第106話 神獣と神獣の子
「面白い人間たちだ」
魔帝アムシャテリスは誰も居ない空間で呟いた。
椅子に腰かけ頬杖をついて、海都での戦闘を派遣した神族種伝いに見た。
各地に散らばった神族種たちは斥候の役割も果たしている。
その気になれば、自分が生み出した神族種たちの見る映像を頭の中に浮かべることが出来た。神獣たちに倒された後も『最果ての地』で身体の回復を待ちながら、移り行く世界を見続けた。
時に争いを起こし、その度に立ち上がる。
そんな世界を見続けてもう何年になるだろうか。
自分が神界に戻る為に滅ぶ世界だと言うのに、明日を求めることなど無駄なのに、人々前を向いて生きている。
(愚かだな。どのみち滅ぶ世界の味方になった神獣たちも……)
椅子から立ち上がるとギシッと樹のきしむ音。
いつから使っているかは覚えていない。
以前人魚の神獣が「人間が面白い物造っていますよ」と言って、持って来てくれたものだ。
下半身が魚体である彼女には、座れると言うことが魅力的に思えたらしい。
指を鳴らすと周りを囲っていた黒塗りの結界が消える。
そして目の前に広がるのは最果ての地の大地だ。
遠くで火山の噴火する音が聞こえ、分厚い灰色の雲に覆われた空から光は差し込むことはない。
荒廃した大地には、人間の世界でよく見る樹など一本も生えておらず、生物が生きる気配は皆無だ。
昔は美しいと思える大地だった。
神獣たちとの戦いにより、大地は荒れ果て今の様な姿になってしまった。
それ自体に文句はない。
あるのはかつて神界に居た自分がこんな大地にいることだ。
神界とこの世界を繋ぐ門があるとはいえ、何もないこの場所は退屈そのものである。
「さて……備えるか」
魔帝は神力を高めた。
神界で生まれた魔帝が使える神力は、魔力と基本的には同じだ。
ただし生み出される規模や、可能になる範囲は神力の方が圧倒的に上である。
もちろん神獣たちも神力の力を借りて戦闘に用いていた。
それは神獣の子にも当てはまるだろう。
海都襲撃を退けた五人の子供たち。
満を持して送り込んだ神族種と眷属の魔物たちは、神獣の子に殲滅させられてしまった。
次から次へと送り込んでもいいが、向こうがこちらに来てくれるのだから待てばいい。
人間やエルフたちには、神獣の子の首でも見せれば大人しくなるだろう。
それにどう転んでも自分の魂を消す以外、向こうには勝ち目はない。
最初から勝利の約束された戦争だ。
「何処まで行けば絶望するかな?」
残虐な笑みを浮かべた魔帝は、ただ最果ての地で待つ。
世界の希望と言われる神の子供たちを……
「ん~、結構疲れたなぁ」
海都の港で両手を突き上げ深く息を吐いた。
神族種たちの戦闘は、神獣の子の活躍もあってとりあえずの終わりを見せた。
ただし出た被害はかなり大きく、海都の街は深刻なダメージを受けている。
街を歩けば建物が崩れた跡があるし、石造りの道にはクレーター。
包帯を巻いた人、治癒師に治してもらっている途中の人が多く居た。
勝つには勝ったが甚大な被害をこうむった。
それが正直な今回の戦闘の結果になるのだろう。
「ユーゴ!」
「ほいほい」
ルフに呼ばれて駆け足で近づく。
彼女の傍には枝木が集められており、その横で身体を濡らした船乗りたちが寒そうに震えていた。
魔術で火を放ち、枝木を焚火へと変える。
「ありがとう。助かるよ」
「気にすんな。困ったときはお互いさまさ」
感謝する船乗りにそう返し、周りを見た。
大破した船から救助された人々が焚火で身体を暖めている。
年中温暖な海都でも、日が落ち始める時間となれば心なしか肌寒い。
街の方へと視線を向けると、魔力の街灯が街を照らしている。
いつもなら等間隔に並んでいるランプも今は斑に輝いていた。
もう一度攻めてこられたら、人が住む場所が無くなる可能性がある。
ルフが言うには、魔帝の居る『最果ての地』に攻め込む為の古代兵器がもうすぐ使用可能になるとのこと。
ちなみに『最果ての地』とは、海都を挟んで竜の国とは反対方向にある大陸の名前らしい。
間違って迷い込む者が居ない様に、普段は人魚の神獣が海流を操っている。
巷では魔の海域として有名だとか。
船乗りたちは全員救出されたのか、夜の海から身体を冷やして上がって来る者は居ない。
俺の役目も終わりかなと思い、海都の方を向くと声を掛けられた。
「ユー君!」
人々を治療していたユノレルが駆け寄って来る。
抱き着いて来るかなと身体にグッと力を入れるが、彼女は俺の目の前で止まり期待した目で見て来た。
何もして欲しいかは目を見れば分かる。
「よく頑張ったな」
期待された通りに頭を撫でる。
綺麗に整った蒼い髪が乱れるが、ユノレルは何も言わず撫でられることを受け入れていた。
「えへへ♪ ユー君の手だぁ♪」
だらしない笑顔と言えばそれまでだ。
ただ俺の手に頭をグイグイ押し付けてくる。
まるで俺の手の感触を堪能するかのように。
なんとなく怖くなって、手をユノレルの頭からパッと離した。
