤眼の男だ」
何故とレアスは一瞬疑問に思うが、ヴォルトの自信に満ちた表情を見て、その言葉を飲み込んだ。
相手は最強と言われる冒険者なのだ、情報網が広くても不思議ではない。
それに正義感の強そうな彼は、個人で犯人を追っていたのかもしれない。
最強の冒険者の名声は、動くときにどうしても付きまとう。
隠れて動きたいときには邪魔になることもある。
「情報提供ありがとうございます。ですがどうやってその情報を知ったのですか?」
「……長くこの稼業をしていると色んなことがあるのだ。一刻も早い犯人逮捕の為に協力するだけで、それは当然の責務だ」
ヴォルトはそう言い残し、人混みをかき分け進んでいく。
今からクルデーレをギルドにでも差し出すのだろう。
それとも説教でもする気なのか。
「あの人なんて?」
いつの間にか真後ろに居たユノレルが聞いて来た。
「犯人の容姿は金髪に赤眼の男だって」
「何で知ってるの?」
「さぁ? 有名な冒険者だし、色んなコネがあるのかもね」
疑問は色々とある。
しかし今は彼の残した情報以外に頼るべき物が無い。
「じゃあお願い」
「索敵魔法だね」
ユノレルが目を閉じて魔力を高めた。
相手の特徴を踏まえた上で索敵をかければ、犯人が海都に居るかどうかぐらいは分かるはずだ。
これで見つかれば一番理想的だが……
「ダメだ。該当する人は海都には居ない」
現実はそう甘くないらしい。
ある程度予想していたことだと、レアスは次やるべきことに頭を切り替える。
「じゃあ、海都を出ましょうか。そんなに遠くへは行ってないでしょうし、竜の国の港町でソプテスカと合流しよう」
「移動は人魚の力を借りるね。転移魔法は今さら無理だろうし」
この海都と竜の国の港町は転移魔法で繋がっている。
ただし転移魔法による移動は数十日に一回で、一度に移動可能な人数には限界がある。
予定日は明日だが普段は予約が必要となる為、今から転移魔法で移動するのは難しい。
転移魔法は安全だがそのような運用方法であるが故に、時に従来の移動方法で移動した方が早い時もある。
しかし安全で魔物に襲われないと言うのは、非常に魅力的だ。
特に戦う力の無い者にとっては。
「お願いね。今日中には出よう」
レアスの言葉にユノレルが頷いた。
この国の人魚の力を借りれば普通の船で移動するよりも早く、竜の国へ行けるだろう。
それに明日は転移魔法で魔術学院の生徒たちが移動する予定だ。
自分は海都に残る予定だったので、自分の分の席はない。
代わりにソプテスカには、臨時講師を依頼していた。
今や竜の国では知らぬものは居ないと言われる程の法術使い。
その名は魔術学院の生徒間でも有名で、知り合いだと生徒に言ったら是非会いたいと志願する生徒が殺到した。
魔術に才能ある生徒たちの間でも法術を使いこなせるものは、ほんの一握りだ。
しかも教えることのできる人材は極めて少ない。
現状は時々講師をしてくれるユノレルくらいだ。
生徒たちが色んな人から学びたいと思うのは、ある意味では当然なのかもしれない。
(いつになったら解決するのやら)
今日も雲一つない海都の空に向かって吐いた小さなため息。
面倒くさいことにならないでくれと、密かに込めたレアスの祈りは、空に向かって消えた。
「この辺りでいいか」
誰も居ない路地裏で白騎士と呼ばれるヴォルトは、肩に担いでいたクルデーレを足元に落とした。
尻餅をついた彼を拘束していた魔術の紐を解除し、武器である刀を渡す。
「独断先行は許さん」
「……あんたの邪魔が無ければ勝っていた」
クルデーレが蒼い瞳でこちらを見上げる。
「仮に勝てたとしても、他神獣の子からの報復があるだけだ」
ヴォルトが彼の視線ににらみを返すと、クルデーレは肩を竦めて立ち上がった。
「神獣の子を殺せば、多額の報酬金を払おうと聞いて俺は参加した。あんたの下につくって約束じゃないはずだ」
「ただしそれは、こちらのやり方に従ってもらうと言った。そもそも今の我々では、神獣の子は倒せない」
「神力との適応……」
「そうだ。それが必要なのだ」
神力の発見以来、裏社会では神獣の子らの力に関する研究が進んでいた。
彼らは何故人間の姿をしていながら、超常的な力を発揮するのか。
神獣に育てられたことが、何処まで関係しているのか。
同じような『存在』を創ることは出来ないのか。
様々な憶測と研究が行われた時、ある噂が流れた。
昔から神力の存在を知っていた者たちが居ると。
その者たちは森深くの洞窟内で長年研究を行っていた。
神獣たちが神獣の子を産みだしたように、人間が『人間』を創ろうとしていのだ。
神の真似事に近いその研究は、いわば『人工的に神獣の子を創る』と言うものだった。
噂の出どこを調べる最中、ヴォルトはとうとう研究場所を発見する。
しかしそこは既に惨劇の後だった。
無数に転がる死体と腐敗臭。
赤く塗られた壁と床。
地獄と呼ぶに相応しい光景がそこにはあった。
――そして、『彼』と出会った
その場所で出会った『彼』もまた、神力の力をその身に宿す者であり、神獣の子の秘密を全て教えてくれた。
神獣の子の力の秘密は、幼少期から神獣と接してきた影響で神力に適応したからだと。
彼らはその力を引き出すことで、あれだけの力が使える。
つまり同じことをすれば、神獣の子を倒すことも夢ではない。
人間の手で神の子を超える。
それはとても魅力的に聞こえた。
神獣の子を受け入れた世界に苛立ちを覚えていたヴォルトにとっては……
「あんな怪しい『奴』を信用するあんたの神経を疑う」
「安心しろ。不用になれば『奴』も神獣の子同様に消すさ」
ヴォルトは踵を返した。
(そうだ。世界は『人間』の手で導かれるべきなのだ)
神獣は象徴であり人の世には干渉しなかった。
しかし神獣の子は違う。
彼らはこの世界に溶け込み、大なり小なり影響を与えている。
人の形をした人ならざる者なのに。
「行くぞ。『ゼクト』が竜の国で待っている」
「俺に命令しないことだ」
「神獣の子を殺したいのなら、今は言うことは聞いておけ」
「チッ」
クルデーレの舌打ち。
その姿にヴォルトは不敵な笑みを浮かべた。
怪物などこの世には不要だ。
神獣の子などと言う仮初の象徴はこの手で葬る。
その決意を胸にヴォルトはクルデーレと共に海都の闇へと消えた。