白騎士と蒼の鬼人
ルフの父親にして、ギルドマスターのテオウスは椅子に座ったまま天井を仰いだ。
自身の執務室に吊るされたシャンデリアが目に入った。
昨晩から働き詰めで明かりが点いたままだ。
それを消す気も起らず、息を深く吐いた。
魔術学院の忍び込んだ者の捜索及び捕縛。
既に学院側の教師であるレアス頼んで、ユノレルへの協力をお願いするように言っている。
人魚の神獣の子であるユノレルは、基本的にギルドや海都のことに干渉しない。
人魚の国に住む人魚たちを護衛しており、普段は何処にいるか分からない。
そんなユノレルと友人であるレアスを介して、今回の事件の解決を依頼したのには少しだけギルドの事情が関係している。
基本的にギルドから特別な依頼をする場合、声をかけるのは実績のある信頼できる冒険者のみだ。
特にギルド内で五本の指に入る冒険者たちは『五傑』と呼ばれ、極めて高い戦闘能力を保持している。
今回の様な事件を解決を依頼する場合は、五傑の誰かに頼むことが多い。
ルフも現在はその一人で、自分の娘がその一角を担うことは父として嬉しく思っていた。
しかしルフはいつもユーゴと各地を飛び回っているので、所在地は基本的に分からない。
ただ今回は他の四人に関しても同様の事態だった。
ギルドの掲示板の依頼をこなしている可能性もあるが、全員の所在地が分からないのは初めてだ。
中にはほぼ隠居状態で、連絡を取るのも難しい者も居るが、その者に対する対策はすでにしている。
見つかるのは時間の問題だろう。
「一人くらい居場所が分かるといいんだが……」
テオウスはため息混じりにそう呟いた。
今の人魚の神獣の子が味方だと言うことは百も承知だ。
しかしかつて、海都に深刻な被害を出した彼女を百パーセント信頼するのは、ギルドマスターとしての立場が許さなかった。
念の為に信頼できる冒険者に依頼はして、人魚の神獣の子と協力してもらうことが一番早い解決法にも思える。
神力玉の減少は転移魔法の使用回数減少に繋がってしまう。
数十日に一回の使用頻度だが、もうすぐ狼の国で開催される武闘大会、魔術学院の竜の国への修学旅行も予定してある。
転移魔法の使用頻度の減少は、それらに問題が出かねない。
円滑に事を運ぶためには、いち早く神力玉の回収が必要だ。
「大きな事にならないといいんだが……」
ただのコソ泥か、それとも大きな事件の前触れか。
どちらだろうと今は警戒心を強めることしか出来ない。
テオウスは再び息を深く吐き、眠気に任せて瞳を閉じた。
「何か分かる?」
「うーん……」
レアスが金髪の髪を耳にかけなおし、目の前のユノレルに話しかけた。
ユノレルは愛用の白いワンピースから出た細い腕を組んで、蒼い髪を揺らして首を傾ける。
魔術学院の地下にある神力玉の保管所で、何か痕跡が無いかと二人で調査していた。
「レアスちゃんの頼みじゃ無かったら、絶対にこんなことしないからねっ」
ユノレルは少しご機嫌斜めらしい。
彼女が機嫌よく言うことを聞くのはユーゴだけだ。
「だからギルドマスターにあたしが頼まれたんでしょ。一応報酬はくれるみたいだし頑張ろ」
「はーい。ユー君早く海都に来ないかなぁ♪」
鼻歌混じりにユノレルが部屋を歩く。
石造りの壁に掛けられたランプが部屋の中を薄く照らす。
一人分の宿くらいの大きさの部屋に棚が並べられ、棚の一部分に神力玉は置かれている。
白濁色の片手に乗るくらいの大きさの物だが、今は一つもない。
貴重な武器や魔具も置かれているのに、犯人は神力玉だけを盗んだ。
入り口は固く施錠されており、魔法による補助もされている。
それを破った形跡も、部屋の中に穴を開けた跡もない。
どうやって入って、どうやって出たのか。
見れば見るほど謎だった。
「レアスちゃん」
「何も分からない?」
「うん。せめて姿の特徴が分かれば索敵魔法で探せるんだけど……」
「この状況じゃ仕方ないか……外に出て考えよっか」
「うん。そだね」
二人で部屋を出て、石畳の廊下を歩く。
目の前の階段を上がりきると、魔法で施錠された扉を魔力で開錠した。
「便利だね。個人の魔力に反応するなんて」
「一応最新の魔法だからね。ここの教員でも入れるのは一部だけ」
「だったら、あの現場状況なら犯人は魔術学院の人かな?」
「そうだとしたらかなり限定されるけど、それならギルドが先に捕まえてる。それをしないってことは、対象の人全員に反抗不可能な理由があるんだろうね」
レアスが扉を開けると、そこは魔術学院の図書館に出た。
膨大に並ぶ本の海の中に今は誰も生徒はいない。
名目上は校舎の模様替えでここ数日は授業が休みだ。
修学旅行の準備ができると生徒たちは喜んでおり、何も知らない生徒たちは明るくていいなと思った。
図書館を出て魔術学院内の緑の芝の上を歩く。
そのまま門を出て海都の街へ。
「レアスちゃん、どうする?」
「港にいこっか」
「なんで? 船に乗るの?」
「確率は低いけど、海都から出る手段は転移魔法か船による脱出しかない。転移魔法の実施日は明日だから、船で出るしかない。聞き込みでもしたら、怪しい奴の情報でも手に入るかなって」
「今できるのは確かにそれくらいだね」
「慌てても仕方がないから」
やや苦笑気味でユノレルに答える。
もう被害は受けてしまっている。
早い解決が求められているが、焦っても仕方がない。
動揺と焦りは重大なミスに繋がりかねないと、レアスは過去のトラブルから学んでいた。
「レッツゴー」
右腕を突き上げたユノレルが歩く速度を上げる。
またユーゴから教えてもらった、変な言葉を使っているようだ。
(ホント……変な言葉知ってるなぁ)
今頃ユーゴはどうしているだろうか。
ふとそんなことを思った。
「ダメだったね……」
目の前の白い円卓テーブルに伏せるユノレルが呟く。
歩き過ぎて疲れてしまったらしい。
色々と聞き込みを行ったが、結果は空振りだった。
疲労だけが溜まり、何も成果を得られないことに精神的にも疲れた。
机に伏せたがるユノレルの気持ちも分かる。
「どうしよっか」
ため息混じりに呟いた。
何もない手掛かり。
依頼主はギルドマスターだから何の成果も無しに報告も出来ない。
だから余計に気分が重かった。
「レアスちゃん。私帰っていい?」
「ダメ。今ユノレルが帰ったらあたしが殺される」
「テオウスのおじちゃん怖いもんねぇ」
呑気に言っているが、本気で殺されるかもしれない。
あの人にはそう思わせるだけの迫力がある。
「ユノレル。もうちょっと気合入れて……」
レアスを続きの言葉を飲み込んだ。
理由は背筋に感じるピリッとした感覚。
それは今の海都の中では感じることの無いはずのモノだった。
(殺気……!?)
