第112話 命
「やった……」
ユノレルはポツリとつぶやいた。
傷ついた神獣の子たちを出来る範囲で治療をしながら、ユーゴと魔帝の戦いを見守っていた。
竜の神獣の子として真の力を解放して、黒髪になったユーゴの右拳が魔帝を貫く。
魔帝の身体が黒い炎に包まれ、ユーゴが魔帝から離れた。
どう考えてもあとは黒い炎が全てを焼き尽くしてくれるはず。
勝った。素直にそう思った。
「なに?」
最初に気がついたのは魔力の揺れ。
最果ての地全体から魔力を感じた。
そして黒い炎に包まれた魔帝の身体から衝撃波、ユーゴは吹き飛ばされる。
「ユー君!」
「大丈夫だ」
空中で体勢を立て直したユーゴが自分のすぐ隣に着地する。
黒髪・赤眼の彼の姿を見て、今の容姿を悪くないと勝手に思った。
呑気なことを考えて居る自分とは対照的に、ユーゴの顔が険しくなる。
「結界か」
ボソッとユーゴが呟く。
見上げると最果ての地全体が半透明の壁に覆われていた。
海都に張られる結界に似た物だが、込められている魔力はその比ではない。
内側に張られたその結界を破壊するとなれば、容易ではなさそうだ。
「本来は神獣たちを閉じ込めるつもりだったが……まぁいいだろう。貴様たちはそこで世界が消えるのを見ているがいい」
魔帝がそう呟くと、空間が揺らぎ形を織りなす。
その魔力は転移魔法に間違いない。
魔帝はそのまま姿を消した。
「ユー君! どうしよ!?」
「結界を破壊すればいいんだろ」
ユーゴが結界に狙いを定めて、足をグッと曲げた時だった。
「うっ」
彼が心臓を抑えて吐血した。
地面にボタボタと血を吐いて、膝をつく。
「ユー君!?」
心配して背中をさするが、その時に直感した。
彼の身体が悲鳴を挙げており、神獣化の影響が全身に出ている。
「頼む……あと少しだけもってくれ……」
ユーゴはそう呟き立ち上がろうとするが、手足は小刻みに震えるだけで動かなかった。
もう限界なのだろうか。
だとすれば魔帝を追いかけた所で勝ち目はない。
無駄死になるだけだ。
ユノレルは彼の手に自分の手を重ねた。
冷たい。
彼の手は驚くほど冷たく、まるで死人のようだ。
「……ユー君」
ユノレルは彼の頭を抱きかかえた。
ユーゴは一瞬戸惑うが、動くことが出来ないのかされるがままだ。
「落ち着いて。一回神獣化を解こうよ」
「魔力玉にあった魔力は使い切った。今解除したら同じ領域まで辿り着けない」
「でもこのままじゃ、魔帝の姿を見る前に死ぬよ? 本当に勝てなくなる。生きていれば手はいくらでもある」
彼の頭を抱きかかえる腕にギュッと力をこめる。
こちらの言い分を聞いてくれたのか、ユーゴの放つ異次元の魔力が徐々に減少していった。
髪の色も本来の赤色に戻る。
「離してくれ」
言われたとおりに腕を離し、ユーゴと向き合う。
いつも以上に白い肌と荒い呼吸。
そんな彼の鼻から血が流れて地面落ちた。
「クソ」
ユーゴがそう呟き鼻血を拭う。
明らかに異常な消耗だ。
感じ取れる魔力も大気中に放出しきったせいで、何も感じない。
「みんなは?」
「ユー君ほど消耗してないよ。大きな傷も治したから命に別状はないと思う」
「よかった」
彼がホッと胸を撫で下ろし、結界を見上げる。
「とりあえず結界を破壊しないとな」
ユーゴが立ちあがる。
しかし足元が覚束ない。
支えようとしたら、右手で不要だと制された。
ならばせめてでもと治癒魔法を発動させるが、すぐに意味だと気がつく。
(何も回復してない……)
魔力で削られたユーゴが持つ本来の生命力が全く回復していない。
どうやらさっきの神獣化は、ユーゴ自身の魂に傷をつけたらしい。
唯一の回復方法は、自然に待つしかないがそれを許される状況でもなかった。
目の前の男をどうしても助けることが出来ない。
その事実にユノレルは肩を落とした。
「気にするな。最初から分かっていたことさ」
些細なことだと彼は笑い飛ばした。
ズキンと胸が痛む。
ユーゴの力になれない自分の無力さに腹が立った。
「なんだろ?」
ルフは異変に気がついた。
ユーゴたちが旅立った海の方を港で見つめていると、波が急に高くなった。
先ほどまで太陽が見えていたのに、空には分厚い雲。
不穏な空気が海都の周りに広がる。
「おい! あれを見ろ!!」
港に居た船乗りの人が叫んだ。
彼の指さす先には、海面に生まれた白い球体があった。
徐々にそれが大きくなり、それに比例して海が荒ぶる。
何が出て来るのか。
ジッと見つめていたら球体から白い光の筋が海都の街へと伸びた。
港に居た人を貫き、街に直撃する。
街が悲鳴を上げた。
戦える者は武器をとり、白い球体へ視線を移す。
ルフも背中の破弓を手に取り、白い球体に狙いを定めた。
そして先手必勝と言わんばかりに魔力で精製された矢を放つ。
蒼い半透明の矢が白い球体を貫いた。
白い球体が急速に萎む。
しかし中には何もない。
(……何もない?)
