第103話 それぞれの覚悟
ユノレルは自分の首にぶら下がるペンダントを見た。
縦に長い蒼い宝石。
母親である人魚の神獣から貰った宝物だ。
彼女が言うには特殊な魔力が閉じ込められているペンダントらしい。
いつか役に立つと言われ、肌身離さず持っている。
「ねぇ人魚の神獣」
「なぁに?」
「……やっぱりなんでもない」
ユノレルは母である人魚の神獣にそう返した。
今いるのはユスティアの隠れ家である孤島の中。
その中にある湖の真ん中にある岩に腰かけ、足だけ水面につけていた。
母であるユスティアは湖の中を泳いでリラックス。
その様子は戦いが始まる前なのにいつもと変わらない。
「また竜の神獣の子君のこと?」
「うっ……」
言葉に詰まった自分を見て、ユスティアがクスクスと笑っている。
魔帝アムシャテリスと神獣たちとの因縁は全て聞いた。
自分たちの選択肢、そしてユーゴの運命すらも。
「ユーゴ君にメロメロね」
「いいじゃん! ユー君カッコイイもん!」
ユスティアにからかわれて、顔を横に向けた。
湖を泳いでいたユスティアが近くまで来て、岩に肘を置く。
相当リラックスしているのか、下半身の魚体が脱力様態で、水中で揺れていた。
「神獣の私から見ても、イイ男よねぇ」
「でしょ! でもモテるから……」
「ライバルの多くて大変ね♪」
ユノレルは「はぁ」とため息。
ユーゴに近づく女は多く、目を離すとすぐ別の女が近くに居る。
排除することも考えたこともあったが、それだとユーゴに嫌われてしまうかもしれない。
それだけは絶対に嫌だった。
「どうしたらユー君を独占出来るんだろ……」
「あんまり自分の気持ちを押し付けちゃダメよ。相手の意見も尊重してあげてね」
「だけどモタモタしてたら、他の女に盗られちゃうよ!」
「例えその人と結ばれなくても、かけがえのない存在になることは出来るわ。彼が別の女性を選んでも、傍に居ることは出来る」
自分と同じユスティアの蒼い瞳が心の奥にそっと沁みる。
なんとなく気づいていた。
ユーゴが誰のことを想っているのか。
それが自分ではないことにも。
縛り付けることを彼は嫌うだろう。
それに本心から受け入れてもらえなければ、意味なんてない。
そんなことは重々承知している。
「かけがえのない存在で傍に居るか……ユー君にとって、そんな存在になれるかな?」
「なれるわ。貴女なら」
励まされて笑顔を返す。
そして湖から足を抜いて立ち上がる。
無償に外の空気を吸いたくなった。
ユーゴと一緒に居て、いつも吸っていたあの自由な空気を。
「行くのね」
「うん」
ユスティアの言葉に短く答えた。
世界を守るだとか、人間やエルフなどの亜人たちを守るだとか、そんなことはどうでもいい。
ユーゴと一緒に居る為、ただそれだけの為に戦う。
「魔帝さんが私とユー君の世界を邪魔するのなら、容赦はしない。一緒に居られる時間が短いとしても……ユー君の為に戦う」
「なら。行きましょうか」
ユスティアが指を鳴らすと、周りを囲む岩の壁の一部が崩落し、外へと繋がる道ができた。
水面には結界で道が出来ており、後はこの上を歩くだけだ。
近くの海都ではすでに多くの戦力が集結している。
他人が死ぬことに興味はないが、被害が出ればユーゴが悲しむだろう。
それは避けたい。
だから全力で神族種たちから守る。
「ママ! 早く!」
結界で創られた道を走って外へと向かう。
たとえこの外が戦いの火で染まったとしても、ユーゴと一緒ならそれでいい。
そんな思いを胸に、ユノレルは神族種たちとの戦いへと向かう。
愛した男が生きた世界を守る為に。
男は森の中で膝まで川に浸かっていた。
上半身むき出しの褐色の肌に水滴がついている。
水滴は光を反射して、男の上半身がキラキラと輝いていた。
「身体は回復したか?」
後ろから声を掛けられ、ベルトマーは振り返った。
そこには父親である狼の神獣の姿。
数か月前に天馬の国から引きずっていた魔力の消耗も、完璧に回復した。
「この通りだ」
拳を水面に振り降ろす。
衝撃で水面が割れ水しぶき。
それらを頭からかぶり、ベルトマーは濡れた茶色の髪をかき上げた。
「結局……また群れることになるらしい」
「別に何でもいいさ。魔帝に勝って、ユーゴを倒せるならな」
川から出て黒のノースリーブを身に着ける。
ユーゴと魔帝を合わせない為に数日前、人魚の神獣と手を組み戦いに赴いた。
もちろんそこで倒すつもりだったが、今の自分の力では完全に倒し切るのは不可能だ。
身体を破壊することは出来ても、それでは昔と同じ道を辿るだけである。
それは意味がないとベルトマーは思っていた。
勝ったことにならないし、そんなことで満足したくもない。