久しく感じるその感覚に身体中の毛が逆立つ。
「死ね」
後ろから声。
振り返ると目の前には既に刃が迫っていた。
(しまったっ、間に合わない……)
迎撃しようにも既に抵抗は間に合わない。
自分の首筋を狙って伸びる凶刃に目をグッと閉じた。
しかしいつまで経っても刃が首に当たらない。
「結界……」
若い男の声。
「ナンパは他でやりなさいっ」
次にユノレルがそう言った。
恐る恐る目を開けると半透明の壁が刃を防いでいる。
そしてこちらを凝視する蒼い瞳。
肩まで伸びた蒼い髪が風に揺られ、相手の男の顔が顕わになる。
黙っていれば女性と間違えそうなくらい整った容姿に、一瞬だけ目を奪われた。
しかし次の瞬間、男がバックステップ。
距離を置いて手に持った武器を再び構えた。
反り返った細身の刃とその刀身に浮かぶ文字。
ユーゴが『カタナ』と呼んでいた武器に形がそっくりだ。
蒼いロングコートを纏った男の腰には武器を入れる為の『サヤ』もあるから間違いないだろう。
「レアスちゃん。下がってて」
自分の一歩前にユノレルが乗り出す。
相手は近距離戦が得意そうで、ユノレルとは相性が悪いように思える。
それにここは海都の港町で人目につきやすい。
事実周りの人々が野次馬をつくっており、街の衛兵を呼びに行った人も居る。
白昼堂々こんな場所で奇襲を仕掛けて来る相手も相手だが、ユノレルの大規模な魔術はここでは使いづらい。
「ここは一回引こう。こんな場所で奇襲しといて無事で済むはずがない」
「だけどここで仕掛けて来るってことは、何か理由があるんじゃないかな」
ユノレルが刀を構える男をジッと睨む。
そして核心を得たように自信を持った笑み。
「ねぇ。五傑の一人、『蒼の鬼人』さん」
その言葉にレアスも男の姿を見た。
蒼の鬼人クルデーレ。
その名前は知っている。
ルフと同じく五本指に入る冒険者とされ、一匹狼で基本的に姿を知る者はいない。
鋭利な刃物で魔物を完膚なきまでにバラバラにするその手口だけが、広く知れ渡っていた。
(ギルド側の冒険者? どうしてあたしたちを……)
周りの観衆がザワつく。
姿を見たこと無くても、クルデーレの名前は有名だ。
そんな彼が街中で人を襲ったとなれば。噂が広まるのも早いだろう。
「どうするのぉ? みんなアナタの正体に気づいちゃったわけだけど?」
「何故オレが『蒼の鬼人』だと?」
「人魚たちの情報網舐めない方がいいよ? それにアナタのよくない話も知ってる」
ユノレルの言葉にクルデーレの口角が僅かに上がる。
そして小さく呟いた。
「そうか……ならこの場に居る全員皆殺しだ」
クルデーレが地面を蹴る。
蒼い影が急速に近づいて来た。
ユノレルの放つ魔力が急速に高まる。
こんな街中で戦うなんて何を考えているだと思うが、相手は完全にこちらを殺す気だ。
「お仕置きしちゃうんだから♪」
ユノレルがそう言って魔術を放とうとした時だった。
自分たちとクルデーレの間に何かが割って入った。
空中から落ちて来たその白いマントを身に纏う人。
その姿を見た人々から歓声が上がる。
「邪魔だ」
クルデーレがその白い男に向かって刀を水平に振る。
「よさないか」
男はそう言って左腕につけた盾で刀を防いだ。
マントと同じく白い盾。
白髪の髪が揺れ動き、男の蒼い瞳がこちら向いた。
二十代中盤の若い顔だが、放つ雰囲気には歴戦の猛者らしい威厳があった。
「私はヴォルト。『白騎士』と呼ばれる者だ」
再び歓声。
当然だとレアスは心で呟く。
――白騎士
それは最強と謳われる冒険者の通り名なのだから。