そう疑問に思った直後、空から無数の白い光が海都に降り注いだ。
何かをする時間を与える間もなく、降り注いだ白い雨に海都の地盤が砕ける。
「うぁぁぁあ!!」
「なんだってんだ!?」
「逃げろ!!」
周りからの悲鳴。
恐怖、絶望、それが入り混じった声があちこちから聞こえる。
(いい加減に……姿を見せなさいっ)
空に向かって矢を放つ。
一本の矢が無数に枝分かれして空の雲を切り裂いた。
差し込む太陽の光の中に、人影が見える。
ルフは目を細め、光の中に居る人物を見つめた。
「……無駄だ」
「魔帝っ……」
ギリっと歯を食いしばる。
光の中に居たのは白髪・赤眼の男。
身体のあちこちに焼けどの跡がある。
無事というわけでは無そうだ。
それでも魔帝がここに居ることが理解できなかった。
(ユーゴが負けた?)
頭に浮かんだ最初の疑問。
本来なら魔帝は最果ての地で神獣の子と戦っているはずである。
そんな相手がここに姿を見せたと言うことは、最果ての地での決着はついたのだろうか。
一瞬浮かんだ疑問は、不安となり胸の中に広がった。
そして海都を覆う結界が発動される。
轟くのは竜の咆哮。
振り返ると空には竜の神獣と天馬の神獣の姿があった。
残りの神獣は何処に行ったのだろう。
「アムシャテリス!!」
真上から響いた声。
見上げると太陽を背に魔帝よりもさらに上から、狼の神獣が飛び下りて来ていた。
口には巨大な剣が咥えられており、その刀身を魔帝に向かって振り降ろす。
「無駄だ!!」
叫びと共に魔帝の身体から白い魔力が溢れた。
どんどん溢れて白い球体となって広がるその魔力は、カトゥヌスが振り降ろした大剣すらも簡単に押し返す。
吹き飛ばされたカトゥヌスが海都の街に激突。
「クソっ」
茶色の狼はそう吐き捨て、白い球体の中に身体を隠した魔帝を睨みつけた。
魔帝の身体を中心に発生した白い球体へと、神獣たちが攻撃を加える。
赤い火球、緑色の魔力剣の大群、海水の槍、天を轟く雷。
それらの一斉攻撃が空中に浮かぶ球体に直撃して、海都の街を衝撃波が襲う。
ルフは顔の前に手を置き、前から来る猛烈な風から目を守る。
細く開けた目で見ていると、白い球体から生まれた『何か』が海に落ちた。
「貴様らが神獣の子を育てたように、我が無策でいると思ったか?」
海落ちた『何か』がそう言った。
それは白い巨人。
膝まで海に浸かる巨大な人が、こちらを見下ろしていた。
形だけ見れば魔帝が巨大化したようにも見える。
背中に生えた白い羽は、見惚れてしまうほど美しく。
本当に神が舞い降りたと錯覚するほどだ。
巨大化した魔帝が翼を広げる。
飛ぶ気かと警戒心を強めたが、翼が白い輝きを増す。
「マズいっ」
何かを察した狼の神獣と天馬の神獣が、魔帝へと突っ込んでいく。
そして放たれる白い光の波。
全てを飲み込むその光が海を荒らし、海都の街の地盤を削いでいく。
直撃すれば間違いなく海都は滅ぶ。
それでも結界がその白い光を防いだ。
(今のうちに反撃を……)
そう思った直後、結界が壊れた。
白い光の波が海都の街覆い、そして全てを破壊した。
「う……」
もうどれくらい時間が経った?
一瞬か、それとも一日か?
ルフは全身の節々から発せられる痛みを感じた。
ゆっくりと目を開け、震える腕で身体を支える。
顔を上げるとその光景に絶望した。
「嘘……でしょ?」
街の半分が吹き飛んでいた。
避難した人たちが居る部分は無事だが、戦闘員が居た港は見る影もない。
周りに居る人の姿もなく、いつの間にか人間は自分一人になっている。
そして神獣たちが倒れていた。
街の半分を守ったのは人魚の神獣らしく、彼女は地上で力なく横たわっている。
天馬の神獣と狼の神獣は、海に浮かんでおりピクリとも動かない。
竜の神獣と淫魔の神獣は……
「お嬢さん大丈夫……?」
そう小さく聞いて来たのは、自分の目の前に立つ淫魔の神獣。
「生きておるな?」
自分に翼を被せて守ってくれた竜の神獣が上からそう聞いて来た。
二体の神獣とも身体はボロボロで、今にも倒れそうだ。
魔帝が白い翼を広げ、海都に問う。
「さぁ……まだ抵抗する気力は残っておるか?」
――絶望はまだ終わらない