しかし完全に倒すには竜の神獣の子の力が必要だ。
しかも魔帝との戦いで、彼が命を落とす可能性が高い。
不満だらけだ。
自分が魔帝を倒せないことも、ユーゴが自分との再戦を前に消えることも……全てが。
だから最近はイラついてばかりいた。
狼の国に居る屈強な獣人の戦士たちの配備も、全てエレカカに任せて森に籠った。
落ち着きを欠いては、戦いに支障が出る。
身体は熱く、頭は冷静に。
それはベルトマーが神獣の子として、あまたの戦いを潜り抜けて達した結論だった。
「お前は『最強』が竜の神獣の子だと決めつけているらしいな」
「当然だ。俺様に勝ったのは奴だけだからな」
カトゥヌスにそう返し、黒いグローブを装着する。
拳を握る動作を数回繰り返し、感触を確かめる。
問題がないことを確認して、収納口を装備。
「行くのか?」
「最強を目指すのが親父の教えだろ? だったら、魔帝との戦いには参加するさ。人間どもを守る為なんかじゃねぇ。俺様の都合とプライドの問題さ」
地面に突き刺さっていた大剣を握る。
力強く抜いて、背中のホルスターに収納した。
「乗れ」
父が大きな身体で頭を下げる。
その上に乗って、息を大きく吸った。
戦いの空気は好きだ。
腹の底から震える程の振動と鼻孔に届く血の香り。
強者との戦いは刺激となり、生きていると実感する。
「さぁ……戦いだ!」
強者がそこに居れば、戦う理由に十分だ。
もっと来い。もっと楽しませてくれ。
今までで一番楽しめそうな戦いだ。
そんな思いを胸にベルトマーは戦いへと向かう。
強者との戦い、それだけを胸に。
「いい風だ」
天馬の神獣の子は目の前の光景に呟いた。
海都から少し離れた丘の上からは、海都全体がよく見える。
慣れない潮風も今は心地がいい。
「ラウニッハ」
母である天馬の神獣が横に並ぶ。
海都に来た神獣たちは、混乱を避ける為に人目を避けてそれぞれ各地に散った。
そんな母に呼び出されたのは昨日のことで、話は今までのことと、これからからどうするかの意志の確認だった。
もちろん答えは変わらない。
ユーゴに負けて、ラーヴァイカが死んで、決意した時から変わるわけがない。
過ちを冒してしまった自分には責任がある。
この世界の調和を保つ為の責任が。
「決意は変わらないのですね」
「はい。もう僕は決めました。今ある世界を守ると……それが正解かどうかは分かりません。世界は変化し続けてここまで来た。変化は進化とも言えます。それを僕は阻害しているのかもしれない」
それでも生きる場所を見つけた。
守るべきモノが何かようやく分かった。
「私のせいで貴方は……」
「もうやめて下さい。僕は貴女の言葉が聞けただけで満足です。僕は僕の意志で戦いに行くんです。神獣の子として、ラウニッハとして……」
昨夜、母とはこれまでのことを話した。
フィンニルは神獣の子の計画に反対だったらしい。
人間の者に自分たちの重荷を背負わせることも、世界の異端を自分の手で生み出すことも……
しかし神獣たちの取り決めで、魔帝を倒す為には必要なことだ。
だから渋々育てることにした。
そんなフィンニルはどう接したらいいのか分からず、自分に冷たい態度をとってしまったらしい。
その結果がエルフたちと共に戦争を勃発させてしまった。
ユーゴとの戦い。
自分を追いかけて来たチコを見て、フィンニルは後悔を悟ったそうだ。
育てた息子も一人の人間であり、長年見て来た親から子へと注がれる愛情を求めていたことに。
――自分が間違っていた
フィンニルの口から告げられたのは、今までの謝罪。
母としての責務を全う出来なかったと言われた。
――謝らないで下さい
それがラウニッハの答えだ。
確かに苦しんだ時期もあった。
だけどその過程があって、今の自分が居る。
隣に居てくれる人が居る。
それが結果で答えだ。
もう起こしてしまった過ちは消すことは出来ない。
大切なのはこれからの対応だ。
だから今は世界の調和の為に戦おう。
調和を乱す者が居るのなら……
「来たか……」
遥か水平線から空を埋め尽くす黒い影。
それは攻めて来た神族種たちの大群だ。
黒い船の姿も確認できるし、その周りの海もやけに波が高い。
海中にも敵がいるらしい。
「覚悟はいいですね」
「もちろん。今になって引けません」
ラウニッハは槍を手に取った。
世界の調和を乱す者がいるのなら、それを排除する為に戦おう。
それが自分の意志だ。
一度道を踏み踏み外してしまった。
だけど何時も自分の意志で戦って来た。
それは今回も変わらない。
固い決意と意志を胸に、ラウニッハは戦いへと向かう。
己の存在意義を果たす為、今生きるこの世界の調和を保つ為に。