「あっ! もっと撫でてよ!」
「また今度な」
踵を返して、街の方へと歩き出した俺の腕にユノレルが抱き着く。
必要以上に密着してくるが、指摘してもどいてくれることはないだろうと思い、そのまま足を進める。
「こら! あんたたちは人前で密着しすぎ!!」
俺とユノレルを見て近づいて来る桃色のポニーテール。
腕に抱き着くユノレルを引き剥がそうとするが、それ以外の力で密着しているためビクともしない。
「少しくらいユー君を独占したっていいじゃん! ルフちゃんだっていっつも一緒のくせに!」
「このバカ放っておいたらフラフラするから仕方ないでしょ! 誰かが見てないとダメなの!」
ヒドイ。
ルフは俺のことをそんな風に思っていのか、まるで母親のようだ。
「じゃあ私が見る!」
「あたし以外に務まるわけないでしょ!」
周りから言い合い二人を見て、「やっぱ男前は違うなぁ」とか呑気な声が聞こえる。
女の子から好かれるのが悪いことのわけがない。
むしろ喜ばしい事だろう。
本当ならこの状況を俺は喜ぶべきなのだが、一人は街を壊滅しかねない危険な子で、もう一人は俺のことを容赦なく殴る子だ。
気が気でないと言えば、その心境が今の俺にはピタリと当てはまる。
「ユー君はどう思う!?」
「ユーゴ! あんたが決めて!」
突然話を振られて、現実の世界に意識が戻った。
俺のことを睨みつける蒼色と桃色の瞳を交互に見る。
二人の放つ圧が怖すぎて、誤魔化すことも出来なさそうで頬を掻いた。
「まぁ……なんでもいいんじゃない?」
「ハッキリしてよ!」
「あんたそれでも男!?」
諦めの悪い二人に眉間を抑える。
どっちで答えても、俺の命が助かる未来が見えない。
「貴方モテるのね♪」
ニコニコしながら話しかけて来たのは、緑色の髪を肩まで切り揃えたョートカットの女性。
赤い唇。背筋がピンと伸びた姿勢。
灰色のチュニックは豊満な胸元のせいでピンと張り、ロングスカートからはプリっとお尻の形が分かる。
「そんな熱い目で見られたら妊娠しちゃうわ♪」
その女性は顔に手を添え、頬を染める。
可愛らしい仕草だが、この雰囲気には覚えがあった。
「ユー君! 淫魔の神獣に騙されちゃダメ!」
ユノレルが左腕を引っ張りながらそう言った。
どうりで色香があるわけだ。
さすがは淫魔の神獣。
見た目は完全な人間だし、誘惑するような熟れた身体のラインだ。
「ぜひ今度一度お相手を……グッ!」
言葉を言い切る直前、ルフの悶絶ボディブローが突き刺さった。
蹲る俺を見下ろすルフの視線は驚くほど冷たい。
「ホント。あんたって最低ね」
「ユー君大丈夫!?」
「この感じ、久しぶりだな……」
こんなやり取りも懐かしいなぁとか呑気なことを思っていると、アルンダルが手をパンパンと叩き、俺たちの視線を集めた。
「はいはい。もういいかしら? 竜の神獣の子と人魚の神獣の子は一緒に来て頂戴。神獣たちが待ってるわよ」
アルンダルに連れられて来たのは、神獣たちの集会場だった。
港の端から転移魔法で飛んだその場所はまさに異界である。
平たく言えば水の中とでも言えばいいのだろうか。
ただし外は暗いはずなのに、この場所には眩しい位の光を降り注ぎ、足元には白い砂浜で顔を上げると波に揺れる海面だ。
もちろん息は吸えるし視界はクリアそのもの。
この場所が自然に出来たモノではないことはハッキリと分かった。
俺とユノレルが到着すると既に他の神獣と神獣の子たちは集まっていた。
それぞれの神獣が円形で向かい合い、その前に神獣の子が立つ。
神と崇められる魔獣たちが集る絵は壮観の一言に尽きる。
「ほぉ。そいつが竜の神獣の息子か」
ベルトマーの後ろに立つ狼がそう言って、鋭い視線で見下ろしてくる。
父と同じくらいの大きさに茶色の毛並。
突き刺さる威圧感は噂通りだ。
「はじめまして。狼の神獣」
「オレに睨まれて笑みを返せるとは……流石、息子に勝っただけはある」
「過大評価だよ」
そう言って肩を竦める。
「挨拶はいい? 話を進めるわ」
水の球体に身体を包まれた人魚の神獣がそう言って、今後のことを切り出した。
「まずは意志の確認……神獣の子は魔帝アムシャテリスと戦うのね?」
俺たち五人はなんの迷いもなく頷いた。
理由はそれぞれだろうな。
他人から見たら今や英雄的扱いの俺たちだが、戦う理由なんてそれぞれの勝手な都合だろう。
「そうですか。ならばユーゴ」
「はい?」
まさか名指しで声を掛けられるとは思っていなかったので、思わず間抜けな声が出てしまった。
神獣と神獣の子の視線が一気に集まる。
「……覚悟は決まっていますね?」
その言葉と周りの視線から全てを察した。
今この場に居る者、全員が俺の遅れて来た理由を知っている。
それはつまり、俺に待っているであろう未来も知っているわけで……
「覚悟も何も、俺は始めから戦うつもりでしたし、あくまで仮定の話ですよね……」
――俺が死ぬってのは
今はただ、笑顔でそう